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34.メイドの片思い(エイミー視点)②
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コリンは襟首を持ち上げられ、短い足をバタバタさせた。
「わかった、分かったから放してくれよっ! やめてくれ!」
「分かるのが遅いんだよ」
今にも舌打ちしそうなほど不機嫌なグラシアンと、地上に下ろされプリンのごとく震えるコリン。それにしても、この兄弟はどうしてこんなに似てないのだろう。狂犬のようなグラシアンを前にすると、よけいに二人の違いが際立った。
しかし、コリンはぷよっとした手を握り込んで、立ち向かう。
「その態度、みんなに言いふらしてやりたいよ! 『完璧なグラシアン卿』の裏の姿は、ごろつき以下だってね! まったく! ……わ、わかった、言うよ。そんなに睨まないでよ。――王太女殿下の婿決めが始まったんだよ、期限は二年後の殿下の成人式までで、その後すぐに結婚式だ。候補者はエアロン・オブ・ウィントレッド、オスニエル・オブ・アウント、クインシー・エルモンダ……それからおまえ」
弟の満足げな笑みに、コリンは心底悔しそうな唸り声をあげる。グラシアンはアーチの柱に身体を預け、腕組みをした。
「エアロンは、野心家で女癖が悪い。メイドに産ませた私生児を分家の実子と偽って養育させているはずだ。隠し通して殿下の婿に収まるつもりだろうが、俺がそうはさせるかよ」
「僕だってエアロンのやつを主君とは仰ぎたくないから脅迫するのは構わないけれど、とにかく穏やかにやってくれよ」
「コリン、おまえ正気か。『世紀の人格者』に何を言ってるんだ」
「……どうかな。僕は、百八十度違う人間を演じるおまえの忍耐力がそろそろ限界なんじゃないかと感じてるんだが」
グラシアンは口の端を上げて、コリンの嫌味を受け流す。
「アウントの三男坊はもともと虚弱体質で、本人も神殿に入ることを希望しているから辞退するだろう。……問題は王室秘書官のクインシー・エルモンダだけだが。お前、同僚だろ?」
弟の鋭い視線に、コリンは居心地悪そうに眼をそらした。
「……クインシー卿は頭の回転が速く人柄は温厚だよ。おまけに容姿端麗で、秘書官のなかで特に陛下のお気に入りなんだ。貴族じゃないし精霊魔法は使えないけれど、むしろそこが支持されている。公私ともに、アリス殿下の良きパートナーになるはずだよ。――でも、……、あ、いや。……僕は同僚の名誉を傷つけるつもりは全く」
「くその役にも立たない罪悪感は捨てろ」
弟の圧に、兄は丸っこい手で顔を覆う。
「二年ほど前、騎士団のひとりと木の陰に隠れてキスしてるのをみた」
「俺の部下か。……二年前に女の騎士は在籍していなかったから、秘書官は男が好きなのか」
「でも、二年も前の話で今はその騎士とは没交渉だし、男性が好きだからと言って女性がダメとも限らないじゃないか」
「『焼け木杭には火が付き易い』っていうだろ?」
その言葉に、コリンは顔を凍らせた。
「まさか、おまえ。自分の欲望のために、その騎士とクインシー卿をくっつけるつもりか。やめろ、鬼畜の所業だぞ。なんで終わった相手と復縁させられなきゃいけないんだ」
「まぁ、見てろって。クインシー卿の名誉とやらを傷つけなければいいんだろ? 俺は、気の長さには自信がある」
誰よりも気が短そうな顔つきで、彼は不敵に笑う。十分ほどたっただろうか。コリンが去ったのち、グラシアンはこちらに視線を向け、にやりと瞳を細めた。エイミーの背筋に悪寒が走る。
――ひぃぃぃっ! 盗み聞きしたのがバレちゃった!
彼は、優美な口許に人差し指を当てる。柱の陰から窺っているエイミーに対し『だまってろ』と口パクした。無言の圧が怖くて、彼女はコクコクと首を上下させるしかない。グラシアンはどうしてか、こちらへやって来ると、エイミーの前に立った。上背があるので、威圧感が半端ない。
――至近距離から見ると更に美形っ! でも、首にされるかもっ!
「エイミー・ラザロス」
「は、はいっ!」
「俺が呼んだら、すぐに駆け付けろよ」
「はっ、はいっ!」
普段のグラシアンなら決してしない、口の端を上げる笑い方。エイミーの心臓はドキュンッと音を立てて、すぐにも止まってしまいそうだった。今死んでも悔いはない。
それからというもの。グラシアンは腰を痛めたガスの代わりに、エイミーを雑務で呼びつけるようになった。そのときの彼は素のままで、人格者の演技はしていない。『完璧なグラシアン卿』は近しい人にしか本性を見せないのだ。正直、彼の乱暴な物言いになれるまで時間がかかったが、特別扱いされているのがエイミーには有頂天だった。
それから一年半後、グラシアンの画策の賜物か、正式にアリス王女の婚約者に決まった。グラシアンはそのことで大層浮かれていたが、最後の詰めとばかりに人格者の演技にはより磨きがかかっていた。
――王女様と結婚したくて、人格者の振りをしているの? グラシアン様は、そんなに未来の王婿になりたかったの?
お屋敷の執事が説明してくれたところによると、王太女の婿になったら『グラシアン王子殿下』と呼ばれるそうだ。国内の男性のなかで一番位の高い地位と権力、美しいと評判のアリス王女を手に入れるため、人格者の振りをした。
――それがわかっていたら、恋なんかしなかったのに。
エイミーは無性に悲しかった。あの笑顔に騙されていた。だが、五年も思い続けたのだ。今更嫌いになれるわけもない。忘れようとすればするほど、心に大きく開いた風穴を冷たい風が吹き抜けていくようで無理だった。結局、エイミーはグラシアンが王宮に移る日まで彼の姿、仕草や声をあたかも自分のだけの記憶のように心に焼き付けるしかない。
そんなある日、キャロル・フォックスがやってきた。
「わかった、分かったから放してくれよっ! やめてくれ!」
「分かるのが遅いんだよ」
今にも舌打ちしそうなほど不機嫌なグラシアンと、地上に下ろされプリンのごとく震えるコリン。それにしても、この兄弟はどうしてこんなに似てないのだろう。狂犬のようなグラシアンを前にすると、よけいに二人の違いが際立った。
しかし、コリンはぷよっとした手を握り込んで、立ち向かう。
「その態度、みんなに言いふらしてやりたいよ! 『完璧なグラシアン卿』の裏の姿は、ごろつき以下だってね! まったく! ……わ、わかった、言うよ。そんなに睨まないでよ。――王太女殿下の婿決めが始まったんだよ、期限は二年後の殿下の成人式までで、その後すぐに結婚式だ。候補者はエアロン・オブ・ウィントレッド、オスニエル・オブ・アウント、クインシー・エルモンダ……それからおまえ」
弟の満足げな笑みに、コリンは心底悔しそうな唸り声をあげる。グラシアンはアーチの柱に身体を預け、腕組みをした。
「エアロンは、野心家で女癖が悪い。メイドに産ませた私生児を分家の実子と偽って養育させているはずだ。隠し通して殿下の婿に収まるつもりだろうが、俺がそうはさせるかよ」
「僕だってエアロンのやつを主君とは仰ぎたくないから脅迫するのは構わないけれど、とにかく穏やかにやってくれよ」
「コリン、おまえ正気か。『世紀の人格者』に何を言ってるんだ」
「……どうかな。僕は、百八十度違う人間を演じるおまえの忍耐力がそろそろ限界なんじゃないかと感じてるんだが」
グラシアンは口の端を上げて、コリンの嫌味を受け流す。
「アウントの三男坊はもともと虚弱体質で、本人も神殿に入ることを希望しているから辞退するだろう。……問題は王室秘書官のクインシー・エルモンダだけだが。お前、同僚だろ?」
弟の鋭い視線に、コリンは居心地悪そうに眼をそらした。
「……クインシー卿は頭の回転が速く人柄は温厚だよ。おまけに容姿端麗で、秘書官のなかで特に陛下のお気に入りなんだ。貴族じゃないし精霊魔法は使えないけれど、むしろそこが支持されている。公私ともに、アリス殿下の良きパートナーになるはずだよ。――でも、……、あ、いや。……僕は同僚の名誉を傷つけるつもりは全く」
「くその役にも立たない罪悪感は捨てろ」
弟の圧に、兄は丸っこい手で顔を覆う。
「二年ほど前、騎士団のひとりと木の陰に隠れてキスしてるのをみた」
「俺の部下か。……二年前に女の騎士は在籍していなかったから、秘書官は男が好きなのか」
「でも、二年も前の話で今はその騎士とは没交渉だし、男性が好きだからと言って女性がダメとも限らないじゃないか」
「『焼け木杭には火が付き易い』っていうだろ?」
その言葉に、コリンは顔を凍らせた。
「まさか、おまえ。自分の欲望のために、その騎士とクインシー卿をくっつけるつもりか。やめろ、鬼畜の所業だぞ。なんで終わった相手と復縁させられなきゃいけないんだ」
「まぁ、見てろって。クインシー卿の名誉とやらを傷つけなければいいんだろ? 俺は、気の長さには自信がある」
誰よりも気が短そうな顔つきで、彼は不敵に笑う。十分ほどたっただろうか。コリンが去ったのち、グラシアンはこちらに視線を向け、にやりと瞳を細めた。エイミーの背筋に悪寒が走る。
――ひぃぃぃっ! 盗み聞きしたのがバレちゃった!
彼は、優美な口許に人差し指を当てる。柱の陰から窺っているエイミーに対し『だまってろ』と口パクした。無言の圧が怖くて、彼女はコクコクと首を上下させるしかない。グラシアンはどうしてか、こちらへやって来ると、エイミーの前に立った。上背があるので、威圧感が半端ない。
――至近距離から見ると更に美形っ! でも、首にされるかもっ!
「エイミー・ラザロス」
「は、はいっ!」
「俺が呼んだら、すぐに駆け付けろよ」
「はっ、はいっ!」
普段のグラシアンなら決してしない、口の端を上げる笑い方。エイミーの心臓はドキュンッと音を立てて、すぐにも止まってしまいそうだった。今死んでも悔いはない。
それからというもの。グラシアンは腰を痛めたガスの代わりに、エイミーを雑務で呼びつけるようになった。そのときの彼は素のままで、人格者の演技はしていない。『完璧なグラシアン卿』は近しい人にしか本性を見せないのだ。正直、彼の乱暴な物言いになれるまで時間がかかったが、特別扱いされているのがエイミーには有頂天だった。
それから一年半後、グラシアンの画策の賜物か、正式にアリス王女の婚約者に決まった。グラシアンはそのことで大層浮かれていたが、最後の詰めとばかりに人格者の演技にはより磨きがかかっていた。
――王女様と結婚したくて、人格者の振りをしているの? グラシアン様は、そんなに未来の王婿になりたかったの?
お屋敷の執事が説明してくれたところによると、王太女の婿になったら『グラシアン王子殿下』と呼ばれるそうだ。国内の男性のなかで一番位の高い地位と権力、美しいと評判のアリス王女を手に入れるため、人格者の振りをした。
――それがわかっていたら、恋なんかしなかったのに。
エイミーは無性に悲しかった。あの笑顔に騙されていた。だが、五年も思い続けたのだ。今更嫌いになれるわけもない。忘れようとすればするほど、心に大きく開いた風穴を冷たい風が吹き抜けていくようで無理だった。結局、エイミーはグラシアンが王宮に移る日まで彼の姿、仕草や声をあたかも自分のだけの記憶のように心に焼き付けるしかない。
そんなある日、キャロル・フォックスがやってきた。
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