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第20話 騎士の誓い
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夜明けの光が、まだ霞むような薄明の中に差し込んでいた。
鳥の声が響き始めるより前に、村の外れではすでに兵の蹄の音が鳴り響いていた。
王都からの部隊が予告どおり到着したのだ。灰色の鎧が朝露を弾き、列をなして村へ近づいてくる。
風見亭の屋根から、その光景をエドガーは黙って見つめていた。
腕には剣を抱え、背筋をまっすぐ伸ばしている。
彼の目には、恐れも怯えもなかった。ただ、静かな決意。
「……来るな。」
レティシアは彼の背中に声をかける。
「行かないでください。お願いです、逃げましょう。あなたが罰を受ける理由なんてどこにもない。」
エドガーは振り向かずに言う。
「俺には守るものがある。それはあの日から変わらぬ誓いだ。」
「誓い……?」
「弱き者を守ること。武器を手にする理由が誰かの涙なら、迷いなく振るう。それが俺が騎士でいられた唯一の証。」
レティシアの胸が締めつけられる。
「そんなの、もう十分果たしています。今度は、あなた自身を守ってください。」
「……俺は、もう自分を赦す方法を忘れた。」
エドガーの声は低く、どこか哀しみを含んでいた。
沈黙が流れた。
村の鐘が鳴り始める。
それは夜の終わりを告げる音ではなく、危険の到来を知らせる合図だった。
そのとき、マイラが駆けてきた。
「時間がありません! もうすぐ部隊が村へ入ります。今なら裏の森を抜けて逃げられます。」
「ありがたいが、行かない。」
「愚か者!」マイラが叫ぶ。
「王都の命令は絶対です。あなたを捕らえて見せしめにするつもりなのですよ!」
「分かっている。それでも俺は、逃げずに立つ。」
彼の声には揺るぎがなかった。
マイラが唇をかみ、苦しげに顔を逸らす。
「どうして……こうなると分かっていて、あの報告書に真実を書いた私が馬鹿でした。あなたを守るつもりが、逆に標的にしてしまった。」
「お前が俺を信じてくれた。それで十分だ。」
エドガーは、レティシアの手を取った。
その手は温かく、指先が微かに震えていた。
「レティシア。俺はお前を連れて逃げることもできる。でもそうすれば、この村が報復を受けるだろう。だから、俺はここで立つ。」
「そんなの違う。あなたがいなければ、この村も崩れてしまう。」
「ならば、最後まで守るのが俺の役目だ。」
レティシアの瞳に涙が滲む。
言葉を探すより早く、彼の親指がそっと頬を撫でた。
「泣くな。この顔を胸に刻んでくれ。たとえ俺がいなくなっても、忘れるな。俺はお前のために生きた。」
「そんなこと言わないで……必ず、生きて帰ってきてください。」
「約束はできんが、誓いは立てよう。」
エドガーはそっと顔を近づけ、額を彼女の額に重ねた。
「――レティシア。お前を愛している。」
一瞬、世界が止まった。
風の音も、兵の足音も遠くに霞む。
レティシアの唇が震える。
「……私も、あなたを愛しています。」
彼が初めて笑った。
強くも、どこか穏やかな笑みだった。
マイラが声を張る。
「もう時間がありません、兵が来ます!」
エドガーは剣を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。
「逃げるな。俺の背後にいろ。何があっても、俺が剣を下ろすことはない。」
「あなた一人を行かせません!」
彼が振り向くより先に、レティシアは短剣を手にしていた。
あの夜、彼が残していった刃だ。
「これはあなたがくれたもの。なら、私にも戦う資格があります。」
「馬鹿な……お前は戦うために生まれた人間じゃない。」
「それは、あなたが教えてくれたことです。守るために立つ、それが強さだと!」
エドガーはしばらく黙り、やがて小さく呟いた。
「分かった。だが、無理はするな。俺の剣の届く範囲にいろ。」
「はい。」
兵の列が村の入り口に現れた。
数十名の兵が剣を構え、周囲を囲む。
リーダー格の男が馬から降り、声を上げた。
「王命により、反逆者エドガー・ラインハルトを拘束する! 抵抗する者は全員処刑とする!」
その声に、村人たちは息を呑む。
マーサ女将が震えながらレティシアのほうを見つめていた。
レティシアは小さくうなずくと、エドガーの隣に立った。
「ここを通したくない。お前たちが来れば、この村が血に染まる。」
エドガーの声は低く、それでいてはっきりと響いた。
「俺と来る覚悟を持つ者だけ来い。命令で動くなら、俺の盾になる資格はない。」
兵士たちがざわつく。
そのとき、マイラが前へ出た。
「待ちなさい!」
彼女は王命の印を掲げ、高らかに言い放つ。
「この男の罪状は再審中である! ここで命を奪うことは王命への背反と同義!」
その言葉に兵たちは動きを止めた。
指揮官が険しい表情で言い返す。
「監察官殿、それは確認されていない!」
「確認もせずに剣を振るうつもりか? ここは私の任務範囲だ。勝手な行動をすれば、お前たちこそ処罰の対象になる!」
沈黙が落ちた。
兵たちは互いに顔を見合わせ、やがて武器を下ろす。
しかし、その背後から別の馬の蹄音が聞こえた。
アラン・ルーデンハルトが現れた。
かつての婚約者。冷ややかな笑みを浮かべ、兵たちの間を抜けて進み出る。
「さすがは“裏切り者”の騎士だな。女と一緒に、国まで捨てるとは。」
エドガーの眉が動く。
「お前が来たのか。」
「当然だ。あの娘を連れ戻すのは、俺の義務でもある。」
アランの視線がレティシアに向かう。
「レティシア、君はこんな男と一緒にいるべきじゃない。」
「あなたの言葉を信じる心は、もう私の中にはありません。」
「……俺を拒むか。」
「はい。私は、エドガーを愛しています。」
その言葉が静寂を裂いた。
アランが剣を抜く。
「では、罪人ごと断ち切る!」
瞬間、風が鳴った。
エドガーが剣を抜き、アランの剣を受け止める。
火花が上がり、周囲に緊張が走った。
「貴族らしい剣だな。命令のためにしか振れぬ剣だ。」
「お前のように感情で剣を振るえるほど、俺は愚かじゃない!」
金属のぶつかる音が響く。
一合、二合――二人の動きは目にも留まらぬほど速かった。
レティシアはその戦いを見届けることしかできなかった。
だが彼女の中には、確信があった。
エドガーは、誰かを殺すためではなく、誰かを守るために剣を振るっている。
終わりの合図のように、一陣の風が吹き抜けた。
次の瞬間、アランの剣が宙を舞い、地面に突き刺さる。
首元に光る刃を突きつけられ、アランは息を呑んだ。
「これ以上、彼女を傷つけるな。」
エドガーの声は静かだった。だが怒りよりも深い覚悟がそこにあった。
アランは震えた唇で笑った。
「……俺の負けだ。だが、いつか王都はお前を許さない。」
その言葉を残し、兵たちを引き連れて退く。
誰もいなくなったあと、村に静寂が訪れた。
レティシアが息を詰めたままエドガーに駆け寄る。
「怪我は……?」
「かすり傷だ。」
「本当に……よかった。」
涙が滲む。だが今度は、安堵の涙だった。
マイラがそっと近づき、言った。
「私は王都に戻ります。あなたの件は、必ず再調査を求めます。……それが、私にできる精一杯です。」
「感謝する。」
マイラは微笑み、去っていった。
残されたエドガーとレティシア。
暖かな朝の光が、二人を包み込む。
エドガーは剣を地に突き立て、静かに空を見上げた。
「この剣はもう、人を断つために使わないと誓う。俺の命が尽きるその日まで、守るためだけに。」
レティシアは彼の隣に立ち、その手を重ねた。
「その誓い、私も共に。」
風が吹き抜け、黄金色の光が二人の髪を撫でた。
戦いが終わり、長い夜も明けた。
だが彼らの物語は、まだ終わらない。
試されるのは、誓いを貫く勇気と、守ると決めた愛の強さ。
続く
鳥の声が響き始めるより前に、村の外れではすでに兵の蹄の音が鳴り響いていた。
王都からの部隊が予告どおり到着したのだ。灰色の鎧が朝露を弾き、列をなして村へ近づいてくる。
風見亭の屋根から、その光景をエドガーは黙って見つめていた。
腕には剣を抱え、背筋をまっすぐ伸ばしている。
彼の目には、恐れも怯えもなかった。ただ、静かな決意。
「……来るな。」
レティシアは彼の背中に声をかける。
「行かないでください。お願いです、逃げましょう。あなたが罰を受ける理由なんてどこにもない。」
エドガーは振り向かずに言う。
「俺には守るものがある。それはあの日から変わらぬ誓いだ。」
「誓い……?」
「弱き者を守ること。武器を手にする理由が誰かの涙なら、迷いなく振るう。それが俺が騎士でいられた唯一の証。」
レティシアの胸が締めつけられる。
「そんなの、もう十分果たしています。今度は、あなた自身を守ってください。」
「……俺は、もう自分を赦す方法を忘れた。」
エドガーの声は低く、どこか哀しみを含んでいた。
沈黙が流れた。
村の鐘が鳴り始める。
それは夜の終わりを告げる音ではなく、危険の到来を知らせる合図だった。
そのとき、マイラが駆けてきた。
「時間がありません! もうすぐ部隊が村へ入ります。今なら裏の森を抜けて逃げられます。」
「ありがたいが、行かない。」
「愚か者!」マイラが叫ぶ。
「王都の命令は絶対です。あなたを捕らえて見せしめにするつもりなのですよ!」
「分かっている。それでも俺は、逃げずに立つ。」
彼の声には揺るぎがなかった。
マイラが唇をかみ、苦しげに顔を逸らす。
「どうして……こうなると分かっていて、あの報告書に真実を書いた私が馬鹿でした。あなたを守るつもりが、逆に標的にしてしまった。」
「お前が俺を信じてくれた。それで十分だ。」
エドガーは、レティシアの手を取った。
その手は温かく、指先が微かに震えていた。
「レティシア。俺はお前を連れて逃げることもできる。でもそうすれば、この村が報復を受けるだろう。だから、俺はここで立つ。」
「そんなの違う。あなたがいなければ、この村も崩れてしまう。」
「ならば、最後まで守るのが俺の役目だ。」
レティシアの瞳に涙が滲む。
言葉を探すより早く、彼の親指がそっと頬を撫でた。
「泣くな。この顔を胸に刻んでくれ。たとえ俺がいなくなっても、忘れるな。俺はお前のために生きた。」
「そんなこと言わないで……必ず、生きて帰ってきてください。」
「約束はできんが、誓いは立てよう。」
エドガーはそっと顔を近づけ、額を彼女の額に重ねた。
「――レティシア。お前を愛している。」
一瞬、世界が止まった。
風の音も、兵の足音も遠くに霞む。
レティシアの唇が震える。
「……私も、あなたを愛しています。」
彼が初めて笑った。
強くも、どこか穏やかな笑みだった。
マイラが声を張る。
「もう時間がありません、兵が来ます!」
エドガーは剣を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。
「逃げるな。俺の背後にいろ。何があっても、俺が剣を下ろすことはない。」
「あなた一人を行かせません!」
彼が振り向くより先に、レティシアは短剣を手にしていた。
あの夜、彼が残していった刃だ。
「これはあなたがくれたもの。なら、私にも戦う資格があります。」
「馬鹿な……お前は戦うために生まれた人間じゃない。」
「それは、あなたが教えてくれたことです。守るために立つ、それが強さだと!」
エドガーはしばらく黙り、やがて小さく呟いた。
「分かった。だが、無理はするな。俺の剣の届く範囲にいろ。」
「はい。」
兵の列が村の入り口に現れた。
数十名の兵が剣を構え、周囲を囲む。
リーダー格の男が馬から降り、声を上げた。
「王命により、反逆者エドガー・ラインハルトを拘束する! 抵抗する者は全員処刑とする!」
その声に、村人たちは息を呑む。
マーサ女将が震えながらレティシアのほうを見つめていた。
レティシアは小さくうなずくと、エドガーの隣に立った。
「ここを通したくない。お前たちが来れば、この村が血に染まる。」
エドガーの声は低く、それでいてはっきりと響いた。
「俺と来る覚悟を持つ者だけ来い。命令で動くなら、俺の盾になる資格はない。」
兵士たちがざわつく。
そのとき、マイラが前へ出た。
「待ちなさい!」
彼女は王命の印を掲げ、高らかに言い放つ。
「この男の罪状は再審中である! ここで命を奪うことは王命への背反と同義!」
その言葉に兵たちは動きを止めた。
指揮官が険しい表情で言い返す。
「監察官殿、それは確認されていない!」
「確認もせずに剣を振るうつもりか? ここは私の任務範囲だ。勝手な行動をすれば、お前たちこそ処罰の対象になる!」
沈黙が落ちた。
兵たちは互いに顔を見合わせ、やがて武器を下ろす。
しかし、その背後から別の馬の蹄音が聞こえた。
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「あなたの言葉を信じる心は、もう私の中にはありません。」
「……俺を拒むか。」
「はい。私は、エドガーを愛しています。」
その言葉が静寂を裂いた。
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「では、罪人ごと断ち切る!」
瞬間、風が鳴った。
エドガーが剣を抜き、アランの剣を受け止める。
火花が上がり、周囲に緊張が走った。
「貴族らしい剣だな。命令のためにしか振れぬ剣だ。」
「お前のように感情で剣を振るえるほど、俺は愚かじゃない!」
金属のぶつかる音が響く。
一合、二合――二人の動きは目にも留まらぬほど速かった。
レティシアはその戦いを見届けることしかできなかった。
だが彼女の中には、確信があった。
エドガーは、誰かを殺すためではなく、誰かを守るために剣を振るっている。
終わりの合図のように、一陣の風が吹き抜けた。
次の瞬間、アランの剣が宙を舞い、地面に突き刺さる。
首元に光る刃を突きつけられ、アランは息を呑んだ。
「これ以上、彼女を傷つけるな。」
エドガーの声は静かだった。だが怒りよりも深い覚悟がそこにあった。
アランは震えた唇で笑った。
「……俺の負けだ。だが、いつか王都はお前を許さない。」
その言葉を残し、兵たちを引き連れて退く。
誰もいなくなったあと、村に静寂が訪れた。
レティシアが息を詰めたままエドガーに駆け寄る。
「怪我は……?」
「かすり傷だ。」
「本当に……よかった。」
涙が滲む。だが今度は、安堵の涙だった。
マイラがそっと近づき、言った。
「私は王都に戻ります。あなたの件は、必ず再調査を求めます。……それが、私にできる精一杯です。」
「感謝する。」
マイラは微笑み、去っていった。
残されたエドガーとレティシア。
暖かな朝の光が、二人を包み込む。
エドガーは剣を地に突き立て、静かに空を見上げた。
「この剣はもう、人を断つために使わないと誓う。俺の命が尽きるその日まで、守るためだけに。」
レティシアは彼の隣に立ち、その手を重ねた。
「その誓い、私も共に。」
風が吹き抜け、黄金色の光が二人の髪を撫でた。
戦いが終わり、長い夜も明けた。
だが彼らの物語は、まだ終わらない。
試されるのは、誓いを貫く勇気と、守ると決めた愛の強さ。
続く
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