元婚約者に冷たく捨てられた令嬢、辺境で出会った無愛想な騎士に溺愛される ~今さら戻ってこないでください~

usako

文字の大きさ
5 / 30

第5話 不器用な優しさ

しおりを挟む
辺境の冬は想像以上に厳しい。  
朝は吐く息がすぐに白く凍り、夜には薪をどれほどくべても指先がかじかむ。  
それでもレティシアは不思議と笑顔でいられた。王都の暖かな屋敷で、何もできぬまま過ごしていた頃の息苦しさに比べれば、この寒さは生命力そのものに思えたからだ。  

風見亭での日々にもようやく慣れはじめ、客の好みや厨房の流れをこなせるようになってきたある朝のことだった。  
市場で食料を仕入れるために町外れまで行くと、エドガーの姿を見つけた。馬に餌を与えながら、何やら修理をしている。  
分厚い革手袋の指先では細かい作業はしにくいはずなのに、その手付きは驚くほど正確だった。  

「おはようございます。」  

声をかけると、彼はちらりと視線を上げて短くうなずいた。  

「ああ。」  

それだけ。  
相変わらず素っ気ない返事だが、レティシアは慣れていた。  

「何をしていらっしゃるのですか?」  
「蹄鉄が外れかけている。冬を越えるには危険だ。」  
「ご自分で付け直すのですか?」  
「鍛冶を呼ぶ余裕はない。自分の馬くらい、自分で整備する。」  

淡々と告げる横顔に、彼の真面目さが滲む。  
レティシアはその姿に見とれながら、積もる雪を足先で払いのけた。  

「すごいですね。そんな器用なこと、私にはできません。」  
「できるさ、やる気があれば。」  
「うーん……努力してみます。」  

そう口にしたとき、彼がふと手を止めた。  
「努力だと?」  
「はい。何かできなければ、諦めずに頑張ってみようと思って。」  
その言葉に、エドガーは短く息を吐いた。雪煙のような白い息が空に溶ける。  

「……悪くない考えだ。」  
それだけ言うと、また作業に戻る。けれどその声音はほんの少し柔らかくなっていた。  

宿に戻る道すがら、レティシアの足が雪穴に取られた。ぐらりと体が傾き、思わず叫び声を上げた瞬間、背後から腕が伸びて腰を支える。  

「足元を見ろ。」  
「す、すみません……!」  
振り返れば、いつの間にか追いついていたエドガー。大きな掌がまだ彼女の腰に触れていて、熱い。レティシアは頬が紅くなるのを止められず、慌てて距離を取った。  

「ありがとうございます。……本当に、何から何まで助けていただいてばかりです。」  
「気にするな。危なっかしいやつだ。」  
「うっ……返す言葉もありません。」  

彼の口調は淡々としているのに、なぜだろう、不思議と温かく感じた。  
貴族の社交界では、誰もが表面の笑顔でしか接してこなかった。けれど彼は違う。嘘や飾りのない、ただまっすぐな言葉だった。  

昼過ぎ、宿の掃除をしていると、マーサ女将が血相を変えて台所から飛び出してきた。  

「たいへん! エドガーが外で怪我したって!」  

驚いて飛び出すと、外では村人たちが集まっている。  
森に仕掛けた罠を確認している最中、倒木に頭を打ったらしい。軽い出血だが、彼の眉の上が切れ、頬には傷が走っている。  
マーサが手当をする間、レティシアはそっと薬草と乾いた布を持ってきた。  

「私にやらせてください。」  
マーサが頷く。  
膝をつき、慎重に傷口を拭う。冷たい風の中、彼の体温が指先に伝わってくる。  

「黙っていてくださいね、少ししみます。」  
「構わん。」  

素直な返事。  
綿布で血を拭きながら、レティシアは微笑んだ。  

「いつも人ばかり守って、自分のことを後回しにする方ですね。」  
「気にするな。慣れている。」  
「慣れているって……それじゃ駄目です。傷は放っておけば残ります。」  
「構わん。誰かに見せるわけでもない。」  

その言葉が不意に胸を打った。  
――誰かに見せるわけでもない、か。  
どれほど孤独な人生を歩んできたのだろう。  

「そんなこと、ないと思います。」  
レティシアは静かに言った。  
「誰だって、あなたが無事でよかったと思う人がいます。……私も、そうです。」  

言葉が思ったより強く出てしまった。  
エドガーは一瞬、驚いたように目を見開く。返事はなかったが、頬の筋肉が微妙に動いた。  

沈黙の中で手当を終えると、彼はゆっくりと立ち上がった。  
「助かった。」  
短いその言葉には、照れくささのような響きがあった。  

その後、彼がいつものように巡回に出ていこうとした時、レティシアは呼び止めた。  
「あの!」  
振り向くエドガーに、彼女は小さな布包みを差し出す。中には自分の賃金で買った薬草と包帯が入っていた。  

「傷に使ってください。次また怪我をしたときいいように。」  
「……無駄だ。」  
「無駄でも構いません。」  
「頑固なやつだな。」  
「よく言われます。」  

彼が微かに笑った気がした。ほんの一瞬、唇の端が緩んだ。  
その笑みを見たのは初めてで、レティシアの心は大きく跳ねた。  

夜。  
外は雪が再び降り始め、宿の窓からその白さが街灯に照らされて舞っている。  
暖炉の前でひとり残りの仕事をしていると、背後から声がした。  

「今日の薬、ありがとな。」  
驚いて振り向くと、エドガーが立っていた。火の光を背に、彼の眼差しは柔らかく輝き、昼の厳しい表情とはまるで違っていた。  

「どういたしまして。」  
「お前……王都ではずっと貴族だったんだろう。」  
「はい。でも、もう関係ありません。」  
「それでも、人のために手を動かせるのは簡単じゃない。強いな。」  
「そんなこと……ただ、誰かの役に立てるのが嬉しいんです。」  

その一言に、エドガーはわずかに目を伏せた。  
しばしの沈黙ののち、彼は小さく呟いた。  

「……昔、守れなかった人がいた。」  
レティシアは息を呑む。  
「その子の命を救えなかった。それ以来、誰かのために手を伸ばすたびに、胸が痛む。守れるものなんて、本当はないのかもしれんな。」  

彼の声は雪のように静かだった。  
レティシアはそっと立ち上がり、言葉を選ぶ。  

「それでも、今日あなたに助けられた人がいます。私も、村の人も。あなたがいなかったら、皆こんなに安心して過ごせません。」  
「……そんなふうに思ってくれるのは、お前だけだ。」  
「そんなこと、ないと思います。」  

彼はわずかに顔を歪めた。それが泣き笑いのようにも見えた。  

「……変な女だ。」  
「よく言われます。」  
二人して笑う。久しぶりに笑った感触が心に残った。  

エドガーは踵を返し、扉の前でふと振り向いた。  
「お前は、信じることを恐れないのか?」  
一瞬だけ迷ってから、レティシアは静かに答えた。  
「また裏切られても、もう泣かないと思います。だから――信じます。」  

エドガーの瞳にかすかな光が宿る。  
その姿を見送りながら、レティシアは胸の奥に温かい灯を感じていた。  
それは彼の優しさに触れた証であり、凍てついた時間が少しずつ動き出した証でもあった。  

続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹婚約者に追放された令嬢、異国の辺境で最強公爵に見初められ、今さら「帰ってきて」と泣かれてももう遅い

nacat
恋愛
婚約者である王太子に濡れ衣を着せられ、断罪の末に国外追放された伯爵令嬢レティシア。 絶望の果てにたどり着いた辺境の国で、孤高と噂の公爵に助けられる。 彼は彼女に穏やかに微笑み、たった一言「ここにいなさい」と囁いた。 やがてレティシアは、その地で新しい居場所と愛を見つける。 だが、彼女を見捨てた王太子が、後悔と未練を胸に彼女を追って現れて――。 「どうか許してくれ、レティシア……!」 もう遅い。彼女は優しく強くなって、誰より愛される人生を歩き始めていた。

婚約破棄されて去ったら、私がいなくても世界は回り始めました

鷹 綾
恋愛
「君との婚約は破棄する。聖女フロンこそが、真に王国を導く存在だ」 王太子アントナン・ドームにそう告げられ、 公爵令嬢エミー・マイセンは、王都を去った。 彼女が担ってきたのは、判断、調整、責任―― 国が回るために必要なすべて。 だが、それは「有能」ではなく、「依存」だった。 隣国へ渡ったエミーは、 一人で背負わない仕組みを選び、 名前が残らない判断の在り方を築いていく。 一方、彼女を失った王都は混乱し、 やがて気づく―― 必要だったのは彼女ではなく、 彼女が手放そうとしていた“仕組み”だったのだと。 偽聖女フロンの化けの皮が剥がれ、 王太子アントナンは、 「決めた後に立ち続ける重さ」と向き合い始める。 だが、もうエミーは戻らない。 これは、 捨てられた令嬢が復讐する物語ではない。 溺愛で救われる物語でもない。 「いなくても回る世界」を完成させた女性と、  彼女を必要としなくなった国の、  静かで誇り高い別れの物語。 英雄が消えても、世界は続いていく―― アルファポリス女子読者向け 〈静かな婚約破棄ざまぁ〉×〈大人の再生譚〉。

婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間―― 目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。 そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。 一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。 選ばれる側から、選ぶ側へ。 これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。 --

『婚約破棄ありがとうございます。自由を求めて隣国へ行ったら、有能すぎて溺愛されました』

鷹 綾
恋愛
内容紹介 王太子に「可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄された公爵令嬢エヴァントラ。 涙を流して見せた彼女だったが── 内心では「これで自由よ!」と小さくガッツポーズ。 実は王国の政務の大半を支えていたのは彼女だった。 エヴァントラが去った途端、王宮は大混乱に陥り、元婚約者とその恋人は国中から総スカンに。 そんな彼女を拾ったのは、隣国の宰相補佐アイオン。 彼はエヴァントラの安全と立場を守るため、 **「恋愛感情を持たない白い結婚」**を提案する。 「干渉しない? 恋愛不要? 最高ですわ」 利害一致の契約婚が始まった……はずが、 有能すぎるエヴァントラは隣国で一気に評価され、 気づけば彼女を庇い、支え、惹かれていく男がひとり。 ――白い結婚、どこへ? 「君が笑ってくれるなら、それでいい」 不器用な宰相補佐の溺愛が、静かに始まっていた。 一方、王国では元婚約者が転落し、真実が暴かれていく――。 婚約破棄ざまぁから始まる、 天才令嬢の自由と恋と大逆転のラブストーリー! ---

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました

ゆっこ
恋愛
 ――あの日、私は確かに笑われた。 「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」  王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。  その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。  ――婚約破棄。

婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾
恋愛
フォールス・アキュゼーション。お前に全ての罪がある」 王太子フレイム・ファブリケイト・ロイヤル・ロードは、自らの失策を公爵令嬢フォールスに押し付け、婚約を破棄。 さらに証拠隠滅のため、彼女を追放し、暗殺まで差し向ける。 ――彼女は、死んだことにされた。 だがフォールスは、生き延びた。 剣も魔法も持たず、復讐に燃えることもない。 選んだのは、前に出ないという生き方。 隣国で身を潜めながら、王弟エクイティ・フェアネス・ロイヤル・ロードのもと、 彼女は“構造の隣”に立つ。 暴かず、裁かず、叫ばない。 ただ、歪んだ仕組みを静かに照らし、 「選ばなかった者たち」を、自ら説明の場へと追い込んでいく。 切れない証人。 使えない駒。 しかし、消すこともできない存在。 これは、力で叩き潰すザマアではない。 沈黙と距離で因果を完成させる、知的で冷静な因果応報の物語。 ――前に出ない令嬢が、すべての答えを置いていく。

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

処理中です...