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1章
8話 ギフトの力
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「腕の機能を、手術で……?」
真っ先に反応したのは、そこは自らも外科医である父、将司だった。
「どういうことですか。確かに、落書きに関しては息子に然るべき償いをさせるべきだとは思います。ただ……父親としてこのようなことを口にするのは憚られますが、その……それだけのことで腕の機能を奪われるのは、いささか不釣り合いが過ぎませんか」
漣にしてみれば周回遅れの的外れな指摘。さすがに、そろそろ全てを明かすべきだろうか。だが、明かせば間違いなく傷つけてしまう。父だけでなく、キッチンで不安そうにこちらを見守る母のことも。
それでも、明かすべきなのだろう。
腕の機能を奪われるとなれば、医師としての進路も相当限定されてしまう。程度によっては、医師への道それ自体を諦めざるをえなくなる。それは、海江田家全体の問題でもあるからだ。
ただ……話したところで父は許すだろうか。医師の卵として許されざる行為を仕出かした息子を、なお跡取りとして認めてくれるだろうか。
いや、それ以前に。
そんな人生に漣は耐えられるだろうか。おそらく嶋野の目的は、もう二度と、漣が絵筆を取れなくすることだ。外科的に腕の機能を奪いさえすれば、それは充分可能だろう。ただ――
「選択肢は、実はもう一つ用意されています」
言いながら嶋野は、今度は中指を立ててピースサインを作る。
「腕はそのまま。ただし、我々藝術協会が持つ施設に移り、そこで我々の監視下のもと暮らして頂く。存分に創作活動に打ち込むことができる代わりに、君は今後、一切の行動の自由が制限されます」
「は……」
「な!?」
漣と将司、親子の間の抜けた声が重なる。先に言葉を続けたのは、今度も将司の方だった。
「行動の制限だと!? たかが……ああ、ここは、あえてたかがと言わせてもらう。たかが落書きごときで、なぜそこまで代償を払わせる必要が――」
「たかが落書き、じゃないんだよ父さん」
「なに!?」
振り返った将司はすでに目が血走り、威嚇するように歯を剥いている。こんなにも感情をむき出しにした父は久しぶりに見るなと漣は思う。最後に見たのは、そう、まだ漣が中学の頃。美術科のある高校に進学したいと、勇を鼓して切り出した時だった。
あの頃はまだ漣も小さく、父の激しい怒りに怯えるしかなかった。でも今は――
「俺の絵はね、父さん、よく聞いて……死ぬんだ。絵を見ただけで。理屈や原理は、正直、俺にもよくわからない。ただ、事実なんだよ。馬鹿馬鹿しいって思われるだろうけど、それでも、ここ最近の昏倒事件は、全部、その落書きのせいだったんだ」
「な……にを、言ってるんだ」
案の定、将司は途方に暮れた顔をする。この期に及んで冗談を言う息子に、怒りを通り越して呆れているのかもしれない。が、かくいう漣自身、詳しい原理は何も知らされていないのだ。ただ状況が、それ以外の可能性を許さないのは事実で。
いっそ、全てが悪い冗談だったなら。
「ギフト、と我々は呼んでいます」
強張る空気を宥めるように、やんわりと、嶋野は言葉を挟む。耳朶を撫でるような柔らかなテノール。
「喜びや悲しみ、怒り、敵愾心……そのような効果を鑑賞者に与えてしまうアートが、秘匿されてはいますが、この世界には数多く存在します。そのようなアートが持つ効果を、ギフト。そして……そうしたアートを生み出す才能を与えられたアーティストを、我々は、ギフテッド、と呼称し保護下に置いています」
「……ギフテッド?」
おうむ返しに将司は呟く。初めて触れる単語と概念に混乱しているのだろう。
「ええ。そして漣くんは、中でも最も希少で、かつ危険と目される〝死〟のギフトの保持者であることが判明しています」
「馬鹿馬鹿しい!」
吐き捨てると、将司はうんざり顔で腕を組む。
「さっきから聞いていれば、漫画みたいな妄想をべらべらと……あ、いや失敬、とりあえず、落書きの件は息子に謝罪させます。必要なら賠償金の支払いにも応じましょう。ただ、腕の機能を差し出せというのはいくら何でも。これは、いずれ医師になる人間です。いずれ、人の命を預かることになる人間だ。それなのに、腕が利かないのではどうにも――」
「妄想ではありませんよ」
「……は?」
「少なくともあなたは、その力をすでに体感しておられる」
不意に嶋野はソファを立つと、ローテーブルを回り込み、将司の前に立つ。見ると、将司は明らかに嶋野に怯えている。どうにか平静を装っているらしいが、その横顔には明らかに怯えの色が浮かんでいる。
一方の嶋野は、相変わらず不敵な顔で将司を見下ろしている。やがて、右手を軽く腰に当てると、もう一方の腕を、将司の掛けるソファの背凭れにどん、と突いた。
ほとんど鼻先が触れ合う距離で、気まずそうに目を逸らす将司とは裏腹に、嶋野はあくまでもまっすぐ相手を見据える。
「本来、あなたは大変強固な自尊心の持ち主だ。得体の知れない客人の、このような無礼な振る舞いを見過ごすことのできる人間では絶対にない。……にもかかわらず、あなたは私をここから追い出すことができない。なぜです」
「そ、それは……」
「これまでもそうです。漣くんとの話し合いの最中……いや、それ以前から、あなたは、私を追い出そうと何度も思い立ったはずです。実際、居住者のあなたが出て行くよう命じれば、私はここを出て行かざるをえない。無理に居座れば不法侵入に当たりますからね。にもかかわらず、私を追い出そうとしなかったのはなぜです」
「そ、その……できるわけがないでしょう。あ、あなたのような御方を、そんな」
「そう、それがギフトの力です」
真っ先に反応したのは、そこは自らも外科医である父、将司だった。
「どういうことですか。確かに、落書きに関しては息子に然るべき償いをさせるべきだとは思います。ただ……父親としてこのようなことを口にするのは憚られますが、その……それだけのことで腕の機能を奪われるのは、いささか不釣り合いが過ぎませんか」
漣にしてみれば周回遅れの的外れな指摘。さすがに、そろそろ全てを明かすべきだろうか。だが、明かせば間違いなく傷つけてしまう。父だけでなく、キッチンで不安そうにこちらを見守る母のことも。
それでも、明かすべきなのだろう。
腕の機能を奪われるとなれば、医師としての進路も相当限定されてしまう。程度によっては、医師への道それ自体を諦めざるをえなくなる。それは、海江田家全体の問題でもあるからだ。
ただ……話したところで父は許すだろうか。医師の卵として許されざる行為を仕出かした息子を、なお跡取りとして認めてくれるだろうか。
いや、それ以前に。
そんな人生に漣は耐えられるだろうか。おそらく嶋野の目的は、もう二度と、漣が絵筆を取れなくすることだ。外科的に腕の機能を奪いさえすれば、それは充分可能だろう。ただ――
「選択肢は、実はもう一つ用意されています」
言いながら嶋野は、今度は中指を立ててピースサインを作る。
「腕はそのまま。ただし、我々藝術協会が持つ施設に移り、そこで我々の監視下のもと暮らして頂く。存分に創作活動に打ち込むことができる代わりに、君は今後、一切の行動の自由が制限されます」
「は……」
「な!?」
漣と将司、親子の間の抜けた声が重なる。先に言葉を続けたのは、今度も将司の方だった。
「行動の制限だと!? たかが……ああ、ここは、あえてたかがと言わせてもらう。たかが落書きごときで、なぜそこまで代償を払わせる必要が――」
「たかが落書き、じゃないんだよ父さん」
「なに!?」
振り返った将司はすでに目が血走り、威嚇するように歯を剥いている。こんなにも感情をむき出しにした父は久しぶりに見るなと漣は思う。最後に見たのは、そう、まだ漣が中学の頃。美術科のある高校に進学したいと、勇を鼓して切り出した時だった。
あの頃はまだ漣も小さく、父の激しい怒りに怯えるしかなかった。でも今は――
「俺の絵はね、父さん、よく聞いて……死ぬんだ。絵を見ただけで。理屈や原理は、正直、俺にもよくわからない。ただ、事実なんだよ。馬鹿馬鹿しいって思われるだろうけど、それでも、ここ最近の昏倒事件は、全部、その落書きのせいだったんだ」
「な……にを、言ってるんだ」
案の定、将司は途方に暮れた顔をする。この期に及んで冗談を言う息子に、怒りを通り越して呆れているのかもしれない。が、かくいう漣自身、詳しい原理は何も知らされていないのだ。ただ状況が、それ以外の可能性を許さないのは事実で。
いっそ、全てが悪い冗談だったなら。
「ギフト、と我々は呼んでいます」
強張る空気を宥めるように、やんわりと、嶋野は言葉を挟む。耳朶を撫でるような柔らかなテノール。
「喜びや悲しみ、怒り、敵愾心……そのような効果を鑑賞者に与えてしまうアートが、秘匿されてはいますが、この世界には数多く存在します。そのようなアートが持つ効果を、ギフト。そして……そうしたアートを生み出す才能を与えられたアーティストを、我々は、ギフテッド、と呼称し保護下に置いています」
「……ギフテッド?」
おうむ返しに将司は呟く。初めて触れる単語と概念に混乱しているのだろう。
「ええ。そして漣くんは、中でも最も希少で、かつ危険と目される〝死〟のギフトの保持者であることが判明しています」
「馬鹿馬鹿しい!」
吐き捨てると、将司はうんざり顔で腕を組む。
「さっきから聞いていれば、漫画みたいな妄想をべらべらと……あ、いや失敬、とりあえず、落書きの件は息子に謝罪させます。必要なら賠償金の支払いにも応じましょう。ただ、腕の機能を差し出せというのはいくら何でも。これは、いずれ医師になる人間です。いずれ、人の命を預かることになる人間だ。それなのに、腕が利かないのではどうにも――」
「妄想ではありませんよ」
「……は?」
「少なくともあなたは、その力をすでに体感しておられる」
不意に嶋野はソファを立つと、ローテーブルを回り込み、将司の前に立つ。見ると、将司は明らかに嶋野に怯えている。どうにか平静を装っているらしいが、その横顔には明らかに怯えの色が浮かんでいる。
一方の嶋野は、相変わらず不敵な顔で将司を見下ろしている。やがて、右手を軽く腰に当てると、もう一方の腕を、将司の掛けるソファの背凭れにどん、と突いた。
ほとんど鼻先が触れ合う距離で、気まずそうに目を逸らす将司とは裏腹に、嶋野はあくまでもまっすぐ相手を見据える。
「本来、あなたは大変強固な自尊心の持ち主だ。得体の知れない客人の、このような無礼な振る舞いを見過ごすことのできる人間では絶対にない。……にもかかわらず、あなたは私をここから追い出すことができない。なぜです」
「そ、それは……」
「これまでもそうです。漣くんとの話し合いの最中……いや、それ以前から、あなたは、私を追い出そうと何度も思い立ったはずです。実際、居住者のあなたが出て行くよう命じれば、私はここを出て行かざるをえない。無理に居座れば不法侵入に当たりますからね。にもかかわらず、私を追い出そうとしなかったのはなぜです」
「そ、その……できるわけがないでしょう。あ、あなたのような御方を、そんな」
「そう、それがギフトの力です」
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