都市街下奇譚

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四十八夜目『おいてくる』

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これは俺の知ってる話なんですがね、そうマスターの久保田の横に出てきた鈴徳良二が自分に向けて口を開く。暇になってフラリと厨房から顔を出す彼は、横でグラスを磨く久保田に並んでいる。客足は奇妙なほど途絶えてその言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



「佐倉。」

唐突にかけられた声に佐倉史明は振り返る。そこにいたのは直属の上司石守宗治で、彼は見慣れない紙袋を片手に佐倉に歩み寄った。

「佐倉、午後外回りだろ?」
「はい。」
「悪いけど、これ置いてきて欲しいんだよ。」

差し出された紙袋には書類のような紙の束が大量に入っていて、佐倉は不思議そうに覗き込んだ。この紙の束を一体どういう意図で置いてこいと言っているのかと、石守に顔を向けると彼は佐倉に紙袋を持たせた。

「いいですけど、何処に置いてくるんですか?」
「何処でもいいんだよ、忘れたみたいにして置いてきてくれれば。」
「はぁ?」

石守の言っている事の意味が掴めず、佐倉は唖然としながら声をあげる。石守はこれを何処かに捨ててこいと言っているのだと理解すると、佐倉はこんなものシュレッダーにでもかければいいのにと紙袋を見下ろす。

「シュレッダーなら…。」
「いや、それは置いてこないと駄目なんだよ、シュレッダーは駄目だ。置いてくればいい、何処でもいいんだ。そのまま直帰でいいから、置いてきてくれ。」

訳の分からない石守の依頼に佐倉は呆然とするが、それを同意ととったのか石守はそれじゃ頼むなと踵を返した。何処かに置いてこいと言われてもと、佐倉は戸惑いながら紙の束を見下ろす。立ち尽くしていた佐倉の横を同期の森元が覗きこんで、今度はお前かと笑いかけた。

「俺も置いてきてくれって言われてさ、タクシー乗って置いてきたんだよ。」

え?と思わず声をあげて森元の顔を見る。どうやらこれは佐倉だけがやらされているわけではないらしく、しかも何人か既に頼まれていることのようだ。同期の森元は最近新しいプロジェクトに抜擢されて、佐倉に比べるとはるかに忙しい。そんな森元を羨む気持ちも無いわけではないし、直属の上司の頼みを無視する気の強さは佐倉にはない。もしかしたらこれを置いてくる事が、石守の覚えをよくするかもしれないのだ。

何処かに置いてくればいいんだ。それだけの事だろ。

佐倉はそう考えると紙袋と鞄を片手に、いそいそと外回りに向かったのだった。ところが置いてくるだけと言うのが、実はどんなに難しい事なのか佐倉は思い知らされる事になる。
取引先に向かうまでの電車の中で網棚に置いて、そのまま知らんぷりで電車を降りた佐倉を女子高生らしい女の子が追いかけてきてお忘れものですと紙袋を届けてきた。バスに乗って置いたまま降りようとしたら、代わりに座ろうとした老女にお兄さん忘れ物と大声を出された。取引先の椅子の横に置いて忘れて帰ろうとしたら、取引相手が追いかけてきて忘れ物だよと手渡される。案外ただ置き去りにするのは難しいもので、何度も置いていこうとするのに必ず誰かが忘れ物ですよと届けてくるのだ。呆れるほど確実に戻ってくる紙袋に、佐倉は唖然とするしかない。

一体何を置いてこいと言っているんだろう。

ふと気になって佐倉は公園のベンチに座り、紙袋の中の紙の束を取り出した。紙の束は見たこともないような字とも図形とも言えないものが、一枚一枚書き込まれている。

なんだこりゃ?

全く意図の掴めない文字の書き込まれた紙が何十枚と束にされているのを、佐倉はポカーンとしながら捲っていく。何枚も見ているうちに、紙に書き込まれたものには規則性があるような気がしてくる。佐倉は丹念にそれを眺めながら、その規則が何かを考え込んだ。

ああ、そうか、文字が規則的に書かれてるのがある。

何枚かに一度文字が書き込まれていて、何枚かが一綴りにされているようだと気がつく。何かを規則的に書き込んだ書類のようなものかと考えたが、何故それを何処かに置いてこないといけないのかは分からない。文字はある程度崩されて書かれているが、よく見ていると更に規則的に見えた。

名前…かな?会社名か…?

株と式の文字が分かると、それが何処かの会社の名前なのだと分かる。幾つもある文字で同じ物を探すと、次第に会社の名前が読み取れるようになっていく。

株式会社……片倉?

聞き覚えのある会社名に佐倉は紙を見下ろしたまま、黙り込んだ。高兼は佐倉が行った取引先を自社と競合していた会社の名前で、競り勝った自社のプロジェクトが森元の担当しているものだった。しかも、片倉は同時期に入札談合が問題化して、今では倒産も目前との話だ。その社名が書かれたこの紙は何の意図があるのだろう。佐倉は他にも幾つかの社名を読み取るが、何処も自社と競合していた会社名ばかりだ。

何なんだ?これ。

幾つも書かれた綴り。自分の会社には不利益にしかならない会社名に、読み解けない図形のような文字。そして、置いてこいと言われた紙の束。シュレッダーでは駄目で、必ず置いてこいと言う理由。考えるとその答えは余り望ましいものではない気がする。
佐倉は戸惑いながら紙の束を元通りに紙袋に戻して、さてこれをどうしたものかと考え込む。何度も置いていこうとするのに、誰かが見ていると必ず忘れ物だと届けに来る。これをどうにか置いてこないとならないのだ。そう言う意味では確かに森元が言ったタクシーは良い手だった。タクシーの運転席の真後ろに然り気無く置けば、運転手には気がつかれにくいだろう。どうにかして置き去りにしないとならないのだから、この手は確かに有効だ。佐倉は手をあげてタクシーを止めると、駅の反対側にある病院に向かうよう運転手に告げた。案の定上手いこと運転席の真後ろに紙袋を置いて、何気なくタクシーを降りた佐倉は病院の待ち合い室からそのタクシーが姿を消すのを待つ。外来患者を乗せてタクシーが走り出したのを安堵の溜め息で見送った佐倉は、そのまま直帰してもいい事を考えて病院から駅に向かうバスに乗り込んだ。

「あ、あんた、良かった!忘れ物ですよ!」

バスを降りた途端、見覚えのある紙袋を片手にタクシーの運転手に駆け寄られた佐倉は唖然としながらそれを受け取る。まさかタクシーの運転手が駅前にいて、尚且つ自分に気がついて紙袋を届けるなんて誰が思うだろうか。折角上手く置いてきた筈なのに、ただタクシー料金とバス料金を無駄にしただけになった上に手元に紙袋が戻ってきてしまった。意図的にすら感じながら、紙袋を手に佐倉は呆然と立ち尽くす。こんな得体の知れない紙の束の入った紙袋を、何処に置いてくれば素直に置かれていてくれるのだろう。駅のゴミ箱に捨てて行ったらどうだろうかと、佐倉は手元の紙袋を見下ろし考える。なるべく人の目のないゴミ箱に捨てたらどうだろうか。佐倉はなるべく人気が無い場所にあるゴミ箱を探して、然り気無いふりで駅の構内を歩き回る。何気無いふりで歩き回り人波が切れた瞬間を見計らって、佐倉はゴミ箱に紙袋ごと投げ込んだ。やっとこれで紙袋と別れることが出来て、佐倉は安堵しながら電車に乗り込む。これでやっとあの薄気味悪い紙の束の入った紙袋と別れられると思うと、佐倉は清々した気分で電車の座席に座る。

置いてくるも捨ててくるもおんなじだよな。

そう安堵した途端ウトウトと眠気に襲われて、佐倉は規則的な電車の動きに眠りに落ちていた。



※※※



ハッと我に帰った佐倉は自分が寝過ごして駅を乗り越していないことに安堵しながら、慌てて電車から飛び降りた。ギリギリ乗り越してしまうところだったと安堵の溜め息をついた佐倉は、手の中の鞄を見下ろした瞬間凍りつく。鞄と体の間にあの紙袋が挟まっている。まるで最初から佐倉が大事そうに抱えていたかのように、佐倉の体温で生暖かく生き物のようにも感じた。

確かに捨てた。ゴミ箱に捨てたんだ。

呆然と立ち尽くしてそれを見つめる佐倉は、置いてきてくれと告げた石守の顔が浮かぶ。何処でもいいから置いてきてくれと言われたのに、何処に置いても戻ってくる。一体何処に置いたら、この紙袋は素直に置かれていてくれるのか分からない。置いてこないとと佐倉は自分の頭の中で繰り返す。紙袋を何処かに置いてこないと、何時まで経っても手の中に置いてちゃ駄目だ。だけど、何処に置いても戻ってくる。
佐倉は暫く考え込んだ後に、妙案を思い付いた。



※※※



翌日出勤した佐倉は、石守から森元のプロジェクトを引き継いで担当するように言われた。森元は暫く病休をとることになったと石守が言ったのを聞きながら、佐倉は分かりましたと頷く。石守が小さい声で紙袋を置いてきてくれて助かったと告げたのにも、佐倉は微笑んだだけで何も言わなかった。
ただ、置いてきただけ。
佐倉は森元に何かをしたわけではない。ただ、森元の住んでいるマンションに行って、森元の愛車の下にあの紙の束入りの紙袋をそっと置いて来ただけだ。その後に森元に何が起きたかは佐倉は知るはずもないし、森元が病休をとった正確な理由も知らない。つまりはただ、置いてきただけだ。あの紙袋がどんな効果があるかなんて知らないし、何を引き起こすのかも知らない佐倉には何の罪もない。もし、また石守に頼まれたら同じように、ただ置いてくるだけなのだ。



※※※



置いて、来るだけですか?

そうですと鈴徳が頷く。置いてくるだけのお使い自体奇妙だが、紙袋とその中身の紙の束はもっと奇妙だ。それにしてもただ置いてくるっていう行為は、案外難しいもののようだと自分は微かに関心すら覚える。忘れることは容易いのに意図して置いてくるのは難しいなんて、大分矛盾した話ではないか。そう自分が告げると鈴徳も本当ですよねと同意する。やがて一息入れ終わった自分が立ち上がって会計をしようとした矢先、接客担当の松井が自分に忘れ物ですよと声をかけたのに自分は思わず目を丸くしていた。
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