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第29話 金の檻と、沈黙の騎士
しおりを挟む「……呼び出しですか」
放課後。
マイルズの元に、生徒会からの召喚状が届いた。
差出人は生徒会副会長、オスカー・ゼファー。
内容は「学内での無許可営業および施設改変に関する査問会」への出頭命令だ。
「どうしますか、マイルズ様」
シンシアが心配そうに尋ねる。
「行くさ。……向こうから扉を開けてくれたんだ。挨拶くらいしてやらないとな」
マイルズは鞄に、シンシアが徹夜でまとめた「ある資料」を詰め込んだ。
◇
生徒会室は、ボロボロの校舎の中で唯一、異様なほど豪華な空間だった。
床には厚い絨毯が敷かれ、壁には名画が飾られている。
暖炉には薪がくべられ、部屋は暖かく、甘い紅茶の香りが漂っている。
「……よく来たな、一年坊主」
革張りのソファにふんぞり返っているのは、オスカーだ。
その周囲には取り巻きの役員たち。
そして、部屋の隅の席には、一人の少年が静かに座って本を読んでいた。
色素の薄い金髪に、線の細い顔立ち。
第二王子、ギルバート・ニース。
彼は生徒会の一員(名誉役員)だが、その表情はどこか寂しげで、オスカーたちの輪には入っていない。
その背後には、影のように立つ一人の護衛騎士がいた。
黒髪短髪、無精髭を生やした無骨な青年。
グレン。十七歳。
彼は彫像のように動かず、ただ主であるギルバートの安全だけを見守っていた。
「マイルズ・バーンズです。……随分と快適な部屋ですね。寮とは大違いだ」
マイルズは皮肉を込めて挨拶した。
「ふん。選ばれた者には、それ相応の環境が必要なのだ」
オスカーは鼻を鳴らす。
「単刀直入に言う。学内での商売、および寮の改造を即刻中止しろ。そして、これまでの売上を『罰金』として生徒会に納めろ」
「断ります」
マイルズは即答した。
「我々の活動は、生徒の健康と安全を守るための自衛手段です。それを禁じるなら、まずは生徒会がまともな環境を用意すべきだ」
「黙れ! 下級生が口答えするな!」
オスカーが激昂する。
「我々は忙しいのだ! 学園の運営、行事の準備……予算はいくらあっても足りん!」
「予算、ですか」
マイルズはニヤリと笑い、鞄から書類の束を取り出した。
「奇遇ですね。私も気になって、学園の『予算報告書』を独自に調べさせてもらったんですよ」
「なっ……!?」
「シンシア」
マイルズが促すと、シンシアが一歩前に出て、淡々と数字を読み上げ始めた。
「……昨年度予算、金貨一千枚。うち、施設修繕費に計上されているのはわずか五%。対して『会議費』および『備品購入費』が全体の四〇%を占めています」
シンシアは、豪華なソファや調度品を冷ややかな目で見やった。
「その内訳は、高級茶葉、菓子、そして特定の貴族家(ゼファー家関連)からの不当に高額な備品購入……。計算上、市場価格の三倍で取引されています」
「き、貴様! どこでその数字を!」
オスカーが狼狽える。
裏帳簿に近いデータを、シンシアは断片的な情報から逆算して暴き出したのだ。
「横領とは言いませんが……『無駄遣い』が過ぎますね」
マイルズは冷徹に告げた。
「生徒たちが寒さと不味い飯に耐えている間に、あなた方はここで優雅なお茶会ですか? ……これが『伝統』の正体なら、やはり壊すべきだ」
「ぐぬぬ……! 衛兵! こいつらを放り出せ! 不敬罪だ!」
オスカーが叫ぶと、部屋の外にいた衛兵たちがドアを開けようとした。
その時。
「……やめないか、オスカー」
静かな、しかし威厳のある声が響いた。
隅で本を読んでいたギルバート王子だ。
彼は本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
「殿下……しかし、こいつは!」
「彼の言う通りだ。……僕も、この部屋の居心地の良さには、以前から疑問を感じていた」
ギルバートは、真っ直ぐにマイルズを見た。
「マイルズ・バーンズ。……噂は聞いている。君が寮にストーブを入れ、美味しい食事を提供していると」
「はい、殿下」
「……僕の部屋は王族用で暖かいが、友人の部屋は寒かった。……すまない。生徒会にいながら、僕は何もできていなかった」
王子は自嘲気味に笑い、そして頭を下げた。
「君の指摘は正しい。……オスカー、彼への処罰は認めない。むしろ、その『経営手腕』を学ぶべきだ」
「くっ……! 殿下がそう仰るなら……!」
オスカーは悔しげに拳を握りしめたが、王族の言葉には逆らえない。
「……今日のところは帰れ! だが、覚えおけよ!」
マイルズは優雅に一礼し、踵を返した。
「失礼いたします。……殿下、公正なご判断に感謝します」
◇
部屋を出た廊下。
マイルズたちが歩き出すと、背後から足音がした。
王子の護衛、グレンだ。
「……待て」
低く、地を這うような声。
ロッシュ伯爵に似た、武人の気配。
マイルズが振り返ると、グレンは無表情のまま、一枚の金貨を差し出した。
「……殿下からだ。『これでストーブを一台、一般生徒の部屋に入れてやってくれ』と」
それは、王子なりのポケットマネー(償い)だった。
「承りました。……殿下にお伝えください。『次回は、ぜひ我々の闇鍋パーティーへ』と」
グレンは小さく頷き、戻ろうとした。
その時、すれ違いざまに、シンシアが彼を見上げた。
「……貴方」
シンシアが、珍しく自分から声をかけた。
「先ほど、室内でオスカー様が激昂された時……貴方は剣の柄に手をかけませんでしたね」
グレンが足を止める。
「……殿下に害が及ぶ状況ではなかったからだ」
「いいえ。計算上、貴方の位置からは、オスカー様が動くよりも先に、貴方が制圧可能でした。……貴方は、最初からマイルズ様が勝つと分かっていたのですか?」
グレンは、シンシアの大きな瞳を見下ろした。
感情の読めない、数字のような瞳。
だが、そこには純粋な「興味」が宿っていた。
「……俺は計算などできん」
グレンは無愛想に答えた。
「だが、お前の主(あるじ)は、剣を持たずに戦っていた。……そしてお前は、主を守るために、数字という剣を抜いていた」
グレンの口元が、わずかに緩んだ気がした。
「……悪くない剣筋だった」
それだけ言い残し、グレンは生徒会室へと戻っていった。
シンシアは、しばらくその後ろ姿を目で追っていた。
「……心拍数、正常。体温、変化なし。……ですが」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「私の心拍数が、計算値より一割上昇しています。……これは、エラーでしょうか」
マイルズは、そんな彼女を見て微笑んだ。
「いいや、シンシア。それはエラーじゃない」
「では、何ですか?」
「……『発見』だよ。新しい変数のね」
金の檻に囚われた王子と、それを守る沈黙の騎士。
そして、腐敗した生徒会。
役者は揃った。
マイルズの学園改革は、王子という「神輿(みこし)」を得て、いよいよ本格化する。
「さて、シンシア。……予算の不正を暴いた。次は、この情報を『学内新聞』にリークして、世論を味方につけるぞ」
「了解しました。……徹底的に、やります」
シンシアの声には、先ほどまでの冷徹さに加え、どこか熱っぽい響きが混じっていた。
彼女の中で、何かが変わり始めていた。
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