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第3話 銀の商人と断熱の悪魔(インシュレーション)
しおりを挟むベルナ港の朝は早いが、今日の活気は昨日までとは別物だった。
「おい、そこ! 魚を放り投げるなと言っただろうが! 脳天に針を刺したら、すぐに海水で血を抜け!」
「へい、親方! でもよぉ、こんなに手間をかけて本当に売れるのか?」
「若様が売れると言ったら売れるんだ! 文句を言わずに手を動かせ!」
港湾長ゲンの怒声が響く中、漁師たちは慣れない手つきで「神経締め」の作業に追われていた。
水揚げされたばかりのマダイやアジが、次々と処理され、私が修理した「魔導冷凍倉庫」へと運び込まれていく。
倉庫の中は今やマイナス三十度の極寒地獄だ。
運び込まれた魚は数時間でカチコチに凍り、鮮度を完全に封じ込められた「氷のブロック」へと変わる。
「……壮観ですね、アレン様」
隣に立つ家令のガルシアが、積み上がった氷漬けの魚の山を見上げて呟いた。
だが、その表情は晴れない。
「しかし、これだけの量をどう捌くおつもりで? 当家の御用聞きをしている商人は、安値で買い叩くことしか能がない連中ですぞ。この最高級品を見せても、『どうせ凍ってるんだろ』と二束三文で買い叩かれるのがオチです」
「分かっているよ、ガルシア。だから、呼んだんだ」
「呼んだ? 誰をです?」
「賭けに出る度胸があって、喉から手が出るほど『起死回生の商品』を欲しがっている商人をね」
私が視線を向けた先、倉庫の入り口に一台の馬車が停まった。
塗装は剥げかけ、車輪も泥だらけだが、手入れだけは行き届いている馬車だ。
幌には、色あせた銀色の魚の紋章――『銀鱗(ぎんりん)商会』のマークが描かれている。
◇
「へえ。これが噂の『氷の棺桶』ってわけかい?」
馬車から降りてきたのは、予想に反して若い女性だった。
年齢は二十代後半ほど。赤茶色の髪を無造作に束ね、男物の商売服を着崩している。口元には長いキセルを咥え、紫煙をくゆらせていた。
メリッサ。かつては王都でも名を馳せた海産物問屋『銀鱗商会』の、現在の会長代理だ。
「ようこそ、ベルナ港へ。遠路はるばる感謝します、メリッサ殿」
「挨拶はいいよ、子爵家の坊ちゃん。……で? 話ってのは何だい。『ウチの商会を救うような儲け話がある』なんて手紙をもらったから来てみれば……」
メリッサは倉庫の中を見回し、鼻を鳴らした。
「カチコチに凍った死んだ魚の山か。悪いけどね、アタシらは腐った魚を売りつけるような詐欺はしないんだ。冷凍モンなんて、解凍したらドリップが出てスポンジみたいにスカスカになる。猫の餌にもなりゃしないよ」
彼女の評価は辛辣だった。だが、それは正しい。
従来の冷凍技術(といっても、冬場の氷室に入れる程度だが)では、細胞が破壊されて味が落ちるのが常識だ。
だからこそ、勝機がある。
「論より証拠だ。ガルシア、あれを」
「はっ」
ガルシアが恭しく差し出したのは、今朝解凍したばかりのマダイの刺身だ。
透き通るような白身。表面には脂が乗り、醤油を弾いている。
「……なんだい、これは。今朝獲れたヤツかい?」
「いいえ。昨日獲って、一晩凍らせて、今朝解凍したものです」
「ハッ、冗談を。そんなわけが……」
メリッサは疑わしげな目で私を睨んだが、商人としての本能が何かを感じ取ったのか、箸を手に取った。
一切れ摘み、口に運ぶ。
咀嚼する。
その瞬間、彼女の細い目が驚愕に見開かれた。
「……っ!?」
言葉が出ないようだった。
彼女は二切れ、三切れと連続で口に放り込み、最後に皿に残った脂を指で拭って舐めた。
「……信じられない。甘い。臭みがないどころか、身が締まっていて……獲れたてより旨いじゃないか。どういう魔法を使ったんだい?」
「魔法じゃない。『技術(テクノロジー)』だよ」
私は神経締めと急速冷凍の理屈を簡単に説明した。
メリッサはキセルを吸うのも忘れ、私の説明に聞き入っていた。彼女の瞳の奥で、カシャン、カシャンと計算機の弾かれる音が聞こえるようだ。
「……なるほどね。これなら、王都の貴族連中に高く売れる。今の相場の十倍、いや、やり方次第じゃ二十倍でも買い手がつくよ」
「でしょうね。そこで相談だ。この魚の『独占販売権』を、貴女の商会に預けたい」
「!」
メリッサが息を呑む。
銀鱗商会は先代の失敗で没落し、今は借金返済に追われていると聞いている。この独占権があれば、一発逆転どころか、再び王都のトップに返り咲ける。
「……条件は?」
「利益は折半。ただし、条件が一つある」
私は彼女の馬車を指差した。
「その馬車じゃダメだ。王都まで三日かかる。いくら凍らせても、今の季節じゃ途中で溶けてしまう」
「なっ……! 無茶言わないでくれよ! ウチには魔導冷蔵車なんて高級なシロモノを買う金はないんだ!」
「だから、私が改造(チューニング)する」
「は?」
◇
私はメリッサの馬車、その荷台に積まれた木箱を【構造解析(ブループリント)】で視た。
ただの杉の木で作られた箱だ。隙間だらけで、断熱性など皆無に等しい。これに氷を入れても、半日で溶けて水浸しになるだろう。
「この箱を改造する。メリッサ殿、積み荷を降ろしてくれ」
「改造って……大工仕事でも始める気かい?」
「いいから」
私は工具袋から、断熱材として使う「乾燥させた海綿(スポンジ)」と、錬金術で精製した「アルミ箔のような金属シート」を取り出した。
前世のクーラーボックスの構造を再現するのだ。
「木箱の内側に、この金属シートを貼る。これで外部からの輻射熱(放射熱)を反射する。その上に、空気の層を作るために海綿を敷き詰め、さらに内壁を作る」
「……そんな紙切れ一枚で変わるもんかよ」
メリッサは半信半疑だが、私は手を止めない。
そして仕上げに、箱の継ぎ目を「樹脂(松脂)」で完全にシーリングする。
「ここが一番重要だ。『気密性』だよ。冷気が逃げる最大の原因は隙間風だ」
「起動……【構造解析】」
私の視界に、箱の断面図が浮かぶ。
熱伝導のシミュレーション。
外気三十度、内部マイナス三十度。
通常の木箱なら一時間で五度上昇するが、この「魔法瓶構造」なら、二十四時間で一度も上がらない。
「完成だ。名付けて『ベルナ式保冷コンテナ1号』」
出来上がったのは、銀色のシートで内張りされた、見た目は奇妙な木箱だった。
私は倉庫から氷の塊を持ってきて、中に入れた。
そして蓋を閉め、留め具でガッチリと密閉する。
「これで三日間、氷は溶けない」
「ハッ、大きく出たね。もし溶けたら?」
「契約は破棄していい。逆に、もし溶けなかったら……」
「……アタシの商会ごと、アンタの船に乗ってやるよ」
メリッサは不敵に笑い、私の手を強く握り返した。
その掌には、男顔負けのタコができていた。現場を知る者の手だ。
私は確信した。彼女となら、うまくやれる。
◇
三日後。
王都へ試験輸送に向かったメリッサから、早馬で報告が届いた。
手紙には、震えるような筆跡でこう書かれていた。
『氷は一滴も溶けていなかった。魔法か? それとも悪魔の仕業か?
王都の市場はパニックだ。公爵家の料理番が、言い値で箱ごと買っていったよ。
アレン、アンタはとんでもない悪魔だ。
すぐに次の便を用意してくれ。馬車を十台増やして戻る』
執務室で手紙を読んだガルシアが、感極まってハンカチで目頭を押さえている。
「あ、アレン様……これで、来月の借金の利払いが……いえ、元本すら減らせますぞ!」
「まだ早いよ、ガルシア。これは序章に過ぎない」
私は窓の外、活気づく港を見下ろした。
銀鱗商会の馬車列が、次々と冷凍魚を積み込んでいく。
物流の血管が繋がった。
血液(金)が流れ始めたのだ。
「海産物は売れた。だが、これで目立てば、必ず『ハイエナ』たちが寄ってくる」
「ハイエナ、ですか?」
「ああ。利権を嗅ぎつけた他領の貴族や、あるいは……もっと大きな権力だ」
私の脳裏に浮かんだのは、メリッサの手紙にあった『公爵家の料理番』という一文だ。
王国の海を支配する武門、オルコット公爵家。
彼らがこの「異常に美味い魚」に興味を持たないはずがない。
そして、海軍を抱える彼らにとって、この港は喉から手が出るほど欲しい戦略拠点になるはずだ。
(来るな。近いうちに)
私は次の計画(青写真)を広げた。
港のドックの拡張工事。軍艦クラスの大型船を受け入れるための準備だ。
最強の顧客を迎えるための、最高のおもてなし(メンテナンス)を用意しなければならない。
「ガルシア、次はドックの修理だ。予算を組んでくれ」
「ひぃぃ! 入った金が右から左へ! 少しは貯蓄させてくだされぇぇ!」
嬉しい悲鳴を上げる家令を尻目に、私は再び作業着(ツナギ)へと袖を通した。
さあ、忙しくなるぞ。
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