15 / 17
第15話:深夜の病棟と、小さな手のひらの奇跡
しおりを挟む
「……鏡先生。今日は店じまいだよ」
その日の営業終了後。私は最後の客(不動産王の愛人)を見送ると、白衣を脱ごうとしていた鏡に声をかけた。
時刻は午後九時。いつもなら、ここから善さんの反省会が始まるところだが、今日の空気は違う。
鏡の手が止まった。彼はゆっくりと振り返り、私の目をじっと見つめた。
「……まさか、今日なのか?」
彼の声が、微かに震えている。 冷静沈着なエリート医師の仮面が剥がれ落ち、妹の命を握る者にすがる、一人の兄の顔になっていた。
「ああ。善さんの特訓も一区切りついたし、あんたも顧問医師として十分に働いてくれた。……そろそろ、約束を果たそうかと思ってね」
私はパイプ椅子から立ち上がり、軽く伸びをした。
「行くよ、K大学病院へ。案内おし」
「……っ! すぐに車を回す!」
鏡が弾かれたように動き出した。その背中からは、焦燥と期待がない交ぜになった、張り詰めた空気が漂っていた。
「リオ、あんたも来な。万が一の時のガードと、私の魔力切れの時の荷物持ち要員だ」
「へいへい。夜の病院デートとはね。趣味が悪いこって」
リオが肩をすくめながらも、すぐに準備を整える。
「えっ、あ、あの……社長、僕は……?」
一人取り残されそうになった善さんが、おずおずと手を挙げる。
「あんたは留守番だよ。明日の予約の確認と、タオルの洗濯をしておきな」
「そ、そんなぁ……」
がっくりと肩を落とす中年男を放置して、私たちは夜の街へと繰り出した。
***
K大学病院は、夜になっても眠らない巨大な白い城塞のようだった。 救急車のサイレンが遠くで鳴り響き、当直の医師や看護師たちが忙しなく行き交っている。
「……こっちだ。職員用通用口から入る」
鏡の先導で、私たちは関係者以外立ち入り禁止のエリアへと足を踏み入れた。 警備員が何人かいたが、鏡の顔パスと、私がかけた【認識阻害(カモフラージュ)】の魔法のおかげで、誰にも怪しまれることなく通過できた。
私たちはエレベーターに乗り、最上階近くにある「特別長期療養棟」へと向かった。 階が上がるにつれて、人の気配が減り、消毒液の匂いと、重苦しい静寂が濃くなっていく。
「……ここだ」
鏡がある個室の前で足を止めた。 『鏡 サヤカ』というネームプレート。
鏡が深呼吸をして、震える手でドアノブを握った。 彼がどれほどの覚悟と恐怖を抱えてこのドアを開けようとしているのか、痛いほど伝わってくる。
「……大丈夫さ。私がついてる」
私が小声で声をかけると、鏡は小さく頷き、静かにドアを開けた。
病室の中は、薄暗かった。 人工呼吸器の規則的な機械音と、心電図モニターの電子音だけが響いている。
ベッドの中央に、小さな女の子が埋もれるように眠っていた。 十歳くらいだろうか。病気のせいで痩せ細り、肌は透き通るように白い。数え切れないほどの管やコードが、その小さな体に繋がれていた。
(……これは、酷いね)
私は眉をひそめた。 一目で分かる。彼女の体からは、生命力がほとんど感じられない。代わりに、どす黒く淀んだ「死」の気配が、彼女の小さな体を蝕んでいる。
「……サヤカ。起きてるか? 兄さんだ」
鏡がベッドサイドに歩み寄り、少女の細い手をそっと包み込んだ。
少女の瞼が、うっすらと開いた。
「……お兄ちゃん? どうしたの、こんな時間に……」
声が、あまりにも弱い。風前の灯火だ。
「客人を連れてきたんだ。……私の、友人でね。少し、お前を診てくれるそうだ」
鏡が私の方を振り返る。その目は「頼む」と叫んでいた。
私はベッドに近づき、少女の顔を覗き込んだ。 大きな瞳が、不思議そうに私を見つめ返してくる。
「……初めまして、サヤカちゃん。私はヒナ。ちょっとした『おまじない』が得意なお姉さんだよ」
「……お姉さん? 中学生……?」
「細かいことは気にしないの。ねえ、ちょっと手を触ってもいいかい?」
サヤカちゃんが小さく頷く。 私は彼女の、管だらけの小さな手を両手で握りしめた。氷のように冷たい。
(……さて、鑑定といこうか)
私は意識を集中した。 異世界で「聖女」と呼ばれていた頃の、本気の魔力操作だ。
(――【超・詳細鑑定(フル・アナライズ)】)
私の魔力が彼女の体内を駆け巡り、全ての情報を脳内にフィードバックする。
……なるほど。原因不明の自己免疫疾患に、多臓器不全の併発。さらに、長年の闘病による極度の体力低下。 現代医学がお手上げなのも無理はない。これはもう、肉体の限界を超えている。本来なら、とっくに死んでいてもおかしくない状態だ。
(よく頑張ったね、この子も、兄貴の方も……)
私の胸の奥で、久しぶりに「情」というものが動いた。 私は金にがめついババアだが、子供が苦しむ姿を見るのは好きじゃない。特に、こんな健気な子はね。
「……どうだ?」
鏡が、祈るような声で尋ねる。
私はゆっくりと顔を上げ、ニヤリと笑ってみせた。
「……難しいね」
鏡の顔が絶望に歪む。
「――普通の医者ならね」
私は言葉を続けた。
「だけど、あんたは運がいい。あんたが魂を売った相手は、この世で最も強欲で、最も優秀な『魔法使い』だからね」
私はサヤカちゃんの手を握り直した。
「サヤカちゃん。少し、体が熱くなるかもしれないけど、我慢できるかい?」
「……うん。お兄ちゃんのお友達なら、信じる」
良い子だ。
私は深呼吸をした。 ここからは、時間との勝負だ。中途半端な魔力じゃ、この根深い病魔は追い払えない。 八十八年分の全魔力、そして前世の「聖女」としての全盛期の記憶を、この十四歳の体に叩き込む。
(……いくよ。見てな、若造。これが、本物の奇跡だ)
私は、目を閉じた。
(――展開。聖域結界【絶対不可侵の揺り籠(アヴァロン・クレイドル)】)
まず、部屋全体を外部から遮断する強力な結界を張る。これで、これからの魔力暴走が外部に漏れることはない。
(――第一術式。病魔退散【浄化の極光(エクストリーム・クリア)】!)
私の体から、目も眩むような純白の光が奔流となって溢れ出した。 その光はサヤカちゃんの体へと雪崩れ込み、彼女を蝕んでいたどす黒い病の根源を、片っ端から焼き払っていく。
ピィィィィ――ッ!!!
心電図モニターが、異常な数値を感知してけたたましい警報音を鳴らす。人工呼吸器が暴走したようにシュゴーシュゴーと音を立てる。
「なっ!? おい、何をしている!? 心拍数が……血圧が……!?」
鏡が慌ててモニターに駆け寄ろうとするのを、リオがガシッと止めた。
「動くなインテリ! 今、ヒナが集中してる! 邪魔すんな!」
「しかし、この数値は……!」
(――うるさいね! 第二術式。肉体再構築【神の修理(ディバイン・リペア)】!)
私は雑音をシャットアウトし、さらに魔力を注ぎ込む。 破壊された細胞を、神経を、臓器を、あるべき姿へと強制的に書き換えていく。それは治療というよりは、時間を巻き戻す作業に近い。
サヤカちゃんの体が、光の中でビクンと跳ねた。 彼女の口から、黒い霧のようなものが吐き出され、光に触れて消滅していく。
(――仕上げだ! 最終術式。生命力超注入【魂の息吹(ソウル・ブレス)】!!)
私は自分の生命力そのものを削り取る勢いで、膨大な魔力を彼女の心臓部へと叩き込んだ。
ドォォォォン……ッ!!
部屋の中で、魔力の爆発が起きた。 光が炸裂し、視界が真っ白になる。
数秒後。
光が収まると、部屋の中は静寂に包まれていた。 警報音は止まっていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
私はベッドの脇にへたり込んだ。全身から汗が噴き出し、指一本動かせないほどの脱力感に襲われる。さすがに、今の体で全盛期の魔法を連発するのはキツかったか。
「……おい、大丈夫か?」
リオが駆け寄ってきて、私の体を支えてくれた。
「……ああ。ちょっと、ガス欠だね……」
私は荒い息を吐きながら、ベッドの方を見た。
鏡は、凍りついたようにベッドを見つめていた。
そこには。
「……ん……ぅ……?」
サヤカちゃんが、ゆっくりと体を起こしていた。 繋がれていた管のいくつかが、彼女の動きに合わせて外れてしまっている。だが、血は出ていない。
「……あれ? お兄ちゃん? 私、自分で……起き上がれてる?」
サヤカちゃんが、自分の両手を見つめる。 その肌は、透き通るような白さから、健康的なピンク色へと変わっていた。 呼吸器が外れているのに、彼女は苦しそうな様子もなく、深く、穏やかな呼吸をしていた。
「……馬鹿な」
鏡が、よろよろとベッドに歩み寄った。 彼は震える手でサヤカの脈を取り、聴診器を当て、モニターの数値を確認した。
心拍数、正常。血圧、正常。酸素飽和度、正常。 全ての数値が、健康な十歳の少女のそれを示していた。
あの、現代医学では絶対に治せないと断言されていた難病が。 たった数分の間に、跡形もなく消え去っていたのだ。
「……あ、ああ……」
鏡が、崩れ落ちるように膝をついた。 彼はベッドの柵を握りしめ、サヤカの手を自分の額に押し当てた。
「……よかった……本当によかった……っ!」
あの冷徹な鉄仮面の医師が。 声を上げて、子供のように泣き崩れていた。
「お兄ちゃん……? 泣かないで? 私、どこも痛くないよ? 元気になったよ?」
サヤカちゃんが、驚いて鏡の頭を撫でる。その小さな手には、以前のような弱々しさはもうなかった。
(……やれやれ。一件落着だね)
私はリオに支えられながら、その光景を見てフッと笑った。 これでもう、鏡恭介は完全に私のものだ。彼は一生、私に逆らえないだろう。
「……ヒナ。あんた、すげえな。マジで神様なんじゃねえの?」
リオが、本気で感心したように呟く。
「馬鹿お言い。ただの、商売上手のババアさ」
私はよろよろと立ち上がった。
「さあ、帰るよリオ。腹が減って死にそうだ。コンビニで一番高い弁当を買って帰るよ」
「はいはい。今日は私が奢ってやるよ。……お疲れさん、聖女様」
私たちは、抱き合って泣いている兄妹をそのままにして、静かに病室を後にした。 今夜の仕事は、完璧な成功だった。 これで株式会社『コガネ』は、最強の医師(と、その絶対的な忠誠)を手に入れたのだ。
(さて、帰ったら善さんに熱いお茶でも淹れてもらおうかね……)
私は心地よい疲労感を感じながら、夜の病院の廊下を歩いていった。
その日の営業終了後。私は最後の客(不動産王の愛人)を見送ると、白衣を脱ごうとしていた鏡に声をかけた。
時刻は午後九時。いつもなら、ここから善さんの反省会が始まるところだが、今日の空気は違う。
鏡の手が止まった。彼はゆっくりと振り返り、私の目をじっと見つめた。
「……まさか、今日なのか?」
彼の声が、微かに震えている。 冷静沈着なエリート医師の仮面が剥がれ落ち、妹の命を握る者にすがる、一人の兄の顔になっていた。
「ああ。善さんの特訓も一区切りついたし、あんたも顧問医師として十分に働いてくれた。……そろそろ、約束を果たそうかと思ってね」
私はパイプ椅子から立ち上がり、軽く伸びをした。
「行くよ、K大学病院へ。案内おし」
「……っ! すぐに車を回す!」
鏡が弾かれたように動き出した。その背中からは、焦燥と期待がない交ぜになった、張り詰めた空気が漂っていた。
「リオ、あんたも来な。万が一の時のガードと、私の魔力切れの時の荷物持ち要員だ」
「へいへい。夜の病院デートとはね。趣味が悪いこって」
リオが肩をすくめながらも、すぐに準備を整える。
「えっ、あ、あの……社長、僕は……?」
一人取り残されそうになった善さんが、おずおずと手を挙げる。
「あんたは留守番だよ。明日の予約の確認と、タオルの洗濯をしておきな」
「そ、そんなぁ……」
がっくりと肩を落とす中年男を放置して、私たちは夜の街へと繰り出した。
***
K大学病院は、夜になっても眠らない巨大な白い城塞のようだった。 救急車のサイレンが遠くで鳴り響き、当直の医師や看護師たちが忙しなく行き交っている。
「……こっちだ。職員用通用口から入る」
鏡の先導で、私たちは関係者以外立ち入り禁止のエリアへと足を踏み入れた。 警備員が何人かいたが、鏡の顔パスと、私がかけた【認識阻害(カモフラージュ)】の魔法のおかげで、誰にも怪しまれることなく通過できた。
私たちはエレベーターに乗り、最上階近くにある「特別長期療養棟」へと向かった。 階が上がるにつれて、人の気配が減り、消毒液の匂いと、重苦しい静寂が濃くなっていく。
「……ここだ」
鏡がある個室の前で足を止めた。 『鏡 サヤカ』というネームプレート。
鏡が深呼吸をして、震える手でドアノブを握った。 彼がどれほどの覚悟と恐怖を抱えてこのドアを開けようとしているのか、痛いほど伝わってくる。
「……大丈夫さ。私がついてる」
私が小声で声をかけると、鏡は小さく頷き、静かにドアを開けた。
病室の中は、薄暗かった。 人工呼吸器の規則的な機械音と、心電図モニターの電子音だけが響いている。
ベッドの中央に、小さな女の子が埋もれるように眠っていた。 十歳くらいだろうか。病気のせいで痩せ細り、肌は透き通るように白い。数え切れないほどの管やコードが、その小さな体に繋がれていた。
(……これは、酷いね)
私は眉をひそめた。 一目で分かる。彼女の体からは、生命力がほとんど感じられない。代わりに、どす黒く淀んだ「死」の気配が、彼女の小さな体を蝕んでいる。
「……サヤカ。起きてるか? 兄さんだ」
鏡がベッドサイドに歩み寄り、少女の細い手をそっと包み込んだ。
少女の瞼が、うっすらと開いた。
「……お兄ちゃん? どうしたの、こんな時間に……」
声が、あまりにも弱い。風前の灯火だ。
「客人を連れてきたんだ。……私の、友人でね。少し、お前を診てくれるそうだ」
鏡が私の方を振り返る。その目は「頼む」と叫んでいた。
私はベッドに近づき、少女の顔を覗き込んだ。 大きな瞳が、不思議そうに私を見つめ返してくる。
「……初めまして、サヤカちゃん。私はヒナ。ちょっとした『おまじない』が得意なお姉さんだよ」
「……お姉さん? 中学生……?」
「細かいことは気にしないの。ねえ、ちょっと手を触ってもいいかい?」
サヤカちゃんが小さく頷く。 私は彼女の、管だらけの小さな手を両手で握りしめた。氷のように冷たい。
(……さて、鑑定といこうか)
私は意識を集中した。 異世界で「聖女」と呼ばれていた頃の、本気の魔力操作だ。
(――【超・詳細鑑定(フル・アナライズ)】)
私の魔力が彼女の体内を駆け巡り、全ての情報を脳内にフィードバックする。
……なるほど。原因不明の自己免疫疾患に、多臓器不全の併発。さらに、長年の闘病による極度の体力低下。 現代医学がお手上げなのも無理はない。これはもう、肉体の限界を超えている。本来なら、とっくに死んでいてもおかしくない状態だ。
(よく頑張ったね、この子も、兄貴の方も……)
私の胸の奥で、久しぶりに「情」というものが動いた。 私は金にがめついババアだが、子供が苦しむ姿を見るのは好きじゃない。特に、こんな健気な子はね。
「……どうだ?」
鏡が、祈るような声で尋ねる。
私はゆっくりと顔を上げ、ニヤリと笑ってみせた。
「……難しいね」
鏡の顔が絶望に歪む。
「――普通の医者ならね」
私は言葉を続けた。
「だけど、あんたは運がいい。あんたが魂を売った相手は、この世で最も強欲で、最も優秀な『魔法使い』だからね」
私はサヤカちゃんの手を握り直した。
「サヤカちゃん。少し、体が熱くなるかもしれないけど、我慢できるかい?」
「……うん。お兄ちゃんのお友達なら、信じる」
良い子だ。
私は深呼吸をした。 ここからは、時間との勝負だ。中途半端な魔力じゃ、この根深い病魔は追い払えない。 八十八年分の全魔力、そして前世の「聖女」としての全盛期の記憶を、この十四歳の体に叩き込む。
(……いくよ。見てな、若造。これが、本物の奇跡だ)
私は、目を閉じた。
(――展開。聖域結界【絶対不可侵の揺り籠(アヴァロン・クレイドル)】)
まず、部屋全体を外部から遮断する強力な結界を張る。これで、これからの魔力暴走が外部に漏れることはない。
(――第一術式。病魔退散【浄化の極光(エクストリーム・クリア)】!)
私の体から、目も眩むような純白の光が奔流となって溢れ出した。 その光はサヤカちゃんの体へと雪崩れ込み、彼女を蝕んでいたどす黒い病の根源を、片っ端から焼き払っていく。
ピィィィィ――ッ!!!
心電図モニターが、異常な数値を感知してけたたましい警報音を鳴らす。人工呼吸器が暴走したようにシュゴーシュゴーと音を立てる。
「なっ!? おい、何をしている!? 心拍数が……血圧が……!?」
鏡が慌ててモニターに駆け寄ろうとするのを、リオがガシッと止めた。
「動くなインテリ! 今、ヒナが集中してる! 邪魔すんな!」
「しかし、この数値は……!」
(――うるさいね! 第二術式。肉体再構築【神の修理(ディバイン・リペア)】!)
私は雑音をシャットアウトし、さらに魔力を注ぎ込む。 破壊された細胞を、神経を、臓器を、あるべき姿へと強制的に書き換えていく。それは治療というよりは、時間を巻き戻す作業に近い。
サヤカちゃんの体が、光の中でビクンと跳ねた。 彼女の口から、黒い霧のようなものが吐き出され、光に触れて消滅していく。
(――仕上げだ! 最終術式。生命力超注入【魂の息吹(ソウル・ブレス)】!!)
私は自分の生命力そのものを削り取る勢いで、膨大な魔力を彼女の心臓部へと叩き込んだ。
ドォォォォン……ッ!!
部屋の中で、魔力の爆発が起きた。 光が炸裂し、視界が真っ白になる。
数秒後。
光が収まると、部屋の中は静寂に包まれていた。 警報音は止まっていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
私はベッドの脇にへたり込んだ。全身から汗が噴き出し、指一本動かせないほどの脱力感に襲われる。さすがに、今の体で全盛期の魔法を連発するのはキツかったか。
「……おい、大丈夫か?」
リオが駆け寄ってきて、私の体を支えてくれた。
「……ああ。ちょっと、ガス欠だね……」
私は荒い息を吐きながら、ベッドの方を見た。
鏡は、凍りついたようにベッドを見つめていた。
そこには。
「……ん……ぅ……?」
サヤカちゃんが、ゆっくりと体を起こしていた。 繋がれていた管のいくつかが、彼女の動きに合わせて外れてしまっている。だが、血は出ていない。
「……あれ? お兄ちゃん? 私、自分で……起き上がれてる?」
サヤカちゃんが、自分の両手を見つめる。 その肌は、透き通るような白さから、健康的なピンク色へと変わっていた。 呼吸器が外れているのに、彼女は苦しそうな様子もなく、深く、穏やかな呼吸をしていた。
「……馬鹿な」
鏡が、よろよろとベッドに歩み寄った。 彼は震える手でサヤカの脈を取り、聴診器を当て、モニターの数値を確認した。
心拍数、正常。血圧、正常。酸素飽和度、正常。 全ての数値が、健康な十歳の少女のそれを示していた。
あの、現代医学では絶対に治せないと断言されていた難病が。 たった数分の間に、跡形もなく消え去っていたのだ。
「……あ、ああ……」
鏡が、崩れ落ちるように膝をついた。 彼はベッドの柵を握りしめ、サヤカの手を自分の額に押し当てた。
「……よかった……本当によかった……っ!」
あの冷徹な鉄仮面の医師が。 声を上げて、子供のように泣き崩れていた。
「お兄ちゃん……? 泣かないで? 私、どこも痛くないよ? 元気になったよ?」
サヤカちゃんが、驚いて鏡の頭を撫でる。その小さな手には、以前のような弱々しさはもうなかった。
(……やれやれ。一件落着だね)
私はリオに支えられながら、その光景を見てフッと笑った。 これでもう、鏡恭介は完全に私のものだ。彼は一生、私に逆らえないだろう。
「……ヒナ。あんた、すげえな。マジで神様なんじゃねえの?」
リオが、本気で感心したように呟く。
「馬鹿お言い。ただの、商売上手のババアさ」
私はよろよろと立ち上がった。
「さあ、帰るよリオ。腹が減って死にそうだ。コンビニで一番高い弁当を買って帰るよ」
「はいはい。今日は私が奢ってやるよ。……お疲れさん、聖女様」
私たちは、抱き合って泣いている兄妹をそのままにして、静かに病室を後にした。 今夜の仕事は、完璧な成功だった。 これで株式会社『コガネ』は、最強の医師(と、その絶対的な忠誠)を手に入れたのだ。
(さて、帰ったら善さんに熱いお茶でも淹れてもらおうかね……)
私は心地よい疲労感を感じながら、夜の病院の廊下を歩いていった。
20
あなたにおすすめの小説
疎遠だった叔父の遺産が500億円分のビットコインだった件。使い道がないので、隣の部屋の塩対応な美少女に赤スパ投げまくってる件
月下花音
恋愛
貧乏大学生の成瀬翔は、疎遠だった叔父から500億円相当のビットコインが入ったUSBメモリを相続する。使い道に困った彼が目をつけたのは、ボロアパートの薄い壁の向こうから聞こえる「声」だった。隣人は、大学で「氷の令嬢」と呼ばれる塩対応な美少女・如月玲奈。しかしその正体は、同接15人の極貧底辺VTuber「ルナ・ナイトメア」だったのだ!
『今月ももやし生活だよぉ……ひもじい……』
壁越しに聞こえる悲痛な叫び。翔は決意する。この500億で、彼女を最強の配信者に育て上げようと。謎の大富豪アカウント『Apollo(アポロ)』として、5万円の赤スパを投げ、高級機材を即配し、彼女の生活を神の視点で「最適化」していく。しかし彼はまだ知らなかった。「金で買えるのは生活水準だけで、孤独は埋められない」ということに。500億を持った「見えない神様」が、神の座を捨てて、地上の女の子の手を握るまでの救済ラブコメディ。
おばさん冒険者、職場復帰する
神田柊子
ファンタジー
アリス(43)は『完全防御の魔女』と呼ばれたA級冒険者。
子育て(子どもの修行)のために母子ふたりで旅をしていたけれど、子どもが父親の元で暮らすことになった。
ひとりになったアリスは、拠点にしていた街に五年ぶりに帰ってくる。
さっそくギルドに顔を出すと昔馴染みのギルドマスターから、ギルド職員のリーナを弟子にしてほしいと頼まれる……。
生活力は低め、戦闘力は高めなアリスおばさんの冒険譚。
-----
剣と魔法の西洋風異世界。転移・転生なし。三人称。
一話ごとで一区切りの、連作短編(の予定)。
-----
※小説家になろう様にも掲載中。
おっさん料理人と押しかけ弟子達のまったり田舎ライフ
双葉 鳴
ファンタジー
真面目だけが取り柄の料理人、本宝治洋一。
彼は能力の低さから不当な労働を強いられていた。
そんな彼を救い出してくれたのが友人の藤本要。
洋一は要と一緒に現代ダンジョンで気ままなセカンドライフを始めたのだが……気がつけば森の中。
さっきまで一緒に居た要の行方も知れず、洋一は途方に暮れた……のも束の間。腹が減っては戦はできぬ。
持ち前のサバイバル能力で見敵必殺!
赤い毛皮の大きなクマを非常食に、洋一はいつもの要領で食事の準備を始めたのだった。
そこで見慣れぬ騎士姿の少女を助けたことから洋一は面倒ごとに巻き込まれていく事になる。
人々との出会い。
そして貴族や平民との格差社会。
ファンタジーな世界観に飛び交う魔法。
牙を剥く魔獣を美味しく料理して食べる男とその弟子達の田舎での生活。
うるさい権力者達とは争わず、田舎でのんびりとした時間を過ごしたい!
そんな人のための物語。
5/6_18:00完結!
帰って来た勇者、現代の世界を引っ掻きまわす
黄昏人
ファンタジー
ハヤトは15歳、中学3年生の時に異世界に召喚され、7年の苦労の後、22歳にて魔族と魔王を滅ぼして日本に帰還した。帰還の際には、莫大な財宝を持たされ、さらに身につけた魔法を始めとする能力も保持できたが、マナの濃度の低い地球における能力は限定的なものであった。しかし、それでも圧倒的な体力と戦闘能力、限定的とは言え魔法能力は現代日本を、いや世界を大きく動かすのであった。
4年前に書いたものをリライトして載せてみます。
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕だけ別な場所に飛ばされた先は異世界の不思議な無人島だった。
アノマロカリス
ファンタジー
よくある話の異世界召喚…
スマホのネット小説や漫画が好きな少年、洲河 愽(すが だん)。
いつもの様に幼馴染達と学校帰りの公園でくっちゃべっていると地面に突然魔法陣が現れて…
気付くと愽は1人だけ見渡す限り草原の中に突っ立っていた。
愽は幼馴染達を探す為に周囲を捜索してみたが、一緒に飛ばされていた筈の幼馴染達は居なかった。
生きていればいつかは幼馴染達とまた会える!
愽は希望を持って、この不思議な無人島でサバイバル生活を始めるのだった。
「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕の授かったスキルは役に立つものなのかな?」
「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は幼馴染達よりも強いジョブを手に入れて無双する!」
「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は魔王から力を授かり人類に対して牙を剥く‼︎」
幼馴染達と一緒に異世界召喚の第四弾。
愽は幼馴染達と離れた場所でサバイバル生活を送るというパラレルストーリー。
はたして愽は、無事に幼馴染達と再会を果たせるのだろうか?
帰国した王子の受難
ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。
取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる