アンコール マリアージュ

葉月 まい

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これが恋の瞬間ですか?!

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 「お呼びでしょうか?」

 そう言って真がデスクに近付くと、社長は笑顔で頷いた。

 「ああ。明日発売のドリーム ウェディングが届いた。見てみなさい。見開き6ページの特集が組まれている」

 真は雑誌を受け取り、開いてあるページに目を落とす。

 大きな写真がふんだんに使われており、あの日のガーデン挙式や披露宴の様子、そして笑顔で新郎新婦に接する真菜の姿が掲載されていた。

 「当初は、この次の号に載せるはずだったが、急遽秋の特別号に間に合わせたらしい。それだけ良い記事だと、先方も判断したのだろう。私もじっくり読んでみたが、素晴らしいな。こんなにも感動的な挙式がうちで行われているなんて、驚いたよ」

 はあ、と真は相槌を打つ。

 「なんだ?俺がこんなに感激しているのに、お前は妙に冷めてるんだな」
 「いえ、そういう訳では…」
 「今回は、お前と真菜さんに感謝して労おうと思っているのだが。彼女は何か希望があるだろうか?特別手当とか」

 真は雑誌から顔を上げた。

 「いえ、彼女はその様な事は望んでいません。彼女は常に、ただひたすら真摯に、誠意を持ってお客様に向き合っているだけです。今回の事も、特別何かをした、とは思っていないでしょう」

 ふーん…と言いながら、社長はデスクの上で両手を組む。

 「あの取材の日から半月経つが、お前がずっと塞ぎ込んでいるのはなぜだ?俺はてっきり、取材が上手くいかなかったのかと思っていたのだが、こんなにも良い記事にしてもらっている。何が不満なんだ?」
 「不満だなんて、そんな。それにあの日は、挙式も披露宴も素晴らしいものでした。取材を受けた時の、記者の方の反応も良かったです。良い記事にしてもらえると、確信していました」
 「ますます分からんな。ではなぜ、お前はそんなに落ち込んでいる?」
 「落ち込んでなど、そんな事は…」

 真はうつむいて小声で答える。

 「そうか。では、真菜さんを食事にお誘いしなさい。せめてものお礼にな」

 えっ!と、真は驚いて顔を上げる。

 「どうした?それくらいするのが当然だろう?」
 「それは、そうですが…。彼女も仕事が忙しいと思いますし…」
 「ふっ、そんな事を言うなんてお前らしくないな。まあいい。すぐにとは言わない。だが必ず彼女にお礼をするのだぞ?我が社の1番の功労者だからな」

 真は、仕方なく、はいと頷いた。

*****

 「ふう…」

 自分のデスクに戻ると、真は大きく息を吐き出して天井を仰ぐ。

 あの取材の日、記者からブライダルフェアのモデルについて聞かれた時、ようやく真は思い出したのだ。

 以前、真菜と一緒に、模擬挙式の新郎新婦役をやった事を。

 (仕事の一環だったから、すっかり忘れていた。それに、大して意識もしていなかったし…)

 だが、真菜は違う。
 真菜にとっては、あの模擬挙式は大きな出来事だったのだ。

 なぜなら、あの誓いのキスは、真菜にとってのファーストキスだったのだろうから。

 (だからあの時真菜は、観覧車の中で悲しそうに呟いたんだ。もう、ファーストキスをここで、という夢は叶わないと。そして、俺がそれに気付かなかった事にもショックを受けたのだ)

 好きでもない、しかも、会ったばかりの相手にファーストキスを奪われてしまった。

 一生に一度と夢見たウェディングドレスも、結婚式も、誓いのキスも、何もかも…

 自分が真菜の夢を全て奪ってしまったのだ。

 そう思うと、胸が張り裂けそうだった。

 (なんて謝ればいいのか…。もう彼女に合わせる顔もない)

 デスクの上に両肘を付き、組んだ手の中に顔を埋めて、真はまた大きなため息をついた。 

*****

 「真菜ー、そろそろ上がれるか?」

 オフィスに顔を覗かせた拓真に、うん、もう終わると真菜は答える。

 「じゃあ、ガーデンで待ってるよ」

 分かったと返事をして、真菜はロッカールームに向かった。

 着替えながら、つい手を止めてため息をついてしまう。

 仕事中は集中しているが、勤務を終えれば途端に頭の中は、真との事で一杯になる。

 (もう、前みたいには話せないのかな…)

 気を抜くと涙が溢れそうになり、慌てて顔をペチペチと叩いて、ロッカーを閉めた。

 「拓真くん、お待たせ」
 「お、じゃあ帰るか」

 肩を並べて二人でガーデンの階段を下りる。

 「そう言えばさ、明日発売の雑誌の記事、本社からメールで届いてたよな。見たか?」
 「ああ、うん。チラッとね」
 「すんごい良く書かれてたぞ。うちの事べた褒め。俺、もしや社長、なんか金でも握らせたのか?って一瞬疑ったくらいだぜ」
 「あはは!それはないよ。でも、拓真くんの撮った写真も提供したんでしょ?すごくいい写真ばかりだったもん」
 「新郎新婦のお二人も、載せていいって言ってくれたしな。あ、お前のブッサイクな顔は、わざと外してやったぞ」

 真菜は、ぶうと膨れて拓真を睨む。

 「なによー、ブッサイクって」
 「あれをブッサイクと言わないで、何をブッサイクと言うんだ?」

 ますます膨れる真菜に、ははっと笑ってから、拓真は急に真顔に戻った。

 「でもさ、テレビ放送の反響もまだ残ってる所に、明日あの雑誌が発売されるだろ?またお前を指名して予約が殺到するぞ。大丈夫か?」
 「ん?そんな、私ばかり指名されないよ。店長が割り振ってくれてるし」
 「でも店長、なんとかして他の担当者で納得してもらおうとお客様に頼んでる所、俺何回も見たぞ」
 「え、そうなの?」
 「ああ。だから、明日からもちょっと心配でさ。本社のお偉いさん、早くうちに社員増やしてくれるといいな」

 そうだね、と真菜も頷いた。

 「じゃあな」
 「うん、また明日」
 「あ、俺明日と明後日、他店ヘルプなんだわ」
 「そうなんだ。頑張ってね」

 寮の部屋の前で拓真と別れ、真菜は鍵を開けて中に入る。

 「ふう、疲れた…」

 ペタンと床に座り込むと、ベッドに両腕を載せて顔を埋める。

 さっきの拓真の言葉が思い出された。

 (確かにあのテレビ放送以降、急に忙しくなったな。明日の雑誌の反響、どうかなー?また忙しくなるのかな)

 身体は疲れ切り、食欲もない。

 だが、ふと壁に貼った写真に目をやると、真菜はふふっと笑みを洩らす。

 (真さん、今日もかっこいいなー。写真だから当たり前だけど。これを見てると、元気になれる)

 そして、ローテーブルの引き出しからメモ帳を取り出した。

 あの日、真とみなとみらいを巡った時の手帳だ。

 臨港パークのページをめくってみる。

 『子ども達に頼まれて、カニを捕まえる真さん。優しく海に帰すんだぞ?だって♡』

 『服が汚れるのも気にせず、芝生に寝転んで眠ってしまった。思わず寝顔に見とれちゃう。かっこいいなー』

 あの時書き込んだ自分の文字をなぞり、なぜだか胸が熱くなって涙がこみ上げる。

 (本当はどうしたいんだろう、私。真さんと話したいのに、話したくない。会いたいのに、合わせる顔がない。でも、本音はやっぱり会いたい。ただ黙って抱き締めてくれたら、それだけでいいのにな…)

 ふと思い出し、テーブルの引き出しの奥から封筒を取り出す。

 そして、たった1枚残されていた写真を手にした。

 最初は、捨てるに捨てられないと思っていた写真。

 その次は、照れくさくて貼れないと封印した写真。

 でも今は…。
 今となっては宝物の様なその写真を、真菜はそっとテープで壁に貼った。

*****

 次の日。
 真は車でフェリシア 横浜に向かっていた。

 今朝、真菜の記事が載った雑誌が発売されるや否や、問い合わせの電話が殺到し、どの店舗もてんやわんやになった。

 記事に関する問い合わせも多く、昨日のうちに該当記事はPDFファイルで全社員に送ってあったが、やはり実物が見たいと、各店長から本社に頼んできたらしい。

 「明日には各店舗に届くように送ろうと思っていたのだが、出来るだけ早く見たいと言われて、今、エリア統括マネージャーが配りに行っている。せめてフェリシア 横浜には、お前が直接手渡して礼を言いなさい」

 社長に言われ、仕方なく雑誌を持って横浜に向かう事になったのだ。

 「店長が、それぞれ近所のコンビニで買った方が早くないですか?」
 と言ってみたのだが、どうやらこの特別号には豪華な付録も付いているらしく、どこも完売状態なのだとか。

 (はあ、真菜に会ったらなんて言おう。こっそり会わないように帰るか?いや、いかん。取材の件のお礼は言わないとな)

 真は腕時計を見る。
 時刻は16時40分だった。

 (すっかり遅くなったな)

 仕事をある程度済ませてから本社を発ち、途中渋滞もあった為、到着は17時を過ぎそうだった。

 (早く見たいと言われていたのに、申し訳ない)

 そう思いながら、真は車外の景色を眺めていた。

*****

 「真菜、ストップ!」

 デスクから資料を取り、急いでサロンに戻ろうとした真菜の手を久保が掴んだ。

 「はい?どうしました?」
 「真菜、あんたお昼食べた?」
 「あ、それなら、この接客が終わってから食べようかと」
 「何言ってるの。もう夕方の5時よ?」

 え?と驚いて時計を見る。

 朝から次々と打ち合わせのお客様に対応していて、全く気付いていなかった。

 「真菜、一旦休憩しなさい。そのままだと倒れるわよ」
 「あ、はい。じゃあ、せめてこのお客様の打ち合わせが終わってから…」

 久保は、小さく息を吐き出してから、頷いた。

*****

 17時を過ぎ、ようやくフェリシア 横浜に到着した真は、オフィスに足を踏み入れた途端、驚いて立ち止まった。

 オフィスにいる全員が、電話に応対している。

 そして口々に、
 「齊藤は、ただ今接客中でして。わたくしでよろしければ承りますが?」
 と頭を下げていた。

 (こ、これは…。雑誌の反響がここまで?しかも、全ての電話が真菜宛なのか?)

 やがて、会話を終えた店長が受話器を置いて真を見た。

 「専務、お疲れ様でございます」
  「ああ、雑誌を持って来た。遅くなってすまない」
 「いえ、ありがとうございます。助かります。なにせ、朝からずっとこの雑誌の記事に関するお問い合わせばかりで…」

 真は、ひっきりなしにかかってくる電話に、受話器を置いては、すぐまた上げるスタッフ達を見る。

 「大丈夫か?今日は他店からのヘルプを増やしておいたんだが…」
 「いえ、人手不足ではなく、何と言いますか…真菜不足ですかね?皆様、真菜をご指名ですから」

 真は、小さくため息をつく。

 「それで、真菜は今?」
 「サロンで接客中です。あの子、お昼も食べてなくて…。この打ち合わせが終わったら、もう帰らせようかと。先月のテレビ放送以降、すっかり『時の人』になって、ずっと忙しくしているので」

 頷いた真は、そっとパーテーションからサロンの様子をうかがった。

 テーブルを挟んで、真菜がカップルと楽しそうに話をしている。

 「それでは、日取りは確定しましたので、次回はもう少し詳しくお話させて下さい。ドレスのご試着もしてみましょうね」
 「はい!凄く楽しみです。よろしくお願いします」

 笑顔でお二人と打ち合わせを終えた真菜は、立ち上がり、扉を開けてお辞儀をしながら見送ると、テーブルを整えて資料を手にオフィスに戻って来た。

 真の姿を見て、驚いた様に立ち止まる。

 「あ、お疲れ様です」
 「お疲れ様。大丈夫か?顔色が良くない」
 「いえ、大丈夫です」

 そう言って脇をすり抜け、自分のデスクに戻る。

 「真菜、今日はもう上がりなさい」

 久保が声をかけると、真菜は驚いて顔を上げた。

 「でも、まだやる事がありますし」
 「だめよ。これは店長命令。あなた、お昼も食べてないし、すでに『久保の労働基準法』違反よ。上がりなさい」

 茶目っ気たっぷりに笑ってみせる久保に、真菜も笑って、はいと返事をした。

 デスクを片付けてから鞄を持ち、お先に失礼しますと言ってオフィスを出た真菜を、真は後ろから呼び止めた。

 「真菜、ちょっといいか」

 ゆっくり振り返った真菜が、真の顔を見上げる。

 と、次の瞬間、真菜は糸が切れたかの様に膝から崩れ落ちた。

 「真菜!」

 真は慌てて抱き留める。

 「真菜、大丈夫か?」

 真菜は返事も出来ずに、真にぐったりと身体を預けている。

 真はすぐさま真菜を抱き上げ、車に戻った。

 運転手に、寮へ向かってくれと言って、真菜を自分の肩にもたれさせる。

 様子をうかがうと、呼吸も苦しそうにじっと目を閉じたままだった。

 額に手を当て、その熱さに真は驚く。

 (無理がたたったか…。もう少し早く手を打つべきだった)

 真菜が忙しくなる事は分かっていたのに…

 まさかここまで反響があるとは思わず、事態を甘く見過ぎていた。

 現場は、自分達本社の人間が思っていた以上に混乱していたのだ。

 (すまなかった、真菜)

 真は、ギュッと唇を噛み締めた。

 寮に着くと、足元のおぼつかない真菜を支えて部屋に入る。

 真菜はなんとか玄関で靴を脱いだが、その場に崩れそうになり、真は抱き上げてベッドに寝かせた。

 「真菜、大丈夫か?」

 かろうじて頷いてみせたが、辛そうに荒い息を繰り返している。

 真はキッチンへ行き、ゴソゴソと氷枕を探したが、どうやら置いてないらしく、代わりに大きめの保冷剤を取り出した。

 濡らしたハンカチで包み、真菜の額に載せる。

 きちんと留めてあったブラウスのボタンも、上から2つ程外した。

 真菜は、どうやらすっかり寝入ったらしい。

 (ずっと寝不足だったんだろうな)

 真菜の寝顔を見つめながら、真はそっと頭をなでた。

 「ごめんな、真菜」

 どれくらい経ったのだろう。

*****

 ふと、真さんと言う真菜の声が聞こえて目が覚める。

 (いつの間にか、俺も眠ってしまったのか…)

 そう思い、ベッドの上に目を向ける。

 真菜はもう一度、真さんと呟いた。
 だが、顔は壁に向けたままだ。

 (ん?誰に話しかけてるんだ?)

 「今日もかっこいいね、真さん」

 そう言うと真菜は、そっと壁に手を伸ばす。

 (…えっ、これって)

 暗闇に目を凝らすと、壁にたくさんの写真が貼ってあるのが見えた。

 (これ全部、あの模擬挙式の時の?)

 並んで歩く二人、向き合って見つめ合う二人、そして優しくキスしている二人の写真…

 (ど、どうしてこの写真を?真菜は、この模擬挙式にショックを受けていたはず。俺が、真菜の憧れや夢を全部奪ってしまったから…)

 そっと写真をなぞっていた真菜が、やがてくるりとこちらに寝返りを打った。

 ベッドのすぐ側の床に座っていた真と目が合う。

 2秒、いや3秒?
 とにかくしばらく見つめ合ったあと、真菜は声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。

 「ううううぎゃー!な、なんで?ま、真さん?生?え、生身の真さん?」
 「ちょ、ちょっと待て。俺はもはや、人間とは思われてないのか?」
 「ギャー!しゃべった!嘘でしょ?!夢?え、夢から現れた亡霊?」
 「落ち着け!俺はれっきとした生身の人間だ!」

 思わず叫ぶと、真菜は両手で頬を押さえて目をぱちくりさせている。

 「あの、真さん?不法侵入ですよ?」
 「お前なあ。運んでやったのに、なんだよその扱いは」
 「え、運んだ?私を?」
 「ああ。お前、会社で倒れたんだ。だから車でここに運んだ」
 「会社で?あ、ほんとだ。制服のままだ」
 「それより、熱はどうだ?下がったか?」

 真は真菜の額に手を当てる。

 「んー。だいぶ下がってるけど、まだ少し熱いな。もう少し寝てろ」
 「私、熱があったの?」
 「ああ。測ってないけど、多分38度近くあったかも」
 「ええー、そんなに?私、熱出したのっていつ以来だろう…。5年ぶり?いや、もっとかも」
 「それくらい、最近無理してたって事だ。いいからもう1度寝ろ。まだ夜中の3時だ。朝までしっかり休め」

 真菜は素直に頷いて、布団に潜り込む。

 「じゃあ俺、今のうちに駅前のコンビニで何か買ってくるよ。何がいい?お粥と、ヨーグルトとかはどうだ?」 
 「じゃあ、たまご粥と、ストロベリーヨーグルト」
 「分かった。ちゃんと寝てろよ?」 

 そう言って立ち上がった真の服を、真菜が腕を伸ばしてちょこんと摘んだ。

 「おい、掴んでたら行けないだろうが」

 すると真菜は、目元まで布団を上げながら、真さん?と呼びかけてくる。

 「なんだ?」
 「ちゃんと帰ってきてね?」
 「あ、ああ。もちろん」

 真菜は、ふふっと子どもの様にあどけなく笑って手を離した。

 後ろ手に玄関のドアを閉め、まだ薄暗い夜明け前の空を見上げて、真は先程の真菜の顔を思い出す。

 熱のせいだろうか、少し弱々しく、潤んだ目で見つめてきた可愛らしい少女の様な笑顔。

 思わず真は顔を赤くする。

 (なんか、調子狂うな。あいつ、あんな顔するなんて)

 階段を下り、エントランスを出て歩き出す。

 (それに、そうだ。壁に貼ってあったあの写真…。どういうつもりで貼ったんだ?もしかして、仕事の参考にする為とか?アングルとか、勉強になるって言ってたしな) 

 そうだ、きっとそうに違いない。

 自分にそう言い聞かせるが、ふと、先程の真菜の様子が脳裏に蘇った。

 そっと写真に手を触れながら、今日もかっこいいね、真さん、と呟いていたっけ。

 (どういう意味だ?俺がかっこいい?つまり、何だ?)

 答えが分かっている様な、いない様な…
 真は自分でも呆れるほど、頭の中で堂々巡りをしていた。

*****

 朝になり、真菜は真の買ってきたたまご粥とヨーグルトを、仏頂面で食べていた。

 「もう、真さんの嘘つき!」

 恨み節を言いながら、バクバクと勢い良く口に運ぶ。

 真菜が再び目覚めた時、真の姿はなく、テーブルにメモが置かれていたのだ。

 『粥とヨーグルトは冷蔵庫の中だ。今日の仕事は休め。店長に連絡しておく』

 何これー、電報か?と言いながら、真菜は、勝手に帰ってしまった真にムッとしたのだった。

 「ちゃんと帰ってきてねって言ったら、もちろんって言ったよね?真さん。ま、そりゃ確かにここには帰って来たんでしょうけどさ」

 ブツブツ言いながら食べ終え、時計を見ると9時半を過ぎていた。

 「店長、もう来てるかな」
  
 オフィスに電話をしてみると、すぐに久保が出た。

 「真菜、熱が出たんですって?そりゃそうよ。無理しすぎよ?今日はゆっくり休みなさい」
 「あ、はい。でももうすっかり平熱みたいなんですけど…」
 「だめよ。それに専務からも言われたの。ちゃんと休ませるようにって。だから1日ゆっくりしなさい」
 「分かりました。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします」

 真菜は電話を切ると、ふうとひと息つく。

 「暇だなー。何しよう」

 思いがけない休日。
 だが、出歩く訳にもいかず、結局その日はベッドの中でゴロゴロしながら過ごした。

 ピンポーンとインターホンが鳴り、思わず真菜は時計を見る。

 夜の8時を過ぎていた。

 (こんな時間に誰?) 

 そう思った時、玄関のドア越しに声がした。

 「真菜、俺。拓真」
 「拓真くん?」

 真菜は急いでドアを開けた。

 「真菜、大丈夫か?熱出たんだって?」
 「うん。でももう平気。すっかり良くなったよ」
 「そっか。ならいいけど。あ、飯は?夕飯、何か食ったか?」
 「あー、そう言えば食べてない。買い物も行けなくて」
 「そうだよな。俺さ、今から鍋焼きうどん作るから、お前の分も作るよ。食べに来れるか?」 
 「え、いいの?」
 「もちろん」

 真菜は、じゃあお言葉に甘えて、と言ってカーディガンを羽織ると、部屋に鍵をかけて拓真と一緒に3階に上がった。

 「適当に座ってろよ。すぐ作るから」
 「ありがとう」

 真菜は、小さなダイニングテーブルの椅子に座って、拓真の様子を見守る。

 「へえー、拓真くん。すっかり料理上手になったんだね」
 「まあな。ひとり暮らしって、強制的に料理もしなくちゃいけなくなるよな」
 「うん。私もそれで、仕方なく料理するようになった。実家にいた時なんて、なーんにも出来なかったもん」
 「ははっ、俺も。さ、出来たぞ」

 拓真は、熱々の鍋焼きうどんを真菜の前に運んできた。
  
 「ありがとう!わーい、卵も入ってる。美味しそう」
 「熱いから、ヤケドするなよ」

 二人でふうふう言いながら、うどんを食べる。

 「そう言えば拓真くん。今日どこの店舗のヘルプだったの?」
 「ん?ああ。美しが丘だよ」
 「美しが丘…って事は、えーっと、マルグリット?」
 「それは葉山。美しが丘はミュゲだよ」
 「あー、そっか」
 「お前、いい加減覚えろよ。美佳ちゃんだって全部言えるぞ?」
 「そうだよね、えへへ。専務にも、テストするからなって言われてたんだった」
 「専務?」

 拓真は急に眉をひそめると、箸を置いた。

 「ん?どうしたの拓真くん。食べないの?」

 真菜が聞くと、拓真は真剣な表情で顔を上げた。

 「真菜、ちょっと話聞いてくれるか?」
 「え?ああ、うん」 

 戸惑いつつも箸を置き、真菜も姿勢を正す。

 「真菜、俺さ、ずっと前から好きだったんだ」
 「ああ、うん。そうだよね、知ってる」
 「え、知ってたの?」
 「うん。そりゃね、分かるもん」 
 「そ、そうだったのか。いや、俺はてっきり気付いてないと…」
 「気付くよー、そりゃ。あんなに熱く語ってれば、誰だって」
 「え、熱く語ってた?俺が真菜に?」
 「うん。でも、あの、言いにくいんだけど…」

 視線を落とした真菜に、拓真は、ゴクッと唾を飲み込む。

 「な、なんだ?」
 「うん、あのね。やっぱり、諦めるのって、無理かな?」

 えっ…と拓真は絶望する。

 「ごめんね!こんな事言って。でも、多分見込みないと思うんだよね。拓真くん、傷つくと思う」
 「見込み?見込みって、真菜の見込み?」
 「私のって言うか、他のみんなもそう思ってると思うよ。だってあんなにお似合いの彼がいるんだもん」
 「え!誰?その彼って」  
 「何言ってんの。陸くんに決まってるでしょ?」 

 …は?

 拓真は文字通り固まった。

 「ちょちょ、ちょっと待て。真菜、ひょっとして、陸・璃子ちゃんの事言ってる?」
 「うん。拓真くんが璃子ちゃんのこと好きなのは気付いてたんだ。でもほら、やっぱりあの二人はお似合い過ぎるよ。お互い好きって気持ちが溢れてるし、それにほら!名前までそっくりでしょ?もうパーフェクトカップルだよね」

 拓真は、何度も瞬きを繰り返す。

 「真菜、1つだけ言ってもいい?」
 「うん、なあに?」
 「俺が好きなのは、璃子ちゃんじゃない。真菜だ」

 …は?と、今度は真菜が固まる。

 「いや、あの、そんなはずはないんですけど?」
 「どういう意味だよ?」
 「だって、璃子ちゃんのこと、べた褒めしてたじゃない?写真撮ったあと」
 「そりゃ、モデルとしてだよ。彼女は最高のモデルさんだ」
 「でしょ?だから好きなんじゃ…」
 「違う。俺が好きなのはお前だ」
 「なんでそうなるの?」
 「なんでって…。そんなの説明出来るかよ。好きなもんは好きなんだから」

 真菜はじっとテーブルに視線を落として考え込む。

 「え、人を好きになるのって、どういう時なの?なんか、そういう分かりやすい瞬間とかあるの?」
 「ちょ、お前、何を冷静に聞いてくるんだ?知らねーよ、そんなの。気付いたら好きだったんだから」
 「じゃあ、特に何かきっかけとかはなく、1人でいる時にふと、あれ、これってもしかして、好きって事なのか…みたいな?」
 「う、うん、まあ、そうだったかな」

 ふうん…と真菜は再び考え込み始めた。

 「えっと…真菜?分かってる?俺、真菜に告白したんだけど…」
 「え、あっ!そうなの?」

 はあーと拓真は、肩を落とす。

 「頼むから、分かってくれよ。俺、ずっと前からお前のことが好きだったんだから。でもお前、憧れの告白の場面とか、なんか色々希望があるんだろう?だからなかなか言い出せなくて。でもさっきお前が専務のこと口にした途端、一気に嫉妬したんだ。告白のシチュエーションとかどうでもいい、お前を誰にも渡したくないって」

 そう言って真っ直ぐ真菜を見つめる。

 「理屈とか関係ない。俺は真菜が好きなんだ。だから俺と付き合って欲しい。返事をくれないか?」
 「…拓真くん」

 今まで見た事がないくらい真剣な表情の拓真に、真菜は何も言葉が出てこない。

 「今まで俺のこと、そんなふうに見た事なかったんだろ?でも、俺はお前をずっと見てきた。これからもそばで見守りたい。だから、考えてくれないか?俺との事。職場も一緒だし、いつも近くにいられる。それにほら、陸・璃子ちゃん程ではないけど、名前も似てるしな、俺達」
 「…名前、似てる?」
 「ああ。真菜の真と、拓真の真。同じ漢字だろ?」
 「同じ漢字…」

 違う。本当に似てるのは、真菜の真と…

 真菜は頭の中で考える。
 これが、恋だと気付く瞬間なのかと。

 そして顔を上げた。

 「拓真くん、ごめんなさい。拓真くんの気持ちは嬉しいけど、私は拓真くんとはお付き合い出来ません」
 「…真菜、どうして?ゆっくり考えてからでも…」
 「ううん、私、好きな人がいるの」

 はっきりそう言うと、確信した。

 (私、真さんが好きなんだ)
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