都市街下奇譚

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四十九夜目『のぞいて』

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これは、私の特別な友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。芳しい珈琲の香りのする店内に客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



覗く行為は別段特別な事ではない。誰しも何かを覗く事に興味を持っているし、覗ける機会があれば誰でも一度は覗いて見たくなるものだ。それはタブーを犯しているという興奮が、性的興奮に繋がっているのだと思う。背徳感が快感や興奮を倍増させるというのは、不倫やアブノーマルなセックスなんかでも言える。つまりはいけないことをしているという自分に酔いしれている状態が、覗きをした時の気持ちの高揚感を引き出しているんだ。これは男性に限らず女性でも、覗き見をしてしまいたくなる心理はあると思う。誰にでも少なからず「誰かの秘密を知りたい」という気持ちがあって、その裏側には相手よりも優位に立ちたい気持ちが潜んでいるに違いない。そう言うのを一般的に征服欲とか支配欲とかって言うんだが。

「コータ、仕事まだ終わんないの?」

考え事をしながらヘッドホンをつけていた自分の背中に、女の柔らかい胸が押し付けられてヘッドホンをずらす。耳元でねだるように問いかける言葉に、外崎宏太は口許に苦笑いを浮かべる。彼女には仕事と言っているが、別段これは今続けなければいけないわけではない事なのだ。上原秋奈は何故か外崎になついていて、ちょくちょく部屋に遊びに来る。普段は男に貢がせて生計をたてているらしいが、外崎の家に来た時はそんな気配も見せない。

「ねぇ、まぁだ?」

甘えるような声に外崎は苦笑いを浮かべて、仕事と話していた機械の電源を落として分かったよと呟く。外崎は怪我で視力を失っていて実際には秋奈の顔を見たことはないが、恐らく男を何人も手玉にとれるくらいだから美人に違いない。それが何故醜い傷で顔を抉られ、喉も切られて聞き取りにくい声でしか話せない味覚障害の男になついたのか。しかも、男としての能力も怪我でなくした外崎としては、彼女の行動は不可解としか思えない。

「まったく、もっといい男なんて、すぐ見つかるだろうに。」
「なぁに?コータ、なんか言ったぁ?」
「何でもねぇよ、何が食いたいってんだ?ん?」

秋奈が甘えた声を出しながら腕を絡めるのに、思わず外崎の顔に苦笑いが浮かぶ。

覗きには「相手が知らないうちに征服している」という満足感がある。これに加えて「本来してはいけない行為」として広く認知されていて、普通なら抑制の気持ちが強く働くものだ。人にはそういった抑制の気持ちを圧して行動に移すとき、恐怖に近い興奮を覚える。つまりバレたらどうしようという気持ちと、いけないことをしているという不安感。そして見ることで自分の目的が今まさに達成されようという興奮を感じる。そのタブーを犯しているという興奮が、男というものの性的興奮に繋がっているのだ。
まあ、「背徳感が快感や興奮を倍増させる」というのは、不倫やアブノーマルなセックスなどでも言えることだ。いけないことをしている自分に酔いしれている状態に興奮しているのだから、それと覗きはたいして差はない。とは言え外崎の覗きは見ているわけではなく、聞いているという違いがある。視力を失った上に、性的な興奮を体で得られない戸崎には、耳を活用するしか残されていなかっただけともいう。そんなわけで外崎は耳を頼りに、様々な事を聞きまくっていた。最初は本当に無線を弄るだけだったが、この中に警察無線というやつを発見してからは方向性も大きく変わっていく。勿論コンサルタントを一応の生業にしているから、近隣の飲食店をはじめとした店舗経営者の相談相手でもある。

情報は何でも価値があるもんな。

些細な会話ですら、相手の出方によっては金に変わる。それに気がついてからはこちらから仕掛ける事も多くなったが、それも仕掛ける場所の持ち主とは交渉済みで定期的にメンテナンスすらしながら大型の盗聴器を仕掛けさせてもらってすらいる。詳しくは言えないが大型の盗聴器なら距離の制限がほぼ無くなるので、こちらとしては便利なものだ。そんな、機械の仕掛けで今仕込んであるのは、全部で七ヶ所。少なく見られるだろうが、大型のものが七ヶ所であって、全部ではないところがポイントだ。

ある意味聞くのも、覗き見しているようなものだよな。

視力がないぶん外崎の耳は大分敏感で、隣を歩いている秋奈が息を飲んだのも難なく聞き取った。

「どした?ん?」
「ああ、うん、あのね、すっごい綺麗な髪の毛した女の人がいるんだよ、少し前。」

腕を組んだ秋奈の言葉に少し外崎は顔をあげて、前の方の会話が聞こえるか耳を済ます。

「……え、この後、……で、いいことしない?」

女の微かな声が相手に甘えるようにねだる声が聞こえる。どうやら恋人同士らしいが、この後二人でお楽しみというところのようだ。秋奈が目を引く位だから女の方は、きっと美人に違いない。お楽しみのお誘いが美女からだとは、男はどんなイケメンだろう。

「男は?」
「んー、ちょっとキモいかなぁ。」

おやおや、ブサイク好きの女なのかと苦笑いが浮かぶ。傷さえなければ外崎は整った顔をしているからか、秋奈が不満そうに腕を引く。

「コータ、早くぅ!」

外崎は分かったと繰り返しながら、頭の中に女の声をインプットしておく。何が情報になるかわからないが、こうして様々な声や音を分析できるようになった自分に呆れ果ててしまう。



※※※



『ねぇ、体調平気?』

その声に聞き覚えがあった外崎は、何時聞いた声かを思い出そうと声に耳を集中させた。ラブホテルの一室で男女の密やかな会話は、案外赤裸々な本性が見えるものだ。自宅でもないラブホテルという環境が、普段とは違う姿を出す切っ掛けになるのかもしれない。偉そうな課長らしき男と部下らしい女が部屋に入った途端、上王様と奴隷に変わるなんて事もある。そんなことはともかく、聞き付けた声が何処で聞いたものかを考え込んでいる外崎の耳に女の溜め息が聞こえた。

『もう、終わりなのね、思ったよりもたなかったわね。』

もう終わり?もたなかった?女が口にするには随分辛辣だと考えるが、男の方の反応が聞こえない。ベットの上に横になっている筈の男の吐息一つ聞こえないのに、外崎は訝しげに眉を潜めた。達した後の男なら荒い呼吸が聞こえそうなものだが、女の着替えを始める衣擦れの音がする。

『ごめんなさいね、のぞかないと……。』

覗く?覗き見はしていないが、聞いてはいる。しかし女が言うのは何かを退けるという意味のようにも聞こえる。そう考えた途端ふっと、声が何かを察知したように語るのを止めた。外崎はそれに気がついてヘッドホンに集中するが、女はその場に立ち尽くしているのか動く気配もない。何をしているのか、はたまた何を見ているのか、音に耳を澄ませている外崎の心臓の音が耳障りに体内で響く。

『心臓の音が聞こえるわよ。』

ギクリと体が震える。聞こえるわけがない。盗聴器からの電波はデジタルで受信して、そこからレコーダーとヘッドホンを通して聞いている。こちらから発信する方法はあるが、今は発信する術もないのに。女の声は割れんばかりに大きく響いている。ベットの向こうから音もなく忍び寄って、盗聴器の直ぐ横で話しかけているとしか思えない。ところがこの盗聴器は赤い巨大なベットの直ぐ脇で、一見しただけでは見えないようにしてある。ベットのほんの十センチ程の隙間に顔を押し込んで、盗聴器に話しかけている女の姿を想像するとシュールだが背筋が凍った。

『驚いたわね?心臓の鼓動が早くなったわ。』

まさかと思うのに女が言った通りに、外崎の心臓がドクドクと脈打つ。女には盗聴器の存在がバレているだけでなく、こちらの存在まで把握しているようだ。

『邪魔したら、あんたものぞいてやるからね。』

覗く?そう呻くように呟くと、女はこちらの怯えを確認したように甲高く笑った。その笑い声で外崎はその女が、秋奈が凄く綺麗な髪をした女と説明した女だと分かる。女は凍りついた外崎を嘲笑うように、悲壮感を溢れさせた声でフロントに電話をかけ始めた。

『すみません、救急車読んでください!彼が急に!』

先程まで自分を脅しつけた声とはまったく違う憐れで悲しげな声で救急車を呼んでと繰り返す女の声を、盗聴器越しに凍りついたまま外崎は耳を澄ましている。やがて騒ぎが始まってベットの上に倒れていたらしい男が、担架に乗せられて舞台から姿を消して女もヒールの音をさせながら去っていく。誰もいなくなった室内からの音を止めて、ヘッドホンをはずしながら深い溜め息をつきながら外崎は額に滲んだ脂汗を拭った。

こうしていると、時々こんな風に命が縮むような思いをする。

今までも何度かこんな風に背筋が凍るような思いをしたことがあるが、今の女は格段にヤバかった。だが、相手の邪魔すらしなければ、こちらにも手を出さない風な口ぶりでもある。そう考えると外崎はラブホテルのフロント係りの女に電話をかけた。

「よお、仕事はどうだ?」
『トノ、もー、最悪。腹上死よ。』
「そのようだな。相手の女、分かるか?」

なんだ、聞いてるの?と女は笑いながら、相手の顔なんか見るわけないじゃないと言う。ラブホテルのフロントに必要な心得は、相手の顔を覚えないことよと女が笑うのに内心安堵している自分に気がつく。と言うことはあの女が何かを意図して、男を「のぞいてるの」を知っているのは今のところは外崎だけということになる。幸か不幸かフロントの女はそれを知らずにすんだ訳だ。

女が言うのぞくってのが何なのか知りたいもんだな。



※※※



のぞく、ですか。

のぞくと言うと、覗くとも除くとも書ける。他にも臨くもあるし、覘くとも表記することが出来るのだ。撥くもその一つ。どちらにしても、自分を盗聴している盗聴器に向かって言う言葉には聞こえない。得体の知れない女に背筋が凍る思いをしても、平然と女の意図を知りたいと考える精神も自分にはよく分からない。そう考えていると、フラリとあの盲目の男性が店内に姿を表した。

外崎さん、久しぶりですね。

おおと手をあげた彼は白い杖を付きながら慣れた様子で、カウンターのスツールに腰掛ける。久保田がにこやかに何時ものでと問いかけると、外崎は口元に笑みを浮かべながら頷く。そして、まるで自分の視線を見るように、外崎は自分に顔を向けた。
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