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5、女王家の神器
〈シウリン〉の指輪
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メイローズはその箱に憶えがあった。主が肌身離さず持っていた小さな宝物。メイローズは敢えて干渉しなかったため、箱の中身は知らない。
恭親王が箱の蓋を開け、中を示す。綿入れの小さなクッションの上に、涙型の翡翠と金銀の象嵌が施された古い指輪が置かれていた。いかにも時代物の、いわくありげな品だ。何より、指輪の周囲を銀色の〈王気〉が取り巻いているのが、メイローズにはっきりと視えた。
「わが主よ、これは……」
「十年前の十二月、〈シウリン〉という太陽宮の見習い僧侶が、〈メルーシナ〉と言う少女から預かったものだ」
メイローズは驚愕に目を見開く。メイローズが〈シウリン〉という名を聞いたのは生涯に一度だけ。主と、初めて顔を合わせた朝。自分は〈シウリン〉だと言い張る主に、根気強く「正しい名」を教え、今後二度と口にしてはならないと言い含めた。背中を冷たい汗が走っていく。欠けたピースが嵌まっていく。
メイローズは思い出した。
十年前に、聖地から失われたものが、もう一つあったことを。
「……手に取って見てもよろしいですか?」
恭親王が頷くと、メイローズは見た目よりもずっしりと重いそれを箱から取り出し、間近で見る。メイローズが触れた瞬間、微かに光ったような気もしたが、それ以後は何も反応しない。しばらく舐めるように眺めまわし、メイローズは指輪を箱に戻した。
「これは……陰の〈王気〉を発していて、特別の神聖なる金属で造られています。人が作ることができない代物です」
メイローズの断言に恭親王が目を瞠る。
「特別の神聖なる金属?」
「かつて……〈混沌〉の闇に支配される以前の神世に伝えられていた神の金属、神金です。陰陽宮の神器〈陰陽の鏡〉と同じものですから、すぐにわかりました」
「神金――?」
張り詰めた紺色の瞳でじっとこちらを見つめて来るメイローズの強い視線を、恭親王は無表情で受け止めた。しかし、感情を表に出さないよう訓練された恭親王の表情とは異なり、その〈王気〉は内心の動揺を余すところなく表して身体の周囲を飛び回っている。
沈黙を貫く恭親王に、メイローズが尋ねた。
「陰の〈王気〉を纏っております段階で、通常のものでないのは明らかですが、これ以上に神器に相応しいものはないように思えますね。これの素性について、わが主は疑問に思われたことはないのでしょうか?」
「私には〈王気〉は視えないし、他の者に見せたこともない……ただの、年代物の古い指輪だとばかり」
「もし、これが神器であるとすれば、十年間失われていたのももっともなことです」
「そうだな……だが、名前が違う」
恭親王が微かに眉を顰めて言う。
「確かに……その、どのような経緯で、〈シウリン〉は、この指輪を預かったのですか?」
「〈シウリン〉は、〈星の雫〉尼僧院の帰り道に、迷子の〈メルーシナ〉を見つけて、尼僧院まで送り届けた。その時、〈メルーシナ〉が落とした指輪を拾って保管していたが、僧院に帰るときに彼女に返すのを忘れたのだ」
「〈メルーシナ〉というのは?」
「彼女が名乗った。彼女はその指輪は〈シウリン〉にくれると言っていたが、〈シウリン〉は一切の私有を禁じられているし、返すつもりだったのだがな。〈メルーシナ〉の熱が非常に高く、尼僧たちも慌てていたし、〈シウリン〉も門限を過ぎていたから、カンテラだけ借りて、すぐに元来た道を戻ったのだ」
メイローズが首を傾げる。
「つまり……〈メルーシナ〉は口がきけたのですよね?」
恭親王も頷いた。
「ああ。いろいろと、話をした。その指輪は、母親にもらったものだと、言っていた。大きくなったら、旦那様に渡すものだとも。」
「それを、くれると言ったのですか?」
メイローズの問いかけに、心なし恭親王は顔を赤らめた。
「……そう。だから、そんな大事な物はもらえないと言ったのだが、自分が持っていたらまた落とすだろうからと。それで、尼僧院に着くまで預かったのだ」
「〈メルーシナ〉の髪と目の色は?」
「白金色の髪に、翡翠色の瞳。凝った造りの衣裳に、そっくりそのまま同じ姿の人形を抱えていた」
メイローズが帳面を覗き込んでぱらぱらと頁をめくる。
「あ、ありました。そう、そっくり同じ姿の人形!」
メイローズが書付を指さしながら言った。
「ああ、あと名を聞いたら、はじめ〈オジョウサマ〉って言ったな。でも特別に〈メルーシナ〉と呼んでもいいって。だからわた……いや、〈シウリン〉は、〈オジョウサマ〉って名前だと思ったんだ。女なんて老婆しか見たことなかったからな。……でも、姫様じゃないんだな?」
恭親王は少し首を傾げた。だが、それについてメイローズには思いついたことがあった。
「アデライード姫は、その数か月前までは王女ではなく、辺境伯の令嬢でしかありませんからね。それまでずっと〈お嬢様〉と呼ばれていても、不思議はありません。それに、アデライード姫は十月生まれですから、十二月の頭ではアデライードという名に慣れていなかったかもしれませんね」
「どういうことだ?」
いぶかしそうに眉を寄せる恭親王に、メイローズが説明した。
「西の女王家では、子供が七歳の年を越えて育つことが少ないので、七歳までは天からの預かり人として、始祖女王ディアーヌの眷属の名をつけ、さらにその名は家族だけに知らされるそうなのです。七歳の誕生日に、初めて本当の名をつけるのだそうですよ。メルーシナは、ディアーヌの眷属の人魚ですね。姫君の幼名がメルーシナというのは、可能性としてあり得ます」
恭親王は顎に手をあてて考え込む。
「なるほど……咄嗟に幼名を名乗ったということか。だが、そうなると……」
恭親王の表情が曇る。周囲にはかまびすしいほどに金の龍が飛び回る。
「尼僧院に着くまでは、普通に喋っていた。だが、尼僧院に着いたときには熱が高く……眠っていてるのかと思っていたが、あれは、意識がない状態だったのだな」
「かなり危険な状態だったようです。西の女王家の姫君たちは身体が弱いですから。初冬の森の中に長くいれば、体調を崩して当然です」
「……あの日は、初雪が降った……」
恭親王が遠い目をして言った。
「意識を取り戻した時には、声を失くしていたとありますが、森を彷徨っている間に恐ろしい目にあって、声を失ったわけではないのですね」
「確かに、見つけた時は泣いていたが、菓子を食べさせれば落ち着いて泣き止んだ。普通に、ペラペラよくしゃべったし、我儘も言いたい放題だった。特に恐ろしい目にあったようには……」
ではなぜ、少女は声を失ったのか。
「熱で、声を失うようなことはあるだろうか?」
「それは、何とも言い難いですね。ですが、尼僧院で姫君の覚醒に立ち会った医師の話では、ひどく怯えたようすであったと。目を覚ますとすぐにエイダ修道女が泣きながら抱き着いて大騒ぎして、ろくに診察もできなかったと零していました」
恭親王は両腕を組んで思案に暮れる。
「……本当に、これが西の神器なのか、彼女がアデライード姫なのか、確かめねばならない。何があったのかを、今ここで詮索しても始まらぬ」
十中八九間違いないと思いながらも、なおも信じがたい思いで恭親王はテーブルの上の指輪を見つめる。
「……わが主が隠して持っておられた宝物とは……その指輪だったのですね」
メイローズは、主が昔から手の内に握り締め、何かを守ろうしてきたのに気づいていた。この小箱を見繕って与えたのも他ならぬメイローズなのだが、しかし、その箱の中身については、一切尋ねることもしなかった。
メイローズの問いかけに、恭親王が長い睫毛の目を伏せた。
「……〈シウリン〉が持っていたもので、残っているのはこの指輪だけだ。太陽宮の僧院には、〈シウリン〉の痕跡は一切、残っていないだろう」
まるで、初めから存在しなかったかのごとく、〈シウリン〉の存在は消されたのだ。
「あの日、門限を過ぎて戻った〈シウリン〉を、帝都からの迎えに来た正副の傅役たちが待っていた。そのまま、攫われるように転移門(ゲート)を通って帝都に連れ出され、それっきりだ。……デュクトに見つかれば取り上げられると思って、〈シウリン〉はずっと、指輪を下帯の中に隠していた。〈メルーシナ〉に返せないことをずっと気に病んでいたが、うかつに動いて、〈シウリン〉の存在を周囲に知られるわけにはいかなかった」
〈シウリン〉は、皇家の秘密だ。その存在を明かすことはできない。
「まさか、〈メルーシナ〉がアデライード姫だなどと、想像もしなかった……」
まだ、恭親王の中でも整理がついていないらしい。
恭親王は指輪の入った小箱を大事そうに懐にしまった。メイローズは、じっと主を見つめ、躊躇いがちに尋ねる。
「わが主よ……。その指輪がもし神器だった場合……それが、あなたのお手元にあることを、どう、説明なさるおつもりですか?」
恭親王はしばらく懐手にして小箱を握りしめていたが、メイローズに言った。
「〈シウリン〉は、存在を隠されていた私の双子の兄弟だ。指輪は彼の遺品で、私は彼の遺言に従って、指輪の持ち主を探していた。嘘は、言っていない」
メイローズが深く頭を下げる。それが妥当な、ぎりぎりの線だろう。
「承知いたしました」
「この件は、私が許可するまで誰にも……〈禁苑〉の者にも秘しておくように」
メイローズはいっそう深く頭を垂れた。
恭親王が箱の蓋を開け、中を示す。綿入れの小さなクッションの上に、涙型の翡翠と金銀の象嵌が施された古い指輪が置かれていた。いかにも時代物の、いわくありげな品だ。何より、指輪の周囲を銀色の〈王気〉が取り巻いているのが、メイローズにはっきりと視えた。
「わが主よ、これは……」
「十年前の十二月、〈シウリン〉という太陽宮の見習い僧侶が、〈メルーシナ〉と言う少女から預かったものだ」
メイローズは驚愕に目を見開く。メイローズが〈シウリン〉という名を聞いたのは生涯に一度だけ。主と、初めて顔を合わせた朝。自分は〈シウリン〉だと言い張る主に、根気強く「正しい名」を教え、今後二度と口にしてはならないと言い含めた。背中を冷たい汗が走っていく。欠けたピースが嵌まっていく。
メイローズは思い出した。
十年前に、聖地から失われたものが、もう一つあったことを。
「……手に取って見てもよろしいですか?」
恭親王が頷くと、メイローズは見た目よりもずっしりと重いそれを箱から取り出し、間近で見る。メイローズが触れた瞬間、微かに光ったような気もしたが、それ以後は何も反応しない。しばらく舐めるように眺めまわし、メイローズは指輪を箱に戻した。
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「特別の神聖なる金属?」
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「神金――?」
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沈黙を貫く恭親王に、メイローズが尋ねた。
「陰の〈王気〉を纏っております段階で、通常のものでないのは明らかですが、これ以上に神器に相応しいものはないように思えますね。これの素性について、わが主は疑問に思われたことはないのでしょうか?」
「私には〈王気〉は視えないし、他の者に見せたこともない……ただの、年代物の古い指輪だとばかり」
「もし、これが神器であるとすれば、十年間失われていたのももっともなことです」
「そうだな……だが、名前が違う」
恭親王が微かに眉を顰めて言う。
「確かに……その、どのような経緯で、〈シウリン〉は、この指輪を預かったのですか?」
「〈シウリン〉は、〈星の雫〉尼僧院の帰り道に、迷子の〈メルーシナ〉を見つけて、尼僧院まで送り届けた。その時、〈メルーシナ〉が落とした指輪を拾って保管していたが、僧院に帰るときに彼女に返すのを忘れたのだ」
「〈メルーシナ〉というのは?」
「彼女が名乗った。彼女はその指輪は〈シウリン〉にくれると言っていたが、〈シウリン〉は一切の私有を禁じられているし、返すつもりだったのだがな。〈メルーシナ〉の熱が非常に高く、尼僧たちも慌てていたし、〈シウリン〉も門限を過ぎていたから、カンテラだけ借りて、すぐに元来た道を戻ったのだ」
メイローズが首を傾げる。
「つまり……〈メルーシナ〉は口がきけたのですよね?」
恭親王も頷いた。
「ああ。いろいろと、話をした。その指輪は、母親にもらったものだと、言っていた。大きくなったら、旦那様に渡すものだとも。」
「それを、くれると言ったのですか?」
メイローズの問いかけに、心なし恭親王は顔を赤らめた。
「……そう。だから、そんな大事な物はもらえないと言ったのだが、自分が持っていたらまた落とすだろうからと。それで、尼僧院に着くまで預かったのだ」
「〈メルーシナ〉の髪と目の色は?」
「白金色の髪に、翡翠色の瞳。凝った造りの衣裳に、そっくりそのまま同じ姿の人形を抱えていた」
メイローズが帳面を覗き込んでぱらぱらと頁をめくる。
「あ、ありました。そう、そっくり同じ姿の人形!」
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恭親王は少し首を傾げた。だが、それについてメイローズには思いついたことがあった。
「アデライード姫は、その数か月前までは王女ではなく、辺境伯の令嬢でしかありませんからね。それまでずっと〈お嬢様〉と呼ばれていても、不思議はありません。それに、アデライード姫は十月生まれですから、十二月の頭ではアデライードという名に慣れていなかったかもしれませんね」
「どういうことだ?」
いぶかしそうに眉を寄せる恭親王に、メイローズが説明した。
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恭親王は顎に手をあてて考え込む。
「なるほど……咄嗟に幼名を名乗ったということか。だが、そうなると……」
恭親王の表情が曇る。周囲にはかまびすしいほどに金の龍が飛び回る。
「尼僧院に着くまでは、普通に喋っていた。だが、尼僧院に着いたときには熱が高く……眠っていてるのかと思っていたが、あれは、意識がない状態だったのだな」
「かなり危険な状態だったようです。西の女王家の姫君たちは身体が弱いですから。初冬の森の中に長くいれば、体調を崩して当然です」
「……あの日は、初雪が降った……」
恭親王が遠い目をして言った。
「意識を取り戻した時には、声を失くしていたとありますが、森を彷徨っている間に恐ろしい目にあって、声を失ったわけではないのですね」
「確かに、見つけた時は泣いていたが、菓子を食べさせれば落ち着いて泣き止んだ。普通に、ペラペラよくしゃべったし、我儘も言いたい放題だった。特に恐ろしい目にあったようには……」
ではなぜ、少女は声を失ったのか。
「熱で、声を失うようなことはあるだろうか?」
「それは、何とも言い難いですね。ですが、尼僧院で姫君の覚醒に立ち会った医師の話では、ひどく怯えたようすであったと。目を覚ますとすぐにエイダ修道女が泣きながら抱き着いて大騒ぎして、ろくに診察もできなかったと零していました」
恭親王は両腕を組んで思案に暮れる。
「……本当に、これが西の神器なのか、彼女がアデライード姫なのか、確かめねばならない。何があったのかを、今ここで詮索しても始まらぬ」
十中八九間違いないと思いながらも、なおも信じがたい思いで恭親王はテーブルの上の指輪を見つめる。
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メイローズは、主が昔から手の内に握り締め、何かを守ろうしてきたのに気づいていた。この小箱を見繕って与えたのも他ならぬメイローズなのだが、しかし、その箱の中身については、一切尋ねることもしなかった。
メイローズの問いかけに、恭親王が長い睫毛の目を伏せた。
「……〈シウリン〉が持っていたもので、残っているのはこの指輪だけだ。太陽宮の僧院には、〈シウリン〉の痕跡は一切、残っていないだろう」
まるで、初めから存在しなかったかのごとく、〈シウリン〉の存在は消されたのだ。
「あの日、門限を過ぎて戻った〈シウリン〉を、帝都からの迎えに来た正副の傅役たちが待っていた。そのまま、攫われるように転移門(ゲート)を通って帝都に連れ出され、それっきりだ。……デュクトに見つかれば取り上げられると思って、〈シウリン〉はずっと、指輪を下帯の中に隠していた。〈メルーシナ〉に返せないことをずっと気に病んでいたが、うかつに動いて、〈シウリン〉の存在を周囲に知られるわけにはいかなかった」
〈シウリン〉は、皇家の秘密だ。その存在を明かすことはできない。
「まさか、〈メルーシナ〉がアデライード姫だなどと、想像もしなかった……」
まだ、恭親王の中でも整理がついていないらしい。
恭親王は指輪の入った小箱を大事そうに懐にしまった。メイローズは、じっと主を見つめ、躊躇いがちに尋ねる。
「わが主よ……。その指輪がもし神器だった場合……それが、あなたのお手元にあることを、どう、説明なさるおつもりですか?」
恭親王はしばらく懐手にして小箱を握りしめていたが、メイローズに言った。
「〈シウリン〉は、存在を隠されていた私の双子の兄弟だ。指輪は彼の遺品で、私は彼の遺言に従って、指輪の持ち主を探していた。嘘は、言っていない」
メイローズが深く頭を下げる。それが妥当な、ぎりぎりの線だろう。
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