年下幼馴染アルファの執着〜なかったことにはさせない〜

ひなた翠

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第一章:幼馴染の距離

引っ越し

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 僕が二十二歳の春、大学を卒業して僕は社会人になった。
 就職先は、実家から電車で一時間ほどの場所にある中規模の出版社だった。

 新しい環境は海斗への想いをきっと紛らわせてくれる。仕事で忙殺され、いつしか恋心が消えるはず。実家を出て一人暮らしを始めようと決めたのは、就職が決まってすぐのことだった。

「社会人になったし、一人暮らしをしようと思う」

 夕食の席で、両親に告げた。父は驚いた顔をして、母は心配そうな表情を浮かべた。

「遥、急にどうしたの? 実家から通えば、お金もかからないのに」

 母が尋ねてきた。母の言うとおり、電車で一時間程度であれば、通えない距離じゃない。でもここにいたら、僕はずっと海斗への想いを断ち切れない。

 忘れるためには、距離を置かないと。社会人で家を出ていくのが、距離を置くのにお互いに傷つかない、もっともらしい理由になると思ったから。

「会社にもう少し近い場所に住みたい。それに、もう大人だから、一人で暮らしてみたい」
「そうだな。まずは一人で頑張ってみるといい」

 父が頷くと、僕の気持ちを尊重してくれた。
 母は心配そうな見つめていたが、反論してくることはなかった。

「ありがとう」

 両親の理解を得て、僕は物件探しを始めた。会社の近くで、家賃が手頃で、一人暮らしに適した場所。不動産屋を何軒も回り、いくつも物件を見て回った。

 最終的に決めたのは、会社から徒歩二十分ほどの場所にあるアパートだった。築年数は古いが、部屋はリノベーション済みで綺麗で、日当たりも良かった。

 契約を済ませ、引っ越しの日を決めた。三月下旬、桜が咲き始めるころ。荷物をまとめて、新しい生活への準備を進めていった。

 引っ越しの前日、海斗が僕の家を訪ねてきた。

 インターホンが鳴って、モニターを見ると海斗が立っていた。驚いて扉を開けると、海斗が真剣な顔で僕を見つめていた。

「はーちゃん、話がある」

 低い声で言われた。僕は頷き、海斗を部屋に招き入れた。ダンボールが積まれた部屋を見て、海斗の表情が曇っていく。

「本当に引っ越すの?」
 海斗が尋ねてきた。僕は頷いた。

 僕から海斗には、直接引っ越すとは報告してなかった。言うと引き止められそうな気がしたから。

 もし引き止められたら、僕はきっと心が揺らいで一人暮らしをやめてしまうかもしれない。だから引っ越してから、スマホでメッセージを送るつもりでいた。

 でも僕が言う前に、きっとおばさんから聞いたのだろう。

「うん。明日、引っ越し業者が来る」
「明日? なんで?」

 海斗の声が、僅かに震えていた。深い黒瞳が、僕を捉えて離さない。視線が絡み合い、息が詰まる。

「社会人になったし。実家に甘えるのは……ね」
 急な海斗の訪問で動揺していたのもあり、答える声が震えてしまう。

「それだけじゃないだろ。はーちゃん、俺から逃げてる」
 心臓が、大きく跳ねた。海斗の言葉が、胸に突き刺さる。

 逃げているかもしれない。でも、女性にモテる海斗を見続けているのも辛い。いつかは誰かと恋愛をし、恋人を家に連れてくる日もあるだろう。それを隣の家から見るのは、僕には耐えられない。

「逃げてなんかないよ。大人になるから自立しないとだろ?」
「嘘だ」

 海斗が一歩近づいてきた。大きな身体が、僕を見下ろしている。圧倒的な存在感に、後ずさりしそうになる。壁に背中が当たり、逃げ場がなくなった。

「はーちゃんは俺を避けてる」

 海斗の手が、壁に添えられた。僕の顔の横に手をつき、逃げられないように塞いでくる。海斗の匂いが、鼻腔を刺激してきて脳がクラクラした。

「海ちゃん……」
「なんで逃げるの? 俺、何かした?」

 海斗の瞳が、僕を見つめている。困惑と、悲しみと、何か別の感情が混ざり合った色。僕は目を逸らして、答えを濁した。

「何もしてないよ」
「じゃあ、たまには連絡くれる? 会いに行っていい?」

 海斗の声が、懇願するような響きを帯びていた。僕は笑顔を作って、微笑んだ。

「いつでもおいで。アパートの住所、送るから」

 海斗の表情が、僅かに明るくなった。それでも、瞳の奥には不安の色が残っている。本当に連絡してもいいのか、本当に会いに行ってもいいのか、確かめるように僕を見つめていた。

「本当に?」
「うん。海ちゃんなら、いつでも歓迎だよ」

 本音を言えば海斗に来てほしくなかった。海斗を忘れたくて一人暮らしをするのに、遊びに来られたら僕はいつまでたっても忘れられなくなる。

 それでも、海斗を傷つけたくなくて僕は優しい言葉を口にしてしまう。

(僕は――弱いな)

「分かった。じゃあ、連絡するね」

 海斗が嬉しそうに笑って部屋を出ていこうとする。その背中を見つめながら、胸が締め付けられた。

「海ちゃん」
 声をかけると、海斗が振り返った。僕は笑顔を作って、言葉を続けた。

「ありがとう。心配してくれて」

 海斗の表情が、僅かに歪んだ。それでも、いつもの優しい笑顔を浮かべて、頷いてくれた。

「はーちゃんが幸せならいい。新しい生活、頑張ってね」
「うん。海ちゃんも、高校生活楽しんでね」
「……ああ」

 海斗が部屋を出ていった。階段を降りていく足音が遠ざかり、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。窓から外を見ると、海斗が家に帰っていく後ろ姿が見えた。肩が落ちていて、歩く速度も遅い。

 僕はカーテンを閉めて、床に座り込んだ。膝を抱えて、顔を埋める。涙が溢れそうになるのを、必死にこらえた。

(ごめん、海ちゃん――)


     ◇◇◇


 ――それから数ヶ月が過ぎた。

 初夏の頃、海斗から連絡が来た。スマートフォンの画面に「海ちゃん」の名前が表示されて、心臓が大きく跳ねた。引っ越してから、海斗と連絡を取るのは初めてだ。

「もしもし」
 電話に出ると、海斗の声が聞こえてきた。

『はーちゃん、久しぶり。元気にしてた?』
 いつもの海斗の明るい声に胸が締め付けられた。

「うん。海ちゃんも元気そうだね」
「もうすぐ夏休みなんだけど、はーちゃんのアパートに遊びに行ってもいい?」

 海斗の言葉に、息が詰まった。来てほしくない。会いたくない。せっかく距離を置いたのに、また近づいてしまう。

「えっと……どうかな」
 言葉を濁していると、海斗が続けた。

「ダメ? いつでもおいでって言ってたけど」
「そうなんだけど、長期出張の予定が入ってて。ちょっと待って。スケジュール確認するから」

 家を出てから三ヶ月。まだ僕は、海斗への想いが断ち切れてない。そんなときに会ったら、僕はきっと海斗に甘えてしまうだろう。

 もっと好きになって、抜け出せなくなりそうだ。

「はーちゃん?」
「ごめん、海ちゃん。七月中旬から長期出張が入っちゃって、九月までアパートにはいないんだ」

 嘘をついた。本当は出張なんてスケジュールはない。
 毎日、アパートに帰ってくる――でも、海斗には会えない。

「じゃあ、夏休み中は無理なんだね」
 海斗の声が、僅かに沈んでいた。

「ごめんね。また落ち着いたら、連絡するから」
「うん。仕事、頑張ってね」

 海斗が優しく言ってくれた。電話が切れて、静かな部屋に一人残された。スマートフォンを握りしめたまま、ベッドに倒れ込んだ。

 罪悪感が、胸を締め付けた。海斗に嘘をついた。海斗の期待を裏切ってしまった。楽しみにしていた海斗の気持ちを、僕は踏みにじった――。
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