ギフテッド

路地裏乃猫

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2章

43話 君は死にません

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「――えっ?」

 一瞬、漣は耳を疑う。普段は物腰穏やかな嶋野の、まるで上から叩きつけるかのような物言い。

 変化は、すぐに生じた。それまで車にたかっていた群衆が、モーセに割られた紅海のようにざっと左右に退いたのだ。ずらりと一列に並んだその姿は、王の閲兵に挑む兵士たちのそれにも見える。

「それから、今後決して彼に危害を加えないこと。今回の出来事は絶対に口外しないこと。いいですね?」

 嶋野の指示、いや命令に、元ゾンビたちは「はい!」と直立不動で返事する。どれほど統率の取れた軍隊でも、ここまで声が揃うことはないだろう。そう思わしめる完璧な統制。一方の嶋野は、何食わぬ顔で運転席に戻ると、特に急ぐ様子もなく「さ、行きましょう」と車を出す。ちょうど車幅に割れた人垣をゆるゆると徐行する車。急に洗脳が解けたりしないよな、と身構えるもそんなことはなく、結局、何事もなく大通りに出る。

「とりあえず、今の一件を本部に報告してください」

「え、ええ」

 慌てて端末を取り出し、本部に電話をかける。と、すぐにオペレーターが電話を取り、状況を問いただしてきた。

「ええ、それが、嶋野さんが言うには、ギフテッドの襲撃を受けたらしくて」

『ギフテッドの……わかりました。すぐに所長に報せます』

「お願いします。あ……あと、こういう状況ですし、万が一にそなえて爆弾の電源を一時解除するってのは、」

『それは無理です。お気持ちはわかりますが。すみません』

 漣の懇願をあっさり断ると、電話口のオペレーターは容赦なく電話を切る。通話の切れたスマホ画面を見下ろしながら、漣は、「まじかよ」と小さく呻いた。

「仕方ありません。そもそも、こういったケースに備えての措置ですので」

「そ、れは、そうなんすけど……こっちは命がかかってんすよ!? もうちょっとこう、言い方ってもんがあるでしょうよ!」

 改めて、自分達の命の軽さを漣は思い知らされる。協会、いや国にとって、漣たちギフテッドはただの道具でしかないのだ。

 ところが嶋野は、だから何だと言わんばかりに平気な顔でハンドルを握っている。その涼しい横顔に、心強さよりはむしろ腹立たしさを漣は覚える。実際に他人の命を奪ってしまった漣がこんな扱いを受けるのはまだ容赦できる。でも嶋野は……少なくとも、漣ほど重い罪を負っているわけではないだろう。

 ギフテッドに生まれたばかりに。そんな状況を、なぜ、そうあっさりと容赦できるのか。

「安心してください。君のことは、何があろうと無事に帰してみせます」

 そう告げる間も、嶋野はバックミラーやサイドミラーに油断なく目を向けている。改めて、これで電車などの公共交通機関を使っていたらと思うと漣はぞっとなる。嶋野が車を移動手段に用いたのは、こうした状況を見越していたからだろうか。

 ――死ぬぞ、お前。

 わかっていた。少なくともそのつもりだった。が、いざ現実を突きつけられると今更のように怖くなる。……勝手なことを。今まで散々、名も知らない誰かに死を振りまいておいて。

「……いざとなったら、嶋野さん一人で逃げてください」

「えっ?」

「もし拉致されたら、首輪がドカンなんでしょ? だったら、俺のことは見捨てて一人で逃げてください。俺は、いいんです。どうせ本来、死刑になるはずだった人間ですし」

「いや、ですからその点は――」

「だって、またさっきみたいに大勢の人間に襲われたら! いや、一般人ならまだしもですよ? もし、審美眼持ちの相手が襲ってきたら、今度こそ、ひとたまりもありませんよ……」

 膝に置かれたままの嶋野のスケッチブックに目を落とす。これは……先程の群衆だろうか。意志なき人々が醸し出すいびつな狂気。今にも蠢いてこちらに這い出してきそうな群衆の不気味な動き――それらの要素が、見事に、余すところなく描きこまれている。その完成度の高さにはもちろん驚かされる。が、何より漣を瞠目させたのは、あの状況で、しかも、あれだけの短時間でこれだけのドローイングを仕上げた事実。おそらく一切の迷いなく、それに躊躇もなく、ほとんど一気呵成に仕上げたのだろう。走りに走った描線がその証だ。

 見事なアートだ、と思う。嶋野への好意を差し引いても充分に。

 ただ、漣の鑑定ではどう見繕っても、他の嶋野の作品と同様、鑑賞レベルは3を超えていない。もちろん、鑑賞レベルがそのままアートとしての価値に比例するわけではないが――だとすれば、鑑賞レベル0で一般公開される過去のアーティストたちの作品はどうなるのかという話だが――純粋に武器として見るなら、残念ながら心許ない、というほかない。仮に高い審美眼を持つ敵がいた場合、先程と同じ手は使えないからだ。

 かといって、漣のギフトを使うわけにもいかないだろう。効果が強すぎるうえ、そもそも描くための画材がない。嶋野のようにペン一本で鑑賞に堪えるアートを生み出すのは、今の漣にはまず不可能だ。

「こんなときに何ですけど……凄い絵ですね」

「ありがとうございます。ところで……次のページを見てもらえますか」

「次のページ?」

 言われるがまま、群衆のスケッチが描かれたページをめくる。現れたのは、ある男性をモデルに描いたドローイングだった。これも一息で描かれたと思しきバストアップの肖像画は、あえて凝視するまでもなく、誰をモデルに描いたのかは一目瞭然だった。

「えっ、これ……俺?」

「はい。よく描けているでしょう」

 いやいや、と漣は照れくさくなる。確かに、それなりに顔は良い自覚はあるが、少なくとも、ここまで綺麗な面じゃない。憂いを含んだ横顔はどこか神々しくもあり、自分の姿が嶋野の目にはこんなふうに映っているのかと思うと、何だかむしょうに照れくさくなる。そんな場合でないのは百も承知だが……

「あ、あの俺、こんな――」

 不意にがくんと上体がつんのめって、見ると、目の前を走る車がハザードランプを灯しながら速度を落としはじめている。このまま左に寄せて停車するのだろう。となると、まずは右車線に移って追い越す必要が――と思いきや、今度は右側を走る車が、追い越し用の車線を塞ぐように停車する。いやいや、左車線で歩道に寄せて停車するならまだしも、何なんだ、この右の車は……などと思ううちに今度は後方に新たな一台が止まり、進路どころか退路すら塞がれてしまう。

「やはり、こうなりましたか」

 車を歩道沿いに停車させながら、そう、嶋野は呻く。そんな嶋野の視線の先には、今まさに前方の車から降り立つ一人の男。嶋野の車のヘッドライトに浮かび上がるその長身の男は、日本人離れした長い手足と、整ってはいるが気難しそうな顔立ちの持ち主だ。

 その、世界そのものを憎むかのような表情に、なぜか漣はぴんとくる。まさか、あいつは――

「……渡良瀬?」

 すると運転席の嶋野は、漣をちらりと一瞥し、「ええ」と小さく顎を引く。

「彼が、以前もお話しした国際手配中のテロリスト、渡良瀬淳也です」

「あいつが……」

 まさか本人自らお出ましになるとは。しかも、この組織的な襲撃――襲撃、と呼んでもいいだろう――は、明らかに計画的なものだ。嶋野の車を取り囲む三台の車。そこから、今まさに次々と襲撃犯たちが降りてくる。性別や年齢こそまちまちだが、服装は一様に暗灰色のジャケットとタートルネックのセーターで揃え、その統一感が、先程の寄せ集めのゾンビ軍団とは異質な集団であることを暗に示している。まさか奴らが、渡良瀬とともに協会を出たというギフテッドたちだろうか。

「君はここにいてください」

 そう漣に言い残すと、嶋野もまた車を降りる。が、さっきの騒動の時とは違い、その手にスケッチブックはない。やはり高い審美眼を持つ人間が相手では、先程と同じ手は使えないようだ。――ここにいろ、か。だが、どのみち窓は割れているし、それに奴らも、ここに漣がいることはとっくに把握済みだろう。

「俺も行きます」

 嶋野に続いて車を降りると、車体の屋根越しに、あからさまに迷惑そうな嶋野と目が合う。やはりマズかっただろうか。だとしても……このままではどのみち二人して死ぬのだ。他ならぬ漣のせいで。

「戻ってください。ここは僕が何とかします」

「何とかって……じゃあどうするんすか! ギフトも使えないのに! それに……ここを切り抜けなきゃどのみち二人して死ぬんですよ! 予定通り協会に戻らなきゃ、こいつがボンって!」

「わかっています。でも大丈夫です。君は、死にません」

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