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9、棄てられた皇子
運命のつがい
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彼女を目の前にすると、理性の箍がいとも簡単に飛んでいく。
アデライード姫が――〈聖婚〉の相手が――あの日の〈メルーシナ〉かもしれない、という期待と恐れ、躊躇い。すべて、何もかも、アデライードを一目見た瞬間に弾け飛んだ。
ゆっくりと、祭壇に近づいていくる人。夢にまで見た少女が、十年の時を経てもう一度目の前に現れた。見間違えるはずがない。彼女だ。――天と陰陽に定められた、自分の、番。
今すぐにでも攫って、どこが二人だけのところに連れ去り、閉じ込めてしまいたい。誰の目にも触れさせず、自分だけのものにしてしまいたい。一目見ただけで、全身を疼かせる官能の予感。身も心も蝕み、蕩かす甘い〈王気〉の誘惑に、彼は立っていられないほどよろめいてしまい、かろうじて踏みとどまる。
誓いのためにその手に触れれば、そこから〈王気〉が彼の体内に流れ込む。一度触れてしまったら、もう、手離すことなどできはしない。
(――これが、〈王気〉なのか――)
まだ咲き初めた花の蕾のような、初々しい可憐さの、その奥から立ち込める馨しい微香。あの時と同じ、彼の中枢神経を冒す甘い甘い薔薇の香り。まだ何も知らぬ無垢な少年だった彼には耐えられても、今の、女の肌も快楽も知り尽くした彼にとっては、全身を苛む媚薬に等しい。
立ち上がろうとする分身を総動員した理性で抑え込む。何事もない風を装いながら、頭の中ではひたすら『聖典』を暗唱して気を紛らわす。
だが、並び立つ美しい横顔に、恭親王は微かな違和感を抱く。森の中で出会った彼女は、素直で我儘、愛されることを疑ったことのない無邪気な幼子だった。しかし今、目の前の少女の、どこも見ていないような翡翠色の瞳に宿るのは、怯えと諦め。
十年の月日、成長だけではない何かが少女を変えたのだ。少女は、けして幸福でなかった――なぜ、こんなことに? 誰が、この人を虐げたのか。
その怒りが、再会に浮ついた彼の心を冷静に戻した。妙に冴えた感覚が、神殿中に反響する危険信号を捉え、熱を持った身体と冷えた頭脳が周囲を全力で探知する。
目の前の侍女がおかしい、と思ったのは、まさに本能だった。
咄嗟にゴブレットに口をつける。舌を刺す異味。
アデライードに煽られていた情欲が嗜虐心に火をつけ、給仕の侍女に無理矢理口移して毒を飲み込ませる。侍女が血を噴いて倒れる凄惨な光景に、失神したアデライードを見て、やり過ぎたことに気づくが、後の祭りだった。
だが、腕の中にいる彼女を手放すことはできなかった。そのまま、攫うように馬車に連れ去り、その甘い身体を抱きかかえる。
十年前のあの日、互いにまだ幼かった。彼女はまだ、ほんの稚い幼女で、彼自身も男女のことなど何も知らず、無垢だった。それでも、自分はこの薔薇の香りと〈王気〉に酔ったのだと、彼女の身体を思い切り抱きしめ、薔薇の香りを目いっぱい吸い込んだ。
紳士的に接しなければとわかっているのに、その肌に触れて甘い〈王気〉に溶かされれば、いつしか彼女を抱きしめ、その甘い唇を奪っていた。
突然のことに涙を流して嫌がる姿に些か傷つきながらも、彼女が何も知らない無垢なままなことに、ほの昏い悦びすら感じる。同時に、すでに汚れきった自分への罪悪感も。
ああそれでも――。
たとえどれだけの犠牲を払おうとも、世界中を敵に回そうとも、天と陰陽に背こうとも、この人を手放すことはできない。
この人は私のものだ――。
万感の思いを込めて、唇を貪る。舌を絡め、口腔を侵し、唾液を交える。体液を通して〈王気〉はさらに通い合い、お互いの身体を循環する。
いっそこのまま、最後まで奪ってしまおうか――。
弾けて沸騰した欲望のままに、淫らな誘惑に負けそうになった時、アデライードの身体の震えと恐怖を嗅ぎ取り、ギリギリで踏みとどまる。
(無理強いはすまい。ただ、せめて声を聴きたい。あの甘い、柔らかな声を)
ふいに湧いて出た嗜虐心と悪戯心に抗えず、アデライードが初めての感覚に惑う姿にも愛しさを感じながら、声を出さずにはいられないように追い込んだ。彼女が機能的に声を喪失していたわけではないと確かめて安堵する。同時に、彼女への愛撫を中断するのは、身を斬られる程辛かった。
(我慢だ……今は、まだ……)
まだ肌を合わせる段階ではない。彼女は子供過ぎる。第一まだ、彼女にとって、自分は今日会ったばかりの相手なのだ。
アデライード姫が――〈聖婚〉の相手が――あの日の〈メルーシナ〉かもしれない、という期待と恐れ、躊躇い。すべて、何もかも、アデライードを一目見た瞬間に弾け飛んだ。
ゆっくりと、祭壇に近づいていくる人。夢にまで見た少女が、十年の時を経てもう一度目の前に現れた。見間違えるはずがない。彼女だ。――天と陰陽に定められた、自分の、番。
今すぐにでも攫って、どこが二人だけのところに連れ去り、閉じ込めてしまいたい。誰の目にも触れさせず、自分だけのものにしてしまいたい。一目見ただけで、全身を疼かせる官能の予感。身も心も蝕み、蕩かす甘い〈王気〉の誘惑に、彼は立っていられないほどよろめいてしまい、かろうじて踏みとどまる。
誓いのためにその手に触れれば、そこから〈王気〉が彼の体内に流れ込む。一度触れてしまったら、もう、手離すことなどできはしない。
(――これが、〈王気〉なのか――)
まだ咲き初めた花の蕾のような、初々しい可憐さの、その奥から立ち込める馨しい微香。あの時と同じ、彼の中枢神経を冒す甘い甘い薔薇の香り。まだ何も知らぬ無垢な少年だった彼には耐えられても、今の、女の肌も快楽も知り尽くした彼にとっては、全身を苛む媚薬に等しい。
立ち上がろうとする分身を総動員した理性で抑え込む。何事もない風を装いながら、頭の中ではひたすら『聖典』を暗唱して気を紛らわす。
だが、並び立つ美しい横顔に、恭親王は微かな違和感を抱く。森の中で出会った彼女は、素直で我儘、愛されることを疑ったことのない無邪気な幼子だった。しかし今、目の前の少女の、どこも見ていないような翡翠色の瞳に宿るのは、怯えと諦め。
十年の月日、成長だけではない何かが少女を変えたのだ。少女は、けして幸福でなかった――なぜ、こんなことに? 誰が、この人を虐げたのか。
その怒りが、再会に浮ついた彼の心を冷静に戻した。妙に冴えた感覚が、神殿中に反響する危険信号を捉え、熱を持った身体と冷えた頭脳が周囲を全力で探知する。
目の前の侍女がおかしい、と思ったのは、まさに本能だった。
咄嗟にゴブレットに口をつける。舌を刺す異味。
アデライードに煽られていた情欲が嗜虐心に火をつけ、給仕の侍女に無理矢理口移して毒を飲み込ませる。侍女が血を噴いて倒れる凄惨な光景に、失神したアデライードを見て、やり過ぎたことに気づくが、後の祭りだった。
だが、腕の中にいる彼女を手放すことはできなかった。そのまま、攫うように馬車に連れ去り、その甘い身体を抱きかかえる。
十年前のあの日、互いにまだ幼かった。彼女はまだ、ほんの稚い幼女で、彼自身も男女のことなど何も知らず、無垢だった。それでも、自分はこの薔薇の香りと〈王気〉に酔ったのだと、彼女の身体を思い切り抱きしめ、薔薇の香りを目いっぱい吸い込んだ。
紳士的に接しなければとわかっているのに、その肌に触れて甘い〈王気〉に溶かされれば、いつしか彼女を抱きしめ、その甘い唇を奪っていた。
突然のことに涙を流して嫌がる姿に些か傷つきながらも、彼女が何も知らない無垢なままなことに、ほの昏い悦びすら感じる。同時に、すでに汚れきった自分への罪悪感も。
ああそれでも――。
たとえどれだけの犠牲を払おうとも、世界中を敵に回そうとも、天と陰陽に背こうとも、この人を手放すことはできない。
この人は私のものだ――。
万感の思いを込めて、唇を貪る。舌を絡め、口腔を侵し、唾液を交える。体液を通して〈王気〉はさらに通い合い、お互いの身体を循環する。
いっそこのまま、最後まで奪ってしまおうか――。
弾けて沸騰した欲望のままに、淫らな誘惑に負けそうになった時、アデライードの身体の震えと恐怖を嗅ぎ取り、ギリギリで踏みとどまる。
(無理強いはすまい。ただ、せめて声を聴きたい。あの甘い、柔らかな声を)
ふいに湧いて出た嗜虐心と悪戯心に抗えず、アデライードが初めての感覚に惑う姿にも愛しさを感じながら、声を出さずにはいられないように追い込んだ。彼女が機能的に声を喪失していたわけではないと確かめて安堵する。同時に、彼女への愛撫を中断するのは、身を斬られる程辛かった。
(我慢だ……今は、まだ……)
まだ肌を合わせる段階ではない。彼女は子供過ぎる。第一まだ、彼女にとって、自分は今日会ったばかりの相手なのだ。
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