都市街下奇譚

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六十二夜目『あめかまり』

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これは俺の知ってる話なんですがね、そうマスターの久保田の横に出てきた鈴徳良二が自分に向けて口を開く。たまに暇になるとフラリと厨房から顔を出す彼は、東北出身の男で時に奇妙な話を聞かせてくる。久保田は横でグラスを磨きながら、客足は奇妙なほど途絶えてその言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



方言の中には標準語では表現しきれない言葉が多々ある。
鈴徳良二の父親の故郷では、ゴミを『投げにいく』と言うが、不法投棄ではなくゴミ捨て場などに捨てにいくことを投げにいくと言う。また、風呂などのお湯を掻き回すことを湯をかますと言うし、ペンが書けないことを書かさらないと言う。凄いをひでぇと言うし、辛くて怠いはこわいと言う。言葉の成り立ちが、土地にあったもので会話するように発達していくのだろうが土地で当然のように話していることが通常の言葉ではないと知ったときの衝撃は少なくない。鈴徳が仕事を始めたはかりの時に、先輩のシェフがタバコを吸いにいくのを方言で「煙草のみに行くんですか?」と聞いて大笑いされたことがある。今にして思えば喫煙は体内に入るのだから、のんでいるようなものてはないかと思うが言葉としては通じないのだろう。
一番端的なのは一文字で会話が出来ると言う話なのだが、聞いたことはあるだろうか?東北のある一部では、本当にか行の文字だけで会話が出来るのだ。

「かぁ」

不意に良二の思考を遮るように声が呼ぶ。

「かぁ、かぁ。」

別にカラスが鳴いているわけてはなく、これはホラとかさあとか言う呼び掛ける意図で良二の事を呼んでいるのだ。繰り返し、繰り返しほらほらと呼び掛ける声が聞こえている。

「かぁ、こぉ。」

誰かが遠くから、ほらこっちへこいと呼んでいる。
夢うつつにそれを聞きながら、良二はその少ない文字での呼び掛けを、ボンヤリと聞き続けた。

「かぁ、こぉ。こぉ。」

ほら、こっちに来い。来い。
そう、この短い言葉だけで言っている。それを聞きながら何のために呼び掛けているのかを、良二は考えた。繰り返しこっちに来いと呼び掛けている相手は、誰だろう。そして、本当に良二に向かって呼び掛けているのだろうか。

「かぁ、かぁ、けぇ。」

ほらほら、お食べ。
今度はこっちに来いと呼ぶだけでなく、ほら食べろと呼び掛ける。こうなると一体誰に向かって来いだとか食えと言うのだろう。しかもこんなにはっきりと聞き取れるからには、随分と近くで話しているに違いない。何を食べさせたいのだろうとボンヤリ考えると、それは祖母の姿に重なる。祖母は良くこの言葉で、良二や妹の早苗に手製の料理を振る舞ったものだ。早苗は古くからの仕来たりに厳しい祖母を苦手に思っていたようだが、良二は祖母のことが気に入っていた。既に故人の祖母は強い訛りで、時に理解できないようなことを話したものだ。

「かぁ、んがぁよ、あべ。」

さあ、お前、おいで。
不意に単語が増えて、その古めかしい言葉が更に意味を深めている。さあ、お前、おいで。そう告げる言葉は既に意図して、自分に問いかけているように聞こえる。祖母の声かと一瞬思うが、祖母にしては発音が明確だった。

「かぁ、んがぁよ、せでこぉ、あべ。」

さあ、お前、連れてこい、おいで。
誰をつれてこいと言うのか分からない。それでも、声は明確に自分に向けて話しかけているのはもう分かる。そして声は時折聞き取れないほどの声で、ヒソヒソと何かを語り出す。それを聞き取ろうと耳を済ますが、小さく話し続ける声はハッキリとはしない。

「かぁ、んがぁよ、わんつかばりでかまねすきゃ、こぉ、あべじゃ。」

ほら、お前、少しで構わないから、こい、おいで。
ほんの少しでかまわないからこい、いこうと話しかけられる良二は、夢の中で眉をしかめていた。少しの期間でかまわないから来いと言うのか、少しの人数でいいから誰かを連れてこいと言うのでは話はまったく違う。一体何を言いたくてこの声は、自分に話しかけているのだろう。しかも、それに従ってもいいかと考える部分が心の何処かにあるのだ。

「ここ、あけでけろ。」

不意に明確に意図した言葉につられて、良二は大人しく言葉にしたがって手を伸ばした。手を伸ばしてドアノブを握った瞬間、ドアノブが異常に冷たいのに気がつく。まるでそこだけ氷のような冷たさで、握った瞬間我に返った。夢かと思っていたが、このドアノブは夢の中ではない。つまり、この感触は現実なのだ。ドアノブを握ったまま動きを止めた良二に気がついたように、ドアの向こうからは密やかな声な響く。 

「かぁ、ここ、あげでけろ。」

さあ、ここ、あけてくれ。
そう告げる声に従いそうになって、良二は頭を横に振って何とかドアノブから手を離そうとする。ところが、声はそれに気がついたみたいに更に声を張り上げた。

「そったらまねすんな、んがぁあげでければいいのだ。」

そんな真似しないで、お前は扉を開ければいいのだ。
上から言いつけるその言葉に俄然不快感が沸き上がって、良二はドアノブを離そうと躍起になった。こんな訳のわからない押し付けで、扉を開ける気になれるわけがない。そう思った途端に、ドアの向こう側の何かは凄く落胆したように呟いた。

「んだが、ほんだばあげるきにばならねぇが。」

そうか、こんなでは開ける気にはならないのか。
明らかな落胆の言葉が聞こえた瞬間、ドアノブを握っていた手が唐突にノブを離す。すると、ドアの向こうにたっていたと思った気配が遠退くのが分かる。思わず良二はその場にズルズルと座り込み、たった今自分がドアを開けようとしていた場所を見上げた。そこには何もない。ドアノブどころか、ドアのあった痕跡すらない、ただの壁だ。自分は何を開けようとしていたのだろうか。そして、その向こう側から開けろと要求していた声は誰のものだったのだろう。床にへたり込んだまま、良二は何もない壁を呆然と見上げていた。



※※※



そんなことが何度となく繰り返されるうち、次第にその有るべきではないドアノブを握るとドアの向こうから異臭がするようになった。何度も開けろと言われるが、必ずドアノブを開けようと握った瞬間、異臭に気がつき我に変える。我に変えること事態は大いに賛成なのだが、異臭に関しては逆に気にかかるのだ。一体何が異臭をはなっているのか、異臭を放っているのは話しかけているものなのか。それを確かめる術が良二にはない。

「そんなことが何度もあるんですよね。」
「へえ、何にもないとこに突然ドアノブ。」

今の勤務先の常連客に話しかけると、彼は興味を持ったようだ。彼は自分がここに勤めるより前から、オーナーでもあるマスターとの知り合いでマスターの内縁の奥さんとも知り合いだ。今の風貌は一目見ると驚くのだが、実際は気を許した人間には親切な面もある。数年前に事件に巻き込まれてからは視力を無くしたが、その人柄はケガをする前と何一つ変わらない。

「でもねぇ、気になってるんですよ、何で臭いのかなって。」
「聞いてみりゃいいだろ?ん?」

何気ない言葉に、思わず納得してしまった。確かに向こうは話しかけるのたから、こちらだって話しかけるのは可能なのではないだろうか。そうしたら、ドアを開けなくても向こうの状況が分かるかもしれない。

「流石、トノさん、頭いいっすね?」
「はは、伊達に種々な目に会ってねえからなぁ。」
「コータぁ、やっぱりここだったかあ!」

珈琲を楽しんでいた外崎をバイトだという小柄な女の子がつかまえに来る。コンサルタント業の外崎は結果が分かったら教えろよと口元を微笑ませて、良二に手を振り若い女に腕をとられて歩き出す。和やかなその後ろ姿を見送って、良二はさてなんと話しかけたら答えるだろうと思案する。



※※※



ドアノブを握りしめた途端、やはり我に返った良二は手の中のドアノブを握りしめたまま考え込んだ。今までずっと相手は方言で語りかけている。つまりは標準語では答えないかもしれない。

「かぁ、あげろでば。」

さあ、あけろというのに。
そう言う相手が答えるのは、やはり同郷の言葉のような気がする。では、なんと問うべきか、この今では凄まじいほどの異臭のことを。ドアノブを握りしめたままの良二は思いきったようにドアを見つめ口を開いた。

「あげでける前によ、んがぁあめくせえがよ?なじょしたら、そったらあめかまりなるじょうや?」
「あめかまり?」
「おお、あめくせぇが。」

暫しの無言。

「そごでも、そっただあめくせぇがか?」
「おお、あめくせぇがよ。」

再びの無言。

「だば、あめくせくてあげられねぇが?」
「んだべな、あめくせぇばなんともせえねぇが。」

困惑に再びの無言。

「んだが、あめかまりだが……。」

そして、また無言。その後には微かな諦めを匂わせる溜め息が扉の向こうで、深々と落胆の息を吐いたのが聞こえる。

「んだが、あめくせぇんだば、ほにあげでけれねぇな。」

納得したような溜め息混じりの言葉が呟くのが聞こえる。そして、その気配は扉の前から確かに遠ざかっていく。ヘタリとその場に座り込んだ良二の目の前には、やはりドアどころかドアノブすらない壁だけが残された。
それからというものあの不思議なドアノブは、フッツリと姿を消して声もかからない。それを久々に店に訪れた外崎に語って聞かせると、外崎は可笑しそうに低く掠れた独特の声で笑う。

「何が可笑しいんですか?トノさん。」
「ああ、安堵してるとこわりいな。あめかまりやあめくせぇってのは東北で言う腐れた臭いってやつだろ?」

外崎は今では耳が生活の重点のためか、言葉に関してはなかなか博識だ。その通り、良二の故郷で『あめくさる』は『痛んで腐る』ことを指していて、『あめかまり』は『腐った臭い』という意味だ。『あめくさい』は転じて、腐った臭いがするということ。良二は外崎が何を言いたいのか分からずにカウンターごしに乗り出す。

「そいつ、完全に腐って臭いの元が落ちたら、もう臭くないからまた来そうな気がしてな。どう思う?ん?」

確かに腐っているのが何かは知らないが、臭いの元が腐り落ちたら臭いから開けないは通じなくなる。思わず黙りこんだ自分に、隣にたっていた久保田があんまり良二を虐めないようにと外崎に釘を刺す。外崎は悪いと悪びれたようすもなく言いながら、良二に口元を歪ませて呟く。 

「今度来たときゃあ、こう言うんだな、良二。標準語でどちら様かわからないお客様はご遠慮くださいってな。」

同郷でもない標準語で話しかけられたら、人違いだと思うんじゃねえか?と外崎が言うのに、良二は再びなるほどと納得してしまった。



※※※



で、そのあとドアノブが出てくるのを待ってるんですけどね。

相手の言葉に半ば呆れたように自分は笑う。つまりはその後まだ、ドアノブは臭いを気にして現れないのだと言うことだ。どちらかと言えば其のまま出てこない方がいいのではも思うが、確かに標準語で話しかけたらどう答えるのかもきになる。思わず自分も、答えが分かったら教えてねと良二に向かって声をかけてしまっていた。

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