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第35話 計算機の卒業と、新しい契約
森の闇が明け、薄明かりが差し込む頃。
マイルズによる緊急手術は終了した。
「……ふぅ。終わったよ」
マイルズは血に染まった手袋を外し、大きく息を吐いた。
「傷は肺をわずかに逸れていた。血管の縫合も完了し、『生命』スキルで造血も促した。……峠は越えたよ」
簡易テントの中に横たわるグレンの顔色は、死人のような白さから、わずかに赤みが戻っていた。
その傍らで、シンシアはずっと彼の手を握りしめていた。
いつも冷静沈着な彼女の顔は、涙と泥でぐしゃぐしゃになっていた。
「よかった……本当によかった……」
彼女は何度も繰り返した。
計算も論理も吹き飛んだ、ただの祈りの言葉を。
ギルバート王子も、テントに入り込み、深々とマイルズに頭を下げた。
「ありがとう、マイルズ。……君は、僕の命だけでなく、僕の大切な友の命も救ってくれた」
「顔を上げてください、殿下。……グレン殿が助かったのは、彼自身の強さと、守り抜きたいという意志があったからです」
マイルズは、眠る騎士と、彼を見守る少女を見て、静かにテントを出た。
「……二人にしてあげましょう」
◇
数時間後。
グレンが目を覚ました。
「……ここは」
「グレン様!」
シンシアが弾かれたように顔を上げる。
「動かないでください! まだ傷が……!」
グレンは重い体を起こそうとして、痛みに顔をしかめ、そして自分の手を両手で包み込んでいる少女を見た。
「……お前、泣いているのか」
「泣きます……! 当たり前です……!」
シンシアは、溢れる涙を拭おうともしなかった。
「貴方が死ぬかと思ったら……計算なんてできなくなりました。胸が苦しくて、息ができなくて……こんなエラー、知りません……!」
グレンは、動く方の手を伸ばし、不器用にシンシアの涙を拭った。
「……悪かった。だが、お前が無事でよかった」
「私のことなんてどうでもいいです! どうして……どうして私なんかを庇ったんですか!?」
「……体が勝手に動いた」
グレンは、照れくさそうに視線を逸らした。
「殿下を守るのが騎士の務めだ。だが……お前が傷つくのを見るのは、殿下が傷つくのと同じくらい……いや、それ以上に耐え難かった」
それは、無口な騎士なりの、精一杯の愛の告白だった。
シンシアは息を呑んだ。
彼女の中で、ずっと答えの出なかった数式が、カチリと解けた気がした。
「……私もです」
彼女はグレンの胸に顔を埋めた。
「私も……貴方が大切です。貴方のいない世界なんて、どんなに効率的でも意味がありません」
森の朝霧の中、二人は初めて、主従でも仕事相手でもない、男と女として抱きしめ合った。
◇
演習は中止となり、一行は王都へ帰還した。
グレンは王宮の医務室へ運ばれ、順調に回復に向かっている。
数日後。
王立学院の生徒会室。
マイルズが書類仕事をしていると、シンシアが入室してきた。
彼女の表情は、以前のような能面ではなく、どこか憑き物が落ちたような、穏やかなものになっていた。
「マイルズ様。……お話があります」
「なんだい?」
マイルズはペンを止めずに応じた。
シンシアは、一枚の封筒を机の上に置いた。
「……辞表です」
マイルズの手が止まった。
「理由を聞いても?」
「……私は、欠陥品になりました」
シンシアは、真っ直ぐにマイルズを見つめた。
「秘書とは、常に主の利益を最優先に考え、冷徹に判断を下す者です。ですが……今の私には、それができません」
彼女は胸に手を当てた。
「私の優先順位の一番は、もうマイルズ様ではありません。……グレン様です。もし彼に何かあれば、私は仕事を放り出してでも駆けつけるでしょう。……そんな私に、貴方様の側近を務める資格はありません」
彼女の言葉は誠実だった。
マイルズへの忠誠心がなくなったわけではない。ただ、それ以上に大切なものができてしまった自分を、許せなかったのだ。
マイルズは、しばらく沈黙した後、封筒を手に取った。
そして。
ビリッ。
音を立てて、辞表を破り捨てた。
「……マイルズ様?」
「却下だ。辞めることは認めない」
マイルズは破いた紙をゴミ箱に捨て、ニヤリと笑った。
「シンシア。私は君を『完璧な機械』だと思って雇ったわけじゃない。……君は人間だ。恋をして、弱くなって、そして強くなった人間だ」
マイルズは立ち上がり、シンシアの前に立った。
「君の秘書としての役目は、確かに終わりだ。……恋に浮かれた秘書なんて、使い物にならないからね」
「……っ、はい」
シンシアが悲しげに俯く。
「だから」
マイルズは、新しい辞令書を差し出した。
「今日付けで、君を秘書から解任する。……代わりに、『バーンズ家・王都駐在財務官』に任命する」
「……え?」
シンシアが顔を上げる。
「財務官、ですか?」
「ああ。私の資産管理、銀翼商会との折衝、そして王都での投資活動。……すべてを君に一任する。現場で私の世話を焼くのではなく、もっと大きな視点で、私の『金庫』を守ってくれ」
マイルズは悪戯っぽく付け加えた。
「勤務地は王都だ。……王宮にいる彼とも、すぐに会える距離だろ?」
シンシアの目が大きく見開かれた。
それは、左遷でも解雇でもない。栄転であり、そして何より、彼女の恋を応援するための配置転換だった。
「マイルズ様……」
「給金も倍にする。……結婚資金、稼がないとな?」
マイルズがウィンクすると、シンシアの目から大粒の涙が溢れ出した。
「……う、うぅぅ……!」
彼女はその場に泣き崩れた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
「泣くなよ。優秀な財務官が台無しだ」
マイルズは優しく彼女の肩を叩いた。
少し寂しい気もする。ずっと後ろをついてきた小さな少女が、自分の手元から巣立っていく。
だが、それ以上に誇らしかった。
彼女が「幸せ」という、計算では出せない答えを見つけたことが。
「行け、シンシア。……君の人生は、君のものだ」
◇
こうして、シンシアはマイルズの直属の従者を卒業した。
後日、全快したグレンが、シンシアを連れてマイルズの元へ挨拶に来た。
「……バーンズ卿」
グレンは深々と頭を下げた。
「感謝する。……彼女を、俺に預けてくれて」
「預けたわけじゃない。彼女が君を選んだんだ」
マイルズは笑って答えた。
「だが、覚えておけよ。彼女は私の最高の部下だ。もし泣かせるようなことがあれば……赤錆山の溶鉱炉に放り込むからな」
「肝に銘じる。……命に代えても、幸せにする」
グレンは力強く誓い、隣のシンシアの手を握った。
シンシアは、今まで見たこともないような、とびきり幸せそうな笑顔を浮かべていた。
春が終わり、初夏が訪れる。
マイルズの隣には、もうシンシアはいない。
だが、代わりに頼もしい技術パートナーのシャルロットや、卒業したが少しずつ素直になってきたエレオノーラがいる。
「さて……」
マイルズは空を見上げた。
「第1学年も終わりか。……次はどんな問題が待っているかな」
マイルズ13歳。
王立学院での生活は、まだ始まったばかり。
少年から青年へと変わる季節の中で、マイルズの内政改革は、学園から王国全土へと影響力を広げていく。
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