都市街下奇譚

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五十夜目『同じ目にあわせてやるから』

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あんた、結構久保田の話し相手してるんだろ?

『茶樹』の常連らしい盲目の男が口を開く。男は歳は四十代位だが、目のある筈の場所は醜い傷で抉られたようになっていて義眼と分かる目が両目に嵌められている。普段は濃いサングラスをかけているが、カウンターのスツールに座って見ればその傷は一目瞭然だ。それ以外にも首にも深そうな傷があり声も掠れているし、歩く時の動きを見れば足にも怪我をしていそうだ。マスターの久保田はグラスを磨きながら、外崎宏太と言う男の話を聞いている。芳しい珈琲の香りのする店内に客足は奇妙なほど途絶えたまま、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



外崎宏太は昔妻が自殺した後に、勤めていた大手金融会社を辞めてしまった。誰もが妻の自殺のせいで外崎が落ち込んで精神的な問題で会社を辞めたのだと噂したが、正直なところ外崎は本当の自分に気がついたと言う方が正しかったのだ。自分が自分らしく生きていくためには、会社と言う世間一般的括りが邪魔だった。その後の外崎はある意味では凄く自分らしく、ある意味では世間体や社会的には裏側に堕ちたとも言える。
最初にしたのはSMクラブに通うことで、次にはそこで自分から働いた。やがては調教師なんて呼ばれる立場になって、そこで何人かの知り合いが増える。調教師を辞めた後にはその中の友人の奨めで小さなバーを開いたが、奥には趣味と実益を兼ねたプライベートルームを密かに経営した。
そして、あの女に出会ったのだ。



※※※



その女は今まで店に来た女とは違っていた。大概女を連れてくる男がいて、男はこの店の奥の部屋の事を知っている。そして大概の男は奥の部屋に女を連れ込むのが目的なのだが、その女は誰かに連れられてきた訳ではなかった。ある時独りでフラリと店に現れて、カウンターの端の暗がりに座ると妖艶に微笑みかける。最初は何杯か飲んで帰るだけだったが、何処か退廃的な匂いを漂わせた彼女に話しかける男は途切れることを知らなかった。そんな彼女から不意に話しかけてきたのは、すっかり彼女の顔と名前を覚えた頃だ。

「向こうでお楽しみの方が儲かるの?」

ヒヤリと背筋が冷たくなるのを感じながら、外崎はそれを悟られないようにと微笑みを浮かべたままシェイカーをふりカクテルを差し出す。彼女は目を細めて値踏みするかのように、外崎に話しかけた。

「高嶺の花を眺めるのが趣味?」
「さあ、どうでしょうね。」
「あたしは踏みにじりたい方よ?今度見せてあげたいわ。無惨に惨めに踏みにじって地を這わせたいの。」

女が艶やかに笑いながらグラスを空け、唇を舐めながら妖艶に微笑む。微かに外崎の眉が上がり、能面のような顔の中で僅かな興味を示したのが分かる。相手はそれをちゃんと把握して、獰猛な獣のような瞳で外崎を見た。

「でも、あたし踏みにじってる間、身を隠していたいの。我が儘でしょう?」
「そうですねぇ。」

外崎の返答など気にもしない様子で、彼女は楽しげにすら見える仕草でグラスの縁をなぞりながら唇をチロリと舐める。その姿は完全な捕食者を思わせて、外崎の背中を更に氷が落とされたような感覚を感じさせた。

「何処なら店長さんがあたしの踏みにじってるのを堪能できて、あたしが顔を隠せる?」

人気のない店内で外崎のグラスを磨く手が止まる。目の前の女はまだ一度も奥に入ったこともないのに、奥に何があるのかを完全に把握していた。奥の部屋で秘密裏に行われる酒池肉林の饗宴の存在と、それを覗き見る外崎の性癖まで。そして、女の言う言葉を反芻したように暫く外崎は考え込む。背筋が凍る思いをしているのに、女が何を覗かせてくれる気なのか酷く興味がある。誰にも靡かないで外崎に声をかけてきた目の前の女の残忍に輝く瞳に、外崎は新しいカクテルを作り始めた。

「どうぞ、これは私の奢りです。」
「カジノ、ねぇ。」

差し出された白濁のグラスの中に、真紅のチェリーが踊るカクテルの名前を彼女が面白そうに呟く。カクテルの名前を知っている上に、このカクテルの意味も女は知っているようだ。興奮してると暗にカクテルで告げた外崎の表情は、未だに能面のように変化がない。そして外崎は顔に変化を出さぬまま、思いきったように口を開く。

「もしどなたかに誘われたら、準備室には留まらず、扉を抜け真っ直ぐに赤いソファーに座るのがお奨めです。」

目の前の女は興味なさげな顔をしてカクテルの中のチェリーを眺めているが、その瞳の色は獰猛な獣のままだ。どうやら外崎が乗ってくるのは彼女の予想通りで、外崎は淡々と少ない言葉で相手と契約を交わす。彼女が見せる踏みにじられた高嶺の花を見る為に、背筋が凍るこの感覚を無視すると言う契約。

「頭は斜め上から映りますが、入った時も壁を振り返らず俯いて立ち座りなされば顔の判別は出来ませんね。ただしその場で、踏みにじられるとソファーの座面から正面は丸見えですがね。」
「あら、そ。いい趣味ね。座り心地悪そう。」

クスクスと女が笑うと、始めて外崎は賑やかな微笑みを浮かべ座面は特注ですから座り心地も抜群ですと呟く。その言葉に目の前の外崎がただの監視員なのではなく、使用する支配者なのだと気がついた女の視線に再び背筋が凍る。それを無視するために、もう少しだけ外崎は彼女に妥協案を提示した。

「もしご利用の時は、準備室は切っておきましょう。」
「あら、準備室なのに?」
「準備を楽しむ時もありますから、何事も下拵えは大事でしょう?」
「下拵えも、後で見て復習するの?勉強熱心ね。」

二人の会話だけ聞くと、まるで料理かカクテルの話をしているとしか思われない。事実目の前の女にちょっかいを出そうとした男が、二人の楽しげな会話が何時までも途切れないのにすごすごと下がる。

「後でなくとも、そのままライブ映像を流せます。それを見ながら、後の料理を変えられる方もいますからね。そのための道具も揃えてあります。」
「サービス精神に溢れてるのね。客が途切れない訳よねぇ。」

コロコロと笑いながら女はカクテルを飲み干し、彼の顔を見上げた。そうしながら外崎は表立っては怯みもせず、会話を重ねる。ほんの僅かにたが、目の前の真名かおるという女に興味を持ち始めていた。退廃的で享楽的、しかもずば抜けて観察力がある得体の知れない背筋を凍らせる女。

「もし、楽しませてもらえたら、貴方にも全部お見せしましょうか?」
「あら、嬉しいわ、楽しめるといいわね。あたしも楽しみたいから。」

ふふと妖艶に微笑む彼女の背後に、奥から姿を見せた数人の男が現れ会話が途切れる。男達の独りがかおるの姿に気がつき、隣に立つ茶髪の綺麗な顔をした男に耳打ちするのがわかった。



※※※



あの獰猛な獣の瞳をした女に関わったせいで、その後何人もの人生が破滅の一途を辿った。その内の一人が三浦和希と言う青年で、あの女の手で完全に破滅させられただけでなく精神まで破滅させられたのだ。精神的におかしくなった三浦和希が、仲間の二人をあのプライベートルームで惨殺した。その後で自分の喉をかっさばいて目と性器を切り取った後、トドメをささないでくれたのはほんの偶然なのだろう。何しろ三浦和希はその後、自分の仲間二人と行きずりの男一人を惨殺した。残りの行きずりの男は外崎とほぼ同じ目にあって、向こうは残念ながら一生車椅子とチューブでの栄養材との生活だ。そういう意味では外崎は運が良かった。

気がつくと喉から溢れる血が口の中を満たしていて、顔は焼きごてでも当てられたように熱い。全身が氷のように冷たいのに、下半身が火のように熱くて身動きすると電気のような痛みが走った。自分の現状を見ようにも目が見えないと気がつくまで暫くかかったのは、元々いた筈の部屋が暗かったから外崎自身目が駄目になっていると気がつくまで時間がかかったのだ。
外崎は血を口から吹き出しながら、必死で耳を済ませ三浦の気配がないか息を殺す。これで三浦和希が店内にまだいれば自分は、もうここで死ぬしか道がない。だが、音はなく店内はシンと静まり返っていて、人の動く気配もなかった。痛みがあるのを幸いに、外崎は手探りで落ちている筈のスマホを探る。出血はかなりの量で次第に鈍くなる感覚に、外崎は死にたくないを繰り返しながらスマホを探した。

死にたくない、まだ死にたくない

スマホが見つからなければ死ぬしかない。店はcloseの札をかけてしまって表は閉めた。何とかして誰かにこの状況を伝えないと、目が見えないのにどうやって連絡すればいいかも分からない。それでも、スマホがあればただ床で冷たくなって死ぬしかないのとは違う。さっき電話をかけようと画面を切り替えた瞬間だったから、リダイアル出来れば。それだけを必死に考えながら外崎は暗闇を這い回った。何時までも芋虫のように手探りで途絶えそうになる意識を痛みで保ちながら、永遠にも感じる時間を暗闇で這い回続ける。

死にたくない、死にたくない!

それだけを繰り返して這い回る内に、頭の上に人の気配を感じて外崎は背筋が凍りつくのを感じた。頭を挟むように足が置かれているのを感じて、外崎は絶望に呻き声をあげる。知らぬ間に三浦和希が戻ってきたのにも気がつかずに、外崎は無様にも這い回っていたのだ。そう考えた時、頭の上に落ちてきたのは予想だにしない声だった。

「情けない格好。」

それは酷く懐かしい声で、外崎は背筋が痛いほど冷えて凍っていくのを感じた。柔らかいその女の声は久々に耳にするが、そんな筈がないと頭の中が呟く。

お前は死んだ。舌を切って目を抉って、喉をかっ切って。

頭の中でその姿を思い出せる。そう考えた途端女後からとは思えない力で、外崎の体がひっくり返された。そして女の手が口の中に抉じ開け捩じ込まれ、外崎の舌を指が挟んで引きずり出す。そうされた瞬間、唐突に女が最後に残した言葉が、頭の中に稲妻のように閃いた。

《何時か同じ目にあわせてやるから》

ああ、これが同じ目ってことか。外崎は血みどろの口を抉じ開けられた状態でボンヤリと考えた。遂に希和の言った通り、外崎も目は抉られ喉をかっ切られている。後はこの舌を切り取ったら希和の言っていた同じ目の完成ってことなんだと外崎は観念する。そうして次第に外崎はそのまま意識を失っていく。

「これ……、……は、いらない…。」

何処か遠くで希和が満足そうに何かを呟いた気がしたが、何と言ったか迄は外崎には聞き取れなかった。そこで完全に外崎の意識は途切れ闇の中に落ちたのだ。



※※※



とまあ、そんな経験をしてみると生きてりゃ儲けもんってこと

外崎の話に唖然とする自分に、久保田が長生きしてくださいねと笑う。外崎は呆れたように運があるうちはなと掠れた声で呟く。それにしても、何で希和さんは連れていかなかったんですかねと思わず問いかけると、外崎はニヤリと笑って舌を出して見せた。

見えたか?

突き出された舌を見てしまった自分が、掠れた声で見ましたと答えると外崎は可笑しそうに笑う。その舌は異様な色になっていて、口の中で何ともないのが不思議なくらいだ。外崎は笑いながら、ちゃんと持ってったんだよと囁く。

味覚を持っていって、いらないもんだけ残したのさ。

その言葉の意味が分からず首を傾げた自分に、外崎は手探りで出されたアイスコーヒーを口にする。いらないものを残すために態々手にスマホを持たせて、久保田に電話をかけてなと冗談めかした口ぶりで外崎は言う。

きっと俺の魂はいらねぇんだろ。

何気なく外崎の囁いた言葉に自分の方が背筋が凍りついたような気がして、自分は思わず身を震わせていた。
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