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悩む心に寄り添って
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パーティーを終えて一人暮らしのマンションに帰って来た聖は、大量のプレゼントが入った紙袋とヴァイオリンケースを床に置き、ソファにドサッと座り込む。
(はあ、疲れた……)
演奏で疲れたのではない。
そのあとのパーティーで、次々と自分のもとにやって来るゲストの対応に疲れていた。
(公平のやつ、いつの間にかいなくなるし)
いつもなら挨拶を交わして少し会話をすれば、公平がさり気なく次の人へと橋渡しをしてくれ、無駄に話が伸びることもなくサクサクと挨拶を進められた。
だが今日は気づいた時には公平の姿が見えなくなり、そのおかげで誰と挨拶しても延々と話が続き、なかなか解放されなかった。
なんとか話を切り上げて急いで公平を探すと、ようやく人気のない通路のソファに座っているのを見つける。
声をかけようとして思わず言葉を失った。
公平は隣に座る芽衣に寄り添い、優しく頭を抱き寄せていたから。
(しかもあいつ、泣いてたよな?)
うつむいてポロポロと涙をこぼす芽衣を、公平は労わるようになぐさめていた。
(なんだよ、何があったんだ?あの二人、俺の知らないところでどうなってる?)
なぜだか腹が立ってくる。
公平が自分よりも芽衣のことを優先したから?
それとも……?
「あー、もう、くそっ!」
考えを断ち切るようにガシガシと頭を掻き、勢い良く立ち上がると、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出して一気に半分ほど飲んだ。
ふう……と一息ついて、紙袋に目を落とす。
プレゼントの中に、芽衣から贈られた花束があったのを思い出した。
(花瓶、どこにしまったっけ?)
芽衣には、案外花はもらわないと言ったが、本当はそうでもなかった。
少ないながらもやはり演奏会の度に、聖への花束が控え室に届けられる。
聖はそれをいつも公平に渡していた。
練習室や事務局に飾ってくれと。
けれど今日の芽衣からの花束は、なぜか持ち帰ろうと思った。
ゴソゴソと棚の中を探ってようやく花瓶を見つけると、水を入れて早速花を生ける。
パチンとはさみで茎を斜めに切りながら、バランスよく生ける作業も実は好きだった。
(うん、なかなかの出来だ)
少し離れたところから眺めて満足気に頷く。
白いバラと紫のバラ、水色のブルースターに薄紫のデルフィニウムとトルコキキョウ。
みずみずしくピンと張りがある花びらが重なる様は美しく、聖はしばしじっくりと眺めていた。
自然界の美しさに触れると、自分の心の中に音楽が湧き上がってくる。
聖はヴァイオリンケースを開けて楽器を構えた。
エルンストの「夏の名残のバラによる変奏曲」を弾いてみる。
心が解放されて気持ちがいい。
しかし疲れ切った身体で、しかも酒に酔った状態で弾く曲ではなかった。
(ははっ、ボッロボロだな。けど楽しい)
聖はしばらくほろ酔いのまま、気ままに音を奏でて喜びに浸っていた。
◇
数日後。
公平は仕事が休みの日に、古巣の音楽大学を訪れていた。
佐賀教授に、芽衣を紹介してくれたことへのお礼の挨拶に来たのだが、やはり芽衣のことも相談したい。
約束の時間になり、なつかしい教授室のドアをノックすると、教授は変わらぬ笑顔で公平を出迎えてくれた。
「高瀬くん、久しぶりだね。いやー、ますます男に磨きがかかったな」
「ご無沙汰しております。先生も変わらずお元気そうで」
「そうだな。学生達に若さのパワーをもらっているよ。さ、ソファにどうぞ。今コーヒーでも淹れるよ」
「いえ、私にやらせてください。懐かしいなあ」
勝手知ったる様子で公平はミニキッチンでコーヒーを二人分淹れた。
ソファに腰を落ち着けると、手土産のお菓子を差し出す。
「ありがとう。早速いただこうか」
コーヒーに合うほろ苦いチョコレートケーキを食べながら、昔の話に笑い合う。
「あの時代は楽しかったな。個性豊かでちょっと尖った学生達もいて。指導するのは大変だったけど、今思うと若いうちに自分の芯をしっかり持つことは大切だったんだと思うよ。問題児も多かったけど、そんな中、君と聖くんのデュオは素晴らしかった」
「ええ?!先生、その流れですと、私と聖が問題児だったみたいに聞こえますが」
「ああ、問題児だったとも。だって二人とも、私達指導者の言うことに全く耳を傾けなかっただろう?」
「そんなはずは……」
「演奏に夢中で気がついてなかったんだよ。私達が、ちょっと今のところ……って言っても完全にスル―。君も聖くんもものすごい集中力で研ぎ澄まされた演奏しててね。で、終わったら満足そうに二人で盛り上がるの。いいねー!とかって。私達教授陣は肩をすくめるばかりだったよ」
「そうだったんですか?お恥ずかしい。大変失礼いたしました」
ははは!と教授は明るく笑う。
「それくらい勢いのある方がいいんだなと、今になって思うよ。最近の学生は、評価や成績を気にし過ぎる余り、自分が本当にやりたいことや個性を見い出せない子が多い。まあ、演奏技術はどんどん上がってはいるがね。大切なのは一体なんだろうと、私自身も考えさせられるよ」
公平は一つ頷いてから、芽衣の話題を切り出した。
「先生が紹介してくださった木村 芽衣さん、類まれな技術を持つピアニストですね。ご紹介くださってありがとうございました」
「こちらこそ。どうだい?彼女。上手くやってるかい?動画は毎回観させてもらってるけど、聖くんとも息が合っていていい演奏だね」
「はい。聖の超絶技巧に釣り合うのは彼女以外考えられません。おかげで演奏動画は投稿するたびに高い関心と評価をいただいています。ですが、少し気になることがありまして」
言葉を濁すと、教授は心得たように頷いた。
「やはり彼女には、避けて通れない問題があるね」
「そうですね。演奏技術は申し分ありません。素晴らしいピアニストなのは間違いないです。ただ、この先のピアニストとしての人生を考えると……」
うむ……と教授も笑顔を消して腕を組む。
「先生は、彼女がいつ頃からそうなったのか、ご存知なんですか?」
「それがね、どうやら12歳の時のコンクールだったらしいんだ。だから私も詳しい状況は分からない。幼い頃はただ無邪気に弾いていれば良かったのが、思春期に差し掛かるとだんだん審査員の鋭い視線や評価が気になり出した。そんな時にふと魔が差したように舞台の上で恐怖心に襲われ、手が止まってしまったそうだ。それ以来彼女は、舞台に立つと途端に自分の力が発揮出来なくなった。だけどもともとずば抜けて上手い子だからね。実力の7割程度しか出せなくても音大には合格出来た。入学後に彼女を初めて指導した時、私は雷に打たれたようにショックを受けたよ。入学試験の時とはまるで別人だった。天才を目の当たりにしたと思ったよ。興奮して手が震えるほどだった。すぐにでも国際コンクールのエントリーを薦めたら、どうしても嫌だと言い張ってね。時間をかけてじっくり話を聞いて、ようやくその悩みを知ったんだよ」
そうでしたか、と公平は言葉少なにうつむいた。
「12歳の頃のトラウマは、そう簡単に乗り越えられるものではない。私は彼女が嫌がるコンクールは無理強いせず、最低限の学内演奏会だけはなんとか乗るようにと指導して来たんだ。だがそんな彼女も、もうすぐ卒業だろう?進路の希望を聞いたら、母親のピアノ教室を手伝うって言うんだ。自分にとってはそれが一番幸せだと。私は今も毎日葛藤しているよ。仮にも音楽家を育てる立場にありながら、あんなにも稀有な存在のピアニストを埋もれさせていいのだろうかとね」
教授のその言葉は、音楽の神様に対しての罪悪感が感じられる。
「そんな時、君から聖くんの伴奏ピアニストの話をもらった。これだ!と思ったね。もう彼女以外の誰の顔も思い浮かべられなかった。とにかく成績順に生徒達の演奏データを集めたが、確信していたよ。君と聖くんは、必ず彼女を選ぶとね」
「それは当然です。あの『イスラメイ』を聴いたら、もう……。思わず平伏したくなりましたよ」
「ははは!分かるよ。ヴィルトゥオーゾ同士の共鳴と言うのかな、彼女と聖くんの演奏は動画で聴いても素晴らしい」
「間近で聴くと、全身に鳥肌が立って血が逆流しますよ。感動どころか、心臓に悪いです」
「あはは!寿命が縮みそうで恐ろしいな。だがいつか生で聴いてみたい」
「ぜひ。いつでも撮影現場にいらしてください。それに私も先生に相談させていただきたいですから。彼女の今後を」
うん、と教授は難しい顔に戻った。
「実は如月シンフォニーホールの館長が、彼女と聖のデュオコンサートを企画しようとしました。彼女の余りの拒絶ぶりに、私から館長に話をして白紙に戻しましたが。私としては、この先もずっと彼女を見守っていきたいと思っています。音大を卒業後も、引き続き聖の伴奏ピアニストをお願いしたい。少しずつ様子を見ながら、彼女のトラウマに寄り添っていけたらと」
「ああ、頼むよ。それを聞いて安心した。大学を卒業すれば私は彼女と顔を合わせることはなくなる。それまでになんとかしたいと焦っていたんだ。高瀬くん、それから聖くんも。どうか彼女のことをよろしく頼みます。何かあれば、いつでも私に連絡してもらって構わない」
「はい、かしこまりました」
公平は教授と視線を合わせてしっかりと頷いてみせた。
◇
12月の半ばに、また動画撮影をすることになった。
「今日はね、クリスマスにちなんだ曲にしようと思って。何がいい?」
公平は聖と芽衣の前に楽譜を並べる。
「アンダーソンの『そりすべり』とか、『アヴェ・マリア』とかかなあ?王道しか思いつかないです」
芽衣の言う通り、公平もそういった曲しか用意出来なかった。
「んー、じゃあさ、このクリスマスメドレーをスウィングで弾こうぜ」
聖の提案に「おお、それいいな」と言ってから、公平はチラリと芽衣に目を向ける。
クラシックの奏法ばかりやっていると、いきなりスウィングで弾けと言われても難しい。
「芽衣ちゃん、即興でもいい?」
「はい、大丈夫です」
あっさり頷くと、芽衣は早速ピアノの前に座った。
楽譜を置いてザッと目を通すと、聖とチューニングしてから座り直す。
「よし、じゃあ取り敢えずいってみよう」
「はい」
聖と息を合わせて芽衣は鍵盤に手を載せる。
(うっひゃ!なんだこれ、かっこいい!)
リズミカルでジャジーな芽衣の前奏に、聖もノリノリでメロディを重ねた。
耳なじみのあるクリスマスソングが、オシャレで大人の雰囲気に様変わりする。
楽譜はあるものの二人は互いにアイコンタクトを取りながら、相手を挑発するように「どうだ?」とばかりにアドリブを随所に入れていく。
この瞬間にしか生まれない二人の音楽。
楽しげに挑み合うアドリブ合戦。
踊るように身体を使って、二人は生き生きと演奏する。
熱量が上がり、興奮も高まる中、最後に派手にグリッサンドをしてからタイミングを合わせ、二人はジャン!と手を宙に掲げてラストをキメた。
「ひゃー!しびれるわ。さいっこう!」
「ほんとに。あー、気持ち良かった」
動画を撮っていることも忘れて、二人は演奏後すぐに口を開いてしまった。
「やべっ!」
慌てて公平を振り返る。
「いいよ、そのセリフも込みで。ひと味もふた味も違う二人が見られて、これはこれで貴重な映像だな」
いつも通り1発撮りで撮影は終わった。
「公平、年内の撮影はこれで終了か?」
楽器をケースにしまいながら聖が尋ねる。
「いや、特に決めてないんだけど。もっとやりたい?」
公平は、聖と芽衣を交互に見た。
「んー、弾けるならジャンジャン弾きたい。俺さ、年末年始暇なんだよな。今年もジルベスターコンサートの夢が叶わなかったから」
うぐっと公平は言葉に詰まる。
今年こそ、如月フィルで大みそかの年越しコンサートを!と毎年意気込むが、未だ実現していない。
集客が見込めないのが最大の理由で、それは事務局の力が及ばないのも一因だった。
「聖、のんびりうちで年越し出来るのも今年が最後だ。来年からは毎年、ステージの上でカウントダウンだからな」
「はいはい。夢が叶うのを待ってますよ。まあそんな訳で、年末年始に本番がなくて身体がなまりそうだからさ、なんかやりたいと思って」
なるほど、と芽衣も納得する。
「私もです。大学が閉まってしまうので、思うように練習が出来なくて。腕が落ちてしまうのが心配です」
「実家のピアノは?」
「完全防音の部屋ではないので、夜は弾けないんです。昼間も本気で弾いたらうるさいから、軽く数時間だけって決められてて」
「ふうん。やっぱり数日だけでも弾けないと嫌だよな」
「はい。毎日の積み重ねが水の泡になってしまいそうで」
「じゃあさ、合宿する?」
突然の聖の言葉に、芽衣は目が点になる。
「は?合宿、ですか?」
「そう。ちょっと寒いけど長野にじいさんの別荘があるんだ。だだっ広いし、林の中だからどれだけでっかく弾いても近所迷惑にならない。部屋もたくさんあるし、置いてあるピアノもなかなかいいんだぜ?な、公平」
「ああ、確かに。俺もよく音大時代に使わせてもらったよ」
へえ、と芽衣は感心する。
そうやっていつも一緒に練習していたから、二人の演奏は素晴らしかったのだろう。
「今年は三人で合宿しないか?好きな曲を片っ端から合わせてみたい。いつもと違う場所で撮影するのも新鮮だし」
「わあ、楽しそう!」
「だろ?じゃ、決まりな」
あっさりと返されて、芽衣は途端に焦り出す。
「あの、本当に私なんかがそんな所にお邪魔してもよろしいのでしょうか?」
「当たり前だろ。お前以外に誰がいるんだ?」
「ですが、私なんか、プロでもないのに」
芽衣ちゃん、と公平が横から口を挟む。
「禁句、忘れちゃった?」
「あ……、いえ」
「じゃあ、行きたい?それとも行きたくない?」
「行きたいです!でも……、あっ、いえ」
「行きたいなら行こう。シンプルに考えてね」
「はい。よろしくお願いいたします」
よし、と聖も頷く。
早速公平は事務局のデスクに戻り、理事長に電話でお伺いを立てる。
『ほう、三人で合宿か。いいじゃないか、どんどん使いなさい。あの別荘のピアノも使わんと機嫌が悪くなる。『イスラメイ』で目を覚まさせてやれ。調律師を向かわせて万全な状態にしておいてやろう』
「ありがとうございます、理事長」
そうして12月27日から1週間、長野で合宿をすることに決まった。
(はあ、疲れた……)
演奏で疲れたのではない。
そのあとのパーティーで、次々と自分のもとにやって来るゲストの対応に疲れていた。
(公平のやつ、いつの間にかいなくなるし)
いつもなら挨拶を交わして少し会話をすれば、公平がさり気なく次の人へと橋渡しをしてくれ、無駄に話が伸びることもなくサクサクと挨拶を進められた。
だが今日は気づいた時には公平の姿が見えなくなり、そのおかげで誰と挨拶しても延々と話が続き、なかなか解放されなかった。
なんとか話を切り上げて急いで公平を探すと、ようやく人気のない通路のソファに座っているのを見つける。
声をかけようとして思わず言葉を失った。
公平は隣に座る芽衣に寄り添い、優しく頭を抱き寄せていたから。
(しかもあいつ、泣いてたよな?)
うつむいてポロポロと涙をこぼす芽衣を、公平は労わるようになぐさめていた。
(なんだよ、何があったんだ?あの二人、俺の知らないところでどうなってる?)
なぜだか腹が立ってくる。
公平が自分よりも芽衣のことを優先したから?
それとも……?
「あー、もう、くそっ!」
考えを断ち切るようにガシガシと頭を掻き、勢い良く立ち上がると、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出して一気に半分ほど飲んだ。
ふう……と一息ついて、紙袋に目を落とす。
プレゼントの中に、芽衣から贈られた花束があったのを思い出した。
(花瓶、どこにしまったっけ?)
芽衣には、案外花はもらわないと言ったが、本当はそうでもなかった。
少ないながらもやはり演奏会の度に、聖への花束が控え室に届けられる。
聖はそれをいつも公平に渡していた。
練習室や事務局に飾ってくれと。
けれど今日の芽衣からの花束は、なぜか持ち帰ろうと思った。
ゴソゴソと棚の中を探ってようやく花瓶を見つけると、水を入れて早速花を生ける。
パチンとはさみで茎を斜めに切りながら、バランスよく生ける作業も実は好きだった。
(うん、なかなかの出来だ)
少し離れたところから眺めて満足気に頷く。
白いバラと紫のバラ、水色のブルースターに薄紫のデルフィニウムとトルコキキョウ。
みずみずしくピンと張りがある花びらが重なる様は美しく、聖はしばしじっくりと眺めていた。
自然界の美しさに触れると、自分の心の中に音楽が湧き上がってくる。
聖はヴァイオリンケースを開けて楽器を構えた。
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心が解放されて気持ちがいい。
しかし疲れ切った身体で、しかも酒に酔った状態で弾く曲ではなかった。
(ははっ、ボッロボロだな。けど楽しい)
聖はしばらくほろ酔いのまま、気ままに音を奏でて喜びに浸っていた。
◇
数日後。
公平は仕事が休みの日に、古巣の音楽大学を訪れていた。
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約束の時間になり、なつかしい教授室のドアをノックすると、教授は変わらぬ笑顔で公平を出迎えてくれた。
「高瀬くん、久しぶりだね。いやー、ますます男に磨きがかかったな」
「ご無沙汰しております。先生も変わらずお元気そうで」
「そうだな。学生達に若さのパワーをもらっているよ。さ、ソファにどうぞ。今コーヒーでも淹れるよ」
「いえ、私にやらせてください。懐かしいなあ」
勝手知ったる様子で公平はミニキッチンでコーヒーを二人分淹れた。
ソファに腰を落ち着けると、手土産のお菓子を差し出す。
「ありがとう。早速いただこうか」
コーヒーに合うほろ苦いチョコレートケーキを食べながら、昔の話に笑い合う。
「あの時代は楽しかったな。個性豊かでちょっと尖った学生達もいて。指導するのは大変だったけど、今思うと若いうちに自分の芯をしっかり持つことは大切だったんだと思うよ。問題児も多かったけど、そんな中、君と聖くんのデュオは素晴らしかった」
「ええ?!先生、その流れですと、私と聖が問題児だったみたいに聞こえますが」
「ああ、問題児だったとも。だって二人とも、私達指導者の言うことに全く耳を傾けなかっただろう?」
「そんなはずは……」
「演奏に夢中で気がついてなかったんだよ。私達が、ちょっと今のところ……って言っても完全にスル―。君も聖くんもものすごい集中力で研ぎ澄まされた演奏しててね。で、終わったら満足そうに二人で盛り上がるの。いいねー!とかって。私達教授陣は肩をすくめるばかりだったよ」
「そうだったんですか?お恥ずかしい。大変失礼いたしました」
ははは!と教授は明るく笑う。
「それくらい勢いのある方がいいんだなと、今になって思うよ。最近の学生は、評価や成績を気にし過ぎる余り、自分が本当にやりたいことや個性を見い出せない子が多い。まあ、演奏技術はどんどん上がってはいるがね。大切なのは一体なんだろうと、私自身も考えさせられるよ」
公平は一つ頷いてから、芽衣の話題を切り出した。
「先生が紹介してくださった木村 芽衣さん、類まれな技術を持つピアニストですね。ご紹介くださってありがとうございました」
「こちらこそ。どうだい?彼女。上手くやってるかい?動画は毎回観させてもらってるけど、聖くんとも息が合っていていい演奏だね」
「はい。聖の超絶技巧に釣り合うのは彼女以外考えられません。おかげで演奏動画は投稿するたびに高い関心と評価をいただいています。ですが、少し気になることがありまして」
言葉を濁すと、教授は心得たように頷いた。
「やはり彼女には、避けて通れない問題があるね」
「そうですね。演奏技術は申し分ありません。素晴らしいピアニストなのは間違いないです。ただ、この先のピアニストとしての人生を考えると……」
うむ……と教授も笑顔を消して腕を組む。
「先生は、彼女がいつ頃からそうなったのか、ご存知なんですか?」
「それがね、どうやら12歳の時のコンクールだったらしいんだ。だから私も詳しい状況は分からない。幼い頃はただ無邪気に弾いていれば良かったのが、思春期に差し掛かるとだんだん審査員の鋭い視線や評価が気になり出した。そんな時にふと魔が差したように舞台の上で恐怖心に襲われ、手が止まってしまったそうだ。それ以来彼女は、舞台に立つと途端に自分の力が発揮出来なくなった。だけどもともとずば抜けて上手い子だからね。実力の7割程度しか出せなくても音大には合格出来た。入学後に彼女を初めて指導した時、私は雷に打たれたようにショックを受けたよ。入学試験の時とはまるで別人だった。天才を目の当たりにしたと思ったよ。興奮して手が震えるほどだった。すぐにでも国際コンクールのエントリーを薦めたら、どうしても嫌だと言い張ってね。時間をかけてじっくり話を聞いて、ようやくその悩みを知ったんだよ」
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教授のその言葉は、音楽の神様に対しての罪悪感が感じられる。
「そんな時、君から聖くんの伴奏ピアニストの話をもらった。これだ!と思ったね。もう彼女以外の誰の顔も思い浮かべられなかった。とにかく成績順に生徒達の演奏データを集めたが、確信していたよ。君と聖くんは、必ず彼女を選ぶとね」
「それは当然です。あの『イスラメイ』を聴いたら、もう……。思わず平伏したくなりましたよ」
「ははは!分かるよ。ヴィルトゥオーゾ同士の共鳴と言うのかな、彼女と聖くんの演奏は動画で聴いても素晴らしい」
「間近で聴くと、全身に鳥肌が立って血が逆流しますよ。感動どころか、心臓に悪いです」
「あはは!寿命が縮みそうで恐ろしいな。だがいつか生で聴いてみたい」
「ぜひ。いつでも撮影現場にいらしてください。それに私も先生に相談させていただきたいですから。彼女の今後を」
うん、と教授は難しい顔に戻った。
「実は如月シンフォニーホールの館長が、彼女と聖のデュオコンサートを企画しようとしました。彼女の余りの拒絶ぶりに、私から館長に話をして白紙に戻しましたが。私としては、この先もずっと彼女を見守っていきたいと思っています。音大を卒業後も、引き続き聖の伴奏ピアニストをお願いしたい。少しずつ様子を見ながら、彼女のトラウマに寄り添っていけたらと」
「ああ、頼むよ。それを聞いて安心した。大学を卒業すれば私は彼女と顔を合わせることはなくなる。それまでになんとかしたいと焦っていたんだ。高瀬くん、それから聖くんも。どうか彼女のことをよろしく頼みます。何かあれば、いつでも私に連絡してもらって構わない」
「はい、かしこまりました」
公平は教授と視線を合わせてしっかりと頷いてみせた。
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12月の半ばに、また動画撮影をすることになった。
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芽衣の言う通り、公平もそういった曲しか用意出来なかった。
「んー、じゃあさ、このクリスマスメドレーをスウィングで弾こうぜ」
聖の提案に「おお、それいいな」と言ってから、公平はチラリと芽衣に目を向ける。
クラシックの奏法ばかりやっていると、いきなりスウィングで弾けと言われても難しい。
「芽衣ちゃん、即興でもいい?」
「はい、大丈夫です」
あっさり頷くと、芽衣は早速ピアノの前に座った。
楽譜を置いてザッと目を通すと、聖とチューニングしてから座り直す。
「よし、じゃあ取り敢えずいってみよう」
「はい」
聖と息を合わせて芽衣は鍵盤に手を載せる。
(うっひゃ!なんだこれ、かっこいい!)
リズミカルでジャジーな芽衣の前奏に、聖もノリノリでメロディを重ねた。
耳なじみのあるクリスマスソングが、オシャレで大人の雰囲気に様変わりする。
楽譜はあるものの二人は互いにアイコンタクトを取りながら、相手を挑発するように「どうだ?」とばかりにアドリブを随所に入れていく。
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楽しげに挑み合うアドリブ合戦。
踊るように身体を使って、二人は生き生きと演奏する。
熱量が上がり、興奮も高まる中、最後に派手にグリッサンドをしてからタイミングを合わせ、二人はジャン!と手を宙に掲げてラストをキメた。
「ひゃー!しびれるわ。さいっこう!」
「ほんとに。あー、気持ち良かった」
動画を撮っていることも忘れて、二人は演奏後すぐに口を開いてしまった。
「やべっ!」
慌てて公平を振り返る。
「いいよ、そのセリフも込みで。ひと味もふた味も違う二人が見られて、これはこれで貴重な映像だな」
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楽器をケースにしまいながら聖が尋ねる。
「いや、特に決めてないんだけど。もっとやりたい?」
公平は、聖と芽衣を交互に見た。
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うぐっと公平は言葉に詰まる。
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「はいはい。夢が叶うのを待ってますよ。まあそんな訳で、年末年始に本番がなくて身体がなまりそうだからさ、なんかやりたいと思って」
なるほど、と芽衣も納得する。
「私もです。大学が閉まってしまうので、思うように練習が出来なくて。腕が落ちてしまうのが心配です」
「実家のピアノは?」
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「は?合宿、ですか?」
「そう。ちょっと寒いけど長野にじいさんの別荘があるんだ。だだっ広いし、林の中だからどれだけでっかく弾いても近所迷惑にならない。部屋もたくさんあるし、置いてあるピアノもなかなかいいんだぜ?な、公平」
「ああ、確かに。俺もよく音大時代に使わせてもらったよ」
へえ、と芽衣は感心する。
そうやっていつも一緒に練習していたから、二人の演奏は素晴らしかったのだろう。
「今年は三人で合宿しないか?好きな曲を片っ端から合わせてみたい。いつもと違う場所で撮影するのも新鮮だし」
「わあ、楽しそう!」
「だろ?じゃ、決まりな」
あっさりと返されて、芽衣は途端に焦り出す。
「あの、本当に私なんかがそんな所にお邪魔してもよろしいのでしょうか?」
「当たり前だろ。お前以外に誰がいるんだ?」
「ですが、私なんか、プロでもないのに」
芽衣ちゃん、と公平が横から口を挟む。
「禁句、忘れちゃった?」
「あ……、いえ」
「じゃあ、行きたい?それとも行きたくない?」
「行きたいです!でも……、あっ、いえ」
「行きたいなら行こう。シンプルに考えてね」
「はい。よろしくお願いいたします」
よし、と聖も頷く。
早速公平は事務局のデスクに戻り、理事長に電話でお伺いを立てる。
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奇跡が起きる――
不遇の花詠み仙女は後宮の華となる
松藤かるり
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***
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