逃げた先に、運命

夢鴉

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三章 感情に蓋をして

18-1 閻魔からの使者

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「はぁ……」

重々しいため息がこぼれる。
此処に帰って来てから――否、連れて帰られてから、ずっと全身に力が入らない。

「蜜希さん……」

唯一の心残りを呟いて、俺はもう一度息を吐く。
無機質な白い部屋は、まるで自分を閉じ込める牢獄のようだった。




――朝陽に聞いた病院に行ったあの日。
抑制剤を手に病院から出て来た俺を出迎えたのは、趣味の悪い黒いリムジンだった。
汚れ一つない、完璧な車体を見て、忘れていた現実が一気に噴き出す。ゆっくりと降りてきたのは、スーツに身を包んだ男。

「お迎えに上がりました。凛様」
「……覚」

覚は恭しく、一礼をする。非の打ち所がない完璧な所作だ。

彼は今年五十になる初老の男性だ。
優秀なベータで、暁月家の専属秘書のようなものをしている。幼少の頃から世話になっていることもあり、俺は強く出ることができない。
大抵はおじい様――暁月家の現当主のところにいるはずなのだが……話を聞く限り、色々な業務を担っているらしい。

(家出した孫を、よりによってこの人に迎えに来させるとか)
おじい様はどうやら俺を一分一秒でも早く、此処から連れ戻したいらしい。
兄さんはおじい様には言わないって言っていたが、……バレたんだろうな。予想はしていたけど。

白髪交じりの頭を見つめ、俺は緊張に張り付く口を開く。

「……帰りたくないと、言ったら?」
「わたくしは、幼き頃から凛様の成長を見守ってきました。同様に、総一郎様にも随分と長くよくして頂いております。恐らく、凛様よりも、付き合いは長いでしょう」
「だろうな」
「わたくしにも、凛様の年齢に近い孫がおります。子供の成長は早い。何かお考えがあるのでしょう。――ですが、総一郎様の凛様を思うお気持ちは、僭越ながら、わたくしにも痛いほどわかるのです」

つまるところ、俺みたいな子供より、暁月総一郎――おじい様の気持ちの方がわかると言いたいのだ。
(俺がどこに行っても逃げ場はないってことか)

「もし、この場で逃げたら?」
「相応の対応をするまでです。凛様も、宵月家の方々にはご迷惑をかけたくないでしょう」
「なッ、!?」

把握されている。分かっていたことだが、実際に目の当たりにすると彼らの身勝手さに腹立たしくなってくる。
俺は唇を噛み締めた。
今にも声を荒げたい気分だったが、感情論がこの男に通用しないことは幼いころから知っている。

ふと、周囲がにわかにざわつき始めたのが聞こえる。
こんな片田舎に黒いベンツなんて、悪目立ちもいいところなのだろう。
早く退散した方がいい。

「……わかった。行ってやるよ」

俺は頷く。
その代わり、あそこの家の人間には手出しをするなと条件を付けて。

「もちろん。お約束しますよ」

覚の言葉を信じる気はない。けれど、今は信じるしかない。
口の中に広がる血の味を噛み締めながら、俺はベンツに乗り込んだ。



流れる景色を見送り、俺は辿り着いた場所に少し驚いていた。
白い、八階建てのマンション。
新築同然の綺麗な建物は、俺個人の家だった。

「実家じゃなくていいのか?」と明け透けに問えば、覚は視線だけで振り返る。

「総一郎様はお忙しい方です。この度の件に関しましては、全ての判断をわたくしに委ねております」
「はっ。なんだそれ。相変わらず、俺の事なんか興味なさそうだな」
「そんなことはございません。総一郎様は――」
「ああもう、いいって」

鼻で笑う俺に、覚は物言いたげな目をして、しかし何も言わなかった。
きっとこういうところが彼が優秀な秘書である一因なのだろう。俺は、全然好きになれないけれど。

車が止まったのを確認して、俺は自分の手で車から降りた。
マンションのエントランスを潜り抜け、エレベーターに乗り込む。自分の階のボタンを押せば、エレベーターの扉が閉まった。

覚さんは部屋までついて来る気らしい。
俺は目を合わせないよう、静かに扉上の階を示す数字を見つめていた。

エレベーターを降りた後は、廊下を端まで突っ切る。
自分の部屋の番号の前で足を止め、カードキーを取り出そうとポケットを漁った。

「あ」

(そういえば鍵、バッグに入れっぱなしだった)
病院に行くだけだと思っていたから、荷物も何も持ってきていない。
固まる俺を見かねたのか、覚が後ろから何かを差し出してくる。――俺の部屋のカードキーだ。
(なんで持ってるんだ)

「引っ越された時、有事の際にと預かっていた合鍵です」
「……持って来てたのかよ」
「許可は得ています」

その許可をしたのは俺じゃない。おじい様だろう。
俺はカードキーを奪うように受け取り、鍵を開けた。


突然思い立って出て行ったから、家の中はとんでもないことになっているんじゃないかと思ったが、そんなことはなかった。
綺麗に整頓された部屋。
脱ぎ捨てた部屋着も、放置していったゴミも、全て綺麗に片づけられている。

「凛様が大学にいらしていないとの連絡を受け、失礼ながら勝手に部屋に入らせていただきました。部屋の掃除はその直後からヘルパーを雇い、週に一度、定期的に掃除に来ていただいております」
「……何してんだよ」
「凛様の安否を確認するためにも、必要なことでしたので」

覚さんは小さく頭を下げる。謝罪をしているのか、言い訳をしているのかわからない。
(まあ、掃除は有難いけど)

他人が勝手に入ったのだと思うと、なんだか急に居心地が悪くなる。しかもヘルパーということは、家政婦のような人だろう。
父親の事が頭を過りそうになり、俺は舌を打った。
だから帰って来たくなかったんだ。

不機嫌さを隠さないまま、どさりとソファに座れば、身体が勝手に沈んでいく。
硬い座布団に慣れていた所だったから、違和感がすごい。

俺はソファの表面を撫でてみた。
手触りは一級品。だが、個人的には向こうの、ちょっと毛羽立った座布団の方が安心する。
……今思うと、蜜希さんの使っていたものだから特別感を覚えていたのだろうけど。

ふと覚の目が俺を見ていることに気が付く。
俺は心中を察される前にと、心のシャッターを閉じた。

「で。俺はここで何をしていればいいんだ?」
「大学から課題をメールで頂いております。当分はこちらで勉学に励むようにと」

「家のことは我々にお任せください」と一礼される。
(なるほどな)
しばらくの間、家で監視させろってことか。つくづく自分は信用されていないなと思うが、そもそも家出をした人間だ。信用されなくて当然だとも思う。

覚が部屋を出て行くのを見送り、俺は静かに息を吐く。

数か月ぶりに開いたパソコンには、とてつもない量のメッセージが来ていた。
それらを一気に確認するのは面倒で、大学に関係ありそうな連絡だけを見ていく。
その間も、蜜希さんのことが頭に浮かんでは、グルグルと考え込んでしまう。

「はぁ……帰りたい……」

自分の家にいるはずなのに、おかしな発言だと自分でも思う。
それでも、自分の居場所がここではないと心が叫ぶ。

「蜜希さん……」

せめて一言伝えたかった。拾ってもらったことも、離れを貸してもらったお礼も、まだまだ伝えきれていない。
(……連絡先くらい、聞いておけばよかったな)
意地になってスマートフォンを使わないとしていた自分が憎い。
俺は盛大なため息を吐いて、とりあえず出された課題に没頭することにした。

それでも過る蜜希さんの存在に、俺は何度苦笑したかわからない。

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