鵺の哭く刻

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末期

134.

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叔父の従兄妹と叔母は葬儀場から直ぐ自宅が傍にあるのと、従兄の方に明日早朝の仕事があると言うので通夜のオードブルには見向きもせずに帰宅していたからアキコは何も話をすることすらなかった。実質祖母が仕送りを必要としていたと言うところは、叔父夫婦と同じ敷地に暮らしていたけれど多くのことは放置していたともいえる。それに半年前に叔父が亡くなったことで叔母も落ち着かなかっただろうし、叔母と伯母は仲が悪かったのかもしれない。
それはさておき帰ってしまった叔母達を含めても、葬儀場で通夜にいる親戚は総数でも十一人しかいない筈。身内が少ないタガ家の通夜の筈なのに、そこに準備されたオードブルは二十人分にもなりそうな量だとアキコは眺めていて思う。それを口にしているのは伯母と従兄弟達と伯母の血縁者。食べていないアキコ達や伯父の事など全く気にせず貪り食らい続けている伯母は、アキコどころか遺影すらチラリとも見ようとしない。

…………呪い…………ねぇ

皮肉にアキコがそう考えてしまうのは、伯母達の貪り食らう姿もある意味ではおぞましい呪いの結果のような気もしてしまうからだ。やがてやっと食い散らかして食べることに飽きたのか、伯母の血縁者を送るという建前で伯父の従兄弟が揃って自宅に帰ると言い出したのをアキコは再びただじっと眺めていた。実は伯父の長男と三男はこの時無職で、叔父の方の従兄と違って仕事があるわけでもない。しかも次男は仕事はあるとは言ったが食事を終えて自分は酒も飲んでいないから運転して帰るというのだが、簡単に言えば夜通し起きているのが嫌でさっさと通夜を放棄したのだとしか思えない。これが仲のよい親戚の話だとしたら擁護の意見も浮かびそうだが、飲み食いだけして姿を消そうと言うのだから皮肉をかんがえてしまうのも当然の気がする。そんな従兄弟達には呆れ果てたものの、父も伯父も引き留める方が面倒だと言いたげに何も言わず彼らを帰途につかせていた。そして同様に良いだけ鱈腹食い終わった伯母は自分は足が悪いからと仕切りに言い訳にならない言い訳をしながら、さっさと奥の座敷に敷いた布団に横になり鼾をかき始める。足が悪いなら歩かなくて住む場所で線香でもあげていたらと思うが傍まで歩くのすら嫌な人に線香をあげられても、あの祖母だって面白くもないと言う気もした。

「アキコ、お前も少し休んできなさい。」

やがて夜半も過ぎてふとかけられた父の声に微かな躊躇いを見せるアキコに、以前にしたアキコの昔の話を思い出したらしい母が少し寝に一緒に行こうと別な奥の座敷に敷かれた布団に向かう。襖を開けてふと一瞬振り返ったアキコの視界には痩せこけた伯父の姿が、薄暗がりの中に別人のように写ってアキコはその場に立ち止まる。

一瞬だが伯父が祖父のように見えたのだ。

祖父が死んで既に二十年にもなろうとしている。あの頃はアキコもまだ子供だから祖父の顔の記憶ですらもう曖昧で当然なのだが、晩年の癌に侵され闘病していた頃の窶れた祖父そっくりに見えたのだ。それが何を意図するのか、ただ祖父の息子だから似ているだけなのか。そんなことを考えながらも、アキコはゆっくりと伯父から視線を外し祭壇に掲げられた祖母の遺影を眺める。穏やかな微笑みを浮かべた祖母の遺影は、直近ではなくてかなり昔の写真なのは分かっていた。何しろ遺影は艶やかな黒髪だが、遺体の祖母は完璧な銀髪と言えるような白髪なのだ。そんな祖母の穏やかな顔に、呪いの話はやはりそぐわない。そぐわないけれど血の中にあるものは、確かにあって。これの発端が本当に祖母なのだとしたら、祖母の死に顔が穏やかなのは何故だろう。

…………蛇の呪いはこれで消えるの?…………それともまだ残るの?

蛇の呪い。そんなものに本当に家系が自体がとりつかれているのだとしたらと、アキコは無意識に辺りを見渡す。葬儀場を見渡しても、視界には何処にも何も違和感はない。そういえば黒い影は何処にも見えないし、大体にしてあの黒い影は土蔵から扉を開けて出てしまってからは一度もアキコは見ていないのに気がついてしまう。土蔵の中にいたのとアキコの身のまわりにいたのが本当に同一の黒い影なのか、体内に住み着いたと感じていた蛇が呪いの体現なのか。それも本当のところは何一つ分からないことで、この真実を知っているのは誰なのだろう。情念のようだと表現した昔の友人ように全てはアキコの中にある感情だけの話で、何も超自然的な存在はあり得ないのだろうかと考えてしまう。

それとも、全部本当に嘘なの?

だがここでもしかして今晩またあの影がアキコを襲いに来たとしたら、伯母の言う蛇の呪いは全て本当のことなのかもしれない。そう思いながらもう一度伯父に視線を返すと、暗い光のない瞳がアキコのことをじっと見つめているのに気がついた。何も感情のこもらない真っ黒な硝子玉の瞳が、テーブル越しのアキコを真っ直ぐに見つめているのにゾクリと背筋が一瞬寒くなる。

「…………アキコは痩せたなぁ。」

抑揚もなく静かな声でそう呟く伯父に父がまあ色々あったからと苦く呟くが、伯父は既にアキコが離婚したことは伝えてあったので特に何かを追求するわけではない。思わず痩せたと言われた言葉を伯父にも言いたいとアキコはふと思っていた、私よりずっと伯父さんの方が痩せて衰えているように見えるよ、と。伯父は実際には父と一歳しか離れていないのに、目の前の伯父は十歳以上も歳をとっているようにしか見えない。今にも枯れて朽ちてしまいそうに見える細い指先で新しい線香に灯をつけている伯父の様子は、祖父の面影を浮かばせていて完全な老人としかみえないのだ。

「アキコ。」

背後から母に呼ばれ踵を返したアキコはそのまま斎場の横の和室の座敷で布団にくるまりウトウトと何度か微睡んでいた。が、普段と違い常夜灯の灯りがあるせいか、完全に深い眠りにアキコが落ちることはないままだし、暮明の中で襖一枚挟んだ伯母の鼾が時折苦悩のように呻く声に変わるのが聞こえている。隣に横になる母は何時しか眠ったようだが、通夜の間の会話が切れ切れに聞こえているのにアキコは耳を澄ましていた。

「そうだなぁ…………あの時は…………。」
「そうだったか?あの時は……だったろ?」

暖房の低い唸りの間二人の兄弟が昔の思い出話を遺影を前にしてしているのが聞こえてきて二人が穏やかに過去を語り合っているのが分かるが、その間も襖ごしの隣の鼾は時折思い出したように苦痛に苦しむように呻く。

「ああ、そうだな…………あの時に」
うううーっ
「そうだ…………それに」

イビキの合間の呻き声は斎場には響かないのかと疑問に思うが、アキコは割合と耳も良いので実際には聞こえていないのだろう。それにしても呻き声は規則的に続く。

………………こんなに呻いてて大丈夫なのかな。

正直に言えば相手は、アキコの好きではない伯母のこと。伯母には正直いうと良い印象が何一つなく、出来ることなら関与しないままでいたい。それでも伯母が血縁者の妻だと思えば、ふとその呻き声が心配になる。何しろずっと二人兄弟の穏やかな会話の声に重なるように、伯母がうーっと苦痛そうに低く何度も呻くのだ。襖越しに頻回に同じ間隔で続く呻き声。

伯母がかなり太っているから、寝ていると脂肪で気道が塞がって息が苦しくてこうして呻くのだろう。

所謂睡眠時無呼吸症候群と言うやつで、眠っている間に舌根が脂肪の重さで落ち気道が塞がって鼾をかくし呼吸が止まる。それが苦しいから鼾の合間に呻きのような声が漏れているのだろう。そんなことは看護師なのだから、アキコとしても頭でそれは分かっている。それにしても襖一枚で、しかも少しずつだが呻き声が大きくなっていて気にかかるのは事実だ。こうして気にして聞いているから余計に、唸り声は大きくなっているような気もする可能性はあるのだが。あまりにも呻き声が大きいから、アキコは横になったまま襖を見上げる。

………………一回…………起こした方がいいのかも…………。

起こすまでしなくても、せめて横を向いて寝かせれば気道は完全には塞がらない。横向きにするのに目が覚める可能性もあるけれど、それでも唸り声を聞き続けるよりはましかもしれない。アキコはそう考えると横で寝ている母を起こさないようコッソリ身を起こすと、音を立てずにソロソロと襖に布団の上を這い寄っていく。一度に開けるには襖と言うものは夜の闇では難しい。しかも弱い常夜灯の光を背にしてしまうと手元を闇になってしまうから、手探りで襖の縁を探るように撫でていた。遺影の前での兄弟二人の声はまだ途切れずこちらの動きに何も気がついた気配もなかった中で、スッと襖が動きほんの数センチの隙間が音もなく生まれる。アキコの視界が常夜灯に慣れていたのか、隙間の先は射干玉の闇が隙間から溢れ落ちてくるように見えていた。

ヒョ…………ウ…………

アキコは隙間から畳を舐めるように覗きこむ形で思わず動きを止め、久々にこの哭き声を聞いたなと思った。これが今無意識に自分の口から哭き声が溢れたのか、別な哭き声なのかは何故か全く判別できない。それでも物悲しく哀れに微かな哭き声が、確かにアキコには聞こえていた。
やがて闇に慣れてきた視線の先で天井を向いて大の字になっている伯母の鼾は変わらず続いて、アキコの目の前で苦しげに絞り出すようにうーっと呻く。暫く室内を覗き込んでいたアキコは、不意に伯母を起こすのをやめ、そうっと襖を閉じると音をたてないように布団に這い戻り布団に潜り込む。ふっと横を見るといつの間に起きていた母と視線があい、そっと布団の間から伸ばされた母の暖かい手を握る。母は反対の手で耳を塞ぎ、繋いだ手の側は自分の肩で耳を塞いでいた。それを見た瞬間、何故か土蔵に白無垢の花嫁を捧げる家族達が哭き声を聞かないように、耳を塞ぐのだと誰かが密かに教える声を頭の中で聞いている。それでもアキコは何も言葉を出さずしっかりと母の手を握り目を閉じ、今見たものを脳裏でユックリとだが再確認していた。
こうして目を閉じると、今まで気がつかなかった音が認識され始める。
暖房の唸りの隙間。
男二人の会話の合間。
そして伯母の苦痛の呻き声の間に、一つ別な音がある。微かな朧気な音は同じ間隔で、まるで畳を擦り這いずっているように聞こえていた。まるで擦り足で歩いているような、まるで蛇でも這っているような規則的な音が伯母の呻き声と重なると意味合いが変わる。

ヒョウ……

伯父と父はまだ遺影の前で二人で並んで話していて、この葬儀場は夜は管理人が常駐していない。そして他の親族は帰っていて、同じ敷地に暮らしている叔母達は泊まる部屋がないからと一端帰宅してもいた。つまりここに残っているのは伯父夫婦とアキコと両親の五人だけしかいない。そして鼾が酷いからと隣の部屋は伯母が独りで使い、従兄弟達は帰ったから一人きりで寝ているのだ。

だが襖を開けた目の前に実は誰かが立っていた。

十二月公共の施設の暖房では冷えが忍び寄るのが感じられたから、アキコも母も靴下を履いて防寒していたし伯父も父もそれは同じだった。見にくく太った身体をした伯母ですら、流石に十二月の冷えには勝てないと靴下を履いている。そんな中で例え室内とはいえ畳に立たずむ裸足の足に、襖の隙間から眺めていたアキコは気がついてしまった。襖の前に立ったその裸の足は僅かに間を開いて立っていて、丁度その股の間から寝ながら呻く伯母を見つめていたのだ。僅かに視線を横にずらした瞬間に、裸の足の踵が見えてアキコは凍りついていた。だからアキコはそれ以上は襖を開けることもせずに、視線を上に向けることもせず音も立てずに襖を閉じて後退ったのだ。

踵…………

踵は深く皹の割れて、細く痩せた足首。そして血の気のない皺だらけの肌をした足。その上に何を着ているのか、それは全く確認することが出来なかった。それを脳裏で投影して確認しながら、母の手をしっかりと握りしめると母の手にも力が籠る。その横で襖の向こうには今だ微かな畳を擦る規則的な音と伯母の呻き声が、途切れることもなく続く。

シュッシュッ…………うううーっ………………シュッシュッ………………うううーっ!……

母は何も見ていない。後日だが母はそう言っていたし実際に母の寝ていた位置からは、襖の向こうはまるで見えなかったに違いないのだ。それにアキコが襖を開いたのも、ほんの僅かの間だった。それでも心に引っ掛かりを感じて、問題だと思ったのは母が耳を塞いでいたことだ。母が聞きたくなかったのは、畳をする音の方なのか、それとも………………。
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