ギフテッド

路地裏乃猫

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2章

47話 耳に痛い話

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 どうにか二人が帰りついた時、協会はひどい混乱状態にあった。

 普段は無人の地下エントランスには人だかりができ、隅の方でうずくまる数人の住人たちに、医療スタッフが意識の有無などを確認している。その住人たちは頭や腕に包帯を巻くなどして、明らかに、何かしらのトラブルがここで起きたことを示唆していた。

 その中に見知った顔を見つけ、慌てて漣は駆け寄る。

「三原さん!?」

 すると、それまで力なく壁に背を預けていた三原は、ばね仕掛けの人形のように突然立ち上がり、医療スタッフを押しのけるようにずかずかと漣に歩み寄る。が、足取りの荒々しさとは裏腹に、包帯が巻かれた頭やアームホルダーで吊られた右腕はひどく痛々しい。

「てめぇがッッッ!」

 ほとんど問答無用で漣の胸倉を掴み上げ、怒鳴り声を上げる三原。ただ、声色はともかく、その表情はどこか弱々しい。

「て……てめぇが来てから、何もかもおかしくなったんだ! っ……せっかく、立ち直りかけてたのに、あいつ……」

 絞り出すように呻くと、三原はがくりと膝を崩し、火が付いたように泣きはじめる。迷子の子供のような、あるいは逆に、子供を失った親のような――何にせよそれは、大切な存在を奪われた人間の上げる慟哭だった。

「返せよ! 昔のあいつを! ……スプーンとかフォークとかちまちま彫りながら、ほんわか笑ってたあいつをっっ! ……あ……あたしだって、あいつが、必要だった……っ、のに、なんで……っ」

「……瑠香さんが、何かあったんですか」

「海江田くん」

 呆然と三原を見下ろす漣の肩を、嶋野が軽く叩く。

「行きましょう。まずは高階さんに、今回の件を報告しなければ」

「で、でも、瑠香さんがやばいって――」

「ここに我々が留まっていても、事態は何一つ好転しません。――瑠香さんのことは、後でゆっくり話を聞きましょう。さ、行きますよ」

 そして嶋野は、エレベーターへと足を向ける。そんな嶋野の背中を、三原の声が呼び止める。

「お前が悪いんだからな! 嶋野! 全部お前が! 田柄さんが死んだのも、それで瑠香がおかしくなったのも、全部、何もかも、お前のせいなんだよ!」

 ついさっき漣が悪いと責め立てた同じ口で、そう、三原は嶋野の罪を詰る。もう、誰が悪いかなどという話は今の三原にはどうでもいいのだろう。とにかく誰かを責めなければ心が保てないのだ。それを嶋野もわかっているのか、三原に背を向けたまま冷ややかに答える。

「僕を恨んで楽になれるのなら、どうぞ、存分に恨んでください」

 言い残すと、今度こそ嶋野はエレベーターに乗り込む。そんな嶋野に漣は慌てて追いすがり、並んで乗り込んだところで最上階のボタンを押す。

「何が……あったんですかね」

「わかりません。とにかく今は高階さんに事情を聞きましょう」

 階数表示を睨みながら、強張った横顔で嶋野は答える。その顔は明らかに蒼褪めていて、しかし自分も今、そんな嶋野に負けず劣らず蒼褪めているのだろうと漣は思う。怪我を負った三原。その三原が嗚咽まじりに名を呼んだ瑠香。一体……二人に何が起きたのか。そして、あの場に姿が見えなかった瑠香は無事なのか。

「瑠香さんは……無事、なんですかね」

「好きなんですか、東雲さんのことが」

「えっ!?」

 好き――と、問われると、もちろん好きだ。ここに来て間もなかった頃、漣が慣れない暮らしにどうにか馴染むことができたのは、彼女のサポートと気遣いがあったから。家族と切り離され、独りきりになった漣に、手作りの料理を振舞ってくれた瑠香。家事のコツをはじめ、日々を快適に過ごす知恵を授けてくれた瑠香。キュレーターという危険な道を選ぶ漣を、本気で叱り、引き留めてくれた瑠香。……それらの記憶は今も、あの官能的なシャンプーの匂いとともに記憶に蓄積されている。漣にとっては母であり姉であり師であり、それに、一時は女でもあった人。

 それら全ての要素を、一つの言葉で表現するのは難しい。

 確かなのは、漣にとっては大切な存在の一人であること。失えばきっと、腕を捥がれたような痛みを覚えるだろう、そんな。

「ええ。……大切な人です。とても」

 すると嶋野は、なぜか辛そうに溜息をつく。まさか……嫉妬というやつなのか。いや、嶋野の言った「恋」は、あくまで漣の才能に対する感情であってそんな――と、場違いなほど下らない思考をこね回すうちにエレベーターは目的階に到着、ドアが開く。こんな時でも静かな廊下を進み、所長室を訪れると、待っていたのは、不機嫌を超え、もはや苦笑いすら浮かべた高階だった。

 その高階は、嶋野の顔を見るなり開口一番、「やられたわ」と吐き捨てる。対する嶋野は「どうやらそのようですね」と、あくまで冷淡だ。

「それで、誰が抜けたんです?」

「少なくとも、両手でも余る数よ。後でリスト化したものを全員の端末に送るわ」

「わかりました。ところで――」

「あのっ」

 このままでは本題に入ってしまう。そうでなくとも、嶋野の「抜けた」という言葉に、漣はどうしようもなく不吉なものを感じていた。そうでなくとも、エントランスで三原が怪我を負っていた意味。

 ――返せよ! 昔のあいつを!

「る、瑠香さん……東雲瑠香さんは、無事ですか」

 すると高階はあからさまに顔を曇らせ、前髪を掻き上げながら小さく溜息をつく。 

「その件も含めて、これから話をさせてもらうわ。まず――」

「あ、本題に入る前に一つ」

「今度はあなた? 何よ?」

 二度も話の腰を折られ、高階はあからさまなうんざり顔をする。一方の嶋野は、相変わらず何食わぬ顔で一歩前に進み出ると、続ける。

「今現在、協会が保持する僕の作品群ですが、一部、鑑賞レベルやギフトの発動条件について情報を修正していただきたく」

「……続けて」

「ええ。対象は、協会内の人間を描いたドローイング……あれは、本当の鑑賞レベルは5+。発動条件も、僕が自分の意志で見せた場合に限らない。描かれたモデル本人がそれを目にした場合、無条件でギフトは発動します。そして……そのことに気づいたスタッフは、おそらく一人もいない。もし、二年前に僕が高階さんに譲ったあなたがモデルのドローイングを、通常の鑑賞レベル3のアートと今も認識していれば、の話ですが」

「えっ」

 つい驚きの声を漏らしてしまったのは漣だ。……確かに、渡良瀬と話をしていたときに、自分以外の意思にハックされた感覚が確かにあった。ただ、あれが嶋野のギフトの影響だとしても、せいぜい鑑賞レベル3程度の彼のアートが、今の、審美眼5の漣をハックできるのはおかしいと違和感を覚えてはいた。もし、あの感覚が勘違いではなかったとするなら――本当に嶋野のギフトに囚われていたとするなら、そもそも漣の鑑定が間違っていた、ということになる。あるいは……あの鑑定すら意識をハックされた結果だろうか。

 なおも高階は、嶋野を見据えたまま、形の良い唇をふ、と緩める。先の嶋野の物言いは、明らかに挑発の色を含んでいた。が、対する高階の眼差しに滲むのは、むしろ深い安堵だ。

「そうね。さもなければ、わざわざ私の名前で閲覧制限をかけるなんてことはしないわ。――で、それを私に打ち明けたということは、いよいよこちらにつく決心がついた、という解釈で良いのかしら」

「はい。今までフラフラしてすみませんでした」

「いいのよ。私も、若いうちは随分フラフラしたものだし。……ところで、その新しいギフトには新しい名前が必要ね。権威よりもさらに強く相手を支配下に置くギフト。安直だけど、〝支配〟、でどう?」

「構いません」

 というわけで嶋野のギフトは、〝権威〟改め〝支配〟になる。いともあっさりと話は済んでしまったが、嶋野が渡良瀬のシンパだったこと、彼の中でどちらにつくべきか迷い続けていたこと、それを高階も把握しながら密かに見守っていたこと――漣にしてみれば目が回るほどの情報量だ。

「さて、お待ちかねの本題なのだけど……まず、今回の騒動で、十名近くの住人が偽造IDで協会を出ていったわ。監視カメラ及びサーバーの記録を調べたところ、首謀者はオペレーターの意識をギフトでハックし、あなたたちが装着するチョーカーの電源を落としたものと見られています。さらにその後、あらかじめリスト化していたものと思しき住人のIDを非ギフテッドに書き換え、彼らとともにエントランスから堂々と脱走した……いずれも、おそらくは渡良瀬の指示でしょう」

「なるほど。つまり……僕の他に、内部に協力者がいた、と」

「そうなるわね。ただ、その協力者が今もここに残っているのかは不明だわ」

「えっ、でも、その首謀者ってのが協力者なんでしょ。だったら、他のギフテッドと一緒に一緒に逃げ出したんじゃないですか」

 思わず漣が口を挟むと、なぜか高階は、気の毒そうに漣を見る。

「それは考えにくいわね。むしろ今回の首謀者は、ごく最近、あちら側に取り込まれたと見ていいでしょう。おそらく協力者は、誰にも悟られないよう密かに渡良瀬と連絡を取り合っていた。そうして、ここの住人として何食わぬ顔で暮らしながら、渡良瀬の思想に親和的で、なおかつ利用価値の高いギフテッドをスカウトしていた。……今回の首謀者は、その協力者にスカウトされ、利用されたにすぎない。そう考えた方が……ええ、彼女の場合は辻褄が合うのよ。わざわざ内部ルールを犯して、自分を不自由な立場に追いやるスパイなんて聞いたことがないわ」

「……え?」

 彼女? ……内部ルールを犯した?

 嫌な予感が、ぞっ、と漣の背中を撫でる。背中を滑る汗の冷たさに漣が身を竦めたその時、何かを示し合わせるように嶋野と高階が頷き合う。……やめろ。どうかその先を続けないでくれ。

 そんな漣の願いをよそに、二人は続ける。漣が、決して聞きたくなかった言葉。

「やはり、東雲さん、ですか」

「ええ。首謀者は東雲瑠香。彼女が使用したギフトについては、後でレポートを送るけど、とにかく、彼女が首謀者であることは紛れもない事実よ」

 そして高階は、おもむろに漣の方を振り返る。

「あなたには、とても残念な事実だけど」

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