13 / 14
番外編
アオくんとあーちゃん
しおりを挟む
※こちらの番外編はおまけ話の5編を1話分に纏めました。1編毎に視点が変わります。読み辛かったらすみません。しかも本編には出ても来ないモブ視点もあります。すみません、作者の好き勝手に書きました。ちょっとでも楽しんで頂けたら嬉しいなぁ。
■■【始まりの朝】■■
空が白々と明るくなる頃、ふと目覚めると、鳥の囀りに交じり聞き覚えのある音が聞こえてきた。
ほわぁ… ほわぁ…
小さく儚くも、生きたいと願うものの声。
私は急いで布団から這い出し、呼び声に向かって重い身体を運んだ。
「ああ、ああ…。元気だね」
「ほわぁ… ほわぁ… ほわぁ…」
教会の表門の下に、御包みに包まれた小さな赤子。まだ生まれて間もないその天使を見た時、神はまた私に地上での試練をお与えになったのだと悟った。
「さぁ、中に入ろう。君に兄弟を紹介しましょうね」
四年前にも同じ様に、神から遣わされた天使がいた。山々が紅く染まり移ろいゆく季節の名を与えた、私の大切な家族。
「秋。あなたの兄弟です。仲良くできますね」
秋はとても聡く心根の優しい子供だ。この小さな赤子をきっと慈しみ大切にしてくれるでしょう。私はそう信じる事に何の憂いも無かった。
「きょうだい?」
「家族ですよ。共に助け合い支え合う、大切な存在を家族と呼ぶのです」
「かぞく… きょうだい…」
「そうです。今日から秋は、お兄さんになるんですよ」
「はい、しんぷさま。ぼくはおにいちゃんになります。よろしくね、えぇ…と……」
「ああ、そうですね、この小さな天使に名を付けなくてはいけませんね。さて、なんと呼んだらよいか……」
ふと、窓の外を見やると、朝陽に照らされた夏の花、立葵の薄桃色が目に飛び込んできた。
「そう…、この子は、葵。秋の弟は葵です」
「あおい…。うふふ、かわいいです。あおくん、ぼくはあきです。なかよくしてね」
秋はその紅葉の様な小さな手のひらで、更に小さな葵の拳をそっと包む。
その光景は私の心に幸福感を齎した。そして同時に憐れみを抱く。
私に出来るのは神への祈り。この幼子達の手を自ら離した親達に代わり、光ある場所へと教え導く事。
どうかこの幼子らに、災いが降りかからん事を。太陽が照らす道を、真っ直ぐに進む強さを与え給え。
老い先短い私に課された地上での最後のお勤めは、こうして夢のように儚く過ぎていった。
■■【またね】■■
「ほんとに行っちゃうの? もう、もどって来ないの?」
「ごめんね、アオくん。決まりなんだって。オメガはここにはいられないんだって…」
そう言ってあーちゃんはボクをぎゅっと抱きしめてくれた。甘い甘いあーちゃんの匂い。大好きなお菓子のような、幸せの匂いがボクを包み込む。
「でも生きてたら、いつか絶対にまた会えるよ。だからアオくん。ごはんをちゃんと食べて、ずっと元気でいてね」
「…………ぅ、ん。ボク、やくそくする!だからあーちゃんもね。ごはんちゃんと食べてね。また会おうね。ぜったいだよ!」
ボクは少し背の高いあーちゃんの細い身体にぎゅうぎゅうしがみついて泣くのを我慢した。本当は寂しい。離れたくない。行っちゃ嫌だと泣いてしまいたい。
でも……、ボクが泣いたらあーちゃんも悲しくなっちゃう。だから、我慢する。
ごはんをたくさん食べて、早く大きくなって、ずっと元気でいたら……。そしたらボクがあーちゃんを探して会いに行こう。
また昔みたいにいっしょに暮らすんだ。
だから、さよならはしないの。
「それじゃあね、またね」
「うん…あーちゃん。またね」
おむかえに来たおばさんに手を引かれて、白い箱みたいな車に向かうあーちゃんは、何度も何度も振り返りながらその車に乗り込んだ。そして、窓からずっとボクに手を振ってくれた。
ボクも泣かないように我慢しながら手を振った。あーちゃんを乗せた車が孤児院の門をくぐり抜けて見えなくなるまで、ボクはずっとずっと手を振った。
車が消えて見えなくなった後、ボクの目からは涙がいっぱいいっぱい溢れて落ちた。
いつか本当に会えるかな?
あーちゃんはいつもおうちが欲しいって言ってたから、ボクが大工さんになってあーちゃんにおうちを作ってあげようかな。
そしたらそのおうちで、家族みたいにいっしょに暮らそう。
二人っきりの家族のおうちか……。
えへへ。楽しみだね、あーちゃん。
だけどそれきり、あーちゃんには会うことはなかった。
■■【祈る】■■
小さなアオくんが手を振っている。今にも泣き出しそうな真っ赤な顔で、唇を噛んで僕の乗った車に向かって手を振っている。
ごめんねアオくん。せっかくまた会えたのに。ずっと一緒にいようね、って約束したのに。僕がオメガだったばかりに、またアオくんと離れ離れに暮らさなきゃならなくなった。僕達は兄弟なのに、家族なのに。
神父様は仰った。
───『共に助け合い支え合う、大切な存在を家族と呼ぶのです』…って。
オメガの僕とベータのアオくんは助け合えないの?支え合えないの?
やっぱりおうちが無いから駄目なのかな。一緒に暮らすおうちが無いから、僕らは家族じゃないの?
「吉野くん、これから向かうオメガの保護施設では、15歳以下の子供には、養子縁組がたくさん用意されています。君にもきっと、いいご縁がありますよ」
お迎えに来てくれた民生委員の先生は、僕の頬をハンカチで優しく拭いながらそう教えてくれた。
「悲しい別れを経験させて、ごめんなさいね。でも、これから出会う新しい家族が、君のその寂しさを癒やしてくれるから」
「アオくんは…? 僕の家族では、ないんですか?」
「いいえ。あの子も君の家族です。家族って、強い絆で結ばれているものよ。一緒に暮らした記憶は、ずっと消えない。どんなに遠く離れていても、会えなくても、決して忘れたりしないの」
「新しい、家族が出来ても?」
「ええ、勿論。君がちゃんと覚えてさえいれば、一度結ばれた家族の絆は消えたりしない。だから安心して、いいご縁に恵まれるように祈りましょう。それにね、実は君に、ご紹介したいご夫婦がいるの。製薬会社を経営している、立花さんというご夫婦よ。とても明るい奥様と優しそうな旦那様でね、吉野くんもきっと気に入ると思うわ」
僕はこくりと頷きながら、「でも」と口にする。
「もしも、僕に新しい家族が出来たら、アオくんはどうなりますか?」
「う~…ん、そうねぇ……」
先生の言葉を待つ間、僕は家族の絆とは何だろうと考えていた。
神父様が天に召された時も、僕達は離れ離れになった。まだ2歳のアオくんはイヤイヤしながらわんわん泣いて、僕もそんなアオくんを見て、同じ様にわんわん泣いた。あの時一人になった僕は、おうちが失くなったせいで、僕らは一緒にいられなくなったんだと思っていた。だから養護施設では積み木を重ねながら、大きくなったらアオくんと一緒に住むおうちを夢に見ていた。
僕のおうち。アオくんのおうち。二人の、家族のおうち。
何度も何度も積み木を重ねて、たくさんのおうちを作った。
それでも毎日が寂しくて悲しくて、神父様やアオくんの事ばかり考えては、楽しかった日の事を思い出す。その度にここには居ないアオくんが、今どうしているかなとか、また泣いていないかなとか、ご飯はちゃんと食べたかなって考えた。時が過ぎて少し大きくなってからは、アオくんが元気でいますようにとか、ちゃんとご飯を食べてますようにという祈りに変わった。
養護施設から今の孤児院へ移ってアオくんにまた会えた時は、きっと天国にいる神父様が、神様にお願いしてくれたんだと感謝した。
さっき先生は、僕が忘れなければ家族の絆は消えたりしない、って言った。
またアオくんと離れちゃったけど、今度も僕が毎日祈ったり思い出したりしていたら、神様がまた僕達を会わせてくれるって事かな。
「そうねぇ…、吉野くんに新しい家族が出来ても、それでもアオくんは君の家族に変わりはないんじゃないかしら。君があの子を家族だと信じている限り、その絆は切れたりしないわ。だからアオくんにも、いつか別の家族が出来るように、祈ってあげたらどうかな」
そう…、なのかな。アオくんにも、僕以外の家族が出来るのかな。
「家族の幸せを祈るのも、また家族にしか出来ない事よ」
幸せを祈る────。
それなら僕にも出来る。
「はい、分かりました。僕、毎日祈ります。アオくんが寂しくなくなりますように、もう泣いたりしなくていいように、って祈ります。アオくんは僕の大切な家族です。だから幸せになって欲しいです」
そう言った僕に、先生はにこりと笑って、とても大切な事を教えてくれた。
「なら、先ずは君が幸せになりましょう。幸せな人の祈りはね、必ず祈られた相手も幸せにするものだから」
■■【新しい家族】■■
「はじめまして。吉野秋です」
「まぁまぁ!なんて可愛い子なのかしら。はじめまして。私は立花裕子です。こっちは夫の達臣。お薬を作る会社をやってるのよ」
初めて顔を合わせた秋ちゃんは緊張してたわ。そりゃそうよね。まだ12歳だもの。
お話を頂いた時は正直悩んだ。だけど私も夫も、ひと目見て彼が気に入ってしまった。とにかく可愛いんだもの。
『とても賢くて物静かないい子です。ただ、オメガ性の為、縁組は難しくて…』
民生委員の先生はそう仰って悲しげに微笑まれた。そうね…。オメガ性は何かとトラブルの元になる事が多くて、血の繋がった実の親子でも中々上手くいかない事があると聞くわ。ましてや私達は赤の他人。周囲の目も好意的な物ばかりじゃない。
特に立花は製薬会社。中にはモルモットを飼うつもりか…と、あからさまに蔑むような事も言われた。
勿論、そんな事はまったくの出鱈目よ!
夫の達臣とはお見合い結婚だった。優しくて穏やかな達臣の事を、私は直ぐに好きになった。彼の方もそうだったんじゃないかしら。だって私達、恋愛結婚だと思われることが多いもの。仲の良いおしどり夫婦。そう称される事が年々増えて、それに応えるように増々夫婦仲は円満だった。
だけど……。
子供が中々出来なくて、それだけは本当に悲しくて悔しくて…。
色々と試してもみたけど全然ダメ。
諦めて不妊治療を受けてみようと検査をしたら……。
私達には子供が作れない事がわかったの。
達臣には子種が無かった。
彼は私に離婚届を差し出して『僕には君に女性としての幸せを与えてあげられない』からと別れを切り出した。
そんなの……、冗談じゃない!!
子供を産むことだけが女の幸せだなんて、誰が決めたの!?
「私は達臣さんと結婚出来て、最高に幸せなの!その私の幸せを勝手に取り上げないで!」
いくら達臣さんでも、ううん。達臣さんだからこそ、わかって欲しかった。
貴方と結婚出来たことを、私がどれほど幸せに思っているか。
泣きながら怒る私に彼は『ごめんね、ごめん』と必死に謝りながら、私と一緒になって泣き出した。
「ねぇ、世の中には私達のように子供が欲しくても授からない夫婦もいれば、親を欲して泣いてる子も沢山いるわ。…私達、そんな子供の親になれないかしら」
「ああ、僕も同じ事を考えていたんだ」
そうして迎え入れることになったその子は、私達の大切な家族になった。
秋ちゃん。あなたは私達夫婦の宝物よ。
「お父さん、お母さん」
初めてあなたがそう呼んでくれた時の事を、今でもはっきりと覚えてるわ。
喜びが全身を駆け巡り、言葉を忘れて感涙に打ち震える私達を、あなたはちょっと照れ臭そうに困っていたわね。
「綺麗よ、秋ちゃん」
「ああ…、本当に綺麗だよ、秋」
純白のタキシード姿でほんのりと頬を染めた私達の愛息子。
オメガ性であることから、何時かはこんな日が来ると分かっていた。
頂いたお話に、最初は懐疑的だった。夫の経営する立花製薬が窮地に立たされ、破産の危機に奔走していた時だっただけに、何か後暗い事が隠されているのではないかと疑った。
だけど腹を割って真実を打ち明けてくださった中条様は、本当に心の底から私達の息子を愛してくださっている。秋ちゃんがほんの小さな子供頃から、見守り慈しみ陰ながら支えてくれた方。私達夫婦を、あの子の養親へと推薦してくれたのも中条様だった。
それを知って、ほんのちょっぴり呆れもしたけど、でも今は感謝の気持ちしかない。目の前の、愛しい息子の晴れ姿。その顔に憂いは微塵も感じられない。
爽やかな風が吹く秋晴れの佳き日。
息子は今日、私達の元から巣立つ。
「お父さん、お母さん。僕を二人の息子にしてくれて、ありがとうございます。立花の家で暮らせて、僕はとても幸せでした」
白いベールを被り、晴れやかに微笑む愛しい我が子。
あなたの幸せは、私達の幸せ。
「これからもずっと、私達は秋ちゃんの親に変わりはないのよ。困った事があったら、何時でも頼っていいんだからね。遠慮なんかしちゃ嫌よ。私達は家族なんだもの。だから秋ちゃん、もっと幸せになりなさい」
「ああ、そうだぞ。きみが幸せなら、お父さん達はもっともっと幸せだ。それを、決して忘れないで。───おめでとう、秋」
「───……はい!」
厳かに鳴り響く鐘の音と共に、ヴァージンロードを歩く夫と息子。
涙に霞むその晴れ姿に、私は心からの感謝を神に捧げた。
■■【守るべき宝】■■
中条の細君から「是非保護をお願いしたい子供がいる」と相談を受けたのは、跡取り息子の隆法が大城怜一というオメガに入れ上げていると気付いた頃だった。
我が宝条家に代々伝わる仕来りに則り、隆法にはアルファの伴侶を早々に宛行わなくてはならないと、嫁探しを始めたばかりに、その件は本音を言えば迷惑千万な相談だった。
聞けばそのベータの孤児は、中条の次男坊が惚れ込んで、ずっとその行く末を見守り続けているオメガの子供の関係者だとか。
───『双葉はあのオメガを、どんな手を使ってでも自分のものにするつもりらしい。我が息子ながら、あの執着には恐れ入るよ』
中条の当主は苦笑交じりにそう零していた。
まったく…。どいつもこいつもオメガ等に現を抜かして。次代を担う息子世代が心配で仕方が無い。
中条と九条、そして我が宝条。
この国を表立って動かしているのはこのアルファ御三家だ。その中で中条は、我々世代に激震を走らせた。“運命”等と踊らされて、等々アルファ御三家にオメガの細君を招き入れた。先代のご苦労が今になって、我が身に降り掛かろうとは夢々思ってもいなかった。
その中条の細君、オメガの葉子から直々に保護を頼まれた子供、それが吉野葵というまだ15歳の少年だった。
「は、初めまして、吉野葵です!よろしくお願いします!」
葉子に連れられ宝条家にやって来た葵は、春に中学を卒業したばかり。最初に雇われた工場では、不当な扱いを受けて退職に追いやられたそうだ。もう直16歳になると聞いていたが、その見た目はまだ10かそこらかと見紛う程に小さな子供だ。
これに私は目を疑った。…と同時に直ぐにでも会合を開き、次の予算委員会では子供基金を設立させねばと考えていた。
孤児とは、これ程までに未熟であるのか……。
国を足元から支えてくれているのは国民だ。そして子供は国の宝だ。その宝がこんなに弱々しく、貧相で、飢えているとは。
ショックだった。私は何も見えていなかった。
御三家を揺るがした中条の番夫婦に触発され、オメガ性に対する保護を強固にしてきた。それに伴う法律改革を進め、手厚い社会保障も作った。九条とも手を組み、より安全で確かな医薬医療の開発にも心血を注いでいる。遺棄される子供を救いたいと申し出た中条からの提案に、国の経営する養護施設や保護施設も着々と増えて、私は成すべき仕事の進捗に満足をしていた。
だが……。今、私が目にしている現実はどうだ。
見るからに栄養不足な、痩せ細った小さな身体で、早く大人になりたいからと進学を諦め働きたいと訴えている。
こんな現実はあってはならない。
葵を宝条家で預かることにしたのはそんな経緯からだったが、これが見事に誤算だった。
次男坊が大城怜一の後を追うようにニューヨークへと飛んだ翌日、悲壮な顔で私の元へとやって来た葵は、人払いをさせた途端私の足元に平伏した。
「どうした葵、何をしている」
「お許しください旦那様! ボ、ボクは、とんでもない事をしでかしました!」
涙声で額を床に擦り付けた葵の項に、真新しい歯型がくっきりと見て取れた。
「あ、葵……、お前、まさか…」
事情を聞き出そうと落ち着かせ、何とか口を開いた葵だが、歯型を付けた相手の事だけは頑として口を割らなかった。
我が家の使用人の中にはアルファ性の者もいる。犯人探しをしようにも、それは被害者の葵をも傷付き兼ねない。
ベータの葵に噛み付いたとて、番契約に成るものではない。そう思い、私は苦渋の決断をした。
「葵、この家を出なさい。お前が暮す場所は私が用意しよう。生活するに困らないだけの援助もする。いずれお前を傷付けた者にも罰を与えると約束するよ。済まなかったね、怖かったろう」
こんな年端も行かぬ子供に懸想し蛮行を働いた者を、私は決して許さない。何が起こったのかも、葵は分かっていなかっただろう。
ようやっと少し、ふっくらとしてきた頬を涙で濡らしながら、お許しくださいと繰り返す小さな身体を、労るように抱きかかえた。
その翌日───。
葵は忽然と姿を消した。
何がいけなかったのだろうか。家を出ろ等と言われ、追い出されるとでも勘違いをさせてしまったのだろうか。可哀想な事をしてしまった。
直ぐ様行方を探しに使いを出したが、調べを進めている最中に次男宗次の金庫から、あれの生まれた年に与えたアメジストの原石が失くなっている事を知る。
葵が持ち出したのだと判明した時、私は怒りよりも悲しみよりも、あの寄る辺の無い子供が不憫で堪らなかった。
あの石があの子の命を繋ぐ糧になるのならそれでいい。無理に探し出して連れ戻したところで、この家はもう、あの子の心休まる場所では無いだろう。
そう断念し、葵の捜索を打ち切った。
だが私は失念していたのだ。年端の行かない未成熟なベータの子供の中には、時に思いも寄らない変化を起こす者がいるという事を────。
────あれから数年後。
「おじいちゃまー!みてみてぇ、おばあちゃまにいただいたの!」
「おお、いいのを買ってもらったなぁ。似合ってるぞ、ちぃ」
「んふふふ」
蛹が蝶に孵るように、ベータの子供はオメガへと生まれ変わった。我が愚息の、宗次の子種を宿して出奔した葵は、その身を削ってこの子を生み育ててくれた。何という奇跡、何という誉れだ。
榛色の長い髪を高い位置で2つに結き、くるくると踊る様に回りながら、背中に背負った紫色のランドセルを自慢する孫娘の千津。名付けをしたのも母である葵。千手観音菩薩から『千』の字を頂戴して拝命したのだと、教えてくれた。何とも雅で有り難い名だ。
「随分と、変わった色のランドセルだなぁ」
「いいでしょ~。これ、千津の目の色と同じなの!きれいでしょう」
今はランドセルの色も様々らしい。昔は赤と黒だけだったのに、時代の変化とは目まぐるしものだ。
「ほほう、成る程な。春にはちぃも小学生か。たくさん学んで、早くおじいちゃまを手伝っておくれ」
「はぁーい!」
右手を高く掲げ素直ないい返事を返す可愛い孫の姿に、頬は緩みっ放しだ。こんな所、議会では決して見せられん。
「ところでちぃよ、ママはどうした。今日は一緒には来ていないのか」
「あのね、おじいちゃま。今日は、ママとパパはデートなのよ。おじいちゃまはすぐ、ママをひとりじめしちゃうでしょ? だから千津と一緒に、いい子にお留守番しましょうね」
娘待っしゃくれた物言いをしおって。こりゃ、宗次の入れ知恵だな。全く、碌な事を教えん奴め。葵の方がよっぽど、親としては優秀だ。
しかしまぁ…、デート、とな。あのドラ息子も相当手こずったようだが、どうやら少しは進展をしているようだ。
もしかすると、もう一人孫が増えるのもそう遠くはないかも知れんな。
「そうか、そうか。なら、この爺の相手は、ちぃに任せるとするか」
「うん、まかせてね!千津、い~っぱい、絵本をもってきたの!おじいちゃまに読んであげる」
「そりゃ、楽しみだなぁ」
手のひらに収まる小さな頭。母親譲りの薄茶色い柔らかなその髪を優しく優しく撫で上げる。
にこりと笑ったその顔が、何時か出会った15歳の少年と重なった。
あの時葵に出会っていなければ、今も私は過去の遺物の侭であっただろう。古い仕来りに拘り、変革を受け容れる事の出来ない老いぼれに成り下がっていたに違いない。
「ねぇおじいちゃま。あとで怜ちゃんのお部屋にも行こう。千津、赤ちゃんにも絵本を読んであげたいの」
「おお、そうしよう。赤ん坊がお昼寝から起きたらな」
子は鎹とは良く言ったものだ。夫婦だけではなく、家族すらも繋ぎ合わせて一つにしてくれた。
一点の曇もないこの幼子の、綺麗で純真な心を見習う様になってから、私の人生にもまた新しい道が拓けた。変化を受け容れるのも、時代の流れと言うものかも知れん。
だがどんなに時代が変わろうと、古い拘りを捨て去ろうと、揺るがないものもある。それは家名でも名誉でもなく、財産でもない。延々と受け継がれ行く、守るべき子供達の明るい未来だ。
「さて、あちらで菓子でも食べようか。婆さんにジュースを出して貰おうな」
「わぁい!千津、ぶどうのジュースがいい!」
「そうか、そうか。ちぃはぶどうのジュースが好きだもんな」
素直な子供の細やかな願い。叶えるのは容易い。だがこれを万遍無く聞き届けられるかはまた別だ。
差し伸べられる手を増やす事。
救いを求める声を拾い上げる事。
それがこれからの時代を担う、後続達の課題だろう。
その先駆けとして、この国を宰る現頭首の私自身がその標となる。それが私に出来る、最後の大仕事になりそうだ。
「おじいちゃまー、早くぅ!」
「はいはい、今行くよ」
私の手を掴み、引っ張る力の強さは頼もしい限りだ。そんなに急がなくとも、菓子は逃げたりせんのになぁ。
この小さな手に、たくさんの幸せを掴ませてやりたい。可愛い可愛いと甘やかすばかりではなく、転んでも立ち上がる強さを身に付けて欲しい。
緩んだ頬に刻まれた皺の数が、その願いの数だとこの子らが理解するのは、いつの日になる事か。
その日を待ち侘びつつ過ごすのも、また幸せというものだ。
■■【始まりの朝】■■
空が白々と明るくなる頃、ふと目覚めると、鳥の囀りに交じり聞き覚えのある音が聞こえてきた。
ほわぁ… ほわぁ…
小さく儚くも、生きたいと願うものの声。
私は急いで布団から這い出し、呼び声に向かって重い身体を運んだ。
「ああ、ああ…。元気だね」
「ほわぁ… ほわぁ… ほわぁ…」
教会の表門の下に、御包みに包まれた小さな赤子。まだ生まれて間もないその天使を見た時、神はまた私に地上での試練をお与えになったのだと悟った。
「さぁ、中に入ろう。君に兄弟を紹介しましょうね」
四年前にも同じ様に、神から遣わされた天使がいた。山々が紅く染まり移ろいゆく季節の名を与えた、私の大切な家族。
「秋。あなたの兄弟です。仲良くできますね」
秋はとても聡く心根の優しい子供だ。この小さな赤子をきっと慈しみ大切にしてくれるでしょう。私はそう信じる事に何の憂いも無かった。
「きょうだい?」
「家族ですよ。共に助け合い支え合う、大切な存在を家族と呼ぶのです」
「かぞく… きょうだい…」
「そうです。今日から秋は、お兄さんになるんですよ」
「はい、しんぷさま。ぼくはおにいちゃんになります。よろしくね、えぇ…と……」
「ああ、そうですね、この小さな天使に名を付けなくてはいけませんね。さて、なんと呼んだらよいか……」
ふと、窓の外を見やると、朝陽に照らされた夏の花、立葵の薄桃色が目に飛び込んできた。
「そう…、この子は、葵。秋の弟は葵です」
「あおい…。うふふ、かわいいです。あおくん、ぼくはあきです。なかよくしてね」
秋はその紅葉の様な小さな手のひらで、更に小さな葵の拳をそっと包む。
その光景は私の心に幸福感を齎した。そして同時に憐れみを抱く。
私に出来るのは神への祈り。この幼子達の手を自ら離した親達に代わり、光ある場所へと教え導く事。
どうかこの幼子らに、災いが降りかからん事を。太陽が照らす道を、真っ直ぐに進む強さを与え給え。
老い先短い私に課された地上での最後のお勤めは、こうして夢のように儚く過ぎていった。
■■【またね】■■
「ほんとに行っちゃうの? もう、もどって来ないの?」
「ごめんね、アオくん。決まりなんだって。オメガはここにはいられないんだって…」
そう言ってあーちゃんはボクをぎゅっと抱きしめてくれた。甘い甘いあーちゃんの匂い。大好きなお菓子のような、幸せの匂いがボクを包み込む。
「でも生きてたら、いつか絶対にまた会えるよ。だからアオくん。ごはんをちゃんと食べて、ずっと元気でいてね」
「…………ぅ、ん。ボク、やくそくする!だからあーちゃんもね。ごはんちゃんと食べてね。また会おうね。ぜったいだよ!」
ボクは少し背の高いあーちゃんの細い身体にぎゅうぎゅうしがみついて泣くのを我慢した。本当は寂しい。離れたくない。行っちゃ嫌だと泣いてしまいたい。
でも……、ボクが泣いたらあーちゃんも悲しくなっちゃう。だから、我慢する。
ごはんをたくさん食べて、早く大きくなって、ずっと元気でいたら……。そしたらボクがあーちゃんを探して会いに行こう。
また昔みたいにいっしょに暮らすんだ。
だから、さよならはしないの。
「それじゃあね、またね」
「うん…あーちゃん。またね」
おむかえに来たおばさんに手を引かれて、白い箱みたいな車に向かうあーちゃんは、何度も何度も振り返りながらその車に乗り込んだ。そして、窓からずっとボクに手を振ってくれた。
ボクも泣かないように我慢しながら手を振った。あーちゃんを乗せた車が孤児院の門をくぐり抜けて見えなくなるまで、ボクはずっとずっと手を振った。
車が消えて見えなくなった後、ボクの目からは涙がいっぱいいっぱい溢れて落ちた。
いつか本当に会えるかな?
あーちゃんはいつもおうちが欲しいって言ってたから、ボクが大工さんになってあーちゃんにおうちを作ってあげようかな。
そしたらそのおうちで、家族みたいにいっしょに暮らそう。
二人っきりの家族のおうちか……。
えへへ。楽しみだね、あーちゃん。
だけどそれきり、あーちゃんには会うことはなかった。
■■【祈る】■■
小さなアオくんが手を振っている。今にも泣き出しそうな真っ赤な顔で、唇を噛んで僕の乗った車に向かって手を振っている。
ごめんねアオくん。せっかくまた会えたのに。ずっと一緒にいようね、って約束したのに。僕がオメガだったばかりに、またアオくんと離れ離れに暮らさなきゃならなくなった。僕達は兄弟なのに、家族なのに。
神父様は仰った。
───『共に助け合い支え合う、大切な存在を家族と呼ぶのです』…って。
オメガの僕とベータのアオくんは助け合えないの?支え合えないの?
やっぱりおうちが無いから駄目なのかな。一緒に暮らすおうちが無いから、僕らは家族じゃないの?
「吉野くん、これから向かうオメガの保護施設では、15歳以下の子供には、養子縁組がたくさん用意されています。君にもきっと、いいご縁がありますよ」
お迎えに来てくれた民生委員の先生は、僕の頬をハンカチで優しく拭いながらそう教えてくれた。
「悲しい別れを経験させて、ごめんなさいね。でも、これから出会う新しい家族が、君のその寂しさを癒やしてくれるから」
「アオくんは…? 僕の家族では、ないんですか?」
「いいえ。あの子も君の家族です。家族って、強い絆で結ばれているものよ。一緒に暮らした記憶は、ずっと消えない。どんなに遠く離れていても、会えなくても、決して忘れたりしないの」
「新しい、家族が出来ても?」
「ええ、勿論。君がちゃんと覚えてさえいれば、一度結ばれた家族の絆は消えたりしない。だから安心して、いいご縁に恵まれるように祈りましょう。それにね、実は君に、ご紹介したいご夫婦がいるの。製薬会社を経営している、立花さんというご夫婦よ。とても明るい奥様と優しそうな旦那様でね、吉野くんもきっと気に入ると思うわ」
僕はこくりと頷きながら、「でも」と口にする。
「もしも、僕に新しい家族が出来たら、アオくんはどうなりますか?」
「う~…ん、そうねぇ……」
先生の言葉を待つ間、僕は家族の絆とは何だろうと考えていた。
神父様が天に召された時も、僕達は離れ離れになった。まだ2歳のアオくんはイヤイヤしながらわんわん泣いて、僕もそんなアオくんを見て、同じ様にわんわん泣いた。あの時一人になった僕は、おうちが失くなったせいで、僕らは一緒にいられなくなったんだと思っていた。だから養護施設では積み木を重ねながら、大きくなったらアオくんと一緒に住むおうちを夢に見ていた。
僕のおうち。アオくんのおうち。二人の、家族のおうち。
何度も何度も積み木を重ねて、たくさんのおうちを作った。
それでも毎日が寂しくて悲しくて、神父様やアオくんの事ばかり考えては、楽しかった日の事を思い出す。その度にここには居ないアオくんが、今どうしているかなとか、また泣いていないかなとか、ご飯はちゃんと食べたかなって考えた。時が過ぎて少し大きくなってからは、アオくんが元気でいますようにとか、ちゃんとご飯を食べてますようにという祈りに変わった。
養護施設から今の孤児院へ移ってアオくんにまた会えた時は、きっと天国にいる神父様が、神様にお願いしてくれたんだと感謝した。
さっき先生は、僕が忘れなければ家族の絆は消えたりしない、って言った。
またアオくんと離れちゃったけど、今度も僕が毎日祈ったり思い出したりしていたら、神様がまた僕達を会わせてくれるって事かな。
「そうねぇ…、吉野くんに新しい家族が出来ても、それでもアオくんは君の家族に変わりはないんじゃないかしら。君があの子を家族だと信じている限り、その絆は切れたりしないわ。だからアオくんにも、いつか別の家族が出来るように、祈ってあげたらどうかな」
そう…、なのかな。アオくんにも、僕以外の家族が出来るのかな。
「家族の幸せを祈るのも、また家族にしか出来ない事よ」
幸せを祈る────。
それなら僕にも出来る。
「はい、分かりました。僕、毎日祈ります。アオくんが寂しくなくなりますように、もう泣いたりしなくていいように、って祈ります。アオくんは僕の大切な家族です。だから幸せになって欲しいです」
そう言った僕に、先生はにこりと笑って、とても大切な事を教えてくれた。
「なら、先ずは君が幸せになりましょう。幸せな人の祈りはね、必ず祈られた相手も幸せにするものだから」
■■【新しい家族】■■
「はじめまして。吉野秋です」
「まぁまぁ!なんて可愛い子なのかしら。はじめまして。私は立花裕子です。こっちは夫の達臣。お薬を作る会社をやってるのよ」
初めて顔を合わせた秋ちゃんは緊張してたわ。そりゃそうよね。まだ12歳だもの。
お話を頂いた時は正直悩んだ。だけど私も夫も、ひと目見て彼が気に入ってしまった。とにかく可愛いんだもの。
『とても賢くて物静かないい子です。ただ、オメガ性の為、縁組は難しくて…』
民生委員の先生はそう仰って悲しげに微笑まれた。そうね…。オメガ性は何かとトラブルの元になる事が多くて、血の繋がった実の親子でも中々上手くいかない事があると聞くわ。ましてや私達は赤の他人。周囲の目も好意的な物ばかりじゃない。
特に立花は製薬会社。中にはモルモットを飼うつもりか…と、あからさまに蔑むような事も言われた。
勿論、そんな事はまったくの出鱈目よ!
夫の達臣とはお見合い結婚だった。優しくて穏やかな達臣の事を、私は直ぐに好きになった。彼の方もそうだったんじゃないかしら。だって私達、恋愛結婚だと思われることが多いもの。仲の良いおしどり夫婦。そう称される事が年々増えて、それに応えるように増々夫婦仲は円満だった。
だけど……。
子供が中々出来なくて、それだけは本当に悲しくて悔しくて…。
色々と試してもみたけど全然ダメ。
諦めて不妊治療を受けてみようと検査をしたら……。
私達には子供が作れない事がわかったの。
達臣には子種が無かった。
彼は私に離婚届を差し出して『僕には君に女性としての幸せを与えてあげられない』からと別れを切り出した。
そんなの……、冗談じゃない!!
子供を産むことだけが女の幸せだなんて、誰が決めたの!?
「私は達臣さんと結婚出来て、最高に幸せなの!その私の幸せを勝手に取り上げないで!」
いくら達臣さんでも、ううん。達臣さんだからこそ、わかって欲しかった。
貴方と結婚出来たことを、私がどれほど幸せに思っているか。
泣きながら怒る私に彼は『ごめんね、ごめん』と必死に謝りながら、私と一緒になって泣き出した。
「ねぇ、世の中には私達のように子供が欲しくても授からない夫婦もいれば、親を欲して泣いてる子も沢山いるわ。…私達、そんな子供の親になれないかしら」
「ああ、僕も同じ事を考えていたんだ」
そうして迎え入れることになったその子は、私達の大切な家族になった。
秋ちゃん。あなたは私達夫婦の宝物よ。
「お父さん、お母さん」
初めてあなたがそう呼んでくれた時の事を、今でもはっきりと覚えてるわ。
喜びが全身を駆け巡り、言葉を忘れて感涙に打ち震える私達を、あなたはちょっと照れ臭そうに困っていたわね。
「綺麗よ、秋ちゃん」
「ああ…、本当に綺麗だよ、秋」
純白のタキシード姿でほんのりと頬を染めた私達の愛息子。
オメガ性であることから、何時かはこんな日が来ると分かっていた。
頂いたお話に、最初は懐疑的だった。夫の経営する立花製薬が窮地に立たされ、破産の危機に奔走していた時だっただけに、何か後暗い事が隠されているのではないかと疑った。
だけど腹を割って真実を打ち明けてくださった中条様は、本当に心の底から私達の息子を愛してくださっている。秋ちゃんがほんの小さな子供頃から、見守り慈しみ陰ながら支えてくれた方。私達夫婦を、あの子の養親へと推薦してくれたのも中条様だった。
それを知って、ほんのちょっぴり呆れもしたけど、でも今は感謝の気持ちしかない。目の前の、愛しい息子の晴れ姿。その顔に憂いは微塵も感じられない。
爽やかな風が吹く秋晴れの佳き日。
息子は今日、私達の元から巣立つ。
「お父さん、お母さん。僕を二人の息子にしてくれて、ありがとうございます。立花の家で暮らせて、僕はとても幸せでした」
白いベールを被り、晴れやかに微笑む愛しい我が子。
あなたの幸せは、私達の幸せ。
「これからもずっと、私達は秋ちゃんの親に変わりはないのよ。困った事があったら、何時でも頼っていいんだからね。遠慮なんかしちゃ嫌よ。私達は家族なんだもの。だから秋ちゃん、もっと幸せになりなさい」
「ああ、そうだぞ。きみが幸せなら、お父さん達はもっともっと幸せだ。それを、決して忘れないで。───おめでとう、秋」
「───……はい!」
厳かに鳴り響く鐘の音と共に、ヴァージンロードを歩く夫と息子。
涙に霞むその晴れ姿に、私は心からの感謝を神に捧げた。
■■【守るべき宝】■■
中条の細君から「是非保護をお願いしたい子供がいる」と相談を受けたのは、跡取り息子の隆法が大城怜一というオメガに入れ上げていると気付いた頃だった。
我が宝条家に代々伝わる仕来りに則り、隆法にはアルファの伴侶を早々に宛行わなくてはならないと、嫁探しを始めたばかりに、その件は本音を言えば迷惑千万な相談だった。
聞けばそのベータの孤児は、中条の次男坊が惚れ込んで、ずっとその行く末を見守り続けているオメガの子供の関係者だとか。
───『双葉はあのオメガを、どんな手を使ってでも自分のものにするつもりらしい。我が息子ながら、あの執着には恐れ入るよ』
中条の当主は苦笑交じりにそう零していた。
まったく…。どいつもこいつもオメガ等に現を抜かして。次代を担う息子世代が心配で仕方が無い。
中条と九条、そして我が宝条。
この国を表立って動かしているのはこのアルファ御三家だ。その中で中条は、我々世代に激震を走らせた。“運命”等と踊らされて、等々アルファ御三家にオメガの細君を招き入れた。先代のご苦労が今になって、我が身に降り掛かろうとは夢々思ってもいなかった。
その中条の細君、オメガの葉子から直々に保護を頼まれた子供、それが吉野葵というまだ15歳の少年だった。
「は、初めまして、吉野葵です!よろしくお願いします!」
葉子に連れられ宝条家にやって来た葵は、春に中学を卒業したばかり。最初に雇われた工場では、不当な扱いを受けて退職に追いやられたそうだ。もう直16歳になると聞いていたが、その見た目はまだ10かそこらかと見紛う程に小さな子供だ。
これに私は目を疑った。…と同時に直ぐにでも会合を開き、次の予算委員会では子供基金を設立させねばと考えていた。
孤児とは、これ程までに未熟であるのか……。
国を足元から支えてくれているのは国民だ。そして子供は国の宝だ。その宝がこんなに弱々しく、貧相で、飢えているとは。
ショックだった。私は何も見えていなかった。
御三家を揺るがした中条の番夫婦に触発され、オメガ性に対する保護を強固にしてきた。それに伴う法律改革を進め、手厚い社会保障も作った。九条とも手を組み、より安全で確かな医薬医療の開発にも心血を注いでいる。遺棄される子供を救いたいと申し出た中条からの提案に、国の経営する養護施設や保護施設も着々と増えて、私は成すべき仕事の進捗に満足をしていた。
だが……。今、私が目にしている現実はどうだ。
見るからに栄養不足な、痩せ細った小さな身体で、早く大人になりたいからと進学を諦め働きたいと訴えている。
こんな現実はあってはならない。
葵を宝条家で預かることにしたのはそんな経緯からだったが、これが見事に誤算だった。
次男坊が大城怜一の後を追うようにニューヨークへと飛んだ翌日、悲壮な顔で私の元へとやって来た葵は、人払いをさせた途端私の足元に平伏した。
「どうした葵、何をしている」
「お許しください旦那様! ボ、ボクは、とんでもない事をしでかしました!」
涙声で額を床に擦り付けた葵の項に、真新しい歯型がくっきりと見て取れた。
「あ、葵……、お前、まさか…」
事情を聞き出そうと落ち着かせ、何とか口を開いた葵だが、歯型を付けた相手の事だけは頑として口を割らなかった。
我が家の使用人の中にはアルファ性の者もいる。犯人探しをしようにも、それは被害者の葵をも傷付き兼ねない。
ベータの葵に噛み付いたとて、番契約に成るものではない。そう思い、私は苦渋の決断をした。
「葵、この家を出なさい。お前が暮す場所は私が用意しよう。生活するに困らないだけの援助もする。いずれお前を傷付けた者にも罰を与えると約束するよ。済まなかったね、怖かったろう」
こんな年端も行かぬ子供に懸想し蛮行を働いた者を、私は決して許さない。何が起こったのかも、葵は分かっていなかっただろう。
ようやっと少し、ふっくらとしてきた頬を涙で濡らしながら、お許しくださいと繰り返す小さな身体を、労るように抱きかかえた。
その翌日───。
葵は忽然と姿を消した。
何がいけなかったのだろうか。家を出ろ等と言われ、追い出されるとでも勘違いをさせてしまったのだろうか。可哀想な事をしてしまった。
直ぐ様行方を探しに使いを出したが、調べを進めている最中に次男宗次の金庫から、あれの生まれた年に与えたアメジストの原石が失くなっている事を知る。
葵が持ち出したのだと判明した時、私は怒りよりも悲しみよりも、あの寄る辺の無い子供が不憫で堪らなかった。
あの石があの子の命を繋ぐ糧になるのならそれでいい。無理に探し出して連れ戻したところで、この家はもう、あの子の心休まる場所では無いだろう。
そう断念し、葵の捜索を打ち切った。
だが私は失念していたのだ。年端の行かない未成熟なベータの子供の中には、時に思いも寄らない変化を起こす者がいるという事を────。
────あれから数年後。
「おじいちゃまー!みてみてぇ、おばあちゃまにいただいたの!」
「おお、いいのを買ってもらったなぁ。似合ってるぞ、ちぃ」
「んふふふ」
蛹が蝶に孵るように、ベータの子供はオメガへと生まれ変わった。我が愚息の、宗次の子種を宿して出奔した葵は、その身を削ってこの子を生み育ててくれた。何という奇跡、何という誉れだ。
榛色の長い髪を高い位置で2つに結き、くるくると踊る様に回りながら、背中に背負った紫色のランドセルを自慢する孫娘の千津。名付けをしたのも母である葵。千手観音菩薩から『千』の字を頂戴して拝命したのだと、教えてくれた。何とも雅で有り難い名だ。
「随分と、変わった色のランドセルだなぁ」
「いいでしょ~。これ、千津の目の色と同じなの!きれいでしょう」
今はランドセルの色も様々らしい。昔は赤と黒だけだったのに、時代の変化とは目まぐるしものだ。
「ほほう、成る程な。春にはちぃも小学生か。たくさん学んで、早くおじいちゃまを手伝っておくれ」
「はぁーい!」
右手を高く掲げ素直ないい返事を返す可愛い孫の姿に、頬は緩みっ放しだ。こんな所、議会では決して見せられん。
「ところでちぃよ、ママはどうした。今日は一緒には来ていないのか」
「あのね、おじいちゃま。今日は、ママとパパはデートなのよ。おじいちゃまはすぐ、ママをひとりじめしちゃうでしょ? だから千津と一緒に、いい子にお留守番しましょうね」
娘待っしゃくれた物言いをしおって。こりゃ、宗次の入れ知恵だな。全く、碌な事を教えん奴め。葵の方がよっぽど、親としては優秀だ。
しかしまぁ…、デート、とな。あのドラ息子も相当手こずったようだが、どうやら少しは進展をしているようだ。
もしかすると、もう一人孫が増えるのもそう遠くはないかも知れんな。
「そうか、そうか。なら、この爺の相手は、ちぃに任せるとするか」
「うん、まかせてね!千津、い~っぱい、絵本をもってきたの!おじいちゃまに読んであげる」
「そりゃ、楽しみだなぁ」
手のひらに収まる小さな頭。母親譲りの薄茶色い柔らかなその髪を優しく優しく撫で上げる。
にこりと笑ったその顔が、何時か出会った15歳の少年と重なった。
あの時葵に出会っていなければ、今も私は過去の遺物の侭であっただろう。古い仕来りに拘り、変革を受け容れる事の出来ない老いぼれに成り下がっていたに違いない。
「ねぇおじいちゃま。あとで怜ちゃんのお部屋にも行こう。千津、赤ちゃんにも絵本を読んであげたいの」
「おお、そうしよう。赤ん坊がお昼寝から起きたらな」
子は鎹とは良く言ったものだ。夫婦だけではなく、家族すらも繋ぎ合わせて一つにしてくれた。
一点の曇もないこの幼子の、綺麗で純真な心を見習う様になってから、私の人生にもまた新しい道が拓けた。変化を受け容れるのも、時代の流れと言うものかも知れん。
だがどんなに時代が変わろうと、古い拘りを捨て去ろうと、揺るがないものもある。それは家名でも名誉でもなく、財産でもない。延々と受け継がれ行く、守るべき子供達の明るい未来だ。
「さて、あちらで菓子でも食べようか。婆さんにジュースを出して貰おうな」
「わぁい!千津、ぶどうのジュースがいい!」
「そうか、そうか。ちぃはぶどうのジュースが好きだもんな」
素直な子供の細やかな願い。叶えるのは容易い。だがこれを万遍無く聞き届けられるかはまた別だ。
差し伸べられる手を増やす事。
救いを求める声を拾い上げる事。
それがこれからの時代を担う、後続達の課題だろう。
その先駆けとして、この国を宰る現頭首の私自身がその標となる。それが私に出来る、最後の大仕事になりそうだ。
「おじいちゃまー、早くぅ!」
「はいはい、今行くよ」
私の手を掴み、引っ張る力の強さは頼もしい限りだ。そんなに急がなくとも、菓子は逃げたりせんのになぁ。
この小さな手に、たくさんの幸せを掴ませてやりたい。可愛い可愛いと甘やかすばかりではなく、転んでも立ち上がる強さを身に付けて欲しい。
緩んだ頬に刻まれた皺の数が、その願いの数だとこの子らが理解するのは、いつの日になる事か。
その日を待ち侘びつつ過ごすのも、また幸せというものだ。
141
あなたにおすすめの小説
泡にはならない/泡にはさせない
玲
BL
――やっと見つけた、オレの『運命』……のはずなのに秒でフラれました。――
明るくてお調子者、だけど憎めない。そんなアルファの大学生・加原 夏樹(かはらなつき)が、ふとした瞬間に嗅いだ香り。今までに経験したことのない、心の奥底をかき乱す“それ”に導かれるまま、出会ったのは——まるで人魚のようなスイマーだった。白磁の肌、滴る水、鋭く澄んだ瞳、そしてフェロモンが、理性を吹き飛ばす。出会った瞬間、確信した。
「『運命だ』!オレと『番』になってくれ!」
衝動のままに告げた愛の言葉。けれど……。
「運命論者は、間に合ってますんで。」
返ってきたのは、冷たい拒絶……。
これは、『運命』に憧れる一途なアルファと、『運命』なんて信じない冷静なオメガの、正反対なふたりが織りなす、もどかしくて、熱くて、ちょっと切ない恋のはじまり。
オメガバースという世界の中で、「個」として「愛」を選び取るための物語。
彼が彼を選ぶまで。彼が彼を認めるまで。
——『運命』が、ただの言葉ではなくなるその日まで。
【完結】end roll.〜あなたの最期に、俺はいましたか〜
みやの
BL
ーー……俺は、本能に殺されたかった。
自分で選び、番になった恋人を事故で亡くしたオメガ・要。
残されたのは、抜け殻みたいな体と、二度と戻らない日々への悔いだけだった。
この世界には、生涯に一度だけ「本当の番」がいる――
そう信じられていても、要はもう「運命」なんて言葉を信じることができない。
亡くした番の記憶と、本能が求める現在のあいだで引き裂かれながら、
それでも生きてしまうΩの物語。
痛くて、残酷なラブストーリー。
今からレンタルアルファシステムを利用します
夜鳥すぱり
BL
大学2年の鳴水《なるみ》は、ずっと自分がオメガであることを隠して生きてきた。でも、年々つらくなる発情期にもう一人は耐えられない。恋愛対象は男性だし、男のアルファに会ってみたい。誰でも良いから、定期的に安全に話し相手をしてくれる人が欲しい。でもそんな都合のいい人いなくて、考えあぐねた結果たどり着いた、アプリ、レンタルアルファシステム。安全……だと思う、評価も星5で良いし。うん、じゃ、お問い合わせをしてみるか。なるみは、恐る恐るボタンを押すが───。
◆完結済みです。ありがとうございました。
◆表紙絵を花々緒さんが描いてくださりました。カッコいい雪夜君と、おどおど鳴水くんです。可愛すぎますね!
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
ちゃんちゃら
三旨加泉
BL
軽い気持ちで普段仲の良い大地と関係を持ってしまった海斗。自分はβだと思っていたが、Ωだと発覚して…?
夫夫としてはゼロからのスタートとなった二人。すれ違いまくる中、二人が出した決断はー。
ビター色の強いオメガバースラブロマンス。
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる