都市街下奇譚

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八十五夜目 『やりなおし』

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これは、私の特別な友人から聞いた話なんですけどね、そうマスターの久保田はグラスを磨きながら穏やかな様子で口を開く。芳しい珈琲と紅茶の香りのする店内には今は客足が奇妙なほど途絶えている。白磁のポットが見守る中で、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



もしも、タイムラベルが可能で過去に戻ることが出来たら、人はどうするだろうか。
そんなことを考えてしまうのは、今の自分に強い後悔をしているからだ。沢山の過ちを犯してきたのだと思うが、何処が何処まで過ちだったのかと聞かれると、正直答えることができない。自分がどこから過ちをおかしているか分からないなんて、と思うだろうか。でも、それが本音で本当に自分では過ちが何なのか分からないのだ。
生まれつきだとは言わない。
たぶん育ちの問題で、親がこう育てたからだ。なんて言ったら親のせいにしていると思うだろうけれど、せめて親が少しマトモに育ててくれればもう少しはまともな人生が遅れたと思う。ここだけの話自分の親はマトモじゃなかったんだ、今更だけどカウンセラーと話していて気がついた。それを理由にするのはって思うだろ?でも流石に物心つく前から性的に虐待されて、過剰に過保護にされて育って、気がついた時は四十年もそうして生きていたんだ。三つ子の魂……じゃないけど、今ここから自分に染み着いた性癖とかを変えるのは難しいし、何しろ変えようにも基準になる正しい常識が分からないんだから今更だよ。

タイムトラベルが可能で過去に戻ることが出来たら……
自分は犯した過ちを訂正するだろうか?
自分の経験する筈の苦難を回避するのだろうか?
幾つもの苦渋に満ちた沢山の経験をもしなかったことに出来るのだとしたら、自分はそれを実行するだろうか。出来ることならそうしたいと心から思う。もしそう出来たら自分の人生はまったく違うものに変わって、素晴らしい人生を送れるかもしれないから。そんな自分にまるで夢のようなタイムトラベルのチャンスが与えられた。信じないって?別に信じなくてもいい。これは自分だけの問題なのだから。



※※※



タイムトラベルできるなら先ず虐待を回避できるのが一番良い。
だけどあの虐待は二人っきりの時にしか行われなかったし、体に傷をつけるようなことはなかった。そういう意味では虐待の相手は元小学校教師だし、そこら辺はおかしくなっていても腐っても鯛だったんだ。
そう、自分に虐待していたのは母親だった。
母親はなかなか子供が出来ず、姑達にいびられて精神的におかしくなっていたんだ。夫には助けてもらえないし、イビられてやっと自分を生んだ。だから自分を完璧な子供に育てないとならないと思ったのは理解できる。理解できるがその固執が異常になっていたのに一緒に暮らしていた他の家族にはハッキリ虐待の痕跡を見せなかったのだから、そこら辺の裏工作を的確にできる認識はあったのだと思われる。
虐待方法はよく聞くもので性器を痛め付けられることが多くて、しかもいたぶった後は過剰に可愛がるの繰り返し。かなり酷く痛め付けられていたが、性器は表に出ないし目立つアザは出来たことがないし、赤く腫れたのは尻くらいなもので悪いことをして打たれたなんて言われれば容認の範疇。傍目には弟の方が表でよく駄々をこね叱られて頭を叩かれたりして、自分の方は表では一度も怒られたことがない。そんな状態だから、尚更自分の虐待は表に出なかった。
父親?
子供の頃の父親の記憶は、正直何一つない。でも、自分と同じ年代の子供達の親っていうのは、どこも同じようなものだった。団塊の世代とか言われて朝から晩まで父親は働き、母親が一人で子育てをして家庭を守る。今になって熟年離婚とかが多いのは、若い頃から一緒に夫婦としても過ごしなれていない希薄な世代だったんだ。それの子供達が少し歪なのは、自分みたいに過保護に育てられるせいなのかもしれない。日々性的に虐待はされていたけど、それ以外は異様な過干渉なのが自分の母親だったんだ。

「それはダメよ?悪いことなの。」
「あんな子と話しちゃダメ、悪い子よ。」
「あれは悪い子のすることだから、しちゃダメ。」

そう言い続けられ出来ることもやることも制限される生活をなんとか変えるには…………タイムトラベルしても大人の自分には家庭の中には忍び込めない。しかも子供の自分に声かけても不審者だし、母親は言わずもがな、父親なんか捕まえることもできないありさまだ。

無駄だ、少なくとも母親から離れないと……

小学校・中学校……高校になっても駄目だ。なんてことだこんなに長い期間自分は虐待されて暮らしていたんだと呆れてしまうが、全く子供の自分の運命を変えることができない。高校になって直ぐに彼女が出来た時に、実家に連れていくな!密かに付き合えと思ったが無駄だったし、しかもその後彼女を見送りもせず折檻されるのも止められない。愕然としながら、いやまだ大丈夫と思う。
次の機会は専門学校にはいってからだと思ったのだが、自分が知らないところで母親の過干渉が続いていたのを知って愕然としてしまった。ほぼ毎日家に来てて、家の中を確認しているのだ。一応父親には週三回なんて嘘をついているが、毎日来て自分のゴミ箱の中身をチェックしたり性的なおかずを確認したりしている。

き、気持ち悪い……

それに知らずにずっと過ごしていたのかと不快になると同時に、なんでこんなに母親は自分に固執しているのか気になった。タイムトラベルしながら確認してみたら、なんのことはない父親が母親以外の女と遊んでいるからだと知ってしまう。自分も後に女遊びをしたが、まさかこんなところが父親似なんて……母親も可哀想な女だったのかと思いはする。思いはするが、いない内に家中を点検されて、本棚のエロ本まで整えられていたのに、なんで自分は気がつかないのか。一応接触してそれとなく家に誰か入り込んでいるなんて言ってみたが、胡散臭い相手を見る目で逃げられてしまった。

当然か……。

それが唐突に終わったのは何度も父親に警告しても気がつかないから、父親の会社に女性との不倫を密告して父親が別会社に出向になったからだった。今までより給料が下がるからと女には捨てられ、時間に余裕ができた父親が母親の奇行にやっと気がついたのだ。何しろ母親の着物箪笥の引き出しに息子の身に付けたものやら異様なコレクションがあったから、これは不味いと思わせるのは簡単だった。

このコレクションがこれまた気持ち悪い…………。

臍の緒や初めての爪とか髪の毛は兎も角、初めて食べたアイスの棒とか初めて精通した下着とか、マトモな感性では集められない代物。ワザワザ真空パックで保存されているのを、当時の自分が知らないでいられたのは何よりだ。



※※※



正直なところあのコレクションのことを知っていたら、自分がおかしいって気がついたのかもな……

結局タイムトラベルの成果は出ていない。母の干渉が止まった途端、自分の方が今度異常な行動を始めたのをなんとか止めようとしたのだ。自分が虐待されていた頃の年頃の子供に悪戯を初めていて、恋人が出来ても暴力を振るう自分をどうやって止めたらいいのだろう。仕方がないから成るべく監視して子供を物陰に連れ込んだ時には周囲の人を呼んで邪魔したし、彼女に暴力を奮いそうになる前に友人達をその場に行かせたり彼女の相談を聞いて貰ったりした。何人かは間に合わなくて不設楽な事をされてしまった子供もいたと思うし、殴られてしまった女性もいると思う。女の子だけでなく男の子でも見た目が可愛くて素直そうなら公園の物陰とか、ビルの影とかに連れ込んでしまうんだから全ては阻止できない。それに、自分のことなのに自分自身が介入するからか、時々自分の記憶と違うことが起きたりするんだ。

あれだよな、タイムパラドックスとかいう……

SFによくある話だが、幾つかの介入で結果が変わっていたりずれたりもしていて、知っているから完全阻止とはいかなかったのは許してほしい。それでも自分なりに、悪事を必死に阻止しようとはしていたんだ。

でももう一つ分かっているんだ、当人がここまでしても全く異常性を理解できてないことは……

何しろ自分自身のことなんだから、よく分かっていた。当時の自分は性欲に関しては性癖が特殊だとは理解していたが、弱い者への暴力は自分が特別な存在だから仕方がないし自分に相応しい相手が出来るまでは必要悪程度に考えていたんだ。そんなの間違いだってことは今はわかるが、あの時はまるで自分が正義だと信じきっていて、自分が何かに選ばれた人間だと思い込んでもいた。だから法に触れる行為をしていたのですら、自分は悪くない・自分は捕まったりしないと信じている有り様だ。
教師だった母親がおかしい筈がないから母親の躾は正しいと信じていたのと同じくらい、自分がすることは許されると信じてもいた。
そんなことは間違っているのはわかってるし、直接だと逃げられるから手紙を書いて送りつけたりした。でもヤッパリ自分のことだから知っているんだ、あの頃の自分は手紙なんて一度も読んだ事がない。一度彼女に暴力を奮う目的でラブホテルに連れ込もうとしたから、咄嗟に腕を掴んで引き留めたことがある。

「な、なんだよ?!何するんだ!!」

自分だけどこちらは変装していたから気がつかないし、こっちが口を開こうとした瞬間。情けないことに自分は脱兎のごとく一人で逃げ出して、ポカーンと立ち尽くしている彼女は次第に状況を把握すると顔を真っ赤にして怒りながら立ち去った。それはそうだ、彼女を助けることもなく自分だけ逃げ出した男なんて、誰も信用できるはずがない。
自分でも思うが、何かに選ばれた人間だと考えているわりに、自分は情けない程弱く卑怯で意気地のない男だった。性的な虐待で歪になった性癖、過保護にされ過ぎたから何一つ自分で出来ないのに、選民意識でプライドだけは誰よりも高く手のつけられない人間だった。
そんな自分に唯一の存在が現れてしまったのは、専門学校をやめて大学に入り直して三年目の頃だ。
彼女に出会わないようにするのは無理だった。何故なら彼女と自分はネットを介して出会ったから、外部からでは遮りようがない。出会いの時に他の男にナンパされてくれればとか、待ち合わせの最中に他の人間と出会ってくれればとも思ったけれど、何しろ彼女は一途で真面目な人だったからその程度では揺らぎもしない。暫くの間は彼女のお陰で大人しくしていた自分も、一生懸命尽くしてくれる彼女に図に乗り始めていくのは目に見えてわかった。

悪いことしたなんて……思ってないんだ……だから、そいつを捨ててくれ

そう願うほど、傍目に見る彼女は一途だった。殆んど休みも眠りもせずに家事をしたり身の回りの事をしたり、送り迎えをしたり、断って怒るべきだと思うようなことを彼女は黙ってコツコツとこなしていく。正直彼女に話しかけて捨ててしまえと言うべきたったが、久々に目にした彼女は綺麗で泣きたくなる程恋しかった。結局また彼女が苦しんでいるのを助けてやることも出来ず、彼女は最終的には自分の元を去っていってしまうのだ。



※※※



その後の自分は転落するだけで、どうしようもない。
性的な歪みどころか人生すら完全に歪んでしまって、しかも選民意識とプライドは更に酷くなっていた。何度も子供に性的な悪戯をするし、女性には暴力を奮い写真を撮って脅迫したり。自分で言うのもなんだが、人間として最低の自分には言葉を失うしかないし、どうにかしてやるには遅すぎた。だからもう諦めて時が来るのを待ったんだ、最後の最後にこうなるのが分かっているから。

タイムトラベルができたとして本当にうまく人生が変わるのだったら、もしそうなったとして今のこの自分はどうなるのだろう。
今此処にこうして生きている自分の存在は新しい人生に塗り替えられてしまうのだろうか?
それとも自分は泡のように消滅して、違う自分が存在するのだろうか?
ではもし今の自分がその結果の自分だったとしたら、自分のの他に沢山自分が存在していたということにもなりかねない。運命は系統樹のように枝分かれして多くの分岐点があるのだという人がいる。

自分にはそれは分からないけどその枝の先の幾数千の分自分がいるとしたら...……。

いったいどれが自分として存在しているものなのだろう。
いったいどれが自分が不用とした自分なのだろう。
いや、それどころか自分という存在は何なのだろう。
それを考えると自分は少し恐ろしくなる。

もしもタイムとラベルが可能で過去に戻ることができたら君はどうするだろうか。

そう真っ白な壁の部屋の中で、自分は誰にでもない誰かに一人話し続けているのだった。



※※※



タイムトラベル……ですか。

その声に久保田は出来たらどうしますか?と問いかけてくる。それに暫く考え込んだ自分はた多分と躊躇い勝ちに口を開く。多分自分はタイムトラベルができたとしてもしないと思うと。それが予想外だったのか久保田が珍しく笑顔を消して自分のマジマジと顔を眺めた。

すると言うと思ってましたねぇ……。

思わずその言葉に苦笑してしまう。確かに後悔することは多いが、かといってその場に戻ってやり直せるかと問いかけられると実は疑問だ。もしやり直せて、別な最悪なことが引き起きたらまたそれをやり直しに戻るのか?そんなことをしていたら自由に先に何一つ出来なくなってしまう気がする。

だから、まあ、このままいくと思うんです。

そう答えた自分に久保田はなるほどと答えて、再び穏やかに微笑んだのだった。
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