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第36話 空席の首席と、卒業した薔薇
しおりを挟む王都の街路樹が色づき、石畳に枯れ葉が舞う季節。
王立学院にも、二度目の秋――新学期の始まりが訪れていた。
正門をくぐる新入生たちの緊張した面持ちとは対照的に、2年生となったマイルズ・バーンズの姿は、教室にはなかった。
彼は今、学園の中枢――学園長室のふかふかなソファに座り、優雅に紅茶を啜っていた。
対面に座るのは、白髭を蓄えた老魔導師、学園長だ。
「……なるほど。つまり、こういうことかね」
学園長は、マイルズが提出した羊皮紙の束を検め、眼鏡の位置を直した。
「『特別登校免除願い』……。授業への出席を免除し、試験のみでの単位取得を認める、と」
「はい、学園長」
マイルズはカップを置き、涼やかな笑顔で答えた。
「1年時の成績は全て満点。実技、筆記ともに教師から『教えることはない』との評価をいただいております。……これ以上、教室で退屈な時間を過ごすのは、私にとっても、また他の生徒の集中力を削ぐという意味でも、学園にとって損失かと」
傲慢とも取れる言い草だが、事実は事実だ。
マイルズの知識量は教師陣を遥かに凌駕しており、授業中にマイルズが手を挙げると教師が怯えるという現象まで起きていた。
「それに」
マイルズは懐から、一枚の小切手を取り出し、机の上に滑らせた。
「空いた時間は、商会活動と領地経営に充てます。そこで得た利益の一部は……当然、母校の設備投資として還元させていただきますよ」
学園長は小切手の額面を見て、目を丸くし、そして咳払いをした。
「ゴホン。……優秀な生徒の自主性を重んじるのも、当学院の『伝統』じゃからな」
学園長は判子を取り出した。
「よかろう。マイルズ・バーンズ。貴君を『特別生』として認定する。……ただし、期末試験で一問でも間違えれば、即座に取り消すぞ?」
「ご心配なく。……全問正解以外、ありえませんので」
こうしてマイルズは、学生という身分(学割や社会的信用)を保持したまま、自由な時間を手に入れた。
「空席の首席」。
それが、13歳になり、2年生に進級したマイルズにつけられた新たな二つ名だった。
◇
学園を出たマイルズは、待機させていた馬車に乗り込んだ。
行き先は、学生寮でも銀翼商会でもない。
王都の貴族街、その一等地に聳え立つ壮麗な屋敷。
「ローズベルク公爵邸」だ。
「マイルズ様、お待ちしておりました」
屋敷に到着すると、執事たちが最敬礼で出迎える。
かつては借金で手入れが行き届いていなかった庭園も、今は美しく整備され、秋バラが見事に咲き誇っている。
すべては、マイルズが提案した「ボーンチャイナ」が生み出した利益によるものだ。
「お嬢様はサロンでお待ちです」
案内されたサロンに入ると、そこには一人の令嬢が待っていた。
学院の制服ではなく、深紅のドレスを纏った美しい女性。
この秋、王立学院を卒業したばかりのエレオノーラ・ローズベルクだ。
「……遅いですわよ、マイルズ」
彼女はティーカップを置き、少し拗ねたように言った。
「ごめんなさい。学園長との交渉が長引いてしまって」
「ふん。どうせまた、口八丁で煙に巻いてきたのでしょう?」
エレオノーラは呆れたように言うが、その表情は嬉しそうだ。
15歳になった彼女は、少女のあどけなさが抜け、大人の女性としての色香と、公爵令嬢としての気品を増していた。
「それにしても……ここ(屋敷)にいると、退屈で仕方ありませんわ」
彼女は寂しげに呟き、手元の紅茶を見つめた。
「最高級の茶葉のはずなのに、味がしないの。……生徒会室で、貴方が淹れてくれたあの安っぽい紅茶の香りが恋しいわ」
それは、もう戻れない学園生活への未練と、マイルズへの想いが混じった言葉だった。
「私も寂しいですよ、エリー」
マイルズは自然に愛称で呼び、向かいの席に座った。
「ですが、これからはここが私の『第二の職場』です。……会おうと思えば、毎日でも会えます」
「ま、毎日!? ……そ、それはさすがに……迷惑……でもないけれど……」
エレオノーラが顔を赤くして狼狽える。
相変わらずのツンデレぶりだ。
「さて、甘い話はここまでにして」
マイルズは表情を引き締めた。
「今日は、大切な商談があります。……お父上は?」
「……書斎にいるわ」
エレオノーラの表情も、緊張したものに変わる。
「父様……ローズベルク公爵は、厳しい人よ。貴方のことは認めているけれど、甘い顔は見せないわ」
「望むところです」
◇
重厚な扉が開かれる。
書斎の空気は、鉛のように重かった。
部屋の奥、巨大なマホガニーの机の向こうに、一人の巨漢が座っていた。
ヴィルヘルム・ローズベルク公爵。
鋼のような白髪交じりの髪、古傷の残る頬、そして猛禽類のような鋭い眼光。
かつて王国の将軍を務めた武人であり、現ローズベルク家当主。
「……入れ」
地響きのような声。
マイルズは臆することなく進み出て、完璧な礼をした。
「お初にお目にかかります、公爵閣下。バーンズ家長男、マイルズです」
公爵は、書類から目を離し、マイルズをじろりと睨め回した。
その視線だけで、常人なら失神しそうなほどの威圧感(プレッシャー)だ。
「……貴様か。娘をたぶらかし、我が家に奇妙な皿作りを持ち込んだ小僧は」
「人聞きが悪いですね」
マイルズは顔を上げて微笑んだ。
「たぶらかしたのではなく、共に歩んでいるのです。奇妙な皿ではなく、至高の芸術品(ボーンチャイナ)を」
「口の減らないガキだ」
公爵は鼻を鳴らし、手元の報告書を叩いた。
「だが……数字は嘘をつかん。先月のボーンチャイナの売上、そして利益率。……全盛期の鉱山収入を超えたぞ」
公爵の強面が、わずかに歪んだ。
それは、安堵と、そして感謝の入り混じった複雑な表情だった。
「……借金の返済も、今年中には完了する目処が立った。……礼を言う」
「礼には及びません。私は、私の利益のために動いただけです」
マイルズは言った。
「ローズベルク家が倒れれば、私も困ります。……エレオノーラ様には、常に美しく、気高くいていただきたいですから」
「……ふっ」
公爵が、喉の奥で笑った。
「言うではないか。……娘が入れ込むわけだ」
公爵は立ち上がり、マイルズの目の前まで歩み寄った。
見上げれば、壁のような巨体だ。
彼はその大きな手を、マイルズの肩に置いた。
「マイルズ・バーンズよ。……貴様を、我が家の『盟友』として認める」
「光栄です」
「それとな」
公爵は、ニヤリと意地悪く笑った。
「娘は、嫁の貰い手がなくて困っていたのだ。気が強い上に、金食い虫だからな。……責任、取ってくれるのだろうな?」
「ち、父様ッ!!」
後ろで控えていたエレオノーラが悲鳴を上げる。
「な、何を仰るのですか! マイルズはまだ13歳! 私は15歳! 犯罪ですわ!」
「年齢など関係ない! これだけの甲斐性がある男、逃してどうする!」
「も、もう! 知りません!」
顔を真っ赤にして走り去るエレオノーラ。
残された公爵とマイルズは、顔を見合わせて笑った。
「……騒がしい娘だが、頼んだぞ」
「ええ。……末長く、お付き合いさせていただきます」
こうして、マイルズは王都における最強の後ろ盾――ローズベルク公爵家の全面協力を取り付けた。
学園でのしがらみから解放され、公爵家公認のパートナーとなったマイルズ。
「さて、地盤は固まった」
屋敷を出たマイルズは、王都の秋空を見上げた。
「次は『箱』を作る番だ」
銀翼商会の一部門としてではなく、マイルズ自身の意志で動く、独立した組織。
「バーンズ商会」。
その設立に向け、マイルズは次なる行動を開始する。
マイルズの成長は、周囲との関係性を少しずつ、しかし確実に変えていく。
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