逃げた先に、運命

夢鴉

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三章 感情に蓋をして

19-3 僕のせい?

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 ドクン、と心臓が大きく跳ねる。

 ――“運命の番”。
 その言葉を、僕は最近聞いた事がある。

 暁月くんの、ご両親の話を聞いた時だ。
 あの時、僕には彼の話はどこか遠くのことのように聞こえていた。
 もちろん、運命の番という存在は知っているし、世間がそれに憧れる風習があるのも知っている。
 でも、出会える確率はかなり低いというし、運命だなんて言葉で相手を決めるのは僕自身は好きじゃない。

 だから今まで触れてこなかった。
 特にあこがれも抱いていなかったし。

「あるんですか、その、運命って」
「うん、あるよ」

 時が止まる。
 急に実感が込み上げて来る。僕は手を握りしめた。
 僅かに張った緊張に気付いたのか、雪路先生は「まあ、確率は限りなく低いけどね」と言葉を続ける。

「それに運命って一言で言っても、遺伝子の相性がいいっていうだけで、相手は世界に十三人くらいはいるよ」
「十三人も?」
「そうだよ。意外と知られてないんだけど。でもまあ、地球に六十億人の人間がいるって考えると……会えること自体が“運命だ”って言っても、過言じゃないかもしれないね」

 僕は喉奥が震えるのを感じる。
 そうか……そうなのか。

(出会うことが、運命……)
 もしそれが“運命”の定義なのだとしたら。

「もしかしたら、君にも運命がいるかもね」
「えっ」
「運命は性別関係なく、全人類に当てはまるんだよ。『匂いが好きだと遺伝子レベルで好きになる』っていう話は、有名でしょ?」

 確かに。世間に疎い自分でも知っていることだ。
(でもそれじゃあ、置いて行かれた僕は、誰の運命でもなかったってことにならないか……?)

 ふと過る感情が、思考を奪う。
 一気に膨れ上がった黒い感情。劣等感にも似たそれは、グルグルと僕の身体を無許可に踏み荒らしていく。
 まるで自分を要らないと言われているようだった。

「それにしても、彼は良い子だよね。抑制剤も毎日服用して、緊急薬も常備してる。礼儀正しいし」
「それは、知ってます」
「うん。だからさ、あんまり暁月くんをいじめないでくれると嬉しいなあって。俺個人のお願いなんだけど」

 僕は首を傾げる。
 何の話だと目で問えば、彼はおかしそうに笑いだした。馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの雰囲気に「何ですか」と声を上げる。
 彼は「ああいや、ごめんね」と手を軽く振る。
 ごめんなんて思ってもいないくせに。

「だってさ、君、暁月くんの気持ちを知っていながら、傍に居ようとしてたんでしょ?」
「――っ!」
「普通はフッた相手の家に、次の日に押しかけるなんてしないよ。“普通は”ね」

 うっそりと雪路先生の目が僕を見る。
 鋭い視線に、僕は責められているような気分だった。――否、実際責められていたんだろう。

「大変だっただろうねぇ。気持ちはぐちゃぐちゃなのに、好きな人と一緒に居られることと天秤にかけられて。生き地獄ってこういうことを言うのかな?」
「っ、そんなつもりじゃ――!」
「君が違っても、傍から見たらそう見えるんだよ」

 僕は息を飲んだ。握った拳が震える。腹の底がうずうずとして、今にも叫びたい気持ちだった。

 どうしてそこまで言われなければならないのか。
 意図的でも、何か画策していたわけでもないのに。むしろ今振り回されているのはこっちの方なのに。

「まあでも、彼は君の悪いところは一言も口にしなかったよ。それどころか、誉め言葉ばっかりで聞いてるこっちが恥ずかしかったくらい。――それだけ君の事を好きなんだね、彼は」
「……」

 僕は俯く。素直に嬉しいとは、思えなかった。
 ただ、どうしてそこまでするのかと疑問が浮かぶ。そんなことをしても、彼の気持ちに僕は応えてあげられないのに。

「それじゃあ、俺はそろそろ行くよ。お話してくれてありがとうね」
「……いえ。こちらこそ、いろいろ教えてくれてありがとうございます」
「うんうん。やっぱり人間、素直な方がいいね」

 含みのある言い方だ。彼はひとりでに頷くと、手を振って去って行った。

 僕は抜け殻になったような気持でそれを見送り、ゆっくりと立ち上がる。
 先生の去っていた方とは逆に足を向け、歩き出した。
 呆然と病院の敷地内を抜け、帰り道を急いだ。……何となく、今は早く一人になりたい気分だった。


 電車を乗り継いで、街を突っ切り、裏口から門の中に入る。
 家に帰ろうとして――僕は踵を返した。

 離れに向かい、鍵を開ける。換気のしていない離れは蒸し暑くて、入るだけで汗が噴き出た。
 暁月くんがいなくなってから、抜け殻となった離れ。
 時々掃除に来るとき以外は、人がいない離れは、暁月くんが来る前の生活に戻っていた。

 暁月くんがいた形跡は、置いて行った荷物くらい。中身も見ずに、二階に置きっぱなしになっている。
 捨てるのも申し訳なくて、どうしたらいいのかわからないのだ。

 僕はモヤモヤとした心を整理できないまま、二階に上がる。
 部屋に入り、窓を開ければ日が傾いて少し冷えた風が入り込んできた。

「……はぁ」

 そこで漸く、僕は口を開いた。
 詰まっていた喉の奥が、少しだけ通りやすくなる。

 大きく深呼吸をして、僕は目を閉じる。
 正体の見えない靄は、心の中で巣食ったまま。……こういう時、どうしたらいいのか、僕にはよくわからない。

 わかるのは、先生の言葉が半分ほど自分を叱っていたことくらいだ。

(……ずっと考えないようにしてた)
 暁月くんがいなくなった理由。
 それがもし、僕との日常に嫌気を差してのことだったら。

(……嫌だな)
 ぽつり。
 心の中で浮かぶ言葉が、声にならないで零れ落ちる。

 “もしかしたら”という恐怖と、“本当かもしれない”という不安が、腹の奥底でどす黒く混ざっていく。
 もしそうだったら。
 きっとそうかもしれない。
 たぶん。もしも。万が一。

 どれだけ予防線を張っても、心が軽くなる気配はない。

 ごろんと横になって、僕は畳の上で胎児のように丸まる。布団を出すのも面倒だ。
 手足を強く引き寄せ、強引に目を瞑った。

 夏なのに、どこか肌寒い二の腕を擦る。
 僕は身体をさらに丸めて、意識が沈んでいくのを待った。
 眠りに付けたのは、それから二時間後だった。

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