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第十一話
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楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
昼前、昨日の王城の夜番から帰ってきたばかりアイメル様は、いきなり緊張した面持ちをしていた。
そして、エントランスで出迎え待ちをしていた私へ、アイメル様の体格でさえ隠れてしまうほどの巨大な花束を手に、こう言った。
「もちろん、指輪も用意しています」
「そう、なのですか?」
私は話が上手く飲み込めていない。緊張しすぎて言葉足らずなアイメル様のいう指輪とは多分、結婚指輪のことだろうとは思う。
「落ち着いてから渡そうとしていたため、遅れてしまい申し訳ない……とにかく、まずは女性へのプレゼントとして、花束を。王城の庭師に手伝ってもらい、選んできました」
「まあ、こんなにたくさん。綺麗な百合ですね」
「ははは……花の名前も知らずに、あなたに似合いそうなものをと思ってこれを」
「分かりました。ありがとうございます、アイメル様」
大輪の百合を十本も、それに小さめのガーベラやスズランまで盛りに盛った花束は、私が持つと前が見えない。
一度受け取ったあと、アイメル様に運んでもらい、食堂のテーブルで花瓶へ生け替えることにした。
いくつか古いガラスの花瓶を持ってきたアイメル様は、テキパキとバケツやハサミまで用意して、まだ脱いでいない騎士の礼服のままでなければどこにでもいそうな気のいい好青年のようだ。
百合の香りが漂う食堂で、私たちはようやく腰を落ち着けておしゃべりを始める。
「今更ですが、結婚はお嫌ではありませんか」
「いいえ? なぜそのようなことを?」
「あなたにとっては断れない話だったでしょう。指輪をすぐに渡さなかったのも、それが理由の一つです」
アイメル様は無造作に花を花瓶へ生けてしまうため、私が受け取って調整する必要がある。
百合の高さを合わせながらハサミを入れ、その見事な出来栄えの花弁につい目が向く。アイメル様と視線を合わせない、自然な理由ができてしまっていた。
無言で答えない私へ、アイメル様は神妙にこんな窺いをしてくる。
「もしここでの暮らしが合わなければ、別の場所に公爵家令嬢に相応しい住まいを用意します。結婚も、書類上のものでかまいません。あなたに無理強いをしたくはありませんので」
アイメル様は、どうやっても私に主導権を渡そうとしてくる。
元が付く公爵家令嬢に、それも世間では評価の劣る『灰色女』に、そこまで譲歩する必要があるだろうか。
アイメル様が騎士であり、貴族の爵位すら持っていないとしても、結婚なんて所詮家同士の契約だ。本来、当事者同士の合意はさほど重要ではない。
ただ、それは私が貴族令嬢だから勝手に納得しているだけで、アイメル様は異なるのだろう。
お義母様やニコを見ていれば分かる。彼らは——貴族とは縁遠い存在で、むしろ立場は『灰色女』の私と近いのだ。
だから、私はようやく、アイメル様の低姿勢や丁寧さを良くも悪くもしてしまうのは私の受け取り方次第なのだと気付いて、それとなくアイメル様が傷つかないように言葉を選んで答えた。
「ああ、なるほど」
「な、何でしょう」
「私たちは、お互いに気遣いすぎているようです」
当たり前のようで、当たり前になされていないこと。
それは本当なら実の家族から気遣ってもらいたかったけれど、私は新しい家族から受け取ることになった。ただそれだけなのだ。
「アイメル様との結婚を、私は本気で承諾したのです。この方の元に嫁げるなら幸せだろう、と。初めは、『灰色女』だからと遠く外国に売り物のように出されるよりは、ずっといいと思っていました」
「それは」
「でも、お義母様やニコからシェプハー家について少しうかがって、あなたは私を『灰色女』と差別する人ではないように思いました。いかがですか?」
「そんなことはしません! 第一、それを言うなら私も魔法は使えませんし、馴染みのないものです。王城騎士団は今でこそ魔法に頼る騎士も在籍していますが、そもそもは魔法を使わずとも魔法を使う相手を制圧できるだけの力を持つ騎士が選抜された騎士団なのです」
アイメル様は興奮気味に、怒りと真剣さが混じる表情でそう訴える。
ただ、興奮すると少々回りが見えなくなる性格のようで、どんどん話が勝手に進んでいってしまうのは短所と言うべきかもしれない。
「ですから、魔法が云々というのは私には縁のない話でした。貴族たちが魔法を重視して、市民たちも家事に使う程度の魔法は使えますが、私たちのような貧乏人には——」
アイメル様の口からぽんぽん飛び出してくるスラングは、初めて聞くものばかりだ。
私は区切りのいいところで声をかけておく。
「あの、アイメル様」
「はい?」
「申し訳ございません、あの、いくつか分からない言葉がありまして」
すると、アイメル様は自分の物言いの荒さを反省して、すっかりしょぼんと広い肩を狭くしてしまう。
「……申し訳ない」
「いいえ」
「と、とにかく、私は『灰色女』という蔑称の意味を知っていますし、その差別するところを好みはしません。むしろ、そのような言葉を軽々しく人に浴びせる連中のほうこそ軽蔑します」
どうやら、そういうことらしい。
アイメル様が高潔だとか、誠実だとか、そういう話かもしれないが、私にとっては少々違う。
私は、何度か小さく頷いた。
「そう、ですか。そう、なのですね」
「あの、それはどういう」
この気持ちを忘れないうちに、私ははっきりと、アイメル様へ伝えておく。
「アイメル様、私はあなたに出会えてよかった。あなたのことが好きなのですもの」
その言葉を聞いた途端、アイメル様は顔を真っ赤にして、黄色いガーベラを手にうつむいてしまった。案外、王城騎士団副団長殿は、純情なのかもしれなかった。
それよりも、私はアイメル様を好きになれたおかげで、道を踏み外さずに済んだ。
私の復讐は、もうじき日の目を見ることになるだろうが、きちんと相手を見定められたのだ。
(感謝します、アイメル様——復讐すべき相手は、決してあなたたちではないと知れたから)
むしろ、アイメル様たちは、私にとって守るべき家族だ。
かつての家族を失って、私はより一層復讐の意味を噛み締めていた。
昼前、昨日の王城の夜番から帰ってきたばかりアイメル様は、いきなり緊張した面持ちをしていた。
そして、エントランスで出迎え待ちをしていた私へ、アイメル様の体格でさえ隠れてしまうほどの巨大な花束を手に、こう言った。
「もちろん、指輪も用意しています」
「そう、なのですか?」
私は話が上手く飲み込めていない。緊張しすぎて言葉足らずなアイメル様のいう指輪とは多分、結婚指輪のことだろうとは思う。
「落ち着いてから渡そうとしていたため、遅れてしまい申し訳ない……とにかく、まずは女性へのプレゼントとして、花束を。王城の庭師に手伝ってもらい、選んできました」
「まあ、こんなにたくさん。綺麗な百合ですね」
「ははは……花の名前も知らずに、あなたに似合いそうなものをと思ってこれを」
「分かりました。ありがとうございます、アイメル様」
大輪の百合を十本も、それに小さめのガーベラやスズランまで盛りに盛った花束は、私が持つと前が見えない。
一度受け取ったあと、アイメル様に運んでもらい、食堂のテーブルで花瓶へ生け替えることにした。
いくつか古いガラスの花瓶を持ってきたアイメル様は、テキパキとバケツやハサミまで用意して、まだ脱いでいない騎士の礼服のままでなければどこにでもいそうな気のいい好青年のようだ。
百合の香りが漂う食堂で、私たちはようやく腰を落ち着けておしゃべりを始める。
「今更ですが、結婚はお嫌ではありませんか」
「いいえ? なぜそのようなことを?」
「あなたにとっては断れない話だったでしょう。指輪をすぐに渡さなかったのも、それが理由の一つです」
アイメル様は無造作に花を花瓶へ生けてしまうため、私が受け取って調整する必要がある。
百合の高さを合わせながらハサミを入れ、その見事な出来栄えの花弁につい目が向く。アイメル様と視線を合わせない、自然な理由ができてしまっていた。
無言で答えない私へ、アイメル様は神妙にこんな窺いをしてくる。
「もしここでの暮らしが合わなければ、別の場所に公爵家令嬢に相応しい住まいを用意します。結婚も、書類上のものでかまいません。あなたに無理強いをしたくはありませんので」
アイメル様は、どうやっても私に主導権を渡そうとしてくる。
元が付く公爵家令嬢に、それも世間では評価の劣る『灰色女』に、そこまで譲歩する必要があるだろうか。
アイメル様が騎士であり、貴族の爵位すら持っていないとしても、結婚なんて所詮家同士の契約だ。本来、当事者同士の合意はさほど重要ではない。
ただ、それは私が貴族令嬢だから勝手に納得しているだけで、アイメル様は異なるのだろう。
お義母様やニコを見ていれば分かる。彼らは——貴族とは縁遠い存在で、むしろ立場は『灰色女』の私と近いのだ。
だから、私はようやく、アイメル様の低姿勢や丁寧さを良くも悪くもしてしまうのは私の受け取り方次第なのだと気付いて、それとなくアイメル様が傷つかないように言葉を選んで答えた。
「ああ、なるほど」
「な、何でしょう」
「私たちは、お互いに気遣いすぎているようです」
当たり前のようで、当たり前になされていないこと。
それは本当なら実の家族から気遣ってもらいたかったけれど、私は新しい家族から受け取ることになった。ただそれだけなのだ。
「アイメル様との結婚を、私は本気で承諾したのです。この方の元に嫁げるなら幸せだろう、と。初めは、『灰色女』だからと遠く外国に売り物のように出されるよりは、ずっといいと思っていました」
「それは」
「でも、お義母様やニコからシェプハー家について少しうかがって、あなたは私を『灰色女』と差別する人ではないように思いました。いかがですか?」
「そんなことはしません! 第一、それを言うなら私も魔法は使えませんし、馴染みのないものです。王城騎士団は今でこそ魔法に頼る騎士も在籍していますが、そもそもは魔法を使わずとも魔法を使う相手を制圧できるだけの力を持つ騎士が選抜された騎士団なのです」
アイメル様は興奮気味に、怒りと真剣さが混じる表情でそう訴える。
ただ、興奮すると少々回りが見えなくなる性格のようで、どんどん話が勝手に進んでいってしまうのは短所と言うべきかもしれない。
「ですから、魔法が云々というのは私には縁のない話でした。貴族たちが魔法を重視して、市民たちも家事に使う程度の魔法は使えますが、私たちのような貧乏人には——」
アイメル様の口からぽんぽん飛び出してくるスラングは、初めて聞くものばかりだ。
私は区切りのいいところで声をかけておく。
「あの、アイメル様」
「はい?」
「申し訳ございません、あの、いくつか分からない言葉がありまして」
すると、アイメル様は自分の物言いの荒さを反省して、すっかりしょぼんと広い肩を狭くしてしまう。
「……申し訳ない」
「いいえ」
「と、とにかく、私は『灰色女』という蔑称の意味を知っていますし、その差別するところを好みはしません。むしろ、そのような言葉を軽々しく人に浴びせる連中のほうこそ軽蔑します」
どうやら、そういうことらしい。
アイメル様が高潔だとか、誠実だとか、そういう話かもしれないが、私にとっては少々違う。
私は、何度か小さく頷いた。
「そう、ですか。そう、なのですね」
「あの、それはどういう」
この気持ちを忘れないうちに、私ははっきりと、アイメル様へ伝えておく。
「アイメル様、私はあなたに出会えてよかった。あなたのことが好きなのですもの」
その言葉を聞いた途端、アイメル様は顔を真っ赤にして、黄色いガーベラを手にうつむいてしまった。案外、王城騎士団副団長殿は、純情なのかもしれなかった。
それよりも、私はアイメル様を好きになれたおかげで、道を踏み外さずに済んだ。
私の復讐は、もうじき日の目を見ることになるだろうが、きちんと相手を見定められたのだ。
(感謝します、アイメル様——復讐すべき相手は、決してあなたたちではないと知れたから)
むしろ、アイメル様たちは、私にとって守るべき家族だ。
かつての家族を失って、私はより一層復讐の意味を噛み締めていた。
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