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3章
1話 動き出した状況
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――今回、渋谷において発生した暴動は、ギフテッドと称される、特殊な才能を持つアーティストによって引き起こされた人為的なものである。
半年前、西東京市を中心に起きた一連の集団昏倒事件を覚えているだろうか。
当時、あの一件はガス漏れ事故と結論づけられ、当局もそのように発表を行なった。が、あれもまた今回と同様、ギフテッドによって引き起こされた事件だったのだ。当時、インターネットを中心に『あの壁の落書きが原因ではないか』との推論が流布したが、実は、あれこそが事の真相であった。
そうした事件が、世界では日々無数に発生し、そして、当局によって密かに葬り去られている。
だが、そうした措置もいずれは限界を迎える。先の一件でも明らかなように、社会の高度な情報化は、もはや強権による隠蔽を許さない。が、何より、我々ギフテッドもまた、社会から隔離された今の状況に強い怒りを感じている。既存の美の概念を過去に追いやる我々ギフテッドのアートは、正しい手順で触れるなら、そこに、新たな美や哲学的発見を見出すことができるだろう。
にもかかわらず人類は、未だにこの恩恵を知らず、旧世界の美の中で生きている。
もちろん、国家によって存在自体を隠蔽された今の状況では、ギフテッドの作品に触れること自体が困難な状況であることは理解する。だが、もし、我々が国家の代わりにその鳥籠を開け放ったなら?
わかるだろうか。今ここで試されているのは、君たち一人ひとりの美意識なのだ。もはや過去の模倣に終始する現在のアートに甘んじるか、それとも、新たな時代のアートに手を伸ばすか。君たちに後者を期待する我々は、この後も各地でギフテッドのアートのゲリラ展示を行なう。それは鑑賞者に、〝怒り〟であったり〝憂鬱〟であったり、あるいは〝痛み〟を与えるかもしれない。が、それは君たちが、新たな美意識を手に入れるためにも必要な痛みなのだ。
この痛みを防ぎ、なおかつ新たな美意識を手に入れる方法が一つある。
学ぶのだ。理論としても感覚としても、まずはアートを観る目を養うこと。そうすれば、我々ギフテッドのアートは脅威ではなく、新たな美の提示者として君たちの前にその姿を示すだろう。そして、この選択から逃れることは、もはや何者にもできない。我々はもう容赦しない。待つこともしない。これまで我々は充分に待ち続けてきた。次は、君たちこそが我々の忍耐に応える番だ。
「……ガキかよ」
ひと通り動画を見終えた後で、そう漣はぼやく。
プロジェクターに流されたのは、ユーチューブにアップされた映像だが、他にもニコニコ動画など、他の動画サイトでも同様の映像が公開されているらしい。動画は、独自で撮影したと思しき渋谷の暴動の映像を背景に、渡良瀬が吹きこんだメッセージを流すというシンプルなもので、ギフテッドの作品はここでは使用されていない。ただ、そんなものがなくとも漣ははらわたが煮えくり返るようだった。もちろん、自分が起こした事件がダシに使われたせいもある。が、それ以上に、こんな奴のこんなしょうもない主張のために自分のギフトが悪用されかけたのかと思うと、むしろ、そちらの方に漣は腹が立った。
つくづくこいつは、ギフテッドのことしか念頭にないのだ。
この世界は、自分たちギフテッドと、それを受け入れようとしない狭量な社会との対立で成り立っている。それが、渡良瀬の頭にある世界の全てなのだ。が、実際は、この世界には多種多様な人間が住んでいる。アートで食べている人間もいれば、アートなど関係のない場所で粛々と日々を営んでいる人間もいる。いや、その人にはその人なりの、例えば数字や言葉で編まれるアートがあるのかもしれない。あるいは、そう、手術室のメスの切っ先で。……その意味で、渡良瀬の主張は、世界を広げるどころか今ある社会の多彩さを奪うものでしかない。
「なるほど」
漣の隣でプロジェクターの映像を嶋野が、ぽつ、と呟く。あの後、所長室には全てのキュレーターと職員が招集され、そこで同じ映像を見せられた。その多くは今も苦虫を嚙み潰したような顔で黙り込んでいるが、そんな中、嶋野だけは心得顔で静かに俯いている。
「何か、わかったんすか、嶋野さん」
そう小声で問うと、嶋野は「ええと」と苦笑する。
「わかった、というより……何と説明すればいいでしょうかね、再確認できた、というべきか」
「再確認?」
「凪」
部屋の明かりが再び灯るのと同時に、執務机越しに立つ高階が鋭く嶋野の名を呼ぶ。さては私語を見咎められたのかと思いきや、特に叱られる気配はない。むしろ高階は、どこか縋るような目で嶋野に問うてくる。
「それ、私にも聞かせてくれるかしら」
「えっ……は、はい。……要するに、あの人が目指すゴールの話です。新たな美のため、とぼかした表現を使っていますが、あの人の目的は昔も今も、不破光代さんのアートを世界に認めさせること以外にない。テロで恐怖を煽りつつ、審美眼を鍛えるよう市井の人々に迫っているのは、単に、不破さんのアートを広く鑑賞してもらえる環境を整えるためでしょう」
ふわみつよ。その、漣にとっては聞き慣れない名が嶋野の口から出た途端、集まったキュレーターや職員たちが一斉にざわつきはじめる。えっ、結構有名な人だったりするのか……?
「不破さんは国内で確認された、一人目の〝死〟のギフトの保持者です」
焦る漣を見かねたらしい嶋野が、すかさず助け舟を出してくる。
「……一人目」
「ええ。以前、あなたが国内では二人目の保持者だと話したでしょう。不破さんこそは、その一人目のギフテッドなのです。ただし……その作品群の鑑賞レベルは測定不能。審美眼5を持つ我々でさえ、目にしたそばから命を奪われてしまう。この世で彼女の作品を鑑賞できるのは、渡良瀬さんただ一人しかいません」
「えっ……」
死のギフト。しかも、鑑賞できるのは渡良瀬ただ一人――実在するのか? そんな物騒なギフトを持つギフテッドが? いや、だとしたらわからないことがある。なぜ、渡良瀬は漣を拉致しようと? 審美眼5を持つキュレーターすら死に至らしめるギフテッド。それは、もはや漣の上位互換と言ってもいいだろう。
「あの、そんな凄い人が手元にいるんなら、別に俺を拉致る必要なくないすか」
「手元? ……ああ、そういうことですね。いえ、彼女は、すでに亡くなっているんです」
「えっ、亡くなって……?」
「はい。二十年ほど前に、癌で……ただ、その作品群だけが協会に残された。というより、高階さんが確保に成功した、と言ったほうがいいでしょう。三年前の大量脱走事件で、セキュリティのバックドアが破られていることに気づいた高階さんは、何よりもまず、不破さんの作品群をあの人の手から守った。具体的には、保管された倉庫のセキュリティを手動に切り替えたんですね。以来、その倉庫は高階さんが持つ鍵と、彼女だけが知る暗証番号によってのみ開く仕組みを取っています。システムはスタンドアローンで、それこそ高階さんが陥落しない限り、何人たりともあの倉庫に侵入することはできません」
その高階は、大概の暴漢は例の歌声で制圧してしまう。確かに、最強のセキュリティではあるだろう。
「じゃあ、渡良瀬はそのフワって人のために世界を……? いや何のために!? もう亡くなってるんでしょ、その人!?」
「ええ。ですが、彼女が遺したアートは不滅です。それは、もはや彼女が生きた証と言ってもいい。……所長時代、渡良瀬さんが社会とギフテッドとの垣根を何とか外そうと足掻いていたのも、ひとえに彼女のためでした。いえ、名言こそされたことはありません。ただ……その言動を見れば、彼の願いは明らかだった」
そう語る嶋野は、気のせいか、どこか寂しげに見えた。
「渡良瀬さんは、今も当時と同じ原理で動いている……そう、不破さんのアートを、何としても世界に認めてほしいのです。不破光代というアーティストが、確かにこの世界に生きていた事実を」
「生きていた……事実……」
「そこは、私も同意見ね」
それまで黙って嶋野の言葉に耳を傾けていた高階が、細い顎に指を添えたまま小さく頷く。
「そう、彼の目的はあくまでも光代のアートを世界に認めさせること……そうした認識を踏まえて、もう一つの本題だけど、今回、渡良瀬から届いた要求に、我々は応じるべきかしら」
そう、今回高階に呼び出されたのは、むしろこちらの件を話し合うためだった。
――ギフテッドの存在を、内閣総理大臣の名で公表すること。
あれだけ派手なことを仕出かして、正直、何を今更、とは思う。が、いくら派手にその存在を暴いても、責任ある機関が認めない限り、世間的にはどこまでも非公式な存在でしかない。彼らのゴールは、テロによって社会を混乱させることではなく、あくまでもギフトによる変革だ。そのためにも、責任ある機関に――国家に存在を認めさせることは、むしろ前提条件だと言ってもいい。
なお要求には、仮に協会がこれに応じた場合、向こう一年はギフトによるテロは控えることを約束する、といった譲歩案が添えられていた。つまり、その一年で国民にアートの知識を啓蒙し、その感性を養え、ということだろう。が、漣に言わせればそれはあまりにも非現実的な案というほかない。方向は間違っていない。ただ、全ての国民が、たった一年で高い審美眼を身に着けられるとは限らない。この協会にさえ、何年経っても審美眼5に到達できない人間はいる。
いや、問題の本質はそこじゃない。ギフテッドなる存在の公表。それが社会に与える混乱と恐怖は、半年前の一件を踏まえれば想像に難くない……
ただ。
そんな渡良瀬の案を、魅力的だと感じる部分も漣の中に確かにあった。例えば瑠香のようなギフトは、もっと積極的に社会に還元すべきだった。そうすれば瑠香も、こんな鳥籠の中で無力感に打ちひしがれることもなかっただろう。世界との繋がりに飢えることもなかった。
結果、テロリストのもとに身を寄せることも……
「いっそ、不破さんのアートを破壊してしまうのは」
声を上げたのは、嶋野と同期の古株キュレーター、長岡だった。非ギフテッドだが、藝大時代に協会のスカウトを受け、卒業後に職員として入所したそうだ。二人の子を持つ父親で、その風貌には家庭的な雰囲気が滲んでいる。
「破壊?」
「ええ……今の話を踏まえるなら、いっそ破壊すればいいんじゃないですか。動機がなくなれば、少なくともモチベーションを削ることはできる。もちろん、不破さんの作品群が人類にとって代えがたい財産であることは認めます。ただ……キュレーターの身でこんなことを言うのも憚られますが、所詮、死者の残滓でしかないんです。すでに亡くなった人間の作品をただ守りたいがためだけに、今を生きる人間を犠牲にすべきじゃない」
そう進言する長野の言葉には、守るべきものを持つ人間ならではの重みがあった。大切な家族の運命が、見知らぬ誰かのエゴによって狂わされる。その可能性を前に、とても黙ってはいられなかったのだろう。確かに……渡良瀬の理想が実現すれば、審美眼をうまく鍛えられなかった人間は、否応なしに社会から弾かれてしまう。その弾かれる側に、今度は自分の家族が立たされるかもしれないのだ。
一方、ほかのキュレーターたちは明らかに難色を示している。
「それ、データはもちろん、オリジナルも含めて破棄する、ということですよね? さすがにそれは……」
「やはりキュレーターとしては、あくまでも保存ありきの方向で話を進めるべきでは?」
「不破さんの絵って、凄いんだろ? 見たら死ぬっていうから、実際に見たことはないけど……」
「じゃあ誰かの命や人生をめちゃくちゃにしてもいいって言うんですか!?」
「落ち着け長岡! あのアートはな、大事なカードなんだよ。いざって時の。最悪、あれを人質に渡良瀬さんを脅したら、その……思い止まってくれるかもしれないだろ? それをみすみすこっちから捨ててどうすんだよ!」
「やめてください! 冗談でもアートを破壊するだなんて、そんな話!」
「――みんな落ち着いて」
高階の一言が、それまでの百家争鳴をぴたりと止ませる。ここにいるキュレーターたちに彼女のギフトは通用しないが、それでも、組織の長に特有の威圧感は、混乱した場を鎮めるに余りあった。
「みんな、貴重な意見をありがとう。……そうね。あの人が絡む以上、光代のアートをどう扱うか、という議論は避けては通れない。……破壊措置の検討も含めて」
そう告げる高階は、差し込む痛みを堪えるかのような顔をしている。本当は失いたくないのだと、表情が、強張る身体が告げている。
その後、嶋野を除く全員に退出が求められ、漣は所長室を出る。嶋野が残されたのは、一時は渡良瀬のスパイを務めたほど彼と繋がりのあった人間に、少しでも益になる情報を求めるためだろう。確かに、そんな場所に何も知らない漣が居残っても、会話の邪魔になるだけだ。ならば――
「長岡さん」
部屋を出た漣は、さっそく長岡に声をかける。とにかく今は、自分にできることをなすだけのこと。渡良瀬のことを、より深く知ること。
「フワさんって、どういう人だったんですか」
半年前、西東京市を中心に起きた一連の集団昏倒事件を覚えているだろうか。
当時、あの一件はガス漏れ事故と結論づけられ、当局もそのように発表を行なった。が、あれもまた今回と同様、ギフテッドによって引き起こされた事件だったのだ。当時、インターネットを中心に『あの壁の落書きが原因ではないか』との推論が流布したが、実は、あれこそが事の真相であった。
そうした事件が、世界では日々無数に発生し、そして、当局によって密かに葬り去られている。
だが、そうした措置もいずれは限界を迎える。先の一件でも明らかなように、社会の高度な情報化は、もはや強権による隠蔽を許さない。が、何より、我々ギフテッドもまた、社会から隔離された今の状況に強い怒りを感じている。既存の美の概念を過去に追いやる我々ギフテッドのアートは、正しい手順で触れるなら、そこに、新たな美や哲学的発見を見出すことができるだろう。
にもかかわらず人類は、未だにこの恩恵を知らず、旧世界の美の中で生きている。
もちろん、国家によって存在自体を隠蔽された今の状況では、ギフテッドの作品に触れること自体が困難な状況であることは理解する。だが、もし、我々が国家の代わりにその鳥籠を開け放ったなら?
わかるだろうか。今ここで試されているのは、君たち一人ひとりの美意識なのだ。もはや過去の模倣に終始する現在のアートに甘んじるか、それとも、新たな時代のアートに手を伸ばすか。君たちに後者を期待する我々は、この後も各地でギフテッドのアートのゲリラ展示を行なう。それは鑑賞者に、〝怒り〟であったり〝憂鬱〟であったり、あるいは〝痛み〟を与えるかもしれない。が、それは君たちが、新たな美意識を手に入れるためにも必要な痛みなのだ。
この痛みを防ぎ、なおかつ新たな美意識を手に入れる方法が一つある。
学ぶのだ。理論としても感覚としても、まずはアートを観る目を養うこと。そうすれば、我々ギフテッドのアートは脅威ではなく、新たな美の提示者として君たちの前にその姿を示すだろう。そして、この選択から逃れることは、もはや何者にもできない。我々はもう容赦しない。待つこともしない。これまで我々は充分に待ち続けてきた。次は、君たちこそが我々の忍耐に応える番だ。
「……ガキかよ」
ひと通り動画を見終えた後で、そう漣はぼやく。
プロジェクターに流されたのは、ユーチューブにアップされた映像だが、他にもニコニコ動画など、他の動画サイトでも同様の映像が公開されているらしい。動画は、独自で撮影したと思しき渋谷の暴動の映像を背景に、渡良瀬が吹きこんだメッセージを流すというシンプルなもので、ギフテッドの作品はここでは使用されていない。ただ、そんなものがなくとも漣ははらわたが煮えくり返るようだった。もちろん、自分が起こした事件がダシに使われたせいもある。が、それ以上に、こんな奴のこんなしょうもない主張のために自分のギフトが悪用されかけたのかと思うと、むしろ、そちらの方に漣は腹が立った。
つくづくこいつは、ギフテッドのことしか念頭にないのだ。
この世界は、自分たちギフテッドと、それを受け入れようとしない狭量な社会との対立で成り立っている。それが、渡良瀬の頭にある世界の全てなのだ。が、実際は、この世界には多種多様な人間が住んでいる。アートで食べている人間もいれば、アートなど関係のない場所で粛々と日々を営んでいる人間もいる。いや、その人にはその人なりの、例えば数字や言葉で編まれるアートがあるのかもしれない。あるいは、そう、手術室のメスの切っ先で。……その意味で、渡良瀬の主張は、世界を広げるどころか今ある社会の多彩さを奪うものでしかない。
「なるほど」
漣の隣でプロジェクターの映像を嶋野が、ぽつ、と呟く。あの後、所長室には全てのキュレーターと職員が招集され、そこで同じ映像を見せられた。その多くは今も苦虫を嚙み潰したような顔で黙り込んでいるが、そんな中、嶋野だけは心得顔で静かに俯いている。
「何か、わかったんすか、嶋野さん」
そう小声で問うと、嶋野は「ええと」と苦笑する。
「わかった、というより……何と説明すればいいでしょうかね、再確認できた、というべきか」
「再確認?」
「凪」
部屋の明かりが再び灯るのと同時に、執務机越しに立つ高階が鋭く嶋野の名を呼ぶ。さては私語を見咎められたのかと思いきや、特に叱られる気配はない。むしろ高階は、どこか縋るような目で嶋野に問うてくる。
「それ、私にも聞かせてくれるかしら」
「えっ……は、はい。……要するに、あの人が目指すゴールの話です。新たな美のため、とぼかした表現を使っていますが、あの人の目的は昔も今も、不破光代さんのアートを世界に認めさせること以外にない。テロで恐怖を煽りつつ、審美眼を鍛えるよう市井の人々に迫っているのは、単に、不破さんのアートを広く鑑賞してもらえる環境を整えるためでしょう」
ふわみつよ。その、漣にとっては聞き慣れない名が嶋野の口から出た途端、集まったキュレーターや職員たちが一斉にざわつきはじめる。えっ、結構有名な人だったりするのか……?
「不破さんは国内で確認された、一人目の〝死〟のギフトの保持者です」
焦る漣を見かねたらしい嶋野が、すかさず助け舟を出してくる。
「……一人目」
「ええ。以前、あなたが国内では二人目の保持者だと話したでしょう。不破さんこそは、その一人目のギフテッドなのです。ただし……その作品群の鑑賞レベルは測定不能。審美眼5を持つ我々でさえ、目にしたそばから命を奪われてしまう。この世で彼女の作品を鑑賞できるのは、渡良瀬さんただ一人しかいません」
「えっ……」
死のギフト。しかも、鑑賞できるのは渡良瀬ただ一人――実在するのか? そんな物騒なギフトを持つギフテッドが? いや、だとしたらわからないことがある。なぜ、渡良瀬は漣を拉致しようと? 審美眼5を持つキュレーターすら死に至らしめるギフテッド。それは、もはや漣の上位互換と言ってもいいだろう。
「あの、そんな凄い人が手元にいるんなら、別に俺を拉致る必要なくないすか」
「手元? ……ああ、そういうことですね。いえ、彼女は、すでに亡くなっているんです」
「えっ、亡くなって……?」
「はい。二十年ほど前に、癌で……ただ、その作品群だけが協会に残された。というより、高階さんが確保に成功した、と言ったほうがいいでしょう。三年前の大量脱走事件で、セキュリティのバックドアが破られていることに気づいた高階さんは、何よりもまず、不破さんの作品群をあの人の手から守った。具体的には、保管された倉庫のセキュリティを手動に切り替えたんですね。以来、その倉庫は高階さんが持つ鍵と、彼女だけが知る暗証番号によってのみ開く仕組みを取っています。システムはスタンドアローンで、それこそ高階さんが陥落しない限り、何人たりともあの倉庫に侵入することはできません」
その高階は、大概の暴漢は例の歌声で制圧してしまう。確かに、最強のセキュリティではあるだろう。
「じゃあ、渡良瀬はそのフワって人のために世界を……? いや何のために!? もう亡くなってるんでしょ、その人!?」
「ええ。ですが、彼女が遺したアートは不滅です。それは、もはや彼女が生きた証と言ってもいい。……所長時代、渡良瀬さんが社会とギフテッドとの垣根を何とか外そうと足掻いていたのも、ひとえに彼女のためでした。いえ、名言こそされたことはありません。ただ……その言動を見れば、彼の願いは明らかだった」
そう語る嶋野は、気のせいか、どこか寂しげに見えた。
「渡良瀬さんは、今も当時と同じ原理で動いている……そう、不破さんのアートを、何としても世界に認めてほしいのです。不破光代というアーティストが、確かにこの世界に生きていた事実を」
「生きていた……事実……」
「そこは、私も同意見ね」
それまで黙って嶋野の言葉に耳を傾けていた高階が、細い顎に指を添えたまま小さく頷く。
「そう、彼の目的はあくまでも光代のアートを世界に認めさせること……そうした認識を踏まえて、もう一つの本題だけど、今回、渡良瀬から届いた要求に、我々は応じるべきかしら」
そう、今回高階に呼び出されたのは、むしろこちらの件を話し合うためだった。
――ギフテッドの存在を、内閣総理大臣の名で公表すること。
あれだけ派手なことを仕出かして、正直、何を今更、とは思う。が、いくら派手にその存在を暴いても、責任ある機関が認めない限り、世間的にはどこまでも非公式な存在でしかない。彼らのゴールは、テロによって社会を混乱させることではなく、あくまでもギフトによる変革だ。そのためにも、責任ある機関に――国家に存在を認めさせることは、むしろ前提条件だと言ってもいい。
なお要求には、仮に協会がこれに応じた場合、向こう一年はギフトによるテロは控えることを約束する、といった譲歩案が添えられていた。つまり、その一年で国民にアートの知識を啓蒙し、その感性を養え、ということだろう。が、漣に言わせればそれはあまりにも非現実的な案というほかない。方向は間違っていない。ただ、全ての国民が、たった一年で高い審美眼を身に着けられるとは限らない。この協会にさえ、何年経っても審美眼5に到達できない人間はいる。
いや、問題の本質はそこじゃない。ギフテッドなる存在の公表。それが社会に与える混乱と恐怖は、半年前の一件を踏まえれば想像に難くない……
ただ。
そんな渡良瀬の案を、魅力的だと感じる部分も漣の中に確かにあった。例えば瑠香のようなギフトは、もっと積極的に社会に還元すべきだった。そうすれば瑠香も、こんな鳥籠の中で無力感に打ちひしがれることもなかっただろう。世界との繋がりに飢えることもなかった。
結果、テロリストのもとに身を寄せることも……
「いっそ、不破さんのアートを破壊してしまうのは」
声を上げたのは、嶋野と同期の古株キュレーター、長岡だった。非ギフテッドだが、藝大時代に協会のスカウトを受け、卒業後に職員として入所したそうだ。二人の子を持つ父親で、その風貌には家庭的な雰囲気が滲んでいる。
「破壊?」
「ええ……今の話を踏まえるなら、いっそ破壊すればいいんじゃないですか。動機がなくなれば、少なくともモチベーションを削ることはできる。もちろん、不破さんの作品群が人類にとって代えがたい財産であることは認めます。ただ……キュレーターの身でこんなことを言うのも憚られますが、所詮、死者の残滓でしかないんです。すでに亡くなった人間の作品をただ守りたいがためだけに、今を生きる人間を犠牲にすべきじゃない」
そう進言する長野の言葉には、守るべきものを持つ人間ならではの重みがあった。大切な家族の運命が、見知らぬ誰かのエゴによって狂わされる。その可能性を前に、とても黙ってはいられなかったのだろう。確かに……渡良瀬の理想が実現すれば、審美眼をうまく鍛えられなかった人間は、否応なしに社会から弾かれてしまう。その弾かれる側に、今度は自分の家族が立たされるかもしれないのだ。
一方、ほかのキュレーターたちは明らかに難色を示している。
「それ、データはもちろん、オリジナルも含めて破棄する、ということですよね? さすがにそれは……」
「やはりキュレーターとしては、あくまでも保存ありきの方向で話を進めるべきでは?」
「不破さんの絵って、凄いんだろ? 見たら死ぬっていうから、実際に見たことはないけど……」
「じゃあ誰かの命や人生をめちゃくちゃにしてもいいって言うんですか!?」
「落ち着け長岡! あのアートはな、大事なカードなんだよ。いざって時の。最悪、あれを人質に渡良瀬さんを脅したら、その……思い止まってくれるかもしれないだろ? それをみすみすこっちから捨ててどうすんだよ!」
「やめてください! 冗談でもアートを破壊するだなんて、そんな話!」
「――みんな落ち着いて」
高階の一言が、それまでの百家争鳴をぴたりと止ませる。ここにいるキュレーターたちに彼女のギフトは通用しないが、それでも、組織の長に特有の威圧感は、混乱した場を鎮めるに余りあった。
「みんな、貴重な意見をありがとう。……そうね。あの人が絡む以上、光代のアートをどう扱うか、という議論は避けては通れない。……破壊措置の検討も含めて」
そう告げる高階は、差し込む痛みを堪えるかのような顔をしている。本当は失いたくないのだと、表情が、強張る身体が告げている。
その後、嶋野を除く全員に退出が求められ、漣は所長室を出る。嶋野が残されたのは、一時は渡良瀬のスパイを務めたほど彼と繋がりのあった人間に、少しでも益になる情報を求めるためだろう。確かに、そんな場所に何も知らない漣が居残っても、会話の邪魔になるだけだ。ならば――
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