都市街下奇譚

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五十四夜目『こい』

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これは、私の特別な友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。甘い紅茶の香りのする店内に客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



黒髪の綺麗な女の人だった。
木村勇はそうベットの上でボンヤリと考える。
木村勇が初めてあの女性を見かけたのは春の終わりごろの話で、それから半年程が経つ。あの日確かに勇は彼女の青ざめた顔を見て、全く動かない視線に何か起きたに違いないと考えたのだ。だから、警察に通報してから勇は、電話口の制止も聞かずに家に乗り込んでいた。思えば勇には初恋だったのだろうと、今も思う。あの物憂げな視線が酷く気にかかって、もし笑顔になったらどんなに素敵だろうと思った。一緒に陽射しの中を並んで歩けたら、どんなに幸せだろうと考えたものだ。そう思っていたから彼女に何か起きたのではないかとあの家に入り、迷わず暗い廊下を進んで階段を駆け上がった。駆け上がった先の廊下を手探りで歩いて、扉を開いたのにその先の記憶は全く消え去ってしまったのだ。

木村勇が旧三浦邸の地下室で発見されたのは、勇が警察に通報してから約四日後のことで警察官も何度も旧三浦邸を探した後の事だった。警官は勇が落ちたと思われる穴から、下を懐中電灯で照らしたらしいが勇の姿は見えなかったのだという。それが奇妙だとは誰も思わなかったらしいが、勇自身は随分奇妙な話だと思う。どんなに広くたって上から覗きこんで照らしたら、床に寝転んでいるだけの勇の姿は見えそうなものだ。地下室には勇の体を覆い隠すようなものはないし、棚も勇が落ちた衝撃でか大破していたという。

だったら余計見える筈だろ。

だけど、勇は見つからなかった。そして、同時に勇が家に入って暗がりで進んだ廊下も階段も見つからない。何しろ勇が発見された旧三浦邸は、地下室はあっても平屋なのだ。助け出され担架で運ばれている時に見上げた廃屋は確かに平屋だったが、勇にはそれも大きな疑問なのだ。しかも担架で運ばれる最中に気がついたのだが、見つけてくれた担任も担任の友人という人達も救急隊ですら土足で家屋の中を歩いていた。どうやらガラスが割れていて危険だというのだが、勇が忍び込んだ時はガラス戸は割れてない上に開かれていた。そして、廊下は綺麗に磨かれていて、勇は態々靴を脱いで上がり込んだくらいなのだ。そして空白の記憶の後は、訳の分からない暗がりに倒れ足の痛みを感じながらじっとしていた。そう言っても多分大人は信じないし、勝手に這いずって動き回って見えなかったと結論付けたのだ。勇の服は殆ど綺麗なままで這いずったのなら体の前が床の埃でまみれているだろうし、這った後が残る筈だと思ったがそれを言っても仕方がないことだ。

どう考えても二階に行った筈なのに、見つかったのは地下室

清潔な病院のベットの中で天井を見上げながら、その事を繰り返して心の中で呟く。自分は何処に辿り着いて、何故あそこに落ちたのか。二階がもしあったとしても、二階から地下室まで落ちる程床の厚さが脆くなっていたとは思えない。大体にして落ちた記憶すらないのだ。だが、現実として足が折れたのも事実。勇がいた地下室の入口はカーペットで巧妙に隠してあったらしい。担任の土志田の友人がこの家の持ち主の知り合いで、他にも幾つか隠された部屋があると言っていた。病室の勇を見舞いに来てくれたその人にも確かめたが、勇が思うような配置の場所はないと言う。廊下の先に普通の登り階段は、あの家の中にはやはり存在しないのだ。

なら、自分は一体何処に上がって、二階の部屋にいる筈の彼女は何処に消えてしまったのか。

その旧三浦邸に詳しいという青年槙山に詳しく話を聞いたが、あの家には二階を作ったことはないとの事だ。勿論土地の持ち主だった三浦家が今の屋敷を建てる前も、土地を所有していたから建て直す前の家が二階建てだった可能性はあるとは話していたが。どちらにせよ、今現在のあの屋敷には屋根裏部屋はあるようだが、自分の思うような二階は存在しないのだ。そんなことを考えながらベットの上で天井を眺める。

案外骨折の仕方が良かったのでギプス固定で済みそうだが、秋の県大会には出られそうにもない。

勇は高校二年とは言え野球部の活動も残り一年もないところでの、骨折は正直なところ痛かった。浦野とバッテリーを組んでの県大会は骨折の経過次第だ。しかもクラスメイトは目下文化祭の準備に余念のないところらしく、ポツポツとお見舞いには来てくれるが全員が来る前に自分の方が退院するだろうとも思う。何しろ足だってギプスで固めてしまえば痛みもなく、実際には片足で歩くことだって出来る。暫くはギプスで松葉杖生活だろうが、こうなるとあの家の事も一つの踏ん切りがついたと言えた。

謎の女性は謎のままか。

何気なくそんなことを考え、勇はベットランプを消して薄明かるい月の気配をカーテン越しに眺める。四日間も行方不明になっていたと両親には泣かれたが、勇にしてみれば四日の記憶は無いに等しい。担任の土志田と槙山は、あまり気にやまないでおけと言うばかりだ。
そんなことを考えながら明け方まで物思いに耽っていた勇は、片足で何気なくベットから滑り降り窓際に近寄っていく。病室は総合病院の四階の角で、中庭の白々とした庭園が見下ろせる。既に一階の電気が消されているせいで、庭園には誰一人として人の気配もない。病室の明かりが消され照らす灯りが少ないせいか、庭園の敷石だけが白々と薄氷のように見えた。明け方の空気の冷えが、白い靄になって漂っている中に不意に人影が現れたのに勇は気がつく。
勇と同じ病院の病衣を着て、華奢な手足を外気に曝したままフワフワと歩く足取り。咄嗟に勇は目を丸くして窓に顔を近づけて、その姿を見つめた。勇がみていたよりも黒髪の長さが短いけれど、斜め上からみたその顔は紛れもなく窓辺の彼女だ。彼女は夢見る足取りで庭園まで来ると、立ち止まり勇の視線に気がついたように顔をあげた。
離れた窓辺の勇に真っ直ぐに向けられた視線。頬にかかる黒髪に真っ白な陶器のような肌。長い睫毛をした大きな瞳が勇を見ていたかと思うと、柔らかそうな唇の前に人差し指が当てられる。

ここで出会ったのは内緒

そう言いたげな彼女の仕草に思わず勇が頷くと、彼女は柔らかな微笑みを浮かべて再びフワフワとした足取りで歩き始めた。下まで行って話しかけたいのは山々だが、ギプスの足では流石にあの足取りでも追い付けそうにない。もしかしたらまた彼女が戻ってきて下を通るのではないかと、朝から松葉杖で庭園まで行ってみたが案の定彼女には出会えないままだ。

まるで夢の中みたいな情景だったけれど、本当に夢だったのだろうか。

そんなことを考えながら、勇は庭園の中のベンチに腰かけて彼女のことを考える。

「よお、どうした?こんなとこで。」

槙山忠志がそんな勇に話しかけてきたのは、そんなもの思いの最中だった。陽射しは木陰で遮られてはいるが、担任ならともかく若い槙山が何度も病院に来ているのに勇は眉を潜める。まさか自分の見舞いに通っているとも思えず、思ったままを口にすると彼は可笑しそうに人懐っこい笑顔を浮かべた。一見すると金に近い茶髪でキツい目をした彼は、柄が悪そうに見えるが笑うとその印象は百八十度変わる。

「悪いな、お前の方はついでだよ。幼馴染みがここに長く入院しててな。」

そう言いながら隣に腰かけた彼の右手に、掌から繋がる大きな傷跡があるのに気がつく。態々彼がこうして見舞いに通う幼馴染みとは女性なのだろうかと考えながら、その手の傷を眺める勇に彼は溜め息混じりに呟く。

「もう、二年も入院してる。」

二年も入院とは悪い病気なのだろうと勇は、物思いに耽るような彼の横顔を眺め早く治るといいですねと話しかける。ところが槙山は一瞬悲しげに微笑んで、治らないのさと呟いて立ち上がった。遺伝子や癌や医療では未だ治せない病気なのだろうかと勇は安易に治るといいと言ってしまったことを悔やむが、彼は気にした風でもなく病室に戻って休んでおけよと肩を叩いた。そして、槙山はあの時に彼女がやって来た方向に向かって歩いていく。

あっち側の病棟は何なんだろう

そんな風に考え込みながら、勇は病院の案内図を眺める。槙山が向かった方面には建物があるが管理棟とかで、面会するような病人がいるような場所が分からない。やがて案内図には灰色で塗り込められて、何も表記のない一角を見つけた勇は何気なくそちらに向かって歩き出す。どうやら病院の二階の廊下だけで繋がれた棟が一つ病院の隅にあって、そこも何か設備があるようだった。窓は木々で遮られはっきり見えないが、羽目ごろしのガラス窓の部屋が幾つかあるようだ。そこにはいるための通路は二階にしかなくて、入るにはスタッフでも通行証が必要なようすに目を丸くした。

「あすこ何なんですか?」

通りかかった看護師に問いかけると「隔離病棟よ」と簡潔に教えてくれた。つまりはあの建物は特殊な感染症の患者等が集められて、治療しているということかと勇は僅かに違和感を覚えながらも扉を見つめる。違和感の理由は他の階にも感染症隔離病棟という名前の小さな病棟が案内図に載っていたからだ。とは言えそこでは十分でない病気の隔離病棟が、別にあったからといって問題な訳でもない。ただ、彼女が出てきたのは、その隔離病棟のような気が何故かするのだ。
平穏で何もないような看護師達の立ち振舞いを見つめながら、患者が一人いなくなった様子ではないなと勇は考える。

大体にしてここからでて来たかも分からないし、それ以上に彼女が本当の人間だったかも分からない。

そう思うとフワフワと楽しげに歩く彼女の姿が脳裏に浮かんで、また何時か彼女と出会えるのではないかと勇はボンヤリと立ち尽くしたまま考えた。



※※※



初恋の君、ですか。

自分の言葉に久保田は微笑む。誰しも初恋の思い出は特別なものなのだろうと思うが、青年の上がった二階は一体何処に消えて、その二階の女性は何処に去っていったのだろうか。二階から解放された彼女は一体何を考えて去っていったのかと考えると、少し不安にも思えるのは何故だろうか。黒髪の美女の話は久保田の話の中によく出てくるのは偶然なのだろうかと自分は思わず考え込んだ。点だと思っていたものが、繋がっているとしたら黒髪の美女がもし同一人物だったら、そんなことを考えながら今までの黒髪の美女の立ち位置を思うと素直にいい話だと感じれなくなっている自分に気がついていた。

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