婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる

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57.フィリップと二人の少女(親世代の話)②

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「……やだっ、は……っ、し、しょ……う」

 彼の舌の動きが巧みすぎて、初心なエーヴリルにはもはや抵抗を続けられない。口蓋をなぞられ、鳩尾のあたりがずくんっと跳ねた。深い口づけを続けられれば、信じられないほどの陶酔が全身に満ちていく。
 
「ん、んっ、……あっ」

 現実から逃避したくて目を閉じると、かえって翻弄してくる舌の動きや時折混ざるリップ音がどうにも淫靡で、耐えられない。エーヴリルの弱い場所を見つけたとばかりに、口蓋のあたりを何度も刺激されるうちに、彼女の腰がガクンとと砕ける。

「おっと」

 フィリップはそんな彼女の腰を強く抱き寄せた。すっかり蕩け切った瞳でフィリップを見上げるエーヴリルは、確かに陶酔した女の顔をしている。

「殿下のファースト・キスは、この通り俺がもらった。これでもしたりないぐらいだけど、まだ俺の気持ちを疑うのか? それとも、信じてもらえるまで、キスを続けようか?」

 フィリップの低い声は蠱惑的で、それを耳元で囁かれたエーヴリルは目に見えてぼうっとなる。しかし、濡れて色づいたフィリップの唇を凝視してから数秒後、はたと我に返り自分の唇を手荒く拭った。羞恥に赤らんだ顔を背けて、フィリップの目から必死に逃れる。

「アビゲイルが保持している、グレードサラマンダーの心臓石を回収してください。アビゲイルは崖から落ちて死んだことにします。――……師匠の頼みを聞くのは、今回限りです」

 その途端、フィリップの表情がパッと明るくなった。
 
「もちろんだ、ありがとう!」
「わたしの手をかけるまでもない女です」
「生きている限り、殿下のそばを離れないよ」
「師匠は、なるべく長く生きてください」
 
 エーヴリルは最初の獰猛さもどこへやら、ハイティーンの少女らしくもじもじしている。そんな熱々の二人の足元から、涙交じりに鼻を鳴らす声が聞こえてきた。愛する従兄と恋敵の濃厚なキスシーンを見せられるはめになった、それは不幸なアビゲイルだ。

「エーヴリル殿下。……今、わたしを殺して、おかないと、後悔するわよ!」
「うるさい。おまえは今から死人だ。死人が口をきくな。……今見たことをすべて忘れろ。一言もしゃべるな」

 エーヴリルの憎しみと羞恥のこもった瞳は、アビゲイルの薄い身体を今にも破壊しそうだった。多少、緊張感を緩めたフィリップが、二人の間に入る。

「殿下。少しだけ、二人で話させてくれ。アビゲイルに別れの挨拶をしたい」

 王太女はフンッと鼻を鳴らしながらも素直に、声の届かないところまで下がった。フィリップが、アビゲイルの前で膝をついて、足の血を拭う。

「深い傷ではないな、殿下の弓の力加減はさすがだ。また上達したな」
「痛いわ、……兄さん。あの女に射られたところがとっても、痛いの……っ」
「アビゲイルは、優秀な水の使い手だ。もう、俺に甘えるんじゃない、自分で治せるだろう?」

 突き放すような言葉に、アビゲイルの声はいっそう悲壮じみて響いた。
 
「あ、……あんな女にあなたを奪われるなら、グレードサラマンダーの卵を凍らせるんじゃなかったわ……っ!」

 フィリップは、年の離れた従妹の身体を壊れ物みたいに抱きしめる。
 
「悪かった。おまえの気持ちに気付かない振りをしたけれど、もっと早くに言うべきだった。――俺は、彼女を諦めきれない」

 フィリップの熱い視線の先には、アビゲイルを憎々しげに見つめるエーヴリルの姿があった。こうなれば、アビゲイルはまさしく自分の徒労を笑うしかない。何のために、命がけでフィリップの病を治そうとしたのか。アビゲイルはフィリップの肩に額を埋め、訴えた。

「グレードサラマンダーは巣のなかで最初の一匹が卵から還ると同時に、他の卵を焼き殺す生態なのよ。わたしが壊した卵だって、ほかの雛に焼かれていたかもしれないわ。そうよ、どうせ無駄にされる命を有効に活用しようとしただけ。……それの、何が悪いの?」

 フィリップは、彼女の背中を何度も撫でる。
 
「人間には、ひかなければならない一線があるんだ。これぐらい、と許しているとその境目が曖昧になる。一度そうなったら、二度と元には戻せない。……アビゲイルの気持ちは嬉しいよ。俺がおまえを女性として愛していたら、喜んで心臓石を飲み干していた」

 それは、フィリップからの明確な拒絶だった。自分の命よりも、愛する人を守ることを優先する。次代の女王エーヴリルの不利益になることは一切しない。そんな信条を持つフィリップがアビゲイルの助命を願い出たのは、たとえ恋愛感情でなくとも彼女を深く愛していることの表れなのに、当のアビゲイルはそれに全く気付こうともしない。

「じゃあ、エーヴリル殿下はあなたに女性として見られるっていうの? あんな、サルみたいな子どもを? 嘘でしょう!?」

 その途端、離れた場所から、エーヴリルが鬼の形相でアビゲイルを睨みつけた。もしかして、アビゲイルの大声が聞こえたのかもしれない。フィリップは、かすかに笑った。
 
「結ばれても、いずれ俺は彼女を残して死んでいく。諦めるべきだとわかっているが、他の男が彼女の横に立つのはどうしても耐えられないんだ」
「あんな子のどこがいいのよ!」
「愛しているんだ。だから、アビゲイルは自分の幸せを探してくれ」
「たとえ、あなたでもわたしの心のなかまでは介入できないわ。一生会えなくても、わたしにとってあなたが一番なの」
「……それは、ほんとうに残念だ」
 
 アビゲイルの強い言葉に、フィリップが今度は力なく笑った。彼は、従妹に何を言っても伝わらない自分の無力さを感じていた。アビゲイルはもともと思い込みの激しいところがあったが、フィリップの病がそれを加速させてしまったのだ。彼の心情に気づいたか、気づいてないのか、アビゲイルがフィリップの両手を強く握る。
 
「せっかく卵から取り出したのだから、あなたが受け取って。エーヴリルだって、この心臓石をあなたが呑むことを反対しないはずよ。誰だって、愛する人には死んでほしくないものでしょう?」
「……ありがとう。じゃあ、これは俺がもらっておくよ」
「フィリップ、長生きしてね」
「幸せになるんだ、アビゲイル」

 フィリップはもう一度だけ彼女を抱きしめると、その場を静かに離れた。あたりはすっかり暗くなり、エーヴリルが魔法石に明かりを灯さなければ道もわからぬほどだった。フィリップは後ろを振り向かずに、駆け寄ってきたエーヴリルの肩を抱いた。

 その十二年後、フィリップはついに病に倒れる。本人の気力と病の発症を遅らせる薬と、後半は幼い娘の秀でた治癒能力にも支えられ、幸せに生きた歳月だった。
 だが、どれだけエーヴリルが泣いて縋っても、フィリップは最後まで、心臓石を飲もうとはしなかった。――女王への忠義と愛を貫くために。
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