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三章 少年共、夏を謳歌せよ
二十九話 修羅場はご遠慮ください…?
しおりを挟む八月に入って一週間ほどすると、夏期講習は休みを迎える。
「次の夏期講習は八月二十二日となります。スケジュールのプリントはみなさんお持ちですね? 申請をしている生徒は遅れることなく――――」
西田先生の声が教室に静かに響く。俺はそれを聞き流しながら、静かにグラウンドを見た。
(今日は室内なのか)
グラウンドには野球部とサッカー部の姿しか見えない。
――甘利曰く、炎天下での長時間の部活は身体によくないからと、週に一回は屋内で部活をしているらしい。卓球部か体操部かが休みの時を使っているそうだ。
(……つまんね)
なんだかんだ、毎日のようにここから陸上部の活動を見ていたからか、暇だ。
まるで毎週観ていた番組が休みだった気分だ。
「蒼井くん。聞いていますか?」
「! あ、す、すみませーん」
「外が気になるのは分かりますが、集中してくださいね」
西田先生の言葉に「はーい」と間延びした声で答える。
(こっわ)
般若になっていなかったのはよかったけど、向けられた視線が強くてびっくりした。
ちらりと横目で外を見る。
(……別に、そんなんじゃないんだけど)
楽しみにしているとかでは無い。ただ、ちょっとつまらないなと思っただけで。
とはいえ、ここで反論して目立つのは嫌なので、俺は黙っておくことにした。
「それでは講習を始めます」
西田先生が淡々と呟く。俺は回されるプリントを受け取り、シャーペンを滑らせた。
最後の講習は淡々と過ぎていった。
チャイムが響き、講習が終わりを告げる。西田先生が居なくなったのと同時に、ガタガタとクラスメイトが立ち上がる。
その中で、俺と秋人は向かい合っていた。
「夏生はどれくらいで来るって?」
「さあー? 連絡はするって言ってたけど、まだ来てないからなぁ」
「わかんない」と秋人が呑気に答える。俺は「ふーん」と生返事を返しながら、鞄から昼飯を取り出した。今日は昼までだと聞いていたから、パンは一つだけだ。
「俺も腹減ったー」
「? 弁当は? いつも持ってきてるだろ」
「夏生に人質にされた」
「はあ?」
机に突っ伏したまま動かない秋人に、俺は素っ頓狂な声を返す。どういうことだ、と視線を向ければ「なーんか知らないけど渡してくんなかったんだよー」と呟く。
「へぇ。夏生がそういうことすんの珍しいな」
「はあ? あー……あいつ、俺に対しては結構そういうことするんだよなぁ」
「へぇ」
「俺の事絶対嫌いなんだよ」
(それはねぇと思うけど)
俺は言いかけて、やめた。
こいつと夏生の関係に関しては分からないことも多い。まあ二人と違って俺は高校からだから、そんなに付き合い長くないんだけど。
「んあー、夏の母ちゃんめっちゃ料理美味いんだよー。弁当さえ、弁当さえ手に入っていれば……!」
「負けた中ボスみたいなこと言うじゃん」
「うるさいなぁ」
ぶー、と口を尖らせる秋人。
俺は秋人を横目にパンの封を開けた。秋人が恨みがましそうに俺を見る。
「……俺の話聞いてた?」
「聞いてた聞いてた」
「聞いてたのにそうやってパンの袋開けるんだ?」
「お前だって、嫌がってんの知っててからかってくんじゃん」
「仕返しだわ、仕返し」と告げれば、秋人はガックリと項垂れた。「これが因果応報ってやつか……」と呟くので、俺は「そうだな」と返してやった。だって本当にそうだから。
ガラリと扉が開かれる。
視線を向ければ、百瀬が立っていた。
「こんにちはー。あれぇー? 甘利、まだ来てないんだ?」
「百瀬くん、君はまた来たんだねぇ」
「いいじゃないですかー。暇なんですよー」という百瀬は、いつも通り秋人の隣を陣取った。
三年の教室だからと遠慮する素振りはない。いや、最初からそうだったけど。
「百瀬、お前ほどんど毎日来てるけどそんなに暇なの?」
「んー?暇じゃないけど、春ちゃん先輩に会えるって思うと不思議と足が向いちゃってねぇ」
「あー、ハイハイ」
「ちょっと。信じてないでしょー」
むー、と頬を膨らませる百瀬。信じるも何も、百瀬の性格はここ数日でよく知っているつもりだ。
つまり、もう騙されないし、からかわれるつもりもない。
「ふーん。百瀬くんはバイトとかしてないんですかー?」
「えー。なに、秋ちゃん先輩。俺の事が気になるのー?」
「ちょっ、そういうことじゃっ!」
「どうしようかなぁ~、教えちゃおうかなぁ~?」
ニヤニヤとしている百瀬に、秋人がたじたじになる。
「近いって!」
「あは。ごめんねー?」
「謝る態度じゃないでしょ、それ」
眉を顰めた秋人に、百瀬は「ふふふ」と楽しそうに笑っている。秋人の耳が赤く染っているのに、百瀬も気づいているのだろう。
(この光景も、もはや見慣れて来たな)
二人のやり取りをぼうっと見ながら、俺はカメラを構える。
パシャリとシャッター音が響く。それを慣れた手つきで夏生に送れば、意外とすぐに既読が付いた。
『今行く』
「夏生、今から来るってよ」
「あ、ほんと?」
「うん」
俺は『おう』と適当に返事を返し、秋人を見る。さっさとスマートフォンを手に持った秋人は、百瀬を余所にタプタプと画面を弄っている。
百瀬はつまらなさそうに秋人の髪を弄っていた。
(構ってもらえないと死んじゃうタイプか?)
百瀬が寂しがり屋の大きな猫みたいに見えるのは、俺の気のせいだろうか。
(あれ、猫種なんて言うんだっけな)
「春ちゃん先輩ー? 今何か失礼なこと考えてなかったー?」
「い、いや? なにも」
「そっかぁ」
百瀬の声に、調べようとしたスマートフォンの画面を机に伏せる。
(あっぶねぇ……)
バレたら面倒なことになる。
できるだけ平静を装っていれば、百瀬は諦めたのか視線が逸らされる。俺は息を吐いた。虎に睨まれた小動物の気分だった。
ガラッ。
再び教室の扉が開かれる。
振り返れば、息を切らせた夏生が鞄片手に立っていた。
「夏、おかえりー」
「……秋」
夏生が息を整え、秋人の方へと向かう。「夏生、お疲れ」と声をかければ「ああ」と返された。
(? なんだ?)
素っ気ない返事はいつもの事だが、どこか焦っているように見える。何かあったのだろうかと首を傾げていれば、夏生は秋人と百瀬の間で立ち止まった。無言で百瀬を見下げる。
(え、なに?)
喧嘩でもすんの? こいつら、知らないところで顔見知りだったりする? もしかして共演NGだったか??
「……秋。誰だ?」
「ん? ああ、こいつ百瀬くん。甘利くんの友達らしーよ」
「ああ、甘利の……」
「どーもー。百瀬桃李ですー。よろしくお願いしまーす」
へらりと百瀬が手を上げる。夏生はそれを見るだけで、特に何も言わなかった。
(うっわ。めずらし)
基本的に人に対して誠実で、礼儀正しい夏生がこんな反応をするなんて。
(百瀬、何したんだよ)
もしかして本当に知り合いなのではないだろうか。
なんて思ったものの、百瀬は特にいつもと変わらない様子で接している。つまり、おかしいのは夏生だけだ。
「なんで一年がここにいるんだ?」
「いやねぇ、夏休みに入って部活漬けの甘利くんに構ってもらえなくてさみしーんだって」
「へぇ」
「そんなこと言ってませーん。秋ちゃん先輩こそ、雲井先輩に構ってもらえなくて、さみしいんじゃないのー?」
「アハハハ。なわけねーでしょー」
軽く笑い飛ばす秋人に、俺は慌てて夏生を見る。どこか落ち込んだ様子の夏生に、俺は何となく罪悪感を覚えた。
(秋人! なんでもいいから言い方考えてくれ!)
お前のでかいシェパードが耳も尻尾も垂らして落ち込んでるぞ!!
なんて言える訳もなく、俺は三人の様子をハラハラして見守る。
「えー、うっそだぁ。この間だって帰り道で雲井先輩のこと呼びかけてたじゃないですかぁ。癖になってるんでしょ? 雲井先輩のこと呼ぶの」
「そうなのか?」
「っ、百瀬! それは言うなって言っただろ!」
ガタンと秋人が立ち上がる。
(ナイスだ、百瀬!)
しょんもりしていたシェパードが、元気に尻尾を振っている。俺は内心百瀬を褒めた。
「っ、お前ほんとありえない!」
「えー? 別に隠すことじゃないでしょー? まあ俺としては? 仲良すぎて嫉妬しちゃいそうですけどー?」
真っ赤になっている秋人の頬を、百瀬がいたずらに突っつく。
ツンツンと百瀬の指先が秋人の頬に触れる。しかし、それはすぐに夏生の手によって止められた。
「こら」
「?」
パシッと夏生の手が百瀬の手を掴む。強い力と声に、俺はぎょっとする。
驚いたのは、俺だけではなかったらしい。秋人も驚いた顔で夏生を見上げていた。
「な、夏?」
恐る恐る声をかける秋人に、夏生がハッとした。
掴んだ百瀬の手をゆっくりと下げ、離す。
「……すまない。だが、こう見えてもこいつは三年で、お前の先輩だ。先輩は敬うものだろう?」
夏生の言葉に、百瀬の目が細められる。僅かな沈黙。しかし、どこかピリついた空気が漂う。
「あははは。確かに、“こう見えて”、先輩ですもんねー?」
「二人とも、こう見えては余計かなぁ」
はははは、と笑い声をあげる秋人。その声に、漂いかけた微妙な空気が霧散する。
(よかった……)
一瞬変な空気になった気がしたが、気の所為だったらしい。
(それにしても、意外だったな)
俺は胸を撫で下ろしつつ、夏生を見る。
秋人とは仲がいいし、百瀬も秋人に似ているから、てっきり夏生も仲良くなれるもんだと思っていたんだけど……そう簡単にはいかないらしい。
(こういうのってなんて言ったっけ?)
同族嫌悪? 同担拒否? ……どっちも違うな。
(相性かなぁ、やっぱ)
俺はぼうっと三人を見た。似ているとはいえ、同じ人間では無いし、もしかしたら幼馴染ならわかる違いでもあるのかもしれない。そうなると俺には完全に分からない。
(ま、喧嘩しなけりゃなんでもいいか)
俺はパンを齧った。中からカスタードが零れ落ちてくる。慌ててもう一口齧って、口元についたカスタードを舐めとった。
その間に、夏生は秋人の前の席に腰かけていた。鞄を置き、中から弁当箱を出す。
「秋」「おう」と短い言葉で弁当を受け渡しする様は、まさに熟年のやり取りだ。
「……なんていうか、秋ちゃん先輩と雲井先輩、熟年夫婦みたいだね」
「っ、はあ!?」
ガタンと大きな音を立てて秋人が立ち上がる。「秋、危ない」と夏生が蹴飛ばされた椅子を支える。
(えっ。ていうか今更?)
今まで散々夫婦みたいなやり取りしといて、今更照れるのか? 嘘だろ?
「コイツと俺が!? ナイナイナイ!」
「えー。そこまで否定されると逆に気になっちゃうなぁ」
「っ、気になんなくていーから!」
「あと敬語! 俺年上!」と叫ぶ秋人に、百瀬は満足気に笑うと「ハイハイ」と返事をした。
いつもみたいな言い合いではなく一方的な状況に、俺はそれをまた(珍しいな)と見ていた
(いつも冷静っていうか、人をおちょくることしか考えてないくせに)
おちょくられると真っ赤になるとか。
(モテないからってギャップでも狙っているのか?)
……秋人なら有り得るな。
「あーもう、お前めんどくさい!」
「あははは。秋ちゃん先輩かわいー」
「やめろそれ!」
(うっわ。秋人の顔真っ赤)
こんなの、好きな女の子に振られたのを夏生に言い当てられた時くらいしか見たことがない。
貴重な光景をぼうっと見ていれば、隣から嫌なオーラがじわじわと漂ってくる。
恐る恐る視線を向ければ、夏生が物申したげに二人を見ていた。
(不機嫌すぎて背後に鬼が見える!!)
竹刀持った鬼とか初めて見たんだけど!! こっわ!!
今すぐここから逃げ出したい。でも一人は逆に怖い!!
(早く来い馬鹿甘利!)
俺はここにはいない人物に助けを求めることにした。
その願いが通じたのだろう。
「すみません。遅くなりました」
ガラリと開けられた扉に顔を上げれば、甘利が弁当片手に立っていた。
「! 甘利!」
「っ、春先輩?」
耐えきれずに声を上げれば、甘利が驚いた顔で俺を見る。早く来いと手を招けば、甘利は大人しく近寄って来た。
「どうしたんですか、先輩」
「修羅場ってる。助けて」
「え?」
「「修羅場ってませーん」」
百瀬と秋人の声が重なる。さっきまでバチバチしてたくせに、何言ってんだか。
俺はじっとりとした視線で三人を見る。何事もなかったかのように弁当を開け始める夏生と秋人、そしてコンビニの袋を漁る百瀬に、俺はため息を吐いた。
「えーっと……?」
困惑する甘利に、俺は首を振って隣に座るよう、目で促す。
甘利は終始首を傾げていたが、俺もどう説明すればいいのかわからない。俺はただ無心でパンを齧ることしかできなかった。
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