都市街下奇譚

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二十四夜目『ついてくる』

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これは、ちょっと特別な人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



ふと、気がつくと視線を感じる。視線に気がついて振り返っても視線の主は分からないが、何故か背中に視線を何時も感じているのだ。それに気がついたのはほんの数日前なのだが、気がついてからというもの四六時中視線を感じる。背にだけ視線を痛いほど感じるというのも気持ちの良くないもので、立ち止まって振り返る機会がずいぶん増えた。

「どうかしたの?」

夜気に温く淀んだ街中を歩きながら、一緒にいた女が不思議そうに問いかけてくる。しかし、こちらにはそれを上手く説明する方法がない。背中に感じるだけの視線なんて、相手に説明のしようがないのだ。

「何か、みられてる気がするんだ。」
「またまた、冗談でしょ?」

女が最初からそう言うと思っていたから、ニヤリと意味ありげに笑いかけて見せる。その笑顔で言葉を冗談だととったらしい女は、甲高い媚びを含んだ声でやぁねぇと笑う。街中の喧騒を肌に感じとりながら、何気なく今いる場所からあの事を思い出す。あれはここいらではとびきり珍しい事件として、ここいらに以前から住んでいる人間に問えば口を閉ざす。そうでない人間であれば、面白おかしく尾ひれを足して、酒の肴に怪談めいた口調で語り出すのだ。そして、自分はと言えばもっぱら後者に含まれる。

「知ってるか?ここいらで少し前に殺人事件があったんだぜ?」

女は興味を持ったみたいに本当に?と問い返す。自分の暮らす繁華街の片隅で、人が人を傷つけ殺すような凄惨な事件が起きている。人間の多くがそれを聞きたがるのは、自分が安全な場所にいると信じきっているからだ。そう分かりながら話を続ける背中には、やはり痛い程の視線が突き刺さり近寄っている。

「小さなバーの奥にな、秘密クラブみたいな場所があったんだってよ。」

ここいらの建物は少し古くて間口は狭いが奥行きがあることがあるから、そういう話がまことしやかに語り継がれる。この話をするからなのか、背後の視線は何故か更に距離を積めたような気がした。

「そこに入り浸ってた男がな、何人も女を連れ込んで乱暴したりしてたんだと。」

胡散臭いバーなんかはビルの中にあったりもするから、強ち嘘とも言い切れないのだろう。女は興味を深めたみたいに、腕に手を絡めて先を促してくる。

「仲間と乱暴したりしてな、そのうち女のどれかが死んじまったらしいんだけどな?」
「捕まったの?」
「そうなら話はここで終わるだろ、男は良いとこの坊っちゃんで、女は事故で死んだことにしちまったんだ。」

よくある男女のいざこざ話には有りがちな顛末だ。

「で、自分が騙した女の幽霊にとりつかれたんだと。」
「よくある話じゃない、騙された女の幽霊なんて。」

女がつまらなそうに言うのに、まあ聞けよと笑う。大概の人間がここまでで一端同じような反応をするのは、女というのは男に騙されると幽霊になると誰しも思っているのかもしれない。女は珍しく話を聞きたがったから、こちらも背中に視線を感じながら先を続ける。

「女の幽霊はな、とりついた男を自分と同じ目にあわせたのさ。」
「同じって?」

一番ポピュラーに話されている噂を教えてやると、女はやだぁと甲高い声で大きく笑った。噂は噂なのでどれが本当かなんて、聞いている人間には分からない。噂に変わるとどんどん尾ひれがついて、やがて男は女に化けて夜な夜な歩き回るなんて噂まであるらしいから祟られた男には災難な話しだ。もしかしたら一番の祟りは噂になることなのかもしれないとも、時々話していると思ってしまうのだ。

「まあ、そこは色々噂があるんだが、問題はその後の男の行く末だ。」

チリと背中の視線がまた近づいた気がして、微かに歩調が緩む。女はモノ問いたげな視線で腕を引き、更に先を促してくる。

「男は自分と一緒に女に乱暴した仲間を一人ずつ殺してあるいたんだ。」

一人ずつ乱暴した者を襲い歩く男。自分の仲間だった男を殺し歩く理由は何だったのかは、噂では結末は分からないままだ。男は仲間の家を訪れては、両手両足を引きちぎり腹を裂いて内蔵の代わりに腹の中に手足を詰め込んだ。とりつかれた男は相手の男の大事な部分を千切りとって口に捩じ込み、最後に相手の体を全て風呂桶に投げ込む。しかも、家を出ていく時に態々湯を張って放置していったらしい。この話が本当なら現場は、凄惨などころではなかったのではないだろうか。

「やぁだ!気持ち悪い!」
「しかも、その一番最初の殺人現場は、溜まり場のバーの奥の秘密の部屋だったんだと。」

元々が秘密の部屋だもんな中々見つからなかった上に、死にきれなかったやつがゾンビみたいに店中を這い回ってたらしい。と話してやると女は震え上がって、手を回した腕にすがり付く。

「男は全部の仲間を殺して、物足りないのか関係ない男まで巻き込んで殺しまわったんだとさ。」
「それで?最後は幽霊にとり殺されて死んじゃったの?」
「いいや、生きてるらしいぞ?」

ええ?!と、女が驚きの声をあげる。噂話の中には死んだと言う話もあるが、殆どは殺人犯になった男は生きていると結んでいる。精神が崩壊して病院にいると言う話もあれば、まだ女を弄ぶような男を殺し歩いているなんて物騒な話も囁かれているのだ。まあ大体にして人間の手足を人間が引きちぎる等と言う時点で、大分眉唾物の怪談話ではあるのだが。

「この話をしてるとな、そーっと背後から近寄ってきて、振り返ると……。」

囁くように告げられた言葉に、背中の視線が舐めるように近寄っているのが感じる。女も緊張してきたのか震えながらしがみついた腕を柔らかい胸に引き寄せて、肩越しに怯えながら背後を伺う。

「っても、女にはなにもしないって言うけどな。」
「やぁだぁ!すっごいビビっちゃったじゃない!」

女の幽霊が女には祟らない話なのだから、安堵したのだろう明るく笑う女を引き連れ歩き出す。背中の視線は僅かに遠退いたが、それでも背中に痛い程感じとることが出来る。



※※※


普段の生活の中でも背中に視線を感じ始めるようになったのは、その後暫くしてからのことだった。久々に家に来た上原秋奈が、ゴミを袋にまとめながら視線をあげる。

「恋人いないの?コータ。」
「いるわけないだろ?ここの状況でいたら、俺が可哀想だ。」

雑然とした家の中はどうみても彼女や女房がいる男の住まいではない。とは言え食器棚には立派な食器がセットであるし、家電も調理器具も揃ってはいる。ところが、自分では料理なんかしたこともないのだ。食事は外食やコンビニで十分だし、基本的に自分が食に疎いのは知っている。

「まあねぇ、コータ、味覚障害だもんね。」
「うるさいな、仕事中だ。」

自分の味覚障害がハッキリしたのは数年前のこと。何を食べても味がしない上に治療しようにも、原因がハッキリしなかった。これ以上の障害を持ちたくはないが、治らないものは仕方がない。

「ねえ、コータ。」
「何だ?」

秋奈が背後でゴミを纏めながら、自分の方を眺めるのが分かる。

「私が奥さんになってあげようか?」

予想外の冗談に思わず笑いが溢れ落ちた。何で笑うのよと秋奈が不貞腐れた声をあげるのに、思わず片手を上げてヒラヒラと振る。

「俺みたいなのより、もっといい男探せよ。秋奈。」

その言葉に背後から秋奈の視線が背中に感じた。何時もの痛い程の視線と、秋奈の柔らかい視線は別ものだと簡単に判別できる。背中に目でもついたみたいに感じる視線は、いつまで自分の事を観察しているのだろうと考えてしまう。秋奈がゴミ袋を纏めて手を洗う音が聞こえ、何か食べない?と背中に声をかける。仕事中とは言ったものの休憩するのも悪くないと立ち上がると、背後の視線は一つに減った。

「ねえ、コータ。」
「何だよ?」

腕に手を絡めた秋奈が戸惑うように、自分を横から見上げるのが分かる。

「さっきの話本気にしてもいいんだよ?」

秋奈が小さな声で囁いた瞬間、背中の視線が急に近寄った気がした。思わず立ち止まり立ち尽くした腕に、手を絡めている秋奈が不思議そうに黙りこむ。背後の視線は酷く近い。まるで背中がチリチリするような強さで、肌が粟立つのが分かる。まるで咎めるような視線は誰のものなのか、今振り返れば分かるような気がした。思わず秋奈との間から肩越しに、背後を振り返る。

「コータ?」

振り返った顔を見上げる秋奈が戸惑いながら声をかけるのに、黙りこんだままの口からは声が出てこない。身動きもとれず、振り返ったのとは反対の肩に視界には見えないのに何かの重さを感じるのだ。まるで手を置かれて上に頭でも乗せられているような、確かな重さがズシリと肩にある。

「コータってば。」

秋奈の声にぎこちなく視線を帰したが、秋奈の申し出には答えなかった。
何かを秋奈に答えたらあの重さが何なのか見えてしまう気がしたのだ。見えてしまったら何もかも終わってしまう気がするのは、気のせいではないと思う。



※※※



視線は今も背中に痛い程に感じているが、あれほど近くには寄ってこない。しかし、何処に行っても何をしていても、今では視線を感じとることが出来るようになってしまった。外を歩いていても家の中に居ても、背中にヒシヒシと視線の刺が刺さるように分かる。最近ではその視線が誰のものかを考えることすら嫌になりつつあった。

女を騙すと女は化けてでるんだもんな。

そう噂話で話した通り、騙された恨みで女が化けてででいるのかもしれない。ただ、自分が知っている女は最後は自ら目と舌を抉り出して、絶命していた凄惨な姿しか記憶にないのだ。

味覚障害は理解できるが、抉り出した目でも後ろから睨めるもんかね?

そう考えるようになる疑問が沸き上がる。疑問に結論をつけないままにいたら、やがて同時にもう一人恨めし気な視線を投げ掛けそうな姿が頭に浮かぶようになった。まさか自分が今になってその姿を思い浮かべることになるとは、正直思っても見なかったが次第に姿は鮮明になってくる。

何だ、もうちょっと悲しくるかなって思ったけどなぁ。

血塗れの笑顔が時折脳裏に浮かび記憶の中の顔が、自分を見下ろして朗らかに聞こえる声で呟くのが思い出される。あいつは死んではいない筈だと、頭の中で繰り返し呟く。相手は病院で死ぬまで出てこれない筈なのに、子供のような声が直ぐ傍に立って笑っている気がして背後を思わず振り返る。振り返った先の暮明にそいつが立ってナイフを片手に歩み寄って気がして、思わず目と喉を覆って呻き声をあげた。

今度は最後まで殺ってやるよ。
 
立ち尽くしたそいつが笑いながら、そう告げたような気がして思わず肌が粟立つのが分かる。何度振り返って街を眺めても、自分を見ているそいつは彼には見えない。勿論化けて出た女だって、自分を見ていてもこちらは姿を見ることはできないのだ。それに気がついたら、無性に恐ろしくなった。

見えない。

どんなに見つめられているのが分かっていても、自分には相手を見ることができない。その事実に醜い傷の下の義眼の両目を押さえたまま、外崎宏太は人知れず肩を震わせていた。



※※※



話を終えた久保田の顔を見つめて、思わず自分は口を開いた。

本当ですか?それ?

そう問いかけたくなるのは、その話の前段階を随分以前に聞いた気がするからだ。そして、その直後にこの店で盲目の男性と出会い、薄気味が悪いと逃げ出したことがある。どうでしょうねぇと久保田が微笑む。背後から何時までも見ている視線も気味が悪いが、もし話が本当で殺人犯に狙われ続けるのも気味が悪い。しかも、そんな人間が自分の生活の直ぐ傍にいるとしたら、気味が悪いではすまされない。思わず背後に何かを感じた気がして、自分は慌てて背後を振り返っていた。
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