逃げた先に、運命

夢鴉

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三章 感情に蓋をして

16-1 密かな決意

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「……か……きくん、――暁月くん」
「!」

 肩をゆらされ、俺はハッとする。
 顔を上げれば、蜜希さんが目線の先で手を振っていた。
 慌てて仰け反れば、「あっ、気づいた」と声を上げる。

「あ、すみません。なんですか?」
「んー? なんかぼーっとしてるみたいだったから」

「大丈夫? 疲れちゃった?」と蜜希さんが首を傾げる。
(そんなにぼーっとしてたのか)
 俺は慌てて「大丈夫です」と答える。
「そう? それならいいんだけど」と蜜希さんが手を下ろした。

「蜜希さんこそ、どうしたんですか?」
「どうって、何が?」
「仕事中……ですよね? こんな所にいていいんです?」

 俺は昼食のまかないを食べながら、逆に問いかける。

 ここは昼食の時間が終わった、宵月旅館の食堂だ。
 まかないはその日の昼に余った食事。今日は天ぷらが残っているとのことだったので、俺は天丼にしてもらって食べていた。
 カウンターからは、料理長のタカさんが夕飯の準備をしている。

「大丈夫だよ。僕も一応休憩中だし」
「一応?」
「うん。自分で決めてきた」

(それは休憩っていうより、サボりでは……?)

 蜜希さんの手元には、既に休憩用のクリームソーダが握られている。
 ちゃっかり規定よりも多めにアイスが乗っているので、自分で作って来たんだろう。
 さすが旅館の息子。遠慮がない。

 蜜希さんはアイスを一口食べると、「外仕事の後はやっぱりこれだよね~」と嬉しそうに笑った。
 そういえば、一緒に喫茶店に行った時もカフェラテを頼んでいたな。
(甘いものが好きなんだろう)
 そんな所も可愛い。

 なんて思っていれば、蜜希さんがアイスをソーダの中で崩し始める。
 緑色の液体に甘い白が混ざっていく。

「それで? 今度は何に悩んでるのかな?」
「……もしかして俺、いつでも悩んでる人に見られてます?」
「えっ、違うの?」

 違います。たぶん。

 俺は眉を寄せる。
 蜜希さんは「ごめんごめん。ちょっと揶揄っただけだよ」と笑っていたが、そうは見えなかった。
(今のは絶対に本心だった)

「嫌だった?」
「……別に。嫌ではないです。でも、もうちょっと俺をちゃんと見て欲しいとは思いました」
「ふふふ。そうだね、ごめんごめん」

 くすくすと蜜希さんがおかしそうに笑う。
 俺はその笑顔に胸の奥がくすぐったくなった。

 ……こういう悪戯っ子っぽいところが、俺は堪らなく好きなのだ。

 俺は胸の奥が熱くなっていくのを感じる。
 言葉にできない何かが、蜜希さんの顔を見る度に頭をチラつく。

「……蜜希さんは、俺がいなくなったらどう思います?」
「えっ?」

 半ば無意識に問いかけていた。
 蜜希さんの驚いた声が聞こえる。気づいた時には、もう遅かった。

 ぽかんと開いた、蜜希さんの口。
 意外なことを聞いたと言わんばかりの視線に、俺はしまったと内心で零す。

「……すみません、なんでもないです」

 気にしないでください。
 手で目元を覆い、慌てて取り繕うように言葉を連ねる。
 不安定になったからって、蜜希さんにこんなこと問うなんて、どうかしている。
(格好悪いな、俺……)

 反省する俺に、蜜希さんは「そうだなぁ」と呟く。
 気にしないでと伝えたはずなのに、蜜希さんは気にしてくれるらしい。嬉しいけど、なんだか恥ずかしい。

 蜜色の瞳にどきりと心臓が高鳴る。

「暁月くんが居なくなったら、僕はたぶん、寂しいって思うんじゃないかな」
「えっ」
「なぁに、その反応」

「意外だった?」と蜜希さんが笑う。
 悪戯っ子のような顔だった。
 俺はつい頷いてしまう。

「意外、というか、まさかそう返されるとは思ってなくて……」
「暁月くんの中の僕、薄情過ぎない?」
「ち、ちがっ! そ、そういうことじゃないんですけど!」
「ふふふ、顔真っ赤~」

 蜜希さんの指先が頬を突っついて来る
(くそ……っ)
 また弄ばれた。

 俺は手で口元を隠す。
 ニヤけた顔なんて見せられない。

「み、蜜希さんこそ、人のこと揶揄ってばっかりだと、いつか痛い目見ますよ」
「えぇー?  じゃあ、その時は暁月くんを召喚しようかな」
「なんでですか」
「だって助けてくれそうだし」

 俺は口を尖らせる。
 どう足掻いても、俺は蜜希さんには勝てないらしい。

 不貞腐れた俺を見ながら、蜜希さんが「話を戻すけど」と口を開いた。

「もちろん、寂しく思うとは思うよ。近い人が居なくなったら、大抵の人はそうじゃない?  でも、暁月くんが決めたことなら応援したいとも思う」
「応援……」
「将来の進路とか、大学のこととかは、僕にはわからないからさ」

 蜜希さんの横顔に、嘘はない。
 俺は心の奥が空っぽになった気分だった。

(そう、か)
 蜜希さんは優しい。
 優しいからこそ、残酷なのを忘れていた。

「暁月くんが向こうで何をしてるのか、どんな人たちといて、どんな人生を歩んできたのか。僕にはわからない。そんな人間が、簡単に口を出したら駄目でしょ?」
「それは……今後、知って行けば……」
「無理だよ。気になりはするけど、僕はここから離れられないもん」

 何かを諦めた訳でも、申し訳ないと思っている訳でもない。
 ただ、彼は彼の中の事実として、言葉を連ねている。

「でも、ここに来てからの暁月くんの事は、そこそこ知ってるつもりだよ。だから――暁月くんが前に進めるなら、どんな選択でも、間違いじゃないと思う」

 だからこそ、彼の言葉は強く深く、刺さる。

「そう、ですよね」

 そうだと、いいな。
 呟いて、俺は拳を握りしめた。

 ……俺はようやく実感した。
 ――自分が蜜希さんの特別ではないのだ、と。


 蜜希さんを呼ぶ声がする。
 パートの佐藤さんの声だった。

 蜜希さんが慌てて声のした方へと向かう。
 サボっていたのを誤魔化しながら話す蜜希さん。だから言ったのに。

「……はぁ。俺、何を期待してたんだか」

 チクチクと心が痛む。
 頭の中はぐちゃぐちゃで、思考はまとまらない。

 からんと蜜希さんの置いていったクリームソーダの氷が、音を立てる。


 蜜希さんが引き留めてくれるかも、なんてことは、最初から思ってはいなかった。
 でも、『寂しく思う』って言ってくれたのと同時に、“俺を知ろうとしてくれる“んじゃないかと期待していたのは事実だ。

 そして、あわよくば自分の決める道を、蜜希さんに決めて欲しい、と。

「……見透かされなかっただけ、よかったと思うしかないよな」

 情けなさ過ぎて、顔も上げられなかった。
 机に肘を付き、項垂れる。
 蜜希さんの優しい無関心に、頬を張られた気分だった。

(そうだよな)
 自分の道くらい、自分で決めないといけないよな。
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