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一章 歪な世界
6-3 スカウト
しおりを挟む俺たちはとりあえず事務所に戻ることにした。
ソファに向かい合うように座る。
俺の隣には蜜希さんが。
向かいには先ほどの女性が座っている。
にこやかな笑みに、俺は不思議な威圧感を覚える。
蛇に睨まれた蛙の気分だ。
「それで? お返事はいただけるかしら?」
「ちょ、ちょっと待って。母さん、突然何? 説明してくれないとわからないって」
「あら。私は彼に聞いているんだけど?」
「だから、それにしても突然なんだって。ちゃんと暁月くんに説明した?」
「したわよ」
「本当に?」「したって。ねえ?」と言い合いを始める二人。
「なんでそっちがギスギスしてるんですか……」
俺は半ば呆れに呟いた。
二人は顔を見合わせると、「ごめんなさいね~」「ごめんね、暁月くん」と謝罪してくる。
(なんか、すっごく似てるなぁ)
「そうね。まずは自己紹介からしようかしら」
女性は姿勢を正す。
蜜希さんが「自己紹介もしてなかったの……」と呟いた。
「私は宵月 早苗(よいづき さなえ)と言います。一応、この旅館の女将を撒かせていただいているわ」
「あ、暁月凛といいます。先日は離れを貸していただいてありがとうございました」
「あら、いいのよ。寧ろあんな小さなところでちゃんと休めたかしら? 不自由はなかった? 蜜希ったら朝バタバタ入って来てから何も言わないから、私心配で心配で……」
「ちょっと、母さんっ」
赤い顔で止めに入る蜜希さん。
知り合いに母親の顔をされると恥ずかしくなる気持ちは、俺にもわかる。
「いえ。寧ろすごくよくしていただいています。食事も用意してくれて」
「洗濯機の使い方も教えてあげたもんね?」
「蜜希さんっ!」
今度は俺が顔を赤くして声を上げる番だった。
揶揄うような蜜希さんの視線が、俺に向けられる。
(そんな楽しそうにしないでくださいよっ)
俺はフンとそっぽを向いた。
「ふーん……随分、仲がいいのねぇ」
「まあねー」
「良くないですっ」
肯定する蜜希さんに、俺はむっとする。
今のどこをどう見て仲がいいと思われたのかはわからない。
でも出会ってまだ一日しか経っていないのに、仲がいいかなんてわかるわけがなかった。
「ケチだなぁ。いいじゃん、仲いいってことにしておこうよ」
「嫌です」
「えー? なんで?」
にこにこ。
蜜希さんが愉快そうに俺を見る。
俺は視線を逸らした。
「……俺のこと、揶揄うじゃないですか、蜜希さん」
「そりゃあ、こーんなに揶揄い甲斐のある人が近くに居たら……ねえ?」
「ねぇ? じゃないですっ。やめてください」
「ええー」と蜜希さんが声を上げる。
(“ええー”じゃないし)
“でも”も“だって”も、聞く気はなかった。
「あらあら……ふふふ。本当に仲がいいのね」
「でしょー?」
「良くないですっ」
女将さんはクスクスと笑う。
俺は腹の奥にカッと火が付いたように恥ずかしくなった。
「それにしても、蜜希がまさかこんないい男を連れて来るなんてねぇ~。なぁに? もしかして彼氏?」
「ちっ、違う!」
「違いますっ!」
彼女の言葉に、今度は蜜希さんと声が合わさる。
腹の中で燻っていた火が、一気に煽られた。顔が熱い。
(か、彼氏って……!)
今までも、そういって揶揄われた場面はたくさんあった。
その度適当に受け流していたが――なぜか今回ばかりはそうはいかない。
ドクドクと心臓が早鐘を打つ。
まるで全力疾走をした後のようで。
自分の反応に、自分が一番驚いていた。
チラリと蜜希さんを見れば、蜜希さんの顔も赤くなっている。
(……なんで)
なんでそんな顔をしてるんですか、蜜希さん。
「あら、そうなの? てっきりそうかと思ってたのだけれど、私の勘違いだったのかしらねぇ?」
「そ、そうだよ。ていうか、まだ会って一日だよ? その判断するのは早くない?」
「そうかしら? きっかけなんて些細な事で十分よ」
そう言う女将さんに、蜜希さんは「そういう事言ってるんじゃないってば」と呟く。
二人の話を聞きながら、俺は呼吸を整えていた。
「暁月くんにも失礼になるからやめてって言ってるの。彼、アルファだよ? 番がいたら失礼でしょ」
「あら、そうなの? でもそうね。ごめんなさい」
「あ、いえ。気にしないでください。今のところ、そういう人はいませんから……」
「そうなの? なら丁度いいじゃない」
けろりとして言い放つ女将さん。
蜜希さんは「何が丁度いいのさ」と頭を抱えた。
もう勘弁して、と蜜希さんが言っている気がする。
俺は苦笑いを浮かべ、話の軌道を戻した。
「それであの、さっきの“働く”って、どういうことですか?」
「あら。興味があるの?」
「興味があるっていうか……」
俺は視線を逸らす。
もしその話が本当なら、少しの間お世話になれないかなと思ったのだ。
出来れば、自分の心の整理がつくまで。
(なんて言ったら、利用してるみたいに思われそうだな)
打算的な自分の思考がバレてしまう気がして、俺は口籠る。
「お礼を、したくて」
「「お礼?」」
「その、昨日は無償で泊めていただいたので……」
考えて絞り出した結果、俺はそんなことを呟いていた。
意外だったのか、二人は目を瞬かせる。
その様子がすごく似ていて、(親子だなあ)と頭の隅っこで思った。
「お礼だなんて」
「いいのよぉ、お礼なんて! 部屋に泊めたわけでもあるまいし!」
「ちょっと母さん、今俺が話してたんだけど?」
込み合う二人の会話。
俺はそれを聞きながら、「でも」と首を振った。
しかし、二人はお礼を受け取る気はないようで。「気にしないで頂戴」「そうだよ。元はと言えば僕がやったことだし」「あら。もしかしてまた何か下の?」「何かって何?」と話がどんどんずれていく。
(ど、どうしよう)
「あ、あのっ!」
俺が声を上げると、二人はぴたりと言い合いをやめる。
「あら。ごめんなさい」と女将さんが呟く。
蜜希さんはバツ悪そうに頭を抱えた。
「そうね。まずは説明しなくちゃ、凜君も判断できないわよね」
ウンウン、と頷く彼女。
「実は元々予定してたバイトの子が、急遽事故で来れなくなっちゃったって連絡があってね。もしよければ夏の間だけでもお願いできないかと思ったの」
「夏の間……」
「ええ」
女将さん曰く、夏はかなりの繁忙期になる。
それこそ、猫の手も借りたいくらい。
バイトとはいえ、一人分の手が借りられないのは困る。
でも今から探すには、条件が難しすぎて来てくれる人がいるかわからない。
「その条件っていうのは?」
「一つは語学が堪能であること。ウチは外国人のお客さんも結構来るのだけれど、一昨年に対応していた従業員が寿退社しちゃって、そのポジションがずっと空席なのよ。今は私ともう一人の子でどうにかしているのだけれど、やっぱり限界があってねぇ……」
女将さんは頬に手を添え、ふぅと息を吐いた。
「蜜希さんは?」
「俺は英語がちょっとくらい。でも、そもそも受付のスタッフじゃないから、頭数には入ってないよ」
「そうなんですか?」
「ええ。蜜希はちょっと……ね?」
意味深な二人の反応。俺は首を傾げた。
(なんだろう。なんか、変な感じがする)
まるで何か隠されているかのような。
「それで、条件がもう一つ」
「もう一つ?」
「性別が“アルファ”であること」
ドクン。
心臓が嫌な音を立てる。
(アル、ファ……)
「……理由を、聞いてもいいですか」
「気持ちのいいものじゃないわよ?」
「大丈夫です」
俺は頷く。
女将さんは蜜希さんを見た後、困ったように目尻を下げた。
「繁忙期になると、たくさんのお客様が来るでしょう? ……いるのよ。中には。オメガやベータを馬鹿にするような人が」
女将さんは何かを思い出したのが、げっそりとした顔をする。
面倒くさい、と言いたい雰囲気が漂っている。
「その対応に……?」
「対応というか、対策ね。そういう人たちは総じてこちらの話なんか聞いていないのよ。アルファが一人でもいると、大人しくなるから毎年お願いしているの」
「馬鹿馬鹿しい話なんだけどね」と女将さんは苦い顔で笑う。
確かに、平等を謳う世の中で性別を使っての対応は、矛盾がある。
でも、客商売をしている側からすれば、一人の客の迷惑が全員にかかる可能性がある以上、対策をしなければ立ち行かなくなってしまう。
(そう考えると難儀だよな、本当に……)
「どうかしら? もちろん、バイト代は出るわよ。その間の宿泊代も不要よ」
「それはさすがに……っ!」
「それだけ、欲しい人員ってことよ」
女将さんは目を伏せながら言う。
俺は言葉に迷った。
蜜希さんはお茶菓子を食んでいる。口を出さないということは、好きにしていいということなのだろう。
(アルファとしての自分が、二人の役に立つ……)
その魅惑的な状況に、俺はこくりと息を飲んだ。
「……俺でいいのなら」
「とんでもないわ! 貴方がいいのよ」
「っ」
俺は込み上げる感情を、喉の奥で塞き止める。
――『俺“で”いい』んじゃない。『俺“が”いい』んだ。
ツンと鼻の奥が痛くなる。
蜜希さんといい、女将さんといい、ここの人たちは俺の欲しい言葉を簡単にくれる。
その温かい心に、もっと触れてみたい。
一緒に居たい。役に立ちたい。
「っ、よろしく、お願いします」
「ええ。よろしくね」
「よろしく、暁月くん」
その時、初めて“暁月凜”という人間の形が見えた気がした。
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