都市街下奇譚

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十一夜目『霧』

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これは俺の知ってる話なんですがね、そうマスターの久保田の横に出てきた鈴徳良二が自分に向けて口を開く。たまに暇になるとフラリと厨房から顔を出す彼は、東北出身の海外の調理師コンクールに入賞したこともある男だ。久保田は横でグラスを磨きながら、客足は奇妙なほど途絶えてその言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



俺の父親の生まれたのは東北の寒村だった。
今でこそ道路が走り交通の便も良くなったが、未だ台風で土砂崩れが起きれば陸の小島になってしまう様な寂れた片田舎だ。村の一部は海に面しているが、そのせいで潮風が山に向かって這い上り深い霧となって昔から人を惑わす。しかし、それが当り前の土地だった。
だから、自然と霧で迷った行方不明者が他のと地に比べると多く出る。それが普通だから、誰も可笑しいなんて思いもしない。霧が出て道を見失った人間が消えて、仕方がないと諦められるのだからどれくらい消える頻度が高いか分かると言うものだ。霧のせいで道を見失って消えた人間は、体も何も見つからない。今にして思えばおかしな話だが、それがその土地では当然だったのだ。



電話の向こうで齢90にもなろうという良二の祖母は、依然かくしゃくとして耳も確かで何時も驚かされる。彼女には、どうやら最近問題の脳血管疾患やら癌やらは縁のない病気はのようだ。祖母が言うには病気の方が彼女を怖がって傍に訪れないらしい。これも、毎日繰り返される農作業等の作業が、祖母の体を鍛え上げた賜物なのだろうか。

『んがぁ、いつけぇってくんのす?』
「あぁ、帰ろうとは思ってるけど。皆変わりない?」

歯のない気の抜けた祖母の特有の笑い声が、電話口で笑う。その歳でこの会話が普通の音声でできるあたり、祖母もだいぶ妖怪じみているような気がしないでもない。電話口の祖母は補聴器もなしで、受話器越しに達者な口ぶりを発揮する。

『早苗もんがもさっぱとこのばばさば、おぼっここせぇでみせねなぁ。』

祖母の口ぶりに思わず良二が笑うと、思い出したように祖母が呟いた。

『まあ。わらすぁ兎も角んがぁよはえぐよめとりばさねばわがねなぁ。』
「ばぁちゃん、相手もいないんだからさぁ。」

子供の頃に比べると祖母の言葉が、だいぶ理解できるようになったのは何故だろうか。幼い頃に同じ歳ぐらいの子供が集落で行方不明になってから、両親は良二と早苗を実家に連れ帰ろうとしなくなった。もうあまり覚えていないのだが、その子が行方不明になった時一緒にいたんだったか何だったか。兎も角、集落では噂が直ぐ回るからと、それ以降足を向けたことはない。それなのに言葉は耳に入ると、理解できるようになるのが不思議だ。

『ほんでね、んがぁはやぐよめとりさねばなんねぇんだ。とうちゃんがら、いわれでらべ?』

そうではない、良二は早く結婚しろとは祖母は何で頑なに言うのかと良二は眉を潜める。

「親父は何もいわねぇよ?何でよ?ばあちゃん。何で、早く結婚させたいのさ?」
『あや、んがのとうちゃんせねがっだか?んがぁ、あんこなぐしさったのばしゃべらさったが?』

良二は更に眉を潜めた。祖母は唐突に父から自分に兄がいて、死んだ話は聞いていないのかと言い出したのだ。良二は今まで一度もそんな話は聞いたことがないが、心当たりがないわけではない。長男なのに自分の名前が良二なのに、不思議に感じたことが確かにあったのだ。

「いや、聞いたことない。何で死んだの?」
『霧っこさ呑まれだった。だすきゃ、んが産まれだどぎなぁとうちゃんがかみさんさおねがいすたのさ。』

霧に呑まれて兄が死んだとは、流石に両親も良二に説明できなかったに違いない。しかし、神頼みしたとは流石に迷信深い土地ならではだと、良二は呆れたように溜め息をついた。それにしてもそれと、自分の結婚がどう繋がるか理解できない。

「んで、何で俺が結婚しないとなんないの?兄貴かいたのはわかったけどさ。ばぁちゃん。」
『かみさんがとうちゃんの夢さではってな?んがの嫁っこさあっちゃここっちゃこぉって全部ではってしまっで、のごすたのがさむとのばぁよったばばだったじょうよ。だすきゃ、わげえおんなぶりいいのいだら、はえぐ嫁さばかごわねぇばってよぉ。』

はあ?と思わず呆れ声が良二の口から溢れ落ちる。夢のお告げで神様が、良二のところに行くような女の人があっちこっちと全部行き尽くしてしまったから、残ったのが妖怪みたいな婆さんしかいなかった。だから、若い美人がいたら、さっさと囲っておけ早く嫁をとれだなんて何の昔話だ。良二は思わず呆れを通り越して、笑い出してしまった。

「ばぁちゃん、さむとのばあみたいな女の方が見つけるのが難しいよ。」
『ほったなごどしゃべってもよ?かみさんがしゃべったばってとうちゃんがせっちょうはいでらじゃ、ばぁはくぅしてだのよ。』

笑う良二に神のお告げに苦悩する父を知って、祖母は切々と悩んでいるのだと訴える。上手いこと嫁が来ないことを結びつけてきたなと苦笑いしながら良二が、祖母の言葉を聞き流していると相手は溜め息混じりに呟く。

『佐々野のばぁ、くぅしてくぅしてあだまやめでしまっだのよ。おらほよいさばきてな。んがぁよ、まごどぉよごせ、ふゆこぉむがえさいがせすきゃひゃぐまごおよごせってせぇってよ。じょっぱってせでぐせでぐってなじょもせすっけ、んがぁせでぐ気でねぇがってよ?』

佐々野の婆さんが何?と問い返すと祖母は、言葉を選ぶようにユックリと話す。

『ふゆこぉめなぐなったべ?』

冬子とは佐々野家の孫の事で、祖母の家の近所の一家だ。佐々野冬子は、良二達が祖母の家にいかなくなる理由になった娘の筈だった。良二は話の脈絡のつかめない展開に、思わずこめかみを押さえながら祖母の言葉を判読する。

『あれがら、佐々野のばぁはせっちょうはいで冬子のこどをくぅしてくぅして、はぁわがねぐなったのよ。』
「うん、それで?」
『んでや、おらほさよっぴいてきてな、おらさむがってせったのよ。んがぁよ、まごどぉよごせ!ひゃぐまごをおらさよごせってせってな?』

佐々野の祖母は冬子の事を心配するあまり、どうやら頭がおかしくなってしまったらしい。その佐々野の祖母が夜にやって来て、祖母に向かって孫をよよこせ、早く孫をよこせと言うのだと言う。

『んがぁよ、ふったちばまなぐでみながったべ?良二はふったちばみでないがらよ、なんじょもせねえどせったどもよ?佐々野のばぁさむとのばぁよったすけ、おらぁくしてらのよ。』

やっと理解できた。祖母は佐々野の祖母が神様のお告げの妖怪のような姿で現れたので、神様のお告げ通り妖怪のような老婆に自分が連れ拐われるのではと心配しているのだ。理解できると良二はほんの少し迷信深い土地を出ることもなく過ごす祖母に、同情めいた気持ちが沸き上がるのを感じる。

「ばぁちゃん、心配しなくても大丈夫だよ。いい人がいたらちゃんと紹介するからさ。」
『んだが?だば、いいども。あのばば霧さ紛れで入っでくすきゃぁ、んがも霧さば紛れねようにすねばよ?』

霧に紛れで夜に妖怪のような婆さんが家に忍び込んでくるとは、田舎随分と物騒になったもんだと良二は苦笑を浮かべる。霧で消えた兄と霧に紛れて忍び込む老婆に、祖母は共通点を見つけて怯えているのだろう。それでも話していて安心したのか、祖母の声が少し明るくなったのが分かる。

『んがぁよ、暫くばばとしゃべねでだば、すっかりとがいしゃべりばぁするよさなったごど。』
「そうかな?でも、前よりばぁちゃんが、喋ってる事はちゃんと分かるようになったよ?」
『んだが?だども良二はおがっても、おらぁどんどんつんつくまってわらすよった。霧さ紛れだば、みえなぐなんべな。したらなじょすべぇ。』

良二は成長するのに、自分は体が小さくなっていくと笑う祖母に、良二は年月を感じて目を細める。幼い時まだ祖母の家に遊びに行く辺りは、祖母は躾の厳しい先生みたいに感じたものだ。座敷に良二と早苗を並んで正座させ、切々と土地の迷信を教え込む姿が朧気に浮かぶ。

「はは、じゃあばぁちゃん霧の時は家から出ないようにしてよ。」
『んだんだ、霧さばよらねぇ。んがもよ、霧さば寄るな?なんじょしても寄るなよ?』

祖母は暫く他愛のないお喋りを暫くして『んだばなぁ』と再び笑い声をあげて電話を切った。ふと電話を切った後、祖母からの電話は初めてだった事に気がついて良二は微かに驚く。

とうとう家のばあちゃんは携帯電話番号まで覚えたのか、ますます妖怪じみてきたな。

かくしゃくとした祖母の姿を思い浮かべ苦笑する良二はは、ふと着信履歴を見て凍り付いた。しかし、それをもう一度確かめようとする前に、突然手の中で携帯電話が音をたてて震えだす。良二は恐る恐る携帯を見下ろし、耳をあてた。

「もしもし?」
『あぁ良かった繋がって。大変なの、ばぁちゃんが。』

電話の向こうで焦ったように声をあげる母の上ずった声に良二は呆然と目を見張った。


※※※


祖母は霧の深い夜に、何故か誰にも告げず一人で家を出たという。明け方農作業前には起きてくる祖母が何時までたっても起きてこないを心配した伯父が、部屋に誰もいないのに気がついた。家を出たのは一緒に住んでいる伯父夫婦も、伯父の子供夫婦も誰一人として気がつかなかったという。自室にいないのに気がついた伯父が家中探したが見つからず、明るくなってから昔の農家らしい広い庭の立ち木の傍で祖母は見つけられた。その時既に祖母は垣根の傍に踞って、冷たく硬く凍りついていたのだと言う。その姿はまるで小さく踞った子供のように見えたらしい。
良二にかかってきた母からの電話は、その事と次第を告げる電話だったのだ。


※※※


「ばぁちゃん、死んだのって何時ぐらい?」

躊躇いがちに良二が問いかけると、母は声を潜めて昨日の夜中だから半日くらい前だと思うと告げる。良二は微かに緊張しながら時計を見上げた。半日前と言うことは手元の時計を眺め、こっちでいったら夕方位の事だったのかと良二は溜め息をつく。

「今、そっち何時?」
『夜の十時よ。あらやだ、時差の事すっかり忘れてたわ、あんた今何時なの?』

朝祖母を発見してから、伯父達はてんやわんやして連絡が遅くなったらしい。自宅でしかも変死のように見えたせいで、司法解剖とか騒ぎになったのだと言う。結局祖母の死因は心不全だったらしく、胸が苦しくて庭に飛び出したのではないかと納得できない理由で疑問を閉じ込めたらしい。

「ああ、朝の四時前だけど、丁度起きてたから気にしなくていいよ。」

良二は何気ない風を装って、そう告げながら窓の外を凝視していた。先ほどの着信は、ここからだと海外になる日本からの番号を表示していなかった。非通知でもないし、よく見慣れた番号。自分の携帯電話の番号からの着信だった事を、思い出しながら窓の外を立ち尽くして見やる。

「悪いけど、今からそっちには行けないからさ。」
『分かったわ、朝早く悪かったわね。』
「連絡ありがとう、母さん。伯父さん達によろしく。」

窓の外は乳白色に埋められた世界だった。まるで祖母の家で見る様な濃い霧が深く立ちこめ、良二を見つめているようだった。


※※※


お祖母さんは霧に呑まれたの?

自分の声に鈴徳は爽やかにまさか、違いますよと笑う。呑まれたら遺体なんて見つかんないんですよと笑う彼の口ぶりは、本当の話なのか作り話なのか見ただけては判別出来ない。しかし、霧に呑まれて消えるだなんて、ホラー映画みたいな話だねと自分が笑う。

そうですよねぇ。

グラスを磨いて棚に置いた久保田がレコードを手にカウンターから歩みでて行くのを眺めて、自分は思い出したように彼に声をかけた。

お兄さんは本当にいたの?幾つで亡くなったの?

ああと鈴徳は自分の声に意味深に笑う。もしかしたら、そこは作り話なのかと頭を過った考えを否定するみたいに、彼は朗らかに口を開いた。

腹ん中ですよ、お袋の。俺双子だったそうで。

え?と自分が意味がわからずに声をあげると、信じらんないですよねと彼は意味深に笑う。腹の中にいた片っ方だけ、霧で消えたんですとあっけらかんと告げる彼に、自分は冗談が上手いねと笑う。

冗談じゃないんですよ?だって、母子手帳あるんすよ。兄貴の分。

彼が告げた途端カランと音を立てて扉が開き、若いきつい目付きをした青年が姿を見せる。双子の片割れが腹から消えるなんてと呆然とした顔の自分を残して、いつの間にか鈴徳は姿を消していた。歩いた気配もないのに煙のように消え去った彼に、自分は思わず身を震わせていた。
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