企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する 

namisan

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第5話 公爵令嬢の来訪と婚約破棄

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 ミレーヌとの商談成立から数日後。アインハルト領は数十年ぶりの大雪に見舞われていた。
 窓の外は視界が白く染まるほどの吹雪だが、執務室の中は別世界のように快適だった。
 部屋の隅に設置された、木箱ほどの大きさの金属装置――【魔導温風機(ヒーター)】試作一号機が、静かに、しかし力強く温風を吐き出し続けているからだ。
「室温二十二度、湿度五十パーセント。魔石の消費効率も想定の範囲内だな」
 アレクが手元の温度計を確認して頷くと、シルヴィアが感心した様子でお茶を淹れ直した。
「外は氷点下だというのに、上着一枚で過ごせるとは……。旦那様、これは革命です。冬に凍えないというだけで、領民の労働意欲は劇的に向上するでしょう」
「ああ。量産体制が整えば、まずは領民の各家庭に配給するつもりだ」
 そんな穏やかな時間を切り裂くように、屋敷の玄関ホールから騒がしい音が響いてきた。
 複数の足音と、甲高い女性の声。
「通しなさい! アインハルト伯爵はいるのでしょ!」
 シルヴィアが眉をひそめる。
「……あの声は。まさか」
 直後、執務室の扉が乱暴に開かれた。
 そこに立っていたのは、雪の結晶を散りばめたような豪奢なドレスを纏い、濡れた銀髪を揺らす美少女だった。
 エレノア・ローズ・ヴァレンシュタイン。
 帝国筆頭公爵家の令嬢であり、アレクの許嫁(いいなずけ)である。
 だが、その美しい顔は怒りと軽蔑で歪んでいた。
「久しぶりね、アレク。相変わらずカビ臭い……あら?」
 エレノアは部屋に入った瞬間、言葉を詰まらせた。
 彼女は、寒さと湿気に満ちた陰気な部屋を予想していたのだろう。しかし彼女を出迎えたのは、春のような暖かさと、磨き上げられた床、そして湯気を立てる香り高い紅茶だった。
「……ようこそ、エレノア。大雪の中、わざわざ帝都から来るとは感心だ。まずは座ってくれ。冷えただろう」
 アレクは動じることなくソファを勧めた。
 エレノアは狐につままれたような顔で周囲を見回したが、すぐに気を取り直して冷然と言い放った。
「お構いなく。長居するつもりはないわ。単刀直入に言うけれど、お父様……ヴァレンシュタイン公爵からの通達よ」
 彼女は懐から、蝋封(ろうふう)された書状を取り出し、机の上に叩きつけた。
「アインハルト家との婚約を破棄します」
 シルヴィアが息を呑む気配がした。
 だが、アレクは予想していたかのように静かに頷いた。
「理由は、我が家の財政難か?」
「ええ。借金まみれの貧乏伯爵に、公爵家の娘は嫁がせない。当然の判断でしょう? 私だって、あなたのような無能な男と一緒になるなんて御免だわ」
 エレノアはツンと顎を上げた。
 かつてのアレクならば、ここで泣いて縋(すが)っていただろう。公爵家の支援がなければ、この領地は立ち行かなかったからだ。
 しかし、今のアレクは違う。
「分かった。了承しよう」
「……は?」
 あっさりと返された言葉に、エレノアが間の抜けた声を上げる。
「いいの? この婚約がなくなれば、あなたの家は後ろ盾を失って終わりよ」
「問題ない。借金は完済の目処が立ったし、事業も軌道に乗り始めている。公爵家に迷惑をかけることもないだろう」
 アレクは立ち上がり、温風機の前へと歩いた。
「それに、俺は忙しいんだ。この領地を、帝都すら凌駕する大都市に作り変えなきゃならないからな」
「帝都を凌駕……? 何を寝言を」
 エレノアが嘲笑しようとした時、温風機から吹き出す熱風が彼女のドレスの裾を揺らした。
 彼女はハッとして、その奇妙な箱を見つめた。
「何なの、これ。薪も燃えていないのに、どうしてこんなに暖かいの? それに、この部屋の空気……綺麗すぎるわ」
「【魔導温風機】だ。俺が開発した。これ一台で、冬の暖房費は十分の一以下になる。すでに『銀の翼』商会との販売契約も済んでいる」
 アレクはさらに、サイドテーブルに置かれたガラス瓶を指差した。中には、先日蒸留に成功したばかりの、クリスタルのように透明な液体が入っている。
「こっちは特産の蒸留酒、ウォッカだ。一口どうだ?」
 アレクは小さなグラスに注ぎ、差し出した。
 エレノアは警戒しつつも、その芳醇な香りに誘われて口をつけた。瞬間、彼女の瞳が見開かれる。
「……っ! 熱い、でも美味しい……! 雑味が全くないわ。帝都の最高級ブランデーよりも澄んでいる……」
 エレノアはグラスを持ったまま、呆然とアレクを見上げた。
 彼女の知るアレクは、気弱で、才能もなく、いつも俯(うつむ)いている少年だったはずだ。
 だが、目の前にいる男は違う。
 自信に満ち溢れ、未知の技術を操り、公爵家からの絶縁状すら意に介さない強さを持っている。
 エレノアの中で、何かが音を立てて崩れ、再構築されていく。
 彼女は幼い頃から、無能な男たちに媚びを売ることを強要されてきた。「公爵令嬢」というブランドだけの存在として扱われることに、誰よりも絶望していたのだ。
 もし、この男となら。
 世界を変えるような、面白い景色が見られるのではないか?
「……アレク」
 エレノアは叩きつけた書状を、素早い手つきで回収した。
「な、何をしている」
「気が変わったわ。この書類は、私が預かっておく」
 彼女は頬を朱に染めながらも、公爵令嬢としてのプライドを保ったまま言い放った。
「勘違いしないでよね。あなたが本当に借金を返して、この領地を再建できるか、私が見届けてあげるって言ってるのよ」
「監視役ということか?」
「そうよ! 公爵家に対する詐欺行為がないか、私がこの屋敷に住み込んで見張ってあげるわ。……べ、別に、あなたの作ったお酒が気に入ったわけじゃないんだからね!」
 典型的な台詞を吐き捨てると、エレノアはふんっ、と顔を背けた。だが、グラスを持つ手はしっかりと握られたままだ。
 シルヴィアが深いため息をつき、アレクに耳打ちする。
「旦那様。厄介なのが住み着きましたね」
「まあいいさ。彼女は社交界の猛獣だ。使いこなせば、これほど頼もしい盾はない」
 アレクは苦笑し、新たな同居人を歓迎することにした。
 こうして、再建中のアインハルト邸に、ワガママだが有能な「政治顧問」が加わったのだった。
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