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第33話 春の森と、騎士の休日
しおりを挟む「春季野外演習?」
マイルズは、教室の掲示板に貼り出された羊皮紙を眺めていた。
それは王立学院の伝統行事の一つ。
全学年の生徒が、王都近郊の広大な森に入り、三日間野営しながら目的地を目指すというサバイバル訓練だ。
名目は「貴族たるもの、戦場での不便さに耐え、指揮能力を養え」というものだが……。
「要するに、泥にまみれて堅パンを齧りながら山歩きをする苦行ですね」
隣でシンシアが淡々と補足する。
「例年、体調不良者や脱落者が続出する、生徒から最も嫌われている行事です」
「……ナンセンスだ」
マイルズは鼻で笑った。
「不便を耐えるのが訓練? 違うな。いかに『不便を快適に変えるか』こそが、真の指揮官に必要な能力だ」
マイルズの目が、商人のそれに変わった。
「よし。今回の演習を、我々の新商品の見本市にする。……名付けて『バーンズ式・グランピング計画』だ」
◇
演習の準備期間。
マイルズは、技術パートナーのシャルロットと共に、快適な野営のための道具を開発していた。
防水加工を施した軽量テント、携帯用コンロ、そして虫除けのアロマキャンドル。
だが、マイルズにはもう一つ、懸念事項があった。
今回の演習には、第二王子ギルバートも参加する。
森の中は死角が多い。警備体制を万全にする必要がある。
「シンシア。王子の護衛隊との連携調整を頼めるか? 私は資材の調達で手が離せない」
「了解しました。……担当者は?」
「護衛騎士のグレンだ。彼なら話が通じる」
シンシアの筆先が、一瞬ピクリと止まった。
「……分かりました。行って参ります」
彼女は表情を変えずに答えたが、その足取りはいつもより少しだけ速かった。
◇
王宮の訓練場。
シンシアは、汗を流して剣を振るうグレンの姿を見つけた。
彼は休憩中だったのか、ベンチに座り、無造作に水筒の水を煽っている。
「……失礼します。バーンズ家財務官、シンシアです」
「ああ。……来たか」
グレンは水筒を置き、手ぬぐいで汗を拭った。
無骨で、飾り気のない仕草。だが、その筋肉の躍動には無駄がない。
「今回の演習における、殿下の警備配置案を持って参りました。……マイルズ様の計算に基づき、死角を最小限にするルートです」
シンシアは地図を広げ、説明を始めた。
完璧なプレゼンテーション。感情を挟まない、機械のような正確さ。
だが、グレンは地図ではなく、シンシアの顔をじっと見ていた。
「……おい」
「はい? 何か不備が?」
「顔色が悪いぞ」
シンシアは言葉を詰まらせた。
「……計算上、業務に支障が出るレベルではありません。昨夜、決算処理で睡眠時間が二時間ほど削られましたが……」
「馬鹿か」
グレンは短く吐き捨てると、自分の水筒を突き出した。
「飲め」
「え……?」
「水だ。顔が白い。倒れられたら迷惑だ」
シンシアは戸惑いながらも、水筒を受け取った。
口をつけると、冷たい水が乾いた喉に染み渡る。
「……ありがとうございます」
「お前の主人は、人使いが荒いようだな」
グレンは苦笑いのような表情を見せた。
「だが……お前がいないと回らないのも事実らしい。殿下もそう仰っていた。『彼女がいるから、マイルズは前だけを見ていられるのだ』と」
「……評価いただき、光栄です」
「無理はするな」
グレンは、大きな手で、ポンとシンシアの頭を撫でた。
無骨で、剣ダコだらけの手。
だが、その掌は驚くほど温かかった。
「……っ」
シンシアの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
計算できない。この鼓動のリズムは、どの数式にも当てはまらない。
「俺は剣しか振れん。数字のことは分からん。……だが、お前が倒れそうになったら、支えることくらいはできる」
グレンは立ち上がり、剣を手に取った。
「演習中も、俺の側にいろ。……殿下だけでなく、お前も守備範囲に入れておく」
シンシアは、呆然とその後ろ姿を見送った。
「……非効率です。護衛対象を増やすなど……」
口ではそう呟いたが、彼女の頬は夕焼けのように赤く染まっていた。
手の中にある水筒の重みが、ひどく愛おしく感じられた。
◇
一方、王都の闇の中。
とある貴族の屋敷の地下室で、数人の男たちが密談を交わしていた。
彼らは「第一王子派」――病弱な第一王子を擁立し、既得権益を守ろうとする保守派の貴族たちだ。
「……ギルバート殿下は、最近調子に乗っておられる」
「ああ。あのバーンズ家の小僧と組み、学園で人気取りをしていると聞く」
「放置すれば、立太子の座を奪われかねん」
男たちの中心にいる、覆面の男が地図にナイフを突き立てた。
場所は、演習が行われる森の奥深く。
「好機だ。……森の中なら、事故に見せかけられる」
「手配は?」
「済んでいる。……西の大陸から流れてきた、腕利きの傭兵団を雇った。魔導師殺しの異名を持つ連中だ」
殺意が、どす黒く渦巻く。
「標的はギルバート殿下。……そして、その知恵袋であるマイルズ・バーンズもだ」
「ついでに始末しろ。あれは目障りだ」
◇
演習当日の朝。
王立学院の校庭には、数百人の生徒たちが整列していた。
皆、不安げな顔で重いリュックを背負っているが、マイルズたちの一団だけは違っていた。
「おはよう、マイルズ」
ギルバート王子が、爽やかな笑顔で声をかけてくる。
「おはようございます、殿下。……準備は万全ですか?」
「ああ。君のおかげでね」
王子のリュックは、マイルズが開発した軽量素材でできており、中身も機能的にパッキングされている。
「今回こそ、楽しいキャンプになりそうですわね」
エレオノーラも、特注のアウトドアウェアを着こなして現れた。
「ローズベルク家の名にかけて、一番快適なテントを設営してみせますわ」
「頼もしい限りだ」
マイルズは笑顔で応じたが、その目は笑っていなかった。
彼は背後の茂みに控えるシャルロットに、ハンドサインを送った。
(……『新兵器』の準備は?)
(バッチリだよ! 圧縮空気の充填完了!)
マイルズは空を見上げた。
春の穏やかな日差し。
だが、その向こうには、確実な「死の匂い」が漂っていた。
「行くぞ、シンシア」
「はい、マイルズ様」
シンシアは、チラリと王子の後ろにいるグレンを見た。
彼もまた、厳しい目で周囲を警戒しつつ、微かにシンシアに頷いてみせた。
「出発!」
号令と共に、生徒たちが森へと足を踏み入れる。
それは、ただの演習ではなく、命を懸けた実戦の始まりだった。
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