Bravissima!

葉月 まい

文字の大きさ
4 / 32

イスラメイ

しおりを挟む
「えっと、初めまして。木村 芽衣と申します」

うつむいたまま小声でそう言うと、ペコリとお辞儀をする小柄な女の子。

聖は数秒固まったあと、公平に顔を向けた。

「おい、公平。何かの手違いだぞ」

確かにそう思いたくなるが、そうではない。

教授の言葉に半信半疑だった公平も、ようやく認めざるを得なかった。

「聖、手違いじゃない。彼女があのイスラメイを弾いていたんだ」

教授と電話で話した3日後。
やっと説得出来たよ、と教授から連絡があり、如月シンフォニーホールの練習室に現れたのは、やはり教授の言葉通り女の子だった。

「まさか。こんな華奢な身体であの音が出せる訳がない。それは俺より公平の方が分かるはずだろ?」
「確かに男の俺でもあんなダイナミックな演奏は出来ない。だけど佐賀先生は確かにおっしゃってた。あの演奏は女の子のものだって」

すると、あの……と戸惑ったような小さな声で女の子が口を開く。

「すみません、私なんかが来てしまって。佐賀先生にも何度も、私には無理ですとお断りしましたが、行かないなら単位はあげないとまで言われてしまいまして……。ですがやはりご迷惑ですよね。申し訳ありませんでした。先生には私からお話して、別の人を推薦してもらいますので。それでは失礼いたします」

そう言って深々と頭を下げると、女の子は逃げるようにドアへと向かう。

「わー、ちょっと待って!」

慌てて公平が行く手を塞いだ。

「ごめん、とにかく弾いてみてくれない?そうすれば一目瞭然だから」
「え、でも……」

女の子が恐る恐る聖に目を向けると、公平も聖に向き直った。

「いいよな?聖。演奏が何よりの証明になる。あの音源が、果たしてこの子の演奏だったのかどうか」

そうだな、と呟いてから聖は顔を上げた。

「弾いてみてくれ。俺も自分の目と耳で確かめたい」

聖に真っ直ぐに見つめられ、女の子は頬を赤らめる。

「えっと、はい。ではあの、もういいと思ったらすぐに止めてください」
「分かった」

公平が練習室の中央にあるグランドピアノに促すと、女の子は椅子の高さを調整して座る。

「少し手慣らしする?」

公平の言葉に女の子は首を振る。

「いえ、お時間を取らせるのは申し訳ありませんから」
「でもいきなり弾いて大丈夫なの?」
「はい。ここに来るまで大学で弾いていましたし。えっと、『イスラメイ』ですよね?頭からでよろしいでしょうか?」
「うん。お願いします」
「はい」

公平と聖が少し離れた席に着くと、女の子は立ち上がってお辞儀をしてから再び椅子に座った。

大きく深呼吸すると、両手を鍵盤に載せる。

スッとブレスを取った次の瞬間、空気が一変した。

(嘘だろ……)

そのひと言が浮かんだあと、公平と聖の思考回路は完全に途絶えてしまった。

雷に打たれたように全身に衝撃が走り、指先までしびれたような感覚に陥る。

音源を聴いた時の何倍ものショックに、もはや何も言葉が出て来ない。

この小柄な女の子の、どこにこんなパワーが?

今自分の目の前で繰り広げられている演奏だが、どうしても信じられなかった。

ピアノは自分の前方にあるのに、後ろからも上からも音がビリビリと伝わってくる。

四方八方から射抜かれる音圧に必死に耐えているうちに、美しい旋律に心がふわっと軽くなる瞬間が訪れた。

色が変わり、温度が上がる。

胸いっぱいに幸福感が込み上げてきて、思わず感嘆のため息をつく。

恍惚の表情を浮かべる女の子から目が離せない。

温かい幸せに包まれているうちに、いつの間にかテンポが上がり、ドキドキと胸が高鳴り始めた。

もはや誰にも止められない。
凄まじいエネルギーで紡ぎ出される数え切れないほどの音の粒。

鮮やかに軽やかに、ダイナミックに情緒豊かに。

興奮と感動、そして素晴らしい音楽に巡り会えた多幸感。

身体中の細胞が一気に活性化したような感覚を覚える。

ラストまで一気に駆け抜け、女の子はゴージャスに最後の音を響かせた。

シン……と静寂が戻ってくる。

女の子が立ち上がってお辞儀をしても、公平と聖はピクリとも動けなかった。

「あの……、お耳汚し失礼いたしました」

控えめな女の子の言葉に、ようやく二人は我に返る。

「いや、えっと。素晴らしかった」

改めて二人で拍手を送ると、女の子はホッとしたように微笑んだ。

「最後まで弾かせてくださって、ありがとうございました。それでは、これで。失礼いたします」

またしてもペコリと頭を下げて立ち去ろうとするのを、慌てて二人で止める。

「ちょっと!お願いだから話をさせて。ほら、座って」
「え?あ、はい」

三人で椅子に座ると、興奮さめやらぬまま聖が話し出した。

「えっと、君。イスラ メイちゃんだっけ?」
「いえ、木村 芽衣です」
「ああ、そう。君があの音源のイスラメイを弾いていたのは、ようやく納得した。いや、ほんとのこと言うとまだ信じられない気もするけど……。とにかくイスラメイちゃんに、俺のピアノ伴奏をお願いしたい。いいかな?」
「はい、あの……。木村 芽衣でよければ」
「もちろん君がいい。いやー、もう今すぐ合わせたくてウズウズする。公平、なんか楽譜あるか?」

まるで子どものように目を輝かせる聖に、公平は思わずクスッと笑う。

「ああ、いくつか手元にあるよ。どれがいい?」
「どれでもいい。とにかくなんかよこせ」
「はいはい」

公平は書類ケースから楽譜を取り出すと、一番上にあった曲を聖に差し出した。

「『ラ・カンパネラ』か。よし、早速合わせてみよう。イスラメイちゃん、これを頼む」
「はい、えっと……。イスラメイではないですが、かしこまりました」

そうして二人は楽譜を手に立ち上がった。

パガニーニ作曲 ヴァイオリン協奏曲 第2番 第3楽章「ラ・カンパネラ」

難曲にもかかわらず、初めてとは思えないほど、息ぴったりに弾きこなす二人の演奏。

1+1の足し算でも、かけ算でもない。
二人の音の広がりは、まさに化学反応そのもの。

互いを高め合い、共に登り詰めていく。

どこまでも突き抜けていく、光の矢のような輝かしい音の響き。

生き生きと力に満ち溢れた二人の表情。

(こんな聖は見たことがない)

いつかの教授の言葉を思い出す。

聖くんを本気にさせたい。聖くん自身も気づいていない新たな魅力を引き出したい。そういうことだね?

(まさにそうです。佐賀先生)

天から才能を授かった二人が共鳴する瞬間に立ち会い、公平はもはや恐ろしささえ感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件

ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。 スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。 しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。 一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。 「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。 これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。

婚約破棄された地味伯爵令嬢は、隠れ錬金術師でした~追放された辺境でスローライフを始めたら、隣国の冷徹魔導公爵に溺愛されて最強です~

ふわふわ
恋愛
地味で目立たない伯爵令嬢・エルカミーノは、王太子カイロンとの政略婚約を強いられていた。 しかし、転生聖女ソルスティスに心を奪われたカイロンは、公開の舞踏会で婚約破棄を宣言。「地味でお前は不要!」と嘲笑う。 周囲から「悪役令嬢」の烙印を押され、辺境追放を言い渡されたエルカミーノ。 だが内心では「やったー! これで自由!」と大喜び。 実は彼女は前世の記憶を持つ天才錬金術師で、希少素材ゼロで最強ポーションを作れるチート級の才能を隠していたのだ。 追放先の辺境で、忠実なメイド・セシルと共に薬草園を開き、のんびりスローライフを始めるエルカミーノ。 作ったポーションが村人を救い、次第に評判が広がっていく。 そんな中、隣国から視察に来た冷徹で美麗な魔導公爵・ラクティスが、エルカミーノの才能に一目惚れ(?)。 「君の錬金術は国宝級だ。僕の国へ来ないか?」とスカウトし、腹黒ながらエルカミーノにだけ甘々溺愛モード全開に! 一方、王都ではソルスティスの聖魔法が効かず魔瘴病が流行。 エルカミーノのポーションなしでは国が危機に陥り、カイロンとソルスティスは後悔の渦へ……。 公開土下座、聖女の暴走と転生者バレ、国際的な陰謀…… さまざまな試練をラクティスの守護と溺愛で乗り越え、エルカミーノは大陸の救済者となり、幸せな結婚へ! **婚約破棄ざまぁ×隠れチート錬金術×辺境スローライフ×冷徹公爵の甘々溺愛** 胸キュン&スカッと満載の異世界ファンタジー、全32話完結!

お前が愛おしい〜カリスマ美容師の純愛

ラヴ KAZU
恋愛
涼風 凛は過去の恋愛にトラウマがあり、一歩踏み出す勇気が無い。 社長や御曹司とは、二度と恋はしないと決めている。 玉森 廉は玉森コーポレーション御曹司で親の決めたフィアンセがいるが、自分の結婚相手は自分で決めると反抗している。 そんな二人が恋に落ちる。 廉は社長である事を凛に内緒でアタックを開始するが、その事がバレて、凛は距離を置こうとするが・・・ あれから十年、凛は最悪の過去をいまだに引き摺って恋愛に臆病になっている。 そんな凛の前に現れたのが、カリスマ美容師大和颯、凛はある日スマホを拾った、そのスマホの持ち主が颯だった。 二人は惹かれあい恋に落ちた。しかし凛は素直になれない、そんなある日颯からドライブに誘われる、「紹介したい人がいるんだ」そして車から降りてきたのは大和 祐、颯の息子だった。   祐は颯の本当の息子ではない、そして颯にも秘密があった。

婚約破棄歴八年、すっかり飲んだくれになった私をシスコン義弟が宰相に成り上がって迎えにきた

鳥羽ミワ
恋愛
ロゼ=ローラン、二十四歳。十六歳の頃に最初の婚約が破棄されて以来、数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいの婚約破棄を経験している。 幸い両親であるローラン伯爵夫妻はありあまる愛情でロゼを受け入れてくれているし、お酒はおいしいけれど、このままではかわいい義弟のエドガーの婚姻に支障が出てしまうかもしれない。彼はもう二十を過ぎているのに、いまだ縁談のひとつも来ていないのだ。 焦ったロゼはどこでもいいから嫁ごうとするものの、行く先々にエドガーが現れる。 このままでは義弟が姉離れできないと強い危機感を覚えるロゼに、男として迫るエドガー。気づかないロゼ。構わず迫るエドガー。 エドガーはありとあらゆるギリギリ世間の許容範囲(の外)の方法で外堀を埋めていく。 「パーティーのパートナーは俺だけだよ。俺以外の男の手を取るなんて許さない」 「お茶会に行くんだったら、ロゼはこのドレスを着てね。古いのは全部処分しておいたから」 「アクセサリー選びは任せて。俺の瞳の色だけで綺麗に飾ってあげるし、もちろん俺のネクタイもロゼの瞳の色だよ」 ちょっと抜けてる真面目酒カス令嬢が、シスコン義弟に溺愛される話。 ※この話はカクヨム様、アルファポリス様、エブリスタ様にも掲載されています。 ※レーティングをつけるほどではないと判断しましたが、作中性的ないやがらせ、暴行の描写、ないしはそれらを想起させる描写があります。

婚約者を喪った私が、二度目の恋に落ちるまで。

緋田鞠
恋愛
【完結】若き公爵ジークムントは、結婚直前の婚約者を亡くしてから八年、独身を貫いていた。だが、公爵家存続の為、王命により、結婚する事になる。相手は、侯爵令嬢であるレニ。彼女もまた、婚約者を喪っていた。互いに亡くした婚約者を想いながら、形ばかりの夫婦になればいいと考えていたジークムント。しかし、レニと言葉を交わした事をきっかけに、彼女の過去に疑問を抱くようになり、次第に自分自身の過去と向き合っていく。亡くした恋人を慕い続ける事が、愛なのか?他の人と幸せになるのは、裏切りなのか?孤独な二人が、希望を持つまでの物語。

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

盲目王子の策略から逃げ切るのは、至難の業かもしれない

当麻月菜
恋愛
生まれた時から雪花の紋章を持つノアは、王族と結婚しなければいけない運命だった。 だがしかし、攫われるようにお城の一室で向き合った王太子は、ノアに向けてこう言った。 「はっ、誰がこんな醜女を妻にするか」 こっちだって、初対面でいきなり自分を醜女呼ばわりする男なんて願い下げだ!! ───ということで、この茶番は終わりにな……らなかった。 「ならば、私がこのお嬢さんと結婚したいです」 そう言ってノアを求めたのは、盲目の為に王位継承権を剥奪されたもう一人の王子様だった。 ただ、この王子の見た目の美しさと薄幸さと善人キャラに騙されてはいけない。 彼は相当な策士で、ノアに無自覚ながらぞっこん惚れていた。 一目惚れした少女を絶対に逃さないと決めた盲目王子と、キノコをこよなく愛する魔力ゼロ少女の恋の攻防戦。 ※但し、他人から見たら無自覚にイチャイチャしているだけ。

【完結】御令嬢、あなたが私の本命です!

やまぐちこはる
恋愛
アルストロ王国では成人とともに結婚することが慣例、そして王太子に選ばれるための最低の条件だが、三人いる王子のうち最有力候補の第一王子エルロールはじきに19歳になるのに、まったく女性に興味がない。 焦る側近や王妃。 そんな中、視察先で一目惚れしたのは王族に迎えることはできない身分の男爵令嬢で。 優秀なのに奥手の拗らせ王子の恋を叶えようと、王子とその側近が奮闘する。 ========================= ※完結にあたり、外伝にまとめていた リリアンジェラ編を分離しました。 お立ち寄りありがとうございます。 くすりと笑いながら軽く読める作品・・ のつもりです。 どうぞよろしくおねがいします。

処理中です...