【完結】初恋は檸檬の味 ―後輩と臆病な僕の、恋の記録―

夢鴉

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三章 少年共、夏を謳歌せよ

三十一話 熱

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「すみません……お待たせ、してしまって……」
「それは別に良いけど……って違うだろ! そっちじゃねーよ!」
「んぇ……?」

 俺は慌てて甘利に駆け寄る。
 額に触れれば、甘利の熱い体温が手の平に伝わってくる。

「やっぱり! 熱あるじゃねーか!」
「え……?」
「“え?”じゃねえ! なに普通に動こうとしてんだバカ!」

 きょとんとする甘利に、俺は眉間に皺を寄せる。
(馬鹿は風邪をひかないというけど、ばっちりひいてるじゃねーか!)
 本当の馬鹿は、風邪をひいていることに気付かない奴の事を言うらしい。俺は甘利の頬を両手で掴んで、横に引っ張った。「いひゃいれふ、ひぇんはい(痛いです、先輩)」と呟く甘利に「ちょっと黙ってろ!」と声を上げる。嗚呼もう! 本当に何してんだこいつは!

「ひぇっほ……ふみまひぇ、あふいなか、待ひゃひぇれしはって……(えっと……すみません、暑い中、待たせてしまって……)」
「そんなことより! お前、体調は!? 熱以外に悪いところはねーか!?」

「喉が痛いとか、咳が出るとか!」と両手を離しながら問えば、真っ赤な頬で「あー……そういえば、ちょっと……ふらふらする、かも……?」と曖昧な返事をされた。

「フラフラしてるくせに出歩いてんじゃねえ!」
「いたっ」
「ああもう! お前の部屋どこ!」

「戻るぞ!」と声を上げ、甘利の横を潜り抜ける。このままじゃ埒が明かない。「お邪魔します!」と大きく声を掛け、茫然とする甘利の手を引っ張った。

 甘利はフラフラしながらも、俺の後ろを大人しく着いてくる。
 よく見れば、体温が熱い他にも、額に汗を掻いている上、目も伏せ気味で気ダルそうだ。
(誰も気づかなかったのかよ!)
 そのための寮じゃないのか!
 怒りを抑えながら「同室の奴は? どうしてんだよ?」と問えば、「俺、推薦だから……一人部屋で……」と帰って来た。更に「ほとんどの人は、帰省、してるので……」と続けられる。
(そうだわ。そんなこと言ってたわ、こいつ!)
 それじゃあ誰も気づかなくても仕方ないのかもしれない。俺は大きくため息を吐く。意外と長い廊下がだんだん腹立たしくなってきた。

「せ、先輩、ゆかた……」
「ハイハイ。で? お前の部屋番号は?」
「? えっと……」

 甘利は困惑しながらも、部屋の番号を口にした。寮は三階建てで、甘利は一年なので一階に部屋があるらしい。
(よかった……)
 こいつ担いで三階まで上がることになるのかと思った。
 そんなことになったら俺の身体がボロボロになる。確実に。

 甘利の言う部屋は一番奥の扉に書いてあった。(一番奥の部屋だって言えばいいのによ)と思ったが、言わないでおく。先輩の優しさだ。

「開けるぞー」
「はーい」

 間延びした声に、返される間延びした返事。相当熱が上がってるんだろうな、と思いつつ、俺は扉を開けた。

 中からはシトラスの爽やかな香りがした。
 部屋は狭いものの、一人で過ごすには十分だろう。まあ、俺の部屋の方がもうちょっと広い気がするけど。
 ベッドと勉強机が両側の壁に向かい合うように置かれ、壁には大きな窓が一つ付いている。そのカーテンは開けられ、陽射しが入り込んできていた。ベッド側の壁の上ではエアコンが冷気を垂れ流している。
(ちょっと寒くないか?)
 ブルリと体を震わせる。いや、代謝のいい甘利には丁度いいのかもしれない。

 ベッドの上には浴衣が二着並べられており、その足元には甘利の通学鞄が無造作に置かれていた。
 勉強机の隣にある背の低い棚の上には、制服がハンガーにかけられている。クリーニングした後なのだろう。クリーニングの袋に入ったままなのが、なんだかこいつらしい。

「ちょっと退かすぞー」
「あっ」

 浴衣を退かし、甘利を座らせる。しょんぼりとしているが、今はそれどころじゃない。

「体温計は?」
「たいお……えっと、確かこっちの引き出しに……っと」
「ああもう、いいからお前はここに座ってろ」

 ベッドの頭部分に置かれた棚に手を伸ばす甘利。しかし、大きくふらついてしまった。その体を甘利を支え、座っているよう促した。
「いいか、絶対に立つなよ。お前の巨体を起こすなんてまっぴら御免だからな」と告げれば、耳と尻尾が項垂れる。「すみません……」という声は鼻声だ。
(悪化してんじゃねーだろうな)
 俺は小さく息を吐き、甘利が手を伸ばした引き出しに向かった。ガラリと開ければ、雑多なものが入っている。

(使っていないノートにペン……マジでここに入ってるのかよ)
 ていうか、なんでベッドサイドに文具が入ってるんだよ。おかしいだろ。
 次の引き出しを開ければ、手紙がいくつか入っていた。『母さん』と書かれた手紙は、何故かとてもファンシーな封筒をしていた。
(こいつのお母さん、もしかして可愛いもの好きなのか?)
 一緒に入っているクマのキーホルダーやミサンガは、母親の趣味なのだろうか。
(こいつも大変だな)
 引き出しを閉めて、次の引き出しを開ける。

 入っていたのは、学校に関する資料だった。『推薦者』と書かれた冊子に、俺は引き出しを閉める。見てはいけないものを見た気分だった。
(本当に入ってんのか?)
 いよいよ怪しくなった四段目。全部の引き出しの中で一番大きなものだった。
 引き出しを開ければ、中に更に透明の箱が入っている。中を見れば、絆創膏やら消毒液やらが見えた。

「甘利、これ出すぞ」
「んー……はーい」

 甘利の曖昧な声を聞きつつ、箱を取り出す。引き出しはその箱でいっぱいだったのか、他に物は入っていなかった。
(なんで引き出しに箱ごと……)
 いいや。気にするな。気にしたら負けだ。

 俺は箱を開け、中を弄った。よく使われているのは、消毒液と絆創膏の様で、その下は綺麗に物が詰められている。
(こいつも部活で怪我とかすんのかな)
 エースなのに。って、流石に偏見だろうか。

 中をひっくり返す勢いで見ていれば、包帯とガーゼの下に体温計があるのを発見する。
 俺は体温計を取り出すと、小さく息を吐く。体温計を取るだけで俺はなぜこんなにも苦労しないといけないのか。
(お。風邪薬も入ってんじゃねーか)
 きっと母親が準備したんだろうな。
(冷えピタ……はさすがにないか。後で買ってきてやるか)
 俺は開けっぱなしの引き出しを閉め、救急箱を手に勉強机に向かった。ノートとシャーペンが転がっているが、それを押しのけて箱を置く。

「甘利、熱――」
「せんぱい、せんぱい」
「?」
「見てください、これ」

 舌ったらずな声に、俺は振り返る。甘利はいつの間にか上半身をベッドの上に横たえていた。

「これ、せんぱいのゆかた。いい色でしょ?」

 自分の身体に用意していた浴衣を合わせる甘利。赤い頬が少しだけ、色っぽい。

「あー、そうだな」
「おびは白なんです。せんぱいっぽくないですか?」

「おれ、たくさんかんがえたんです」という甘利は、呂律がほとんど回っていない。
(熱上がって来たかもな)
 しかし、楽しそうな甘利に水を差すのも憚れて……俺は体温計を握りしめたまま、甘利の言葉に耳を傾けた。

「ぜんぱいに、ぜったいにあうと思って、俺、かあさんに送ってもらって。きつけのどーがも、たくさんみたんです。きっとじょうずにできますよ、俺」
「……わざわざそんなことまでしてたのかよ、お前」
「俺がしたかったんです」

 へらりと屈託なく笑う甘利に、俺は心の奥が少し痛んだ。
 ……こんなに楽しみにしている奴に、俺は今から残酷なことを言わなければいけないのかと思うと、気が重くて仕方がない。
(けど、こんな状態の甘利を連れてはいけないだろ)
 体調管理がなっていなかったのは甘利の方だし、俺のせいじゃない、はずだ。

「ねぇ、せんぱい。俺、まつりいくの久しぶりなんです。せんぱいは何がおすすめですか? わたあめとか、りんごあめとか? ぜんぶせんぱいに似合うと思います」
「なんで甘いもんばっかなんだよ。焼きそばとか、たこ焼きとかあるだろ」
「だめです。せんぱいは、かわいいのがにあうから」
「……嬉しくねーぞ、それ」

 俺は小さく息を吐き出す。「とりあえず熱測るか」と呟いて、甘利の腕を上げさせた。体温計をねじ込む。ふわりと病人独特の匂いがした。
 甘利は熱に浮かされてぼうっとしているのか、祭りでやりたいことをぼんやりと呟き続けている。
(これ、結構熱高いだろ)
 せめて濡れタオルでも貰ってくるか、と踵を返せば、腕を掴まれた。強い力に、俺はぐらりと体制を崩してしまう。

 たたらを踏んで、甘利の上に覆いかぶさる。俺と甘利の間で、浴衣がぐしゃりと歪んだ。

「ちょっ、!」
「せんぱい、どこにいくの」

(あっつ!?)
 こいつ体熱すぎだろ!
 じゅわっと掴まれた腕が焼けていくような気がする。ドクドクと早い脈が服越しに感じられる。
 至近距離に見えた甘利の顔が、嬉しそうに蕩けた。

「っ、ばか、危ないだろ! 何して――」
「えへへへ、せんぱい、かわいー」
「っ、うるっさい!」

 ぽかっと頭を叩けば、「うぅ……っ」と唸る甘利。
 その顔にハッとして「だ、大丈夫か……!?」と問いかけた。

「せんぱいがぶった」
「わ、悪い。お前が急に変なこというから……つ」
「せんぱい、すぐてがでる」
「うっ」

 俺は反論できなかった。実際そうだ。でも、出させているのはお前の方なんだぞとも言いたい。

「わ、悪かったな……」
「ううん。せんぱいの手がでるの、はずかしいからだって、おれ知ってるんで。だいじょうぶです」
「っ、!」
「でも、なでられるほうが、おれはすき」

「ね、せんぱい。なでて?」と俺の手を掴んで、自分の頭に押さえつける甘利。クゥン、と鳴き声が聞こえたような気がするのは、気のせいだろうか。
(気のせい気のせい気のせい)
 可愛いとか思ったのも、ちょっとドキドキしているのも。全部、全部。

「……ちょっとだけだからな」

 俺は小さく手を動かした。柔らかい髪が、手に伝わって来る。
 汗をかいているのか、少し湿っていたが気にはならなかった。

「ふへへへへ」
「なんだよその笑い方。やばいぞ」
「やばい? ああ、うん……やばいです。せんぱいがやさしい」

 心底嬉しそうに微笑む甘利。

「俺はいつも優しいでしょうが」
「うん。せんぱいは、いつもやさしいです。俺のこと、へんだって突き放さないし、俺のとなりにいてくれる。やさしいやさしいはるせんぱい。大好きです」
「っ、ああもう、いいからそういうの」
「ほんとうに? ちゃんとわかってますか? 俺の気持ち」
「わかってるって、つーか離せっ」

 ぎゅうぎゅうっと腰を抱き締められる。加減はされているものの強い腕の力に、全身がブルリと震える。
(っ、甘利の足が、へんなとこ、あたって……!)
 下半身に甘利の硬い足が当たる。抱きしめられる度に押しつけられ、たまったものじゃない。
(っ、病人の前でとか嫌だぞ俺っ)
 体の熱が強引に引き上げられる。甘利の熱が移ったみたいで、俺は必死に意識を逸らすことに専念した。

「っ、甘利、そろそろ離せっ」
「いやです。せんぱい、どっかいっちゃうじゃないですか」
「行かねー、からっ」

 ぐりっと足がずれる。瞬間、走る感覚に俺は咄嗟に唇を噛んだ。
(っ、くそっ……!)
 このままでは病人の前で発情する変態になってしまう。俺は断じて、決して、そんな意図はない。

「いいから、離せって!」

 ぐっと甘利の肩を押せば、ピピピピと電子音が響く。丁度熱が測り終わったらしい。
 これ幸いにと俺は甘利から離れると体温計を引っこ抜いた。「せんぱい~」と甘利が手を伸ばしてくるが、俺は跳び上がるようにその場を離れた。
 はっと息を吐いて、体温計を見る。

「三十九度五分!?」

(こいつ、そんなに熱あんのかよ!?)
 甘利を振り返る。「せんぱい、せんぱいどこですか」と探す甘利の腕は重そうだ。
(さすがにこれ、俺がついてるだけじゃ駄目じゃねーか……?)
 俺は甘利の顔を覗き込んだ。

「甘利、飯は食えそうか?」
「んー……せんぱいがいいです」
「食えそうにないな」

 とはいえ、薬がないのはしんどいだろう。
(とりあえずベッドに突っ込んで、薬を飲ませて。あとは濡れタオルと……病院に連絡? いや、まずは寮の人に話さないとか)
 俺は甘利の腕を掴んだ。「ベッドに入れるか?」と問えば「せんぱいもきますか?」と言われた。

「行くわけないだろ」
「じゃあいきません」
「ああもう! 駄々こねるなって!」

 むうっと口を尖らせる甘利に、俺は後頭部を掻く。
(つっても、このまま放置は出来ねぇし)
 何かいい案はないかと考えた。考えて、俺は足元に落ちた浴衣を目にする。

「……」

(これは、甘利を寝かせるため。甘利を寝かせるためだから)
 そうだ。それ以外に意図はない。決して俺がやりたいからとかじゃ絶対にないから。

「せんぱいー」
「……甘利。お前、俺の浴衣姿が見たいって言ってたよな?」
「はい」
「即答かよ……まあいいや。んじゃ浴衣着てやっから、大人しく布団入れるよな?」

 ポンポンと甘利の腹を軽く叩けば、甘利はじっと俺を見つめる。目が一瞬ぎらついた。

「本当ですか?」
「あ、ああ。どうせその熱じゃ祭りも行けないだろうし、気分だけになるけど……」
「寝ます。あ、写真撮っていいですか?」
「何で急にハキハキし出したんだよ」

 仮病じゃねーだろうな。

「先輩、写真」
「あーもう、わかったって」

「撮っていいから」と告げれば「ありがとうございます」と笑みを浮かべる。
(病人の癖に顔が良いなおい)
 俺は少しだけ負けた気分になった。

 甘利から浴衣を受け取ると、甘利は自分で布団の中に入っていった。
「ん」と両手を伸ばしてくるので、掛け布団を渡してやる。不満そうな顔をされたが、知ったこっちゃない。

「そんじゃ俺、飲み物と濡れタオルもってくるから」
「せんぱい、ゆかた」
「後でー」

「そんじゃな。大人しくしてろよー」と告げ、俺は部屋を出た。

 大きく息を吐き出し、髪をかき上げる。
(くそ、アイツのせいでセット崩れた)
 落ちて来る髪を直しつつ、俺はスマートフォンを取り出した。秋人と夏生とのグループチャットに『悪い。甘利が熱出した。行けそうにない』と打ち込む。既読はすぐにはつかなかった。

「あっつ……」

 パタパタと首元の服を摘まんで仰ぐ。
 もう一度大きく息を吐き出せば、籠っていた熱が外に出て行くような気がした。……抱きしめられた時の甘利の熱は、まだ体に残ってるけど。
 俺はあの時の事を思い出して、自分の身体を見下げる。半分ほど反応しかけているそこを見て、俺は「静まれ静まれ~」と呟いた。

「ったく……」

 甘利と一緒に居ると、予想外ばかりの事ばかり起きる。
 何より、甘利の俺への執着が思った以上に大きくて、重くて――――。

(ちょっと嬉しいとか思ってんじゃねーよ、馬鹿)
 そりゃあ後輩に気に入られるのは嬉しいけど、ああいうことをされるのは正直、困る。

 俺は再び込み上げかけた熱に息を吐き、「よし」と声を上げた。
(まずは管理人室に顔出すか)
 寮の中を勝手に歩くのはよくないだろうし、甘利の事も早く伝えた方がいいだろう。もしかしたら救急車呼ぶことになるかもしれないし。
 ついでにキッチンの場所とか教えてもらえれば、飯とかも用意できるだろう。

(別に、用意してやるわけじゃねーけど)
 もし管理人室に誰もいなかったり、作れる人がいなかったら駄目だろう。甘利を一人にして寮を出るのも気が引けるし。だから、念のためだ。念のため。

 俺はそんな言い訳をしながら、管理人室に向かって歩き出した。
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