都市街下奇譚

文字の大きさ
24 / 111

二十夜目『黒髪』

しおりを挟む
これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



佐倉里津は何より自分の黒髪が自慢だった。
物心ついた時には里津の髪は既にしなやかで絹糸のような黒髪は艶があって、それでいて芯も適度にあってそれは見事な髪だ。そんな見事な黒髪は、まるで日本人形のようだと誰もが言った。勿論美容室に行っても彼女の髪は、何時も褒め称えられる黒髪だった。

「まるで、緑に輝いてるみたいな髪よね、羨ましいわ。」
「染めても、ストレートパーマもしてないんでしょう?凄いわ、羨ましい。」

その言葉は彼女にとって最も優越感に浸れる一時だ。
顔の奇麗な子や可愛い子なんて何処にでもいるし、スタイルのいい子もそこら中に掃いて捨てるほどいるのは分かっている。でも、これだけの髪をもつ子はそうはいない。それが里津にとっては、何よりも自慢で何よりも嬉しい。綺麗な黒髪は、どんなに苦労しても持てない人は絶対に持てないのだ。そして、見事な黒髪はもっと希少価値が高い。どんなに髪に良いと言われた事をしていても、生まれ持った黒髪の色は固有差があるのだから。それが分かってからというもの、この見事な黒髪は里津にとっての一番の自慢なのだ。

里津の一番の楽しみは黒髪に櫛をとおす瞬間だった。里津の髪はどんなに寝ても癖もつかず、全く絡まることもない。櫛を通せば何時もスルリと滑るように櫛が降りていくのは、例えようもない感触なのだ。絡まりのない髪を丁寧に櫛をとおすのに、本当なら数秒もかからないのだろうけれど。唯一の楽しみと里津は丁寧に時間をかけて、髪をすいていく。そうすると里津の髪は更に艶やかに輝いて、周りの目を惹き付けるような気がする。



※※※



社会人になって里津は、実家を出て独りで暮らすことになった。独り暮らしは慣れるまでは確かに一苦労で、母親の有り難みが身に染みることも多い。それでも日々を過ごすうち、独りで暮らすこと自体次第に里津も慣れていく。社会人というのはこう言うものなのかしらと、苦笑いしながら日々を過ごす内に独りの生活に慣れていくものなのかも知れない。里津の楽しみは専ら自分の髪にかかわるもので、美容室やヘッドスパに勤しんでいた。しかし、里津は髪を切りたいわけでも、パーマをかけたいわけでもない。ただ、ひたすらに里津の髪を褒めてくれる人間のいる、髪を褒められる場所に行きたいだけなのだ。だから、里津は彼氏もいないし、休みは全てそれに費やされていた。

「佐倉さんの髪って、地毛?」
「ええ、そうよ。」

昼休みの最中同期の茶髪の女が、トイレの洗面台に並びながら問いかけた。それに里津は、やっと自分の髪の美しさに気がついたかと微笑みながら答える。彼女は里津の自信満々な声に驚いたように、暫く里津の髪をマジマジと眺めると少し笑いながら言った。

「何か真っ黒過ぎて気持ち悪い。」

え?と里津は声をあげた。そんなことを言われたのは初めてだ。綺麗と言われたのは数えきれない程あるけど、気持ち悪いなんて言われた事はなかったから里津は愕然とした。そして愕然とすると同時に猛然と里津は腹を立てて、その女に今すぐに訂正するように詰め寄る。相手は里津の剣幕に驚いたように後退ったかと思うと、タイミング悪く他の同僚がトイレに姿を見せた隙に謝ることもなくそそくさと立ち去ってしまった。

何なの、気持ち悪いって。

今まで綺麗とか凄いねと言われてきた自慢の黒髪を、気持ち悪いと評されたのは里津にとって不快で堪らない出来事だったのだ。
気分が優れないと早退した里津は家に帰ると鏡の前で、丹念に何時間も時間をかけて髪をすいた。食事をとるのもそこそこに丁寧に髪を櫛ですいている内に、少しずつ不快だった気分も晴れていくような気がして里津は無心で櫛を動かし続ける。しかし、環境が変わったせいなのか、あの女が言ったことのストレスなのか里津は朝起き上がった瞬間に凍りついた。

何てこと…

枕にゴッソリと髪の毛が落ちている。恐る恐る髪の毛を拾い集めていくと、それは束と言ってもいい恐ろしい量だった。もしかしてストレスで、何処かに円形脱毛でも起こしているのかも知れない。里津は怯えながら鏡に頭を写し、丹念に髪を探るが一見すると異変は見当たらないようだ。それでも、抜けた髪の毛を見ると不安で仕方がなくなって、仕事を休んで里津は直ぐ様美容室に駆け込んだ。
美容室で丹念に髪の毛をケアしてもらいながら、別段頭皮に異常がないと言われても里津は安心できず落ち着かなかった。家に帰った里津は朝集めてテーブルに置き去りにした抜けた髪の毛を、丹念に揃えて眺める。

どう見ても、私の髪の毛だわ。

それはどう見ても一束引き抜いたような量で、里津は躊躇いながら部屋の床を見渡した。すると、床にも何本か髪の毛が落ちているのを見つけて、一本ずつ丁寧に拾い集める。もしやと駆け込んだ風呂場の排水溝からゾロリと溜まっている髪の毛を見て、里津は怯えながらそれを拾い集めていく。そして、集めきった髪の毛をまるで自分の頭から生えている髪にするように、丁寧に撫でるようにシャンプーをし始めた。その後には普段と同じくコンディショナーをつけてトリートメントまでしてから、タオルで丁寧に拭い乾かしてリボンで括る。そこまでしてから、里津は抜け落ちた髪に自分は何をやっているのだろうと我に帰った。

何やってるのかしら。

溜め息まじりに里津は、手の中の艶やかに輝く髪の毛の束を見下ろす。抜け落ちてしまった髪の毛を集めて、頭に生えてる髪のように洗ってケアしてなんて正気の行動には思えない。捨ててしまえばいいのだろうが、手の中で束になっている艶やかな髪の毛を見下ろした。

この量の髪の毛を捨てたら、気持ち悪いわよね。

それにせっかく綺麗に洗って乾かしたのだしと、心の中で自分が言いわけがましく呟くのを聞く。里津は結局綺麗な箱に丁寧にそれを納めて、ベットの下の引き出しにしまいこんだ。



※※※



自分の髪の毛がどんどん抜ける。
それがどれだけ恐ろしい事か分かるだろうか。朝起きるとゴッソリと髪の毛が枕に落ちているのを見る度に、里津は青ざめて凍りつきそれを見下ろす。次第に櫛をすいても何の感触もないのに、ゴソリと髪の毛が抜け落ちて床に散らばる。やはり脱毛症にでもなっているのかと探してみたが、その気配はないのが正直不思議だった。髪の量も変わらず、ただ髪の毛は無造作にゾロゾロと抜けていくのだ。

「佐倉さん、この間町で見かけたけど、お相手は誰?」

そんな時唐突にかけられた言葉に里津は、戸惑いながら相手の顔を見つめた。

「間違いないわよ、後ろ姿だったけどあなたの髪目立つもの。」

最近は濡れたような黒髪の方が、茶髪よりも目立つのは事実だ。でも、里津にはその覚えがないのに、こんな風に何人かから男の人と居たでしょと言われる機会が増えている。同じような見事な黒髪の女が、自分の直ぐ傍で生活しているのだと考えると里津の苛立ちは更に強まった。そして、苛立つと抜ける髪の毛の量が、一際増えているような気がする。

何でなの。

専門の職種にコッソリと相談すると、髪の毛はストレスがかかって半年ほどで脱毛などの症状がでるのだという。ちょうど1人暮らしを初めてあんな酷いことを言われて、半年位なので原因ははっきりした気がしたがそれでも髪の毛が抜けることは気が気ではなかった。

私の大事な髪の毛…

髪を梳く度にゾロゾロと抜ける大量の毛を、里津は悲しい気持ちで見つめる。一体これは何時まで続くのだろうか。そう思うと酷くやるせなかった。そして、余りにも抜けるその髪の毛を、やはりただゴミにすることが出来なくて一本ずつ丁寧に揃え箱に大事に納め続ける。

他の人が見たら酷く変な行動だわ。

分かってはいるが、それでも誰もそれを止めるものは居なかった。それに里津にとって、それだけ髪の毛は大事な宝だったのだ。箱は次第に大きなものに変わり、やがて帽子が入るような箱に変わった。開けると両手で束を掴めるほどの量の髪の毛が、艶々と輝きながら納められているのは知らない人が開けたら悲鳴をあげるに違いない。分かってはいるが、もうこの量になっては普通にゴミに出すことも出来ないし捨てる気にもなれないのだ。

「ねえ、佐倉さん、この間見たわよ。あれ、彼氏なの?」

そして、また同じような同僚の問いかけに、里津は知りませんよと答える。態々駆け寄ってきて、秘密の話をするみたいな相手の顔で何を言ってくるのか分かるようになってしまった。そのくらいの頻度で何度も皆が言ってくるのが、腹立たしくて仕方がない。里津がもし本当に彼氏がいたからといって何だと言うのか。実際に彼氏はいないし、里津は男と遊び歩いてもいない。でも、相手も必ず付け加えるようにこう言うのだ。

「間違えるわけないわよ、後ろ姿でも絶対にあなたの髪だったわ。」

その言葉に里津は戸惑いながらも、曖昧な微笑みを浮かべて話を聞き流す。相手はその曖昧な笑みを勝手に受け取って、勝手にドンドンと話を進める。彼氏紹介してよと言うときもあれば、あなただと思ったのよと言うときもある。正直そんな話はどうでもいいのだ。でも、同じくらい綺麗な見事な髪の女がいるのだと考えるだけで、気分が悪くなるのは事実だ。そして、そんなことを言われると、また明日の朝ゴッソリと髪が抜けてしまうと不安に感じる。

朝起きて抜け落ちた髪の毛を見下ろし、やっぱり抜けてると溜め息をつきながら里津は儀式のように髪を丁寧に拾い集めていく。そして、その髪の毛は艶々と頭に生えているのと変わりない美しさのまま、人の頭が入っているような大きさの箱に束にして納められ続けている。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

10秒で読めるちょっと怖い話。

絢郷水沙
ホラー
 ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...