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76.そばに行きたい
しおりを挟むウサギになったロウィフは、すごくすばしっこい。通りが混んでいたこともあって、人の足元を潜って走る小さなウサギのロウィフを追う事は、簡単なことじゃなかった。
何度も人にぶつかりながら、ロウィフを追う。
賑やかな大通りから横道に入ると、海が見えてくる。港が近いんだ。民家が並ぶ通りを抜けて行くと、市場が見えてくる。そこに入る前に横道にそれたロウィフは、幾つも曲がり角が続く裏路地を、迷うことなく走って行く。
彼は魔法ギルドから来たんだし、バルアヴィフが魔法具を売りつけた商人のことはすでに調査済みなんでしょうって、ラックトラートさんが言っていた。
「あんなウサギに引けを取るなんて……僕としたことがっ……!」
「ラックト……」
それを言うなら、僕だって、彼を逃してしまったんだ。このまま行かせるわけにはいかない
ロウィフを追って裏路地を抜けると、街の中心から少し離れた、静かな屋敷が並ぶ丘に出た。振り向けば、いつのまにか、港が見下ろせる場所まで来ていたらしい。
魔物避けの魔法がかかった背の高い街路樹が並ぶ、石畳の道を、ロウィフは走っていく。彼は、並んだ屋敷の中ではこじんまりした屋敷の前で立ち止まり、ぴょんぴょん跳ねていた。屋敷を囲む柵を乗り越えようとしているのか、柵の間をすり抜けようとしているのかは分からなかったけど、中には入れていないようだ。
やっと追い付けた僕は、ロウィフのウサギを抱き上げた。
「や、やっと……捕まえた……」
ずっと走ってきて、すでに息は上がって汗だくだった。ロウィフを離さないでいるのがやっとだ。
するとロウィフは、僕に抱き上げられたまま、そっぽを向いた。
「くそ……何で開かないんだよ…………レヴェリルインの奴……」
ボソボソと悪態をつくロウィフに、ラックトラートさんが言った。
「ロウィフ!! 捕まえました! レヴェリルイン様の邪魔はさせません!」
「邪魔をする気なんかない。お前、しつこい。だいたい、お前に捕まったんじゃない……僕の魔力をこっそり妨害するための魔法がかけられてる。レヴェリルインに邪魔されたんだ」
「レヴェリルイン様だって、あなたを信用してないんです! 怪しいウサギだから、仕方ありません!!」
「だから、僕は怪しいウサギじゃないって言ってるだろ」
またロウィフとラックトラートさんで言い合いが始まる。こんなところで騒いでいたら見つかってしまう。
僕は、ロウィフを抱っこしたまま、屋敷から離れようとした。屋敷の方に振り向くと、その中に人影を見つけた。
柵の向こうの小さな庭の庭木の影になっているけど、応接間らしき部屋の中で一人、座りもせずに、レヴェリルインが立っている。
彼の姿を見ることができるなんて、思わなかった。
嬉しくて、悪いとは思いつつも、こっそり盗み見てしまう。植え込みの影になるところを探して、その場にしゃがみこんだ。
レヴェリルイは、腕を組んで立って、誰かを待っているようだ。
やっと会えた。ほんの少しの間、会えなかっただけなのに、長い時間、彼と離れていたような気になる。
長い髪にも、大きな狼の尻尾にも、ひどくドキドキした。
何してるんだろう……
アトウェントラとドルニテット、バルアヴィフはそばにいない。レヴェリルイン一人で、大丈夫なのか? 無理な交渉を迫られて、困っていたりしないか??
そばに行きたい……
大した距離じゃないのに、ひどく長く感じる。こんなに遠くにいなきゃならないなんて辛い。
しばらく見ていたら、部屋の中に誰かが入ってきた。背の高い男の人だ。バルアヴィフから魔法具を買った商人かと思ったけど、チラッと見えた格好からして、貴族だろう。
レヴェリルインの影になって、その姿はほとんど見えない。だけど……なぜだろう。ひどく嫌な予感がした。
その男は、レヴェリルインを、自分が入ってきた扉の方に誘っていた。レヴェリルインは彼に言われるがまま、ドアの方に向かって行く。その男が、窓の方に振り向いた。
その男の顔を、僕は知っていた。
忘れるはずなんかない。
急に体が震えた。
「兄様…………」
震えながら言った声は、隣にいたラックトラートさんに聞こえたみたい。彼は「コフィレのお兄さんですか?」って聞いてる。だけど僕は、あまりに恐ろしくて、声が出なかった。
確かに、兄様だ。あの屋敷を出てから、一度も顔を合わせたことはなかったのに。何でここにいるんだ。
激しい恐怖で体が動かなくなりそうだった。まだ、体は震えてる。
震えてる場合じゃない。レヴェリルインは、どうなったんだ。
必死に体を隠しながら、それでも屋敷の方を盗み見ると、レヴェリルインは、兄様に連れられて、部屋を出て行った。
何で兄様がレヴェリルインといるんだ……レヴェリルインは、魔法具の回収に向かったんじゃなかったのか!?
もしかして、魔法具を買い取った商人と兄様は、何か関係があるのか?
あの領地には魔物が多く出るんだ。兄様は魔物に対する有効な手段を求めているはず。禁書には、そのための結界を強化するためのヒントが書かれているかもしれないんだ。だったら、兄様はそれを何としてでも手に入れようとするかもしれない。
まさか、ロウィフが言ったように、レヴェリルインが魔法具のために兄様にめちゃくちゃな要求をされていたら……
さっきだって、レヴェリルインは一人だった。このままじゃ危ない。
僕は、柵を握った。
行かなきゃ。レヴェリルインのところに。レヴェリルインのそばにいる男は、僕に枷をつけて、背後から魔法で打った男だ。そんな男に、レヴェリルインが傷つけられるかもしれない。
レヴェリルインがあの男に弄ばれるところを考えたら、そこから噴き出した感情が、僕をつき動かなず。レヴェリルインを守らなきゃ。彼のそばに行かなきゃ。
僕は柵によじ登った。
下では、ラックトラートさんが僕を慌てて止めている。
「こ、コフィレ!? どうしたんですか!?
何してるんですか!! お、降りてきてください!」
「だ、だめっ……あいつは、ダメなんですっ……!」
「え……?」
「ぼ、僕はマスターのところへ行きます! ……お願いです! だ、誰かに伝えてください! このままじゃ、マスターがっ……な、何をされるかわかりません!!」
自分で口に出したら、ますます焦燥感が湧く。
レヴェリルインを守らなきゃ……
何とか柵を登り切ったけど、そこで足を踏み外してバランスを崩した僕は、手の力も限界で、そのまま庭に落ちてしまう。
「いった……」
体がズキズキする。芝生が少しだけクッションになってくれて、何とか助かったみたい。
急がなきゃ。レヴェリルインを守らなきゃ。あの人のことは、絶対に傷つけさせない。
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