鵺の哭く刻

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末期

135.

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祖母の急逝から僅か半年。
今度はと言うよりも半ば予想通りとも思うが伯父が病に倒れていた。元々は恰幅の良く大柄といっても過不足ない伯父の病的な痩せ方を見れば大方予想は出来たと思うし、実際には祖母の葬儀の際父はそれとなく病院にかかるよう伯父に促したと言う。しかし、伯父は体調は変わらない、弟と祖母の急逝で気が滅入って食欲が無いと答え、それ以上は受診をすすめられなかったのだ。そう言われると納得せずにはいられない理由が、父にはあったのだろう。

「アキコ、一寸出掛けるか。」

父がそう言ってアキコだけを車に載せドライブに出るのは話しにくいことを話したい時で、近隣の日帰り温泉に行くと言う。態々アキコしかいないのを見計らって誘う時点で、父はこの話を母には聞かれたくないのだ。ここ暫く暗い顔をしているのも分かっていたし、伯父が入院したのもありそろそろこんな風に誘い出される気がアキコにもしていた。車の中で暫くすると父が独り言のように、口を開く。

「…………伯父さんな、長くない。」
「そうなんだ。」
「そんな気がしてたか?」
「うん。痩せ方が普通じゃないと思った。」
「そうだな、もっと早く病院にかかってたらな……。」

伯父が病院で診断を受けた時には既に何処が原発の癌だったのか分からない程様々な場所に転移していて、最早手の施しようがない状態だったという。確かに父の言うようにもっと早く病院にかかりさえすれば、結果は少しは違ったようにも思うがそれを今更どうしようもない。

「すすめはしたんだ、変だから受診しろって。」
「うん。」

ハンドルを握り前を見たまま父が以前呟くように言う。これで伯父が亡くなると父と血縁に当たるのは従兄弟達とアキコ達子供だけになるのだと気がついて、その疲れた横顔を眺める。父はここ何ヵ月も自宅と実家とを何度も往復している。アツシは丁度還暦を過ぎて定年退職していたし一人で何度も夜通し車を運転するのは辛いに違いないが、向こうで用を足すのに車はどうしても必要なのだろう。

「あのな、アキコ。」
「うん。」
「伯父さんのとこの奥さんも、入院したらしい。」
「病気?」
「足が腐ったそうだ。家で這って歩いてたらしい。」

身長はほぼアキコと同じ伯母はどう考えてもアキコの三倍は体重があるだろうが、自分の臍も見えない巨体が家の中を腹這いで這っている姿を想像してアキコの表情が曇る。確かにあの巨体からすれば山のように持病があってもおかしくはないが、足の動脈が閉塞でもしたのかと適応しそうな疾病に思いを巡らす。

「糖尿とかかな?」
「いや、火傷したところが何時までも治らずに、腐ったそうだ。」
「火傷?低温火傷かなにか?」
「詳しくは聞かなかったが、風呂だそうだ。」

熱湯風呂に足を突っ込んだのかと苦笑するが、よくよく考えればそれが逆に酷く恐ろしいことだと気がついた。目が見えないとか認知症があるなら兎も角、マトモな人間だとしたら沸かしたお湯が煮えたっているのに確かめもせず足を突っ込むなんてするだろうか。
寒くてお湯に飛び込んだとか?もう七月前の初夏の気候だと言うのに?
そもそも追い焚きとか最近の風呂で煮えたぎるほどの温度設定は可能なのだろうか?
大体にして、それくらいの湯温だと浴室も異常な湯気で温まってはいないだろうか?
風呂場や蓋を開けた瞬間に分かりそうな気がするが、何かのタイミングで浴室だけ風が通ってグラグラ沸いている湯には気がつかなかったとか?でも、もしそうでなく湯気も酷い風呂場で足を熱湯につっこんだ姿を想像すると、昔あったホラー映画みたいだ。笑いながら煮え立った湯に足を突っ込む。そんな情景は考えたくもない。考えれば考えるほど不快な思考に結び付くのを振り払いアキコは窶れた父を見る。

「足、切断するの?」
「今のところはそこまでではないようだ。植皮するにもあの身体だ、困りはしなそうだけど、傷の治りは悪そうだな。」
「…………それで…………伯父さんには、誰かついてるの?」

父はその言葉に小さな溜め息をついた。伯父には三人息子がいて全員が自宅で同居しているから、伯母が入院していても何とか三兄弟で対応はできそうだし、何しろ三人の内二人は無職のままだ。それなのに何故か伯父に誰がついているのかと聞いてしまったアキコに、父の顔は更に苦いものになる。

「誰も付き添いも面会も来ないそうだ。」
「三人の誰もつけないの?もしかして仕事始めた?」
「いや、伯母さんの方には毎日通ってるらしいが、伯父さんのとこには誰も行かないようだ。」

その言葉の意味にアキコは少し助手席で座り直し横の父の顔を見つめると、そこにある刻み込まれた苦悩の表情に気がついて父が理解できない出来事に巻き込まれているのがわかる。

「伯母さんと伯父さん一緒に病院に入院してないの?別々の病院なの?」
「そうだ。」
「伯母さんの具合の方が悪い?」
「違う。」

信号に一時停止した車内で、父は困惑した色の滲む瞳を何かを思い出し説明の困難さに揺るがせる。
伯父と伯母は違う総合病院にそれぞれ入院した。
先に入院したのは伯父の方で既に伯父は一人で歩くこともトイレに行くこともできず、体内に飛び散った癌細胞の増殖は、刻一刻と伯父の命を削り落としているのだ。まだ伯母が入院する前に、伯父の余命の説明を父は伯母と一緒に聞いていた。半ば予想通りではあったが、医師から一ヶ月もたないと聞かされたと言うが、直接伯父に説明されなかったのは伯母が何故か必要ないと意地でも説明を拒否したのだという。
伯母がいないところで伯父と二人で話した父は、結局癌であることは告げたが余命について全ては話さなかった。でももう自分の姿を思えば余命を告げなくとも、伯父は既に何が起きているか気がついているだろうと思ったと父は言う。ところが説明を伯父にすることを拒絶した当の伯母は、医師の説明自体が理解できていなかったらしい。
伯父と父が癌について話した後日伯母は説明を聞いた筈なのに、理解できないポカンとした表情で「で、どうしたら元に戻りますか?」と医師に態々聞きにいったのだと言う。再三の医師の説明でも理解できない伯母に、今度は父が噛み砕いて伯父の余命が後僅かだと説明する。しかし、結局最後まで伯母は「で、どうしたら元に戻るの?」を繰り返した。

「ボケてるのか、おかしくなってるのか。ともかく自分の夫が癌で死にかけていると理解できないんだよ、あの人は。」
「……そうなんだ。伯父さんは……伯母さんの事どこまで知ってるの?」

病床で食べることも出来なくなった伯父に、今度食べに行きたい食べ物の話と金銭の話を一人勝手にする伯母の姿は異様としか言えなかった。それを病室の中壁際に立ちながら、苦い思いで父は聞いていたと言う。

この人は今まで親として妻として兄と生活が営めていたのだろうか

訝しげに義理の姉の姿を見つめる。やがて自分の話したいことを終えて満足した伯母が鼻唄混じりに病室を出ていき、それを横目に父は伯父に歩みより不安が残るが一端戻ることを伝える。病室に泊まることも考えたが、長く離れるには支度しておきたいものもあったのだ。何より家族も心配しているだろうし。それを伯父は当然だと直ぐ様理解して、自分はまだ大丈夫だから暫く家で休んでこい、何かあったら俺から連絡すると弱った体なのに無理に兄として笑ってみせたそうだ。
そして父が一端こちらに戻って直ぐに伯母は入院したらしい。
入院の知らせは本人からも息子達からでもなかった。というのも伯父が少し調子が安定したときに携帯電話でかけてきて、その時に初めて伯母の入院を知ったのだ。しかも、夫の入院先に搬送しようとした救急車を態々別な病院に変えさせたのは、当の伯母本人だったという。伯父自身はそれどうやって知ったのか携帯電話ごしの声は、もう声を出すのも難儀なのが分かるほど衰え始めていた。そうして伯父の状態は刻一刻と悪化して、もうベットの上からでも父に直接電話をすることはできない。
ところが伯母は父が伯父の状況を問い合わせるためかけた電話に、至って元気に出るのだと言う。
何故入院したのを伝えてこないのか問うと、伯母は電話番号をメモしてないからと言った。何故伯父と同じ病院に入院しなかったか問うと、伯母はこっちの方が腕がいいって評判だったのよと笑ったそうだ。もう呆れて二の句が告げずにいる父に、伯母は次は何時来るのかと聞いた。

「てっきり、直ぐにでも兄貴のとこに連れてって欲しいって言うのだと思ったんだ。でも違った。」
「違う?痛みが酷いとか?」
「いや、ソレも違う。足の話なんか一つもしない。」

苦虫を噛み潰したような父の声に、伯母の奇想天外な電話の内容が耳に聞こえるようだ。

「食いたいものがあるからドコソコに連れてけとか、買い物に連れていけとか。俺が兄貴のとこには行かないのか、息子達も二ヶ所も通うのが大変だろうって聞くと、何で行かなきゃなんないんだ?何しに行くんだ?って聞いてくる始末だ。」

父は安全運転を続けながらも、心底不快そうにその時のことを思い起こして眉を潜めた。あの巨大な伯母の頭の中には、入院して苦しんでいる夫の身の回りのことをする意識はないらしい。
アキコはその話に一瞬過去に出会った過保護な別の母親のことを思い出していた。
あの人も自分の息子が手術するかもしれないと言うのに、全く来ようとしなかったのだ。検査も手術も気にすることもなく、息子の身の回りの世話もまだ婚約すらしていない他人の私に任せっきりだった。そんな人ばかり身の回りに集まってくるなんて、これもまた一種の呪いのようなモノなのだろうか。

「元々少し変わった人だとは思っていたが、もう今は少しなんてもんじゃない。頭のネジがブッ飛んでなくなったとしか思えない。」
「そうなんだ………。」

ふとアキコの脳裏に祖母の通夜の時の事が過る。
真冬の施設には幾ら暖房がきいていたとしても、公共の施設の暖房では冷えが忍び寄るのが感じられた。そんな中に立っていた血の気のない裸足の足。あの裸足の足は、寝ている伯母に爪先を向けていた。つまりは伯母のすぐ傍に上に立ち、大の字で寝ている伯母を見下ろす足。あの時罷り間違って、アキコが少しでも視線をあげていたらアキコは何を見たのだろう。そこまで話してもう一つ大事な事を忘れていることに気がつく。

「三兄弟は?それで何してるの?」

苦虫を噛み潰したような表情が父の顔に浮かぶ。

「話したが、伯母さんと同じだ。」
「同じ?」
「話が通じない。上も次も一番下もだ、伯母さんみたいになってて、兄貴が危ないってのに話が出来ないんだ。」

父の言葉に私は最近の記憶にある従兄弟達の姿を思い起こす。祖母の葬儀の時、従兄弟達とは話らしい話はしなかったし、彼らは母親である伯母と一緒にただオードブルを貪り食い散らかしてさっさと帰ったのだ。しかし、祖母との交流がなかったからあの態度だったと仮定しても、自分の父親が余命幾ばくもないのに何とも感じないのはどう言うことなのだろう。伯母を見舞っていると言うことは、伯父のところに行かないのは理由があってのことなのかとも考えられる。

「伯父さんは何か良くない事でもしたの?」

暗に浮気とか家族の中で不和を生じそうな理由があったのかと聞くと、父は首を横に降った。郵政民営化前の郵便局員だった伯父は、身持ちの固い真面目な公務員だったそうだ。長く勤め退職金もキチンと貰ったが、それは息子達が自営業で起業するのに全部使われてしまったという。しかも起業時の面倒をみて、結局起業が失敗に終わった後も伯父が後始末までした。その後無職の子供達の面倒もみているのだと言う。生活に困り一時父に生活費を貸して欲しいと言ってきたのは、伯父ではなく伯母の方だった。何度か金の無心をされたが、その頃はまだ会話は通じていたように思うと父は言う。

「兎も角、また少ししたら兄貴のところに行ってくる。」
「一緒に行こうか?少しなら休めるよ。」
「いや、どうしてもの時は言う。」

何か話し残したことがあるような父の暗い表情に、アキコも不安を滲ませたがこれ以上は父が話そうとするまで聞き出せなかった。
それからほんの数日。
伯父は危篤状態となった。その連絡は夕方に病院から父に直接届いていたが、伯母が他の病院に入院しているのも分かっていて入院先に問い合わせると伯母は既に退院したとのことだった。足が腐ったにしてはずいぶん早い退院だが、結局病院側の治療を拒否して伯母は強制退院したらしい。
危篤状態を連絡するため病院から再三の電話をしたが、自宅の電話は不通で繋がらず、伯母の携帯も何度かけても電話に出なかったのだと言う。三人の息子達の携帯番号も病院には伝えてあったのだが、その内二つは電話番号が間違っていたのか通じず、残り一人は妻と同じく再三の着信に出なかった。そうして病院はやむを得ず、海を越えて遠く離れた父に連絡したのだ。
向かう道すがら父は何度も伯母達に電話をしたが一向に電話をとることはなかったし、伯父の自宅の固定電話は、伯母の手で既に解約された事を後に知ることになる。やっとのことで父が病院に駆けつけた時には伯父は既に亡くなった後だった。そして、その場に伯母や従兄弟の姿はなかった。
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