逃げた先に、運命

夢鴉

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一章 歪な世界

6-2 有能アルファの片鱗

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「失礼いたします」

 俺はカウンターの中に足を踏み入れる。
 女性が振り返り、顔を見上げる。俺を見て、女性は「ちょっと!?」と声を上げた。

 俺はそれを他所に、英国風の男女を見る。
 恭しく礼をした。
 礼儀の作法を幼い頃に叩き込まれていて良かった。

「Merci d'être venu au Yoizuki Ryokan aujourd'hui. Je suis votre guide, Akatsuki. (本日は宵月旅館にお越しいただき、ありがとうございます。案内の暁月でございます)」
「Comprenez-vous le français ? (フランス語がわかるんですか?)」
「Oui. Ne vous inquiétez pas. (ええ。ご安心ください)」

 微笑みを浮かべ、俺は自身の胸元に手を添える。
 英国風の男女は顔を輝かせた。

 その反応を見て、女性は状況を察したらしい。
「ちょ、ちょっと、貴方っ」と俺の腕を引っ張った。

「貴方、お客様の言っていることがわかるの?」
「え、ええ。まあ」
「そう……」

 女性は思案する。
 その顔にさすがに出しゃばりすぎたか、と頬をかいた。
(困っていたようだし、助けになるかと思ったんだけど)

 女性は数秒考え込むと、俺の腕を強く引く。
 うん、と頷く彼女に、俺は首を傾げた。

「……わかったわ。貴方、通訳をお願いしていいかしら?」
「えっ」
「出来るの?  出来ないの?」

 俺はギョッとする。
 しかし、女性の目は鋭く俺を見つめていた。

(何がどうなってるのか)
 よく分からないけど。

「わかりました。任せてください」

 俺は頷いた。



 俺は改めて女性の隣に立つ。
「Excusez-moi.(失礼しました)」と声をかけ、俺は彼女の言葉を引き継いだ。

「まずは予約を取ってるか聞いてもらえる?」
「わかりました」

 俺は英国風の男女に予約を取っているかと問いかけた。
 二人から「J'ai une réservation.(予約はしているよ)」と返事をもらい、俺はそれを彼女に伝える。
 名前を聞き出し、彼女は名簿からアルファベットで書かれた名前を見つけ出す。

「あったわ」
「良かったです」

 俺は彼らに予約が取れている事を告げる。
 続けてプランの説明、名簿への名前の記入のお願い、旅館での注意事項などをフランス語で伝えた。
 全て女性からの指示を受けて行っていることだ。

「Voici le guide de l'hôtel. Savez-vous lire l'anglais ? (こちらがホテルの案内になります。英語は読めますか?)」
「Quelque peu.(少しなら)」
「Si vous avez des questions, n'hésitez pas à appeler. (ご不明な点がありましたら、お電話ください)」

 俺は英語表記の案内のパンフレットを差し出す。
 英国風の男女は朗らかな笑みを浮かべ、「Thankyou.(ありがとう)」と微笑んだ。


 いつの間にか待機していた他の従業員が案内を請け負い、俺の仕事は一段落した。
 ふう、と安堵に息を吐く。
(まさか、ここで無理矢理学ばされた語学力が生きるとは……)

 幼少の頃から叩き込まれた外国語。
 もう一生見たくないと思っていたのに。


「お疲れ様」
「あ……」

 女性の声に振り返り、俺は小さく声を零す。
 背中に冷や汗が流れる。
 整った彼女の横顔を見ながら、俺は天に祈りたい気持ちになった。

(やばい。すっかり忘れてた)
 頼まれたとはいえ、俺は今『カウンターに勝手に入って来て通訳をした男』と認識されているだろう。
 いい印象と悪い印象が同時に存在している。
 それほど怖い状況はない。

(とりあえず、怒られる前に謝っておこう……)

「その、すみません。勝手に割り入ってしまって……」
「そうね。確かにそれは驚いたけれど、別に謝られることじゃないわ。むしろお礼を言いたいくらい」

 女性は顔を上げる。手元にはさっき名前を確認した台帳があった。
 彼女の顔に、俺は見覚えがあった。

(あ、この人)
 ――蜜希さんの、お母さんだ。

 昨日、玄関を通してみた女性。

 キュッとつり上がった目尻。
 真っ直ぐ筋の通った鼻。薄い唇。
 一見キツそうに見える見た目だが、その声は思ったよりキツくはない。

 それが蜜希さんの母親だった。
 思えば挿している簪も見覚えのあるものだ。

「ねえ、貴方」
「は、はい」
「さっきの、フランス語?」

 女性は問いかけてくる。
 俺は手の平に汗をかきながらも、こくりと頷いた。

「は、はい。お相手の方、あまり英語が得意じゃなかったようだったので……」
「そう。他には何か話せる言語はある?」
「他?」
「できれば日常会話くらいは出来るものがいいわ」

 女性は淡々と告げる。
 その強引さに、俺は目を瞬かせた。
(何かの試練か?)
 そう思ったけど、口にはしなかった。

 何となく、彼女には有無を言わせない雰囲気がある。

「そうですね。常用として使えるのは、英語と中国語、韓国語、スペイン語、ヒンディー語、ポルトガル語、くらいでしょうか。聞き取りだけならロシア語とドイツ語も出来ますが」
「トリリンガルどころじゃないじゃない!」

「超有能! 語学の先生でもやっているの!?」と女性――蜜希さんの母親は興奮に声を上げる。
(なんか、さっきとキャラ違くないか?)
 俺は戸惑う。指先で頬を掻く。

「えっ、と……あ、ありがとうございます?」
「何よ。もっと自信もっていいのよ。すごいことじゃない」

 女性の手が、バシバシと俺の肩を叩く。
(豪快な人だなぁ)
 俺は「あははは……」と苦笑いを浮かべた。

 女性は笑いを引っ込めると、じっと俺を見た。
 真っすぐな視線に、俺はようやく彼女の瞳が蜜希さんと同じ色をしていることに気が付く。

 とはいえ、蜜希さんよりも色が濃く、茶色に近い色をしている。
 キャラメルみたいだ。

「ふーん……へぇ……」
「あ、あのー……」
「いいじゃない。うんうん」

 彼女は俺を見て、一人ぼやく。
 さっきまでの好意的な視線とは一変、値踏みをされているのがわかる。

 途端、ガシッと肩を掴まれた。

「!!?」

 突然のことに全身が跳ねる。
 しかし、お構いなしにグッと顔が寄せられた。逃がさないとばかりに彼女の手が強く俺を掴む。
(力つよ……っ!?)
 俺は振り払うことも出来ず、彼女の目を見つめる。

「ねぇ、貴方――ここで働かない?」

 一瞬。時が止まる。
 静かな世界に、ガチャリと扉が開く音がする。




「……へ?」


「えっ、何この状況」



 俺と蜜希さんはそれぞれ、困惑した声を発した。

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