52 / 62
三章 感情に蓋をして
20-2 泥濘に足を取られ
しおりを挟む掃除が終わり、財布とリストを受け取った僕は、裏口から旅館を出た。
もちろん、ピンクのマフラーは置いて来た。
母さんに知られたら怒られるだろうが、察して欲しいと切に願う。
「風、強いなぁ」
びゅうっと吹き抜ける風。
海の方から街を四方八方に駆け抜ける風に、軽い髪は否応なしに舞ってしまう。夏の間は有難かったが、冬じゃ凶器同然だ。
僕は早く買い出しを終わらせてしまおうと、歩く速度を速めた。
目的の店は、母さんが贔屓にしている雑貨店だった。
白塗りの壁に、緑の三角屋根を付けたその店は、一見ケーキやお菓子を作っていそうにも見える。
『OPEN』と書かれた札を確認して、僕は格子に硝子が嵌められた緑色の扉を開いた。
「ごめんくださーい。宵月旅館ですー」
「あらあら、はいはい。今行くわね~」
中に入れば、女性の声が聞こえる。
パタパタと騒がしい足音が近づいてくるのを感じながら、僕は言われた通り出入り口で待っていた。
「お待たせしました~、って、あら! 蜜希くんじゃない! お久しぶりねぇ~」
「はい、かなさん。お久しぶりです」
腰を追って、軽くお辞儀をすれば「いいのよ、そんなことしなくて」と微笑まれた。
赤い三角頭巾を被った小柄な彼女は、かなさんこと――高橋加奈子さん。
母さんの同級生で、この店のオーナーだ。
「注文してたものを取りに来たんですけど、届いてますか?」
「はいはい、今持ってくるわね。ちょっと待ってて~」
はい、と僕が答える前に、かなさんはパタパタと走り去っていく。
(相変わらず忙しない人だなぁ)
小さな背中を見送り、僕は待っている間、店内を見て回ることにした。
雑貨店とは言っても、取り扱っているのは文具や本、キッチン周りの日用品、ラッピング商品など、多岐に渡る。
種類は決して多くは無いけど、急遽足りなくなった時やちょっと洒落たものを使いたい時などは、かなり便利なお店だ。
値段も良心的だし、売れ残って賞味期限の近くなったお菓子を貰うこともある。
まあ、そこは田舎ならではだろうけど。
(暁月くんが知ったらびっくりしそう)
適当に棚を見ていれば、ふと入口の鈴の音が聞こえた。お客さんだ。
かなさんはまだ戻って来る様子はない。
(どうしよう)
知り合いなら大丈夫だろうが、もし観光客なら戸惑ってしまうだろう。
僕は仕方なしに棚の奥から顔を覗かせた。
入り口付近を見れば、おばさまたちの中の一人と目が合う。
「あらぁ、あなたは確か、宵月さんところの……!」
「はい、蜜希です。いつもお世話になっています」
「あらあら。こちらこそ、いつもご贔屓にありがとうねぇ~」
朗らかな顔で応えてくれた女性は、父さんがよく行く魚屋の奥様だった。朗らかで快活な彼女は、時々魚のおまけをしてくれる。
主人を尻に敷いているイメージもあって、意外と強かな女性像だ。
彼女との会話を挨拶を皮切りに、彼女たちは話を始める。
八百屋さんの奥さんや、酒屋の奥さん、お三方のご友人の近所の奥さん……と、僕は頭をフル回転させながら、彼女たちの話から身元を割り出していく。
こういう時、自分がまるで探偵にでもなったような気分になる。
まあ、大半は知らない人ばっかりなんだけど。
「そういえば聞いたわよ。宵月旅館に居たバイトの子! やめちゃったんですって?」
「あら、あのかっこいい子? そうなの?」
「え、ええ。まあ」
「残念だわ。あの子働き者だし、凄く良い子だったから」
頬に手を当て、ほうっと息を吐く魚屋の奥様。
暁月くんは何度か父さんの買い出しに付き合っていたので、彼女とも顔見知りだったのだろう。
荷物を運ぶのを手伝ってくれたとか、魚屋の店主が意気揚々と語る魚の蘊蓄を真剣に聞いてくれたとか、エトセトラ、エトセトラ……。
聞けば聞くほど知らない暁月くんの事が出て来る。
まるで古い布団から埃を叩き出しているみたいだ。あ、埃は失礼か。
「ほんともう、私の孫を嫁にもらってくれないかって何度言いそうになったか!」
「あらやだ。あなたのお孫さん、まだ六歳じゃなかった?」
「中学生よぉ、もう」
「そうだったかしら」
時が過ぎるのは早いわねぇ、とおば様たちがしみじみと話をする。
僕はそれをただただ聞き流していく。
(ていうか暁月くん、僕の知らない間にすごく好かれてない?)
魚屋の奥さんだけではない。
暁月くんがいなくなってから、あちこちで『彼はどうしたの?』『彼、やめちゃったって本当?』と何度も聞かれた。
その度に「夏の間だけのアルバイトだったので」と伝えているが、それにしてもたった二か月ちょっとで周知され過ぎじゃないだろうか。
(それだけ、暁月くんが頑張っていたってことなんだろうけど)
僕は胸の奥がチクリと痛む。
それでも彼は帰ることを選んだ。たった二か月の日々は、彼にとってはちょっとした羽休め程度だったんだろう。
僕はきっとそこにあった、珍しい果実。
欲しいと思われたのは珍しかったからで、きっと今頃は忘れられてしまっているかもしれない。
(取れない餌に構っている時間はないだろうし)
僕は雪路先生の言葉を思い出す。
彼は僕のせいで傷ついて、この地を離れたのかもしれない。
そのことが心の蟠りとなって、いつまで経っても抜け出せないでいた。
「お嫁と言えば、宵月さんのところの息子さんにオメガの子がいるんですって?」
ふと、聞こえた自身の話に、僕は息を詰める。
心臓が駆け足になっていく。
(どうして、今更)
もう散々言われて、みんなも飽きたと思っていたのに。
「そうそう。奥様は不貞なんて働いてないって言うけど……実際どうなのかわからないわよねぇ」
「でもそのオメガの子、番が出来たんでしょう? どこだったかしら、隣町のショッピングモールの近くの喫茶店……」
「“マーチ”でしょう? 知ってるわよ」
「そうそう! そこの息子さん!」
話が盛り上がっていくにつれ、僕は心臓が早鐘のように煩くなっていくのを感じていた。
どうしてここの人たちはこうも噂好きなのか。
(忘れたくても、忘れさせてくれない)
まるで町中で自分の過去を保管されているみたいだ。
「でもその息子さん、事故で死んじゃったんでしょう?」
「あら、そうなの? じゃあ、そのオメガの子、大変じゃない。番って一生に一度しか作れないんでしょう?」
「さあ、どうなのかしら」
ちらりと視線が向けられる。
情報提供を期待する視線に、僕は曖昧に笑う。
無遠慮に描き回された感情が、悲鳴を上げている。今すぐ立ち去りたかったが、彼女たちが宵月旅館のお得意様である事実が足を止めている。
「そう、ですね……僕は、宵月のオメガの方なので、それは僕の話になります、ね」
「えっ、あ、そ、そうなの?」
「やだ、私達ったら、ごめんなさいね?」
「嫌がらせとかじゃないのよ! ただどっちがどっちなのか、私達は知らなくって」
「大丈夫です。気にしてないですから」
にこりと微笑んで告げれば、彼女たちは気まずそうな顔で笑みを零す。そんな顔するくらいなら言わなきゃいいのに。
「本当にごめんなさいね」
「いいんですよ。それにもう、五年も前の事ですから。僕も吹っ切れてますし」
嘘だ。吹っ切れてなんかいない。
でも、今この場ではそう言うしかない。
「そ、そう?」
「はい」
「それならいいんだけどね」
魚屋の奥さんはほっとしたように息を吐いた。
噂好きなところは良くないけど、人を気遣えるところは良い人なのだろうと思う。
彼女のお陰で空気が少しだけ和んだ。
「大丈夫よ。凛くんがいるんだから」
10
あなたにおすすめの小説
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
オメガ判定されました日記~俺を支えてくれた大切な人~
伊織
BL
「オメガ判定、された。」
それだけで、全部が変わるなんて思ってなかった。
まだ、よくわかんない。
けど……書けば、少しは整理できるかもしれないから。
****
文武両道でアルファの「御門 蓮」と、オメガであることに戸惑う「陽」。
2人の関係は、幼なじみから恋人へ進んでいく。それは、あたたかくて、幸せな時間だった。
けれど、少しずつ──「恋人であること」は、陽の日常を脅かしていく。
大切な人を守るために、陽が選んだ道とは。
傷つきながらも、誰かを想い続けた少年の、ひとつの記録。
****
もう1つの小説「番じゃない僕らの恋」の、陽の日記です。
「章」はそちらの小説に合わせて、設定しています。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
僕を惑わせるのは素直な君
秋元智也
BL
父と妹、そして兄の家族3人で暮らして来た。
なんの不自由もない。
5年前に病気で母親を亡くしてから家事一切は兄の歩夢が
全てやって居た。
そこへいきなり父親からも唐突なカミングアウト。
「俺、再婚しようと思うんだけど……」
この言葉に驚きと迷い、そして一縷の不安が過ぎる。
だが、好きになってしまったになら仕方がない。
反対する事なく母親になる人と会う事に……。
そこには兄になる青年がついていて…。
いきなりの兄の存在に戸惑いながらも興味もあった。
だが、兄の心の声がどうにもおかしくて。
自然と聞こえて来てしまう本音に戸惑うながら惹かれて
いってしまうが……。
それは兄弟で、そして家族で……同性な訳で……。
何もかも不幸にする恋愛などお互い苦しみしかなく……。
【本編完結】αに不倫されて離婚を突き付けられているけど別れたくない男Ωの話
雷尾
BL
本人が別れたくないって言うんなら仕方ないですよね。
一旦本編完結、気力があればその後か番外編を少しだけ書こうかと思ってます。
多分嫌いで大好きで
ooo
BL
オメガの受けが消防士の攻めと出会って幸せになったり苦しくなったり、普通の幸せを掴むまでのお話。
消防士×短大生のち社会人
(攻め)
成瀬廉(31)
身長180cm
一見もさっとしているがいかにも沼って感じの見た目。
(受け)
崎野咲久(19)
身長169cm
黒髪で特に目立った容姿でもないが、顔はいい方だと思う。存在感は薄いと思う。
オメガバースの世界線。メジャーなオメガバなので特に説明なしに始まります( . .)"
強欲なる花嫁は総てを諦めない
浦霧らち
BL
皮肉と才知と美貌をひっさげて、帝国の社交界を渡ってきた伯爵令息・エルンスト──その名には〝強欲〟の二文字が付き纏う。
そんなエルンストが戦功の褒美と称されて嫁がされたのは、冷血と噂される狼の獣人公爵・ローガンのもとだった。
やがて彼のことを知っていくうちに、エルンストは惹かれていく心を誤魔化せなくなる。
エルンストは彼に応える術を探しはじめる。荒れた公爵領を改革し、完璧な伴侶として傍に立つために。
強欲なる花嫁は、総てを手に入れるまで諦めない。
※性描写がある場合には*を付けています。が、後半になると思います。
※ご都合主義のため、整合性は無いに等しいです、雰囲気で読んでください。
※自分の性癖(誤用)にしか配慮しておりません。
※書き溜めたストックが無くなり次第、ノロノロ更新になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる