Bravissima!

葉月 まい

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伴奏ピアニスト

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「なんだよもうー、また動画かよ?一体いつまでやればいいんだ?」

公平が練習室に入ると、演奏の手を止めた聖がうんざりしたような顔で言う。

「まあ、そう言うなって。お前のおかげで如月フィルの知名度も上がって、コンサートのチケットも飛ぶように売れている。理事長もマエストロも喜んでたぞ?とにかくもう少しだけ頼むよ。動画サイトのチャンネル登録者数が伸びなくなったら、なんとなくフェイドアウトすればいいからさ」
「だからって次々ソロ動画を世間にさらすなんて。公開処刑されてる気分だぞ?」
「ん?随分弱気なこと言うんだな、聖。学生の頃はオラオラだったのに」
「そりゃ、一人でやってた時は失敗しても自分だけの問題だったからな。けど今は立場が違う。俺の演奏で如月フィルが評価されると思ったら恐ろしい」

聖の言葉に、公平はじっと黙って宙を見つめる。

「おい、公平?なんとか言えよ」
「ああ、うん。聖、お前さ、演奏してて楽しいか?」

は?と聖は間の抜けた声を上げた。

「急に何言ってんだ?公平」
「真面目な話だよ。お前今、音楽やってて幸せか?」
「いやだから、なんでまた急にそんなこと聞くんだ?仕事でやってるんだから、楽しいだけじゃ済まないだろ?団員の生活がかかってるんだ。自分の幸せよりも、まずはお金に結びつけないと。だからソロ動画も渋々引き受けてるんだし」
「それはそうだけど。俺はまずお前に音楽の楽しさを取り戻して欲しい。そうすれば必ずそれはオケにとってもプラスになるはずだから」

聖はますます訳が分からないとばかりに眉根を寄せる。

「公平、結局何が言いたい?」
「聖、最近お前、オケの公演の曲ばかり弾いてるだろ?」
「そりゃあ当たり前だ」
「だったらこれからしばらく、俺が用意する曲も弾いて欲しい」
「また無伴奏かよ?もういい加減レパートリーも……」

いや、と公平は言葉を遮った。

「お前一人の音楽は行き詰まってる。次の曲はピアノ伴奏で弾いてくれ」
「ピアノって、公平の伴奏でか?」
「いや、お前と釣り合うピアニストを探す。とにかく今は、俺の意見を取り入れてくれないか?」

真剣に正面から向き合って訴える公平に、聖はやがてゆっくりと頷く。

「分かった。お前の言うことならな」
「ありがとう!」

公平はほっとしたような笑顔を浮かべると、早速ピアニストを探すことにした。



「もしもし、佐賀先生でいらっしゃいますか?ご無沙汰しております、高瀬 公平です」
『高瀬くんか!久しぶりだな。どうだい、元気でやってるかい?』
「はい、お陰様で」

あまり予算もかけられない中、どうやって聖の伴奏ピアニストを探そうかと考えた公平が真っ先に思い浮かべたのは、音大時代の恩師に生徒を推薦してもらうことだった。

今や音大の副学長も務めている佐賀教授は、後進の育成にも熱心で、若手の才能を見い出して音楽家への道を開いてくれることでも定評がある。

おそらく教授はこの話を興味深く聞き届けてくれるだろうと、公平は思っていた。

『へえ、聖くんの伴奏ピアニストをね。あの動画は私も聴かせてもらったよ。素晴らしかった。なるほど、今度はピアノ伴奏で弾くのか』

話をしてみると思った通り、教授の口ぶりには前向きな印象がうかがえる。

『それは私の生徒にとってもありがたい話だよ。だけどどうして高瀬くんじゃないんだい?君がやればいいと私は思うけど』
「ご冗談を。私では彼の実力に到底ふさわしくありません」
『そうかな?たいていの曲なら問題ないはずだ。それでも君が謙遜するということは……』

電話口の向こうで、教授がニヤリとするのが分かった。

『つまり、聖くんを本気にさせたい。聖くん自身も気づいていない新たな魅力を引き出したい。そういうことだね?』

ふっ、と公平も思わず笑みをもらす。
やはり自分の恩師だけあって、考えを見抜かれていた。

「おっしゃる通りです。彼の新たな可能性を引き出してくれるようなピアニストを探しています」
『おやおや、なんとハードルの高い。お眼鏡にかなう逸材がいるといいんだけど。ひとまず私が推薦したい生徒の演奏の音源を送信するよ。君と聖くんで選抜してくれるかい?』
「そのような形でよろしいのでしょうか?こちらが決めるなど、おこがましい限りですが」
『ああ。立候補を募ったら我も我もと大騒ぎになるだろうからね。まずは君達が演奏を聴いて決めてくれないか?もし良い演奏だと思ってもらえる人がいたら、私からその生徒に話をしてみるよ』
「かしこまりました。どうぞよろしくお願いいたします」

丁寧に挨拶して電話を切る。

翌日には、教授からデータとメールが送られてきた。

『まずは30人の演奏データを送ります。敢えて名前や受賞歴は伏せさせてもらうよ。先入観なく聴いてみて欲しい。君と聖くんにとって、良い出会いとなることを祈念して』

教授の言葉に感謝しつつ、公平は早速パソコンを持って聖のいる練習室を訪れた。

「ん?音源を聴いて選ぶのか」
「そう。いい演奏があったら教えてくれ」
「公平はもう聴いたのか?」
「まだだ。まずは聖の意見を聞きたい」

聖がワイヤレスイヤホンを耳に着けるのを待ってから、公平は音源を再生した。

だがすぐに聖は顔をしかめる。

「これ、チャプターついてるか?」

ああ、と公平が答えると、聖はパソコンの前に来てマウスを操作し、次々と曲をスキップしていく。

どうやら出だしの部分だけを聴いて、次の曲へと飛ばしているらしい。

「おい、ちょっと!せめてもう少しくらい聴けって」
「必要ない。最初の音で人を惹きつけられない演奏が、どうやってそのあと曲の最後まで聴いてもらえるって言うんだ?」

淡々と答えながら、聖はカチカチとマウスをクリックし続ける。

あっという間に25曲目になった。

(はあ……、結局どれも気に入らないのか)

更に次の曲へと移っていく画面の表示を見ながら、公平は肩を落とす。

ついに最後の30曲目になった。
これ以上は飛ばせない。

「いいのはなかったか?」

そう言って聖に目を向けた公平はハッとする。

聖は目を見開いてじっと演奏に聴き入っていた。

(これ?えっと、30曲目か)

微動だにせず一点を見据えたまま、聖は音に集中している。

公平が黙ってその様子を見守っていると、やがて聖は大きく息を吐いたあと、ニヤリと公平に笑いかけた。

「これだ。決まり」

不敵な笑みを浮かべる公平に思わずおののいてから、公平はパソコンから音を流して聴いてみる。

チャプター番号30をクリックして流れてきたのは……

(この曲、まさか?!)

思わず目を見開くと、視界の隅で聖がふっと笑うのが分かった。

「公平。お前、こんなイスラメイ聴いたことあるか?」

そう尋ねる聖は、答えなど求めてはいない。

ある訳がない。
それほど今流れている演奏は、味わったことのない強烈なインパクトを与えていた。

バラキレフ作曲、東洋風幻想曲「イスラメイ」

世界一難しいピアノ曲を目指してバラキレフが作った名作。

プロでも弾くのが難しい超絶技巧の曲として知られており、有名なピアニスト達が「最も演奏困難な曲」と言及している世界最高難易度の曲。

それをこうも軽々とクリアに、綺麗な音色で緩急つけて弾きこなすとは。

これが難しい曲だとは思えないほど、華やかな美しさに心を奪われる。

圧倒的なテクニック、そして表現力と迫力。

信じられない思いで目を見開いたまま、公平は演奏に揺さぶられるがままになっていた。

最後の一音が消えると、ようやく公平は息をつく。

「生で聴きたい。このピアニスト、すぐにでもここに呼んで」

そう言う聖に、まだ半分放心しながら公平は頷いた。



『お、早速聴いてくれたのかい?どうだった?』

電話の向こうで楽しそうな教授の声がする。

あのあと公平も、1番から順に全ての演奏を聴いてみた。

バッハやモーツァルト、ショパンやリストなど、様々な作曲家の曲があり、超絶技巧を駆使した高度なテクニックの演奏者もいたが、聴けば聴くほど「やっぱりあの演奏だな」と再確認するだけだった。

「はい。一人だけ桁違いの演奏がありました」
『そうだろうな。私もそう思うよ』
「どの曲か、お尋ねにならないのですか?」
『必要あるかい?』

公平は思わず笑みをこぼす。

「ないですね。佐賀先生、ぜひとも彼にお願いしたいです。聖も、すぐにでも生で演奏を聴きたいと言っていました」
『分かった、私からその生徒に話をしておくよ。ちょっと内気な性格だから渋るかもしれないけど、私としてもぜひこの話は引き受けるべきだと説得してみる』
「はい、よろしくお願いします」
『ああ。良い話をありがとう』

そして『あ、そうそう』と教授は面白そうに付け加えた。

『一つだけ訂正させてくれ。君はさっき、彼にお願いしたいと言ったけど、彼じゃないんだ』
「は?と、おっしゃいますと?」
『あの演奏はうちの音大の4年生、木村 芽衣めいって学生が弾いていたんだ』
「きむら、めい?って、え?!女の子ですか?まさか!あのダイナミックな演奏を、女の子が?」
『そうだよ。木村 芽衣のイスラメイ。どうだい?なかなかいいだろう?』

あはは!と楽しげに笑う教授に、公平はポカンとしたまま言葉を失っていた。
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