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第19話 「あなたにふさわしくない」と言われても
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夜の帳が村を包み、外では火の見張り役の松明が風にちらちら揺れていた。
風見亭の灯りはすでに絞られ、ほとんどの客は眠りについている。だが、レティシアの部屋だけはまだ光が消えなかった。
机の上には蝋燭が一本。
燃え尽きかけた火が頼りなく揺れている。
その光の中、彼女はただ座っていた。
胸の奥が苦しくて、何も手につかない。
王都から届いた「拘束命令」という言葉が、心に棘のように突き刺さって離れない。
マイラは逃げるようにと言ってくれた。
だが、エドガーはそれを拒んだ。
――逃げない。
――すべてを終わらせる。
そんな本人の意志が分かっていても、レティシアは納得できなかった。
“終わらせる”という言葉には、彼らしい静けさと、どこか死の匂いが混じっている。
彼が自ら命を捨てるつもりであることを、彼女はもう感じ取っていた。
「どうして、そんなにも自分を責めるの……」
小さく呟いた声は、夜の静寂に溶けた。
彼がどれほど人を救ってきたか、レティシアは誰より知っている。
それでも彼は、いつも“罰が必要だ”と言う。
まるで生きること自体が罪の償いであるかのように。
堪らなくなって立ち上がった。
椅子の脚が軋み、蝋燭の炎が揺れる。
エドガーの部屋に行こうと思った。
今からでも彼を止めたい。
けれど、扉の前で足がすくんだ。
部屋の外から誰かの気配がした。
そっと扉を開けると、暗がりにマイラの姿が立っていた。
「……眠れないようですね。」
「あなたも、でしょう。」
二人の視線が交わる。
マイラは深くため息をつき、壁際の椅子に腰を下ろした。
書類を抱えたまま、疲れきった表情をしている。
「あなたが不憫です、レティシア・アーベルグ。」
「不憫?」
「彼のことです。あなたはきっと、あの人を愛してしまったのだと思います。しかし、彼はあなたにふさわしくない。」
その言葉に、レティシアの眉がぴくりと動いた。
「……どうして、そう言い切れるのですか。」
「彼は罪を背負っている。王都の人間からすれば、彼の存在自体が秩序を乱すもの。あなたのような人が隣にいるなら、それはきっと……破滅です。」
レティシアはしばし沈黙した。
そのあと、静かに笑った。
「破滅だとしても後悔しません。」
「……愚かですね。」
「そうかもしれません。でも、あなたには分からないでしょう? 誰かのためにすべてを捨てたいほど愛したことなんて。」
マイラの目が一瞬だけ揺れた。
「いいえ、分かります。」
その声には、ほんの少しの痛みが混ざっていた。
「私にも、王都に“帰りを待つ人”がいます。でも人生は選べません。私は王のために生きると決めた。故に、個人の想いなど捨てました。」
皮肉な笑みを浮かべながら、彼女は小さく呟く。
「あなたのように、まっすぐ愛せる人が眩しいのです。」
その言葉に、レティシアは少し目を見開いた。
マイラの中に、人間らしい温もりを見たような気がして、胸の奥が静かに波打つ。
「だったら……どうか教えてください。どうすれば、彼を助けられるのですか。」
マイラは俯き、しばらく沈黙した。
やがて重い息を吐いて言った。
「真実を書くこと。それしかありません。」
「真実?」
「彼が罪を犯したという報告には虚偽が混じっている。……私はそれを薄々感じていた。上官の圧力があったのです。それでも私が筆を取らなければ、別の誰かが書く。だったら、せめて“人としての真実”を書こうと思いました。」
小さな声。
だがその言葉の端々に、迷いと決意の両方が見えた。
レティシアはゆっくりマイラのそばに膝をつく。
「ありがとう、ございます。」
「礼などいりません。私も間違いを犯したくないだけです。」
マイラは立ち上がり、扉のほうを見やった。
「夜が明ければ、彼は拘束されます。決断するなら、それまでの間です。」
それだけを言い残し、廊下の闇に消えた。
静寂が戻ったあと、レティシアは震える手で胸元を押さえた。
“決断するなら、それまでの間”――その言葉が頭の奥で何度も反響する。
考えるよりも先に、足が動いていた。
宿の外に出ると、夜明け前の空は群青色に染まり始めていた。
冷たい空気が肌を刺す。
遠くの小屋から灯りが漏れている。きっと、彼が最後の準備をしているのだろう。
足音を殺すように歩き、扉を押し開けた。
エドガーが振り向く。
「レティシア……どうしてここに。」
「最後くらい、黙って出ていかれるなんて嫌です。」
エドガーの表情に一瞬だけ痛みが走る。
「お前を泣かせるような真似はしたくなかった。」
「なら、もう泣かせないでください。」
脅すように言って、レティシアは彼の前に立つ。
「私だって、戦えます。あなたが罪を負うなら、私も一緒に負います。あなたが捕まるなら、私も一緒に捕まります。」
その言葉に、エドガーが苦く笑う。
「……馬鹿なことを言うな。お前は貴族の娘だ。俺と違って生きる道はいくらでもある。」
「いいえ。私の生きる場所は、あなたの隣だけです。」
その瞳がまっすぐ自分を映しているのを見て、エドガーは言葉を失った。
彼女はあまりにもまっすぐで、あまりにも眩しい。
救いなど望んでいなかった。けれど今、彼女の手を取らずにはいられなかった。
「……俺には持て余すほどの光だ。」
「なら、目を逸らさずに見てください。」
レティシアが差し出した手を、エドガーはためらいながら掴んだ。
握った瞬間、心の奥に火が灯るような温もりが広がった。
沈黙。
それは言葉より深い契約だった。
けれど時間は無情だ。
外の空が少しずつ明るくなり始めている。
遠くで、蹄の音が響いた。
「……来たな。」
エドガーが扉越しに顔を上げる。
「レティシア、離れろ。」
「嫌です。」
「すぐに出る。マイラが道を作ってくれる。お前はその間に村を抜けろ。」
「そんなこと、できるわけ――」
「頼む。お前まで罪人にするわけにはいかない。」
その声が優しくて、だからこそ胸が軋む。
「“あなたにふさわしくない”と言われても、私はあなたを選びます。」
レティシアが強く言うと、彼は驚いたように目を見開き、そして小さく笑った。
「じゃあ、その覚悟、見せてもらおう。」
外の光が差し込み、朝が訪れる。
遠くから兵の声が響く。
すべてが動き出す瞬間。
二人は手を離さず、互いの目を見つめた。
――たとえ何が待っていようとも。
これが終わりではなく、始まりになると信じて。
続く
風見亭の灯りはすでに絞られ、ほとんどの客は眠りについている。だが、レティシアの部屋だけはまだ光が消えなかった。
机の上には蝋燭が一本。
燃え尽きかけた火が頼りなく揺れている。
その光の中、彼女はただ座っていた。
胸の奥が苦しくて、何も手につかない。
王都から届いた「拘束命令」という言葉が、心に棘のように突き刺さって離れない。
マイラは逃げるようにと言ってくれた。
だが、エドガーはそれを拒んだ。
――逃げない。
――すべてを終わらせる。
そんな本人の意志が分かっていても、レティシアは納得できなかった。
“終わらせる”という言葉には、彼らしい静けさと、どこか死の匂いが混じっている。
彼が自ら命を捨てるつもりであることを、彼女はもう感じ取っていた。
「どうして、そんなにも自分を責めるの……」
小さく呟いた声は、夜の静寂に溶けた。
彼がどれほど人を救ってきたか、レティシアは誰より知っている。
それでも彼は、いつも“罰が必要だ”と言う。
まるで生きること自体が罪の償いであるかのように。
堪らなくなって立ち上がった。
椅子の脚が軋み、蝋燭の炎が揺れる。
エドガーの部屋に行こうと思った。
今からでも彼を止めたい。
けれど、扉の前で足がすくんだ。
部屋の外から誰かの気配がした。
そっと扉を開けると、暗がりにマイラの姿が立っていた。
「……眠れないようですね。」
「あなたも、でしょう。」
二人の視線が交わる。
マイラは深くため息をつき、壁際の椅子に腰を下ろした。
書類を抱えたまま、疲れきった表情をしている。
「あなたが不憫です、レティシア・アーベルグ。」
「不憫?」
「彼のことです。あなたはきっと、あの人を愛してしまったのだと思います。しかし、彼はあなたにふさわしくない。」
その言葉に、レティシアの眉がぴくりと動いた。
「……どうして、そう言い切れるのですか。」
「彼は罪を背負っている。王都の人間からすれば、彼の存在自体が秩序を乱すもの。あなたのような人が隣にいるなら、それはきっと……破滅です。」
レティシアはしばし沈黙した。
そのあと、静かに笑った。
「破滅だとしても後悔しません。」
「……愚かですね。」
「そうかもしれません。でも、あなたには分からないでしょう? 誰かのためにすべてを捨てたいほど愛したことなんて。」
マイラの目が一瞬だけ揺れた。
「いいえ、分かります。」
その声には、ほんの少しの痛みが混ざっていた。
「私にも、王都に“帰りを待つ人”がいます。でも人生は選べません。私は王のために生きると決めた。故に、個人の想いなど捨てました。」
皮肉な笑みを浮かべながら、彼女は小さく呟く。
「あなたのように、まっすぐ愛せる人が眩しいのです。」
その言葉に、レティシアは少し目を見開いた。
マイラの中に、人間らしい温もりを見たような気がして、胸の奥が静かに波打つ。
「だったら……どうか教えてください。どうすれば、彼を助けられるのですか。」
マイラは俯き、しばらく沈黙した。
やがて重い息を吐いて言った。
「真実を書くこと。それしかありません。」
「真実?」
「彼が罪を犯したという報告には虚偽が混じっている。……私はそれを薄々感じていた。上官の圧力があったのです。それでも私が筆を取らなければ、別の誰かが書く。だったら、せめて“人としての真実”を書こうと思いました。」
小さな声。
だがその言葉の端々に、迷いと決意の両方が見えた。
レティシアはゆっくりマイラのそばに膝をつく。
「ありがとう、ございます。」
「礼などいりません。私も間違いを犯したくないだけです。」
マイラは立ち上がり、扉のほうを見やった。
「夜が明ければ、彼は拘束されます。決断するなら、それまでの間です。」
それだけを言い残し、廊下の闇に消えた。
静寂が戻ったあと、レティシアは震える手で胸元を押さえた。
“決断するなら、それまでの間”――その言葉が頭の奥で何度も反響する。
考えるよりも先に、足が動いていた。
宿の外に出ると、夜明け前の空は群青色に染まり始めていた。
冷たい空気が肌を刺す。
遠くの小屋から灯りが漏れている。きっと、彼が最後の準備をしているのだろう。
足音を殺すように歩き、扉を押し開けた。
エドガーが振り向く。
「レティシア……どうしてここに。」
「最後くらい、黙って出ていかれるなんて嫌です。」
エドガーの表情に一瞬だけ痛みが走る。
「お前を泣かせるような真似はしたくなかった。」
「なら、もう泣かせないでください。」
脅すように言って、レティシアは彼の前に立つ。
「私だって、戦えます。あなたが罪を負うなら、私も一緒に負います。あなたが捕まるなら、私も一緒に捕まります。」
その言葉に、エドガーが苦く笑う。
「……馬鹿なことを言うな。お前は貴族の娘だ。俺と違って生きる道はいくらでもある。」
「いいえ。私の生きる場所は、あなたの隣だけです。」
その瞳がまっすぐ自分を映しているのを見て、エドガーは言葉を失った。
彼女はあまりにもまっすぐで、あまりにも眩しい。
救いなど望んでいなかった。けれど今、彼女の手を取らずにはいられなかった。
「……俺には持て余すほどの光だ。」
「なら、目を逸らさずに見てください。」
レティシアが差し出した手を、エドガーはためらいながら掴んだ。
握った瞬間、心の奥に火が灯るような温もりが広がった。
沈黙。
それは言葉より深い契約だった。
けれど時間は無情だ。
外の空が少しずつ明るくなり始めている。
遠くで、蹄の音が響いた。
「……来たな。」
エドガーが扉越しに顔を上げる。
「レティシア、離れろ。」
「嫌です。」
「すぐに出る。マイラが道を作ってくれる。お前はその間に村を抜けろ。」
「そんなこと、できるわけ――」
「頼む。お前まで罪人にするわけにはいかない。」
その声が優しくて、だからこそ胸が軋む。
「“あなたにふさわしくない”と言われても、私はあなたを選びます。」
レティシアが強く言うと、彼は驚いたように目を見開き、そして小さく笑った。
「じゃあ、その覚悟、見せてもらおう。」
外の光が差し込み、朝が訪れる。
遠くから兵の声が響く。
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二人は手を離さず、互いの目を見つめた。
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これが終わりではなく、始まりになると信じて。
続く
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