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光との時間
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「マスター、こんばんは」
次の土曜日。
小夜は光を連れていつものバーに演奏に来ていた。
「こんばんは、藤原さん。おや、お隣の方はお友だち?」
「彼氏っす」
軽口を叩く光をぺしっと手であしらってから、小夜はマスターに説明する。
「私の職場に新しく入って来たんです。アメリカでジャズピアノを習って帰国したばかりで。今夜は観客として聴きに行きたいと言うので連れて来ました」
「へえ、ジャズピアニストなんだ。せっかくだから彼にも弾いてもらいたいな」
すると光は意外にも躊躇した。
「いや、それが……。多分俺が弾いたらびっくりさせちゃうと思うんですよね。こんな高級なバーの雰囲気、ぶち壊しそうで」
「でも、君もピアノ演奏の仕事をしたいんじゃないのかい?」
「はい、いずれは。だから今日は小夜の演奏を聴いて、勉強させてもらおうと思って」
「なるほど。それならカウンターの席にどうぞ。ここは音が一番よく響く特等席なんだ。お酒はなにがいい?」
「んーと、ウイスキーをロックで」
「かしこまりました」
マスターの前の席に腰を下ろした光に、小夜は声をかける。
「じゃあ私、控え室に行くね」
「ああ。演奏楽しみにしてる」
「うっ、プレッシャーかけないで。マスター、彼をべろんべろんに酔っ払わせてください」
「残念。俺、アルコールにはめっぽう強いんだ。女には酔うけどね」
「もう、バカなことばっかり」
苦笑いしてから、あとでねと手を振って、小夜は控え室に向かった。
◇
控え室に入ると、早速衣装に着替えた。
今夜はラメ入りのブラックのタイトドレス。
小夜が持っている中で一番大人っぽい衣装だった。
ノースリーブで背中も大きく開いているが、胸元はドレープで覆われて、ピアノを弾いてもはだけたりしない。
「うーん、髪型はどうしようかな」
光にお子さま扱いされるのは悔しく、夜会巻きにしようかとも思ったが、さすがに背中の露出が多すぎる。
結局ヘアアイロンで毛先を巻き、ハーフアップにしてからラフにほぐした。
鏡の前で身体をひねってチェックする。
髪は肩甲骨まで隠れる長さで、これなら大胆すぎないと頷いた。
「準備オッケー。あとは、なにを弾こうか考えておこう」
タブレットの楽譜データを見ながらあれこれ考えてみたが、光がいるからといって背伸びをしてもいいことはない。
いつも通りの演奏をしようと思い直した。
◇
やがて二十三時になり、小夜は控え室を出る。
マスターが照明を調節してくれ、顔馴染のお客様が拍手で迎えてくれた。
小夜はにこやかに笑顔を向けながらピアノの前まで来ると、店内を見渡してお辞儀をする。
こんなふうに注目される時もあれば、おしゃべりに夢中で誰にも気づかれない時もある。
小夜はその場その場で臨機応変に対応し、最初に弾く曲を決めていた。
今は静まり返った店内で、皆が小夜の音を待っている。
こういう時には最初からしっかりと聴かせなければ。
(私の知っているジャズのイメージで……。よし、決めた)
スッと息を吸って鍵盤に両手を載せる。
静かにささやくようなリズムで弾き始めた曲は、映画『ロシュフォールの恋人たち』より『キャラバンの到着』
かっこいいジャズワルツの曲を、大人っぽくちょっと気だるげに弾く。
今夜もほぼ年輩の男性で埋め尽くされた店内は、お酒を片手に軽く目を閉じて音に身を任せている様子がうかがえた。
弾き終えると、ヒュッと口笛と共に拍手が起こる。
(今夜のお客様は陽気な方が多いな。それなら次は……)
小夜はにっこり笑って観客を見渡しながら、軽くピアノを鳴らし始めた。
NAT KING COLEの『L-O-V-E』
曲名がわかった観客は笑顔を浮かべ、手拍子と共に歌い出す。
店内に広がる歌声に、小夜もテンポを合わせて微笑みながら演奏した。
次は王道の『イン・ザ・ムード』と『A列車で行こう』
そして『虹の彼方に』をたっぷりと歌い上げるように弾いた。
うっとり酔いしれながら歌詞を口ずさむ人もいる。
小夜は装飾音符もちりばめて、ゴージャスにしっとりと演奏した。
ラストは映画『天使にラブ・ソングを』から『I Will Follow Him』。
『恋のシャリオ』をゴスペル調にアレンジした曲で、皆もノリノリで手拍子しながら盛り上がった。
◇
「おお、小夜! なんか思ってたんと違ったけど、めっちゃ楽しかった!」
光の第一声に、小夜はガクッと肩を落とす。
「なによ、それ。小バカにしてる?」
「違うって。想像の斜め上行ってて新鮮! こんな楽しみ方あるんだーって」
「ええ? 光くん、いつも人前でどうやって弾いてるの?」
「オラオラー、お前らついて来いよって感じ。行けんのか? 行けんだろ! って煽って」
「ガラ悪っ」
「うん。俺、絶対このバーでは弾けない」
「でしょうね」
二人のやり取りに苦笑いしながら、マスターが小夜にカウンター席を勧めた。
「今夜は藤原さんもここで飲んだら?」
「はい、ではお邪魔します」
ドレスを着たまま光の隣に座ると、次々とお客様が声をかけに来た。
「小夜ちゃん、今夜の演奏もよかったよ」
「いっつもすぐに控え室に入っちゃうから、感想が言えなくてさ」
「そうそう。週末にここでお酒飲みながらピアノ聴く時間を、楽しみにしてるよ」
そんなふうに思ってくれていたとは、と小夜は感激してお礼を言う。
「皆さんに喜んでいただけるように、レパートリーを増やして練習しておきますね」
「今でも充分だよ。でも楽しみにしてる」
「はい、ありがとうございます」
ひとしきり話してから、ようやく小夜はマスターが振る舞ってくれたオードブルとカクテルを味わった。
次の土曜日。
小夜は光を連れていつものバーに演奏に来ていた。
「こんばんは、藤原さん。おや、お隣の方はお友だち?」
「彼氏っす」
軽口を叩く光をぺしっと手であしらってから、小夜はマスターに説明する。
「私の職場に新しく入って来たんです。アメリカでジャズピアノを習って帰国したばかりで。今夜は観客として聴きに行きたいと言うので連れて来ました」
「へえ、ジャズピアニストなんだ。せっかくだから彼にも弾いてもらいたいな」
すると光は意外にも躊躇した。
「いや、それが……。多分俺が弾いたらびっくりさせちゃうと思うんですよね。こんな高級なバーの雰囲気、ぶち壊しそうで」
「でも、君もピアノ演奏の仕事をしたいんじゃないのかい?」
「はい、いずれは。だから今日は小夜の演奏を聴いて、勉強させてもらおうと思って」
「なるほど。それならカウンターの席にどうぞ。ここは音が一番よく響く特等席なんだ。お酒はなにがいい?」
「んーと、ウイスキーをロックで」
「かしこまりました」
マスターの前の席に腰を下ろした光に、小夜は声をかける。
「じゃあ私、控え室に行くね」
「ああ。演奏楽しみにしてる」
「うっ、プレッシャーかけないで。マスター、彼をべろんべろんに酔っ払わせてください」
「残念。俺、アルコールにはめっぽう強いんだ。女には酔うけどね」
「もう、バカなことばっかり」
苦笑いしてから、あとでねと手を振って、小夜は控え室に向かった。
◇
控え室に入ると、早速衣装に着替えた。
今夜はラメ入りのブラックのタイトドレス。
小夜が持っている中で一番大人っぽい衣装だった。
ノースリーブで背中も大きく開いているが、胸元はドレープで覆われて、ピアノを弾いてもはだけたりしない。
「うーん、髪型はどうしようかな」
光にお子さま扱いされるのは悔しく、夜会巻きにしようかとも思ったが、さすがに背中の露出が多すぎる。
結局ヘアアイロンで毛先を巻き、ハーフアップにしてからラフにほぐした。
鏡の前で身体をひねってチェックする。
髪は肩甲骨まで隠れる長さで、これなら大胆すぎないと頷いた。
「準備オッケー。あとは、なにを弾こうか考えておこう」
タブレットの楽譜データを見ながらあれこれ考えてみたが、光がいるからといって背伸びをしてもいいことはない。
いつも通りの演奏をしようと思い直した。
◇
やがて二十三時になり、小夜は控え室を出る。
マスターが照明を調節してくれ、顔馴染のお客様が拍手で迎えてくれた。
小夜はにこやかに笑顔を向けながらピアノの前まで来ると、店内を見渡してお辞儀をする。
こんなふうに注目される時もあれば、おしゃべりに夢中で誰にも気づかれない時もある。
小夜はその場その場で臨機応変に対応し、最初に弾く曲を決めていた。
今は静まり返った店内で、皆が小夜の音を待っている。
こういう時には最初からしっかりと聴かせなければ。
(私の知っているジャズのイメージで……。よし、決めた)
スッと息を吸って鍵盤に両手を載せる。
静かにささやくようなリズムで弾き始めた曲は、映画『ロシュフォールの恋人たち』より『キャラバンの到着』
かっこいいジャズワルツの曲を、大人っぽくちょっと気だるげに弾く。
今夜もほぼ年輩の男性で埋め尽くされた店内は、お酒を片手に軽く目を閉じて音に身を任せている様子がうかがえた。
弾き終えると、ヒュッと口笛と共に拍手が起こる。
(今夜のお客様は陽気な方が多いな。それなら次は……)
小夜はにっこり笑って観客を見渡しながら、軽くピアノを鳴らし始めた。
NAT KING COLEの『L-O-V-E』
曲名がわかった観客は笑顔を浮かべ、手拍子と共に歌い出す。
店内に広がる歌声に、小夜もテンポを合わせて微笑みながら演奏した。
次は王道の『イン・ザ・ムード』と『A列車で行こう』
そして『虹の彼方に』をたっぷりと歌い上げるように弾いた。
うっとり酔いしれながら歌詞を口ずさむ人もいる。
小夜は装飾音符もちりばめて、ゴージャスにしっとりと演奏した。
ラストは映画『天使にラブ・ソングを』から『I Will Follow Him』。
『恋のシャリオ』をゴスペル調にアレンジした曲で、皆もノリノリで手拍子しながら盛り上がった。
◇
「おお、小夜! なんか思ってたんと違ったけど、めっちゃ楽しかった!」
光の第一声に、小夜はガクッと肩を落とす。
「なによ、それ。小バカにしてる?」
「違うって。想像の斜め上行ってて新鮮! こんな楽しみ方あるんだーって」
「ええ? 光くん、いつも人前でどうやって弾いてるの?」
「オラオラー、お前らついて来いよって感じ。行けんのか? 行けんだろ! って煽って」
「ガラ悪っ」
「うん。俺、絶対このバーでは弾けない」
「でしょうね」
二人のやり取りに苦笑いしながら、マスターが小夜にカウンター席を勧めた。
「今夜は藤原さんもここで飲んだら?」
「はい、ではお邪魔します」
ドレスを着たまま光の隣に座ると、次々とお客様が声をかけに来た。
「小夜ちゃん、今夜の演奏もよかったよ」
「いっつもすぐに控え室に入っちゃうから、感想が言えなくてさ」
「そうそう。週末にここでお酒飲みながらピアノ聴く時間を、楽しみにしてるよ」
そんなふうに思ってくれていたとは、と小夜は感激してお礼を言う。
「皆さんに喜んでいただけるように、レパートリーを増やして練習しておきますね」
「今でも充分だよ。でも楽しみにしてる」
「はい、ありがとうございます」
ひとしきり話してから、ようやく小夜はマスターが振る舞ってくれたオードブルとカクテルを味わった。
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