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9話 ボールとバスケ
しおりを挟む茶色いボールが天高く飛んでいく。
そして、瞬き一つすればボールは鉄の輪っかに当たりボールは俺の方に戻ってくる。
「ナイスボール」
「……」
後ろに並んでいた富田の揶揄うような掛け声に、肩を落とすしかなかった。
今日の体育の授業はバスケ。ボールをゴールリングに入れる練習をしているのだが、ボールとの相性が悪いのか一向に入る気配がしない。
「出来れば俺はやるから見とけ」
「それは何回も聞いた、いいから後ろ」
「はい」
肩を落としながら後ろの列に大人しく戻る。
「いいぞ、やってやれ」
「パス、パス!」
隣のコートは試合をやっているのか楽しそうな声が聞こえる。その声がやけに耳に反響するのは、一向にボールが入らないからだろうか。
「かっこいい……」
その時、吐息が漏れような、思わず言ってしまったそんな女子の小さな声に導かれて横目で見れば、ボールを持った三船が空を飛んでいた。そのままボールを投げ飛ばし、ボールは吸い込まれるようゴールリングに入れる。
そして、試合終了の笛が鳴り大きな歓声はあがるのだった。
確かにあれは格好いい。
今なら女子が惚れる理由が分かるかもしれない。
歓声とか、評価とか、きっと本人は興味がないだろうなと、喜ぶこともなく眉毛一つ動かさず三船は裾を引っ張って汗を拭う。
あれだけのルックスとポテンシャルを見せつけられると、別次元の人間だなと改めて思う。
考えてることも別次元だけど。
「なぁ、水持ってない」
目が合ったと思えば、近づいて来て三船は水筒がどうやら欲しいらしい。
「あるけど、自分のは」
「全部飲んだ」
「はやっ、というか俺じゃなくても良くないか」
「水」
「俺は使用人じゃないからな」
仕方なく、体育館の端まで荷物を取りに行く。水筒とついでに使ってないタオルを持って行く事にした。
「彼奴、三船ほんとウザいよな」
「何なの、カッコつけて。女子にキャーキャー言われたいからって狙ってたよな」
悪口が聞こえたのはすぐ近く。壁を背にして座るのは、三船と同じクラスの男子生徒達。
先ほどの試合、三船の敵側のチームだったのか。反訴だの、卑怯だの屁理屈が飛び交う。
最後の最後であれだけかっこよく決められたら悪口も言いたくなるのは分かる。
けれど、負けは負けなのだから大人しく認めろと、念を送りながら三船の元に帰り、持って来た水筒とタオル渡す。
「あのさ」
「なに?」
「さっき、スゲェーカッコよかったから。だから、なにを言われても無視しろよ」
「なに突然」
「えっと、凄いと思ったから伝えておかないと思って?」
「ふーん。まぁ、ありがと」
ゆるりと歯に噛む三船。
指先が熱くなり、力が抜ける。心臓が何故かドクっと高鳴るの感じた。
「一旦、集まれ」
体育教師が笛を吹く。
「行かないと」
「嗚呼、そうだな」
あっ危なかった、トキメキそうになっ……いや違う!あれは普段から喜ぶ顔を見せないからであって、驚いただけで、決して心惹かれたとかじゃないから。
俺は宇宙人に惑わされるだけだど、心に何度も説いた。
*
集合の後、チームを変えて試合をする事になった。体育はクラス合同なので、別クラスの三船も当然どこかのチームに加わる。
「敵だな」
そして、呟く三船は敵になった。
負けたなと、すぐさま俺とチームメンバーは悟りを開いた。
頑張ろとか慰めはいらない、潔く全力で戦って負けよう言葉にしなくともヒシヒシと伝わってくる。
「お互い頑張ろうな」
この完璧人間は人を煽っているのか。
諦めの中で、試合開始の音は鳴るのだった。
「パスゥー」
投げられたボールは目の前で消えるように取られて行く。
やはり、三船の方のチームが圧勝している。ボールに触れることすらできない俺は走り回っている意味があるのか、そう疑問に思うほど三船は独擅場を走る。
走るのにも疲れた俺は三船がまたシュートするのを見届けた。
また歓声が沸く。凄いというか、何もかも完璧なこんな人間いるんだなと。
「まじで、ウゼェ」
騒がしい場に小さな妬みはしっかりと耳に入って来た。
このコートの中で誰かは分からない、聞き違いだと思いたい。ザワザワと揺さぶる、この胸騒ぎが止まらないのは聞き覚えのある声だったからだ。
身の危険を感じた俺は三船に伝えた方いいのではと近づこうとしたが、ボールはもう宙に打ち上げられている。
どうしよう。
交戦の中、明らかに挙動がおかしい生徒が数人いることにやっと気がついた。
ゴールを目指すのではなく三船を付け狙う動き。ブロックしてるように見えて転かそうとしてるし、ボールのパスは三船の頭をスレスレに通る。
なんとか、三船の持ち前の反射神経で避けているのは良いけど、いつ何かが起きてもおかしくない状態だった。
もし、三船が怪我することになれば、俺はどうする。
『考えたって仕方ないだろ』
自分を前に進めるにはこうするしかない、いつか聴いた言葉を胸に俺は三船の前に飛び出る。
「いっ」
そして、俺は見事に顔面でボールをキャッチした。投げた相手の顔はお前が前に来るのかという驚きだった。
静まり返った空間、音を立ててボールが虚しく転がっていく。決して、顔面で受け取ろうとか思っていない。華麗に受け取るはずが悲しくも失敗したのだ。
クッソ、恥ずかしい
とその場に座り込み、赤く腫れているだろう鼻を覆う。
「だっ大丈夫か」
ぶつけたであろう人物が心配そうに駆け寄ってきた。
カッコ良く決めるはずが、敵に心配されるのは余計に顔を上げられない。
絶対に、三船にも間抜けにボール当たったと思われている。本当に俺は何をしにきたのか。
「触るな」
三船の冷たい声と共に、手を弾かれる音。
何が起きたと顔を上げれば、先程の人物が心配で俺に手を伸ばそうとしていたのか、その手を剣幕を立てた三船に弾かれていた。
「わっ、わざとじゃない。当たったの本当に偶然で、仕方ないだろ」
叩かれた手を大事そうに抱える男、弁解も虚しく三船に執念深く睨まれ体を震えさせる。
「スズ、大丈夫っ」
「全然、平気、ちょっとぶつかっただけ。下手くそというか、本当に決めるところ決められないとか、ダサすぎて笑うしかないな」
そして掌にポタポタと何かが落ちる。あっ、と思って鼻の下を指先で触れれば、指先が紅く染まっていた。
どうやら鼻の中を切ったらしい、と言っても転けたりとか、遊びで馬鹿してとか、で何回か切っていた事もあり別に慌てる事でもない。
ない、はずなのに三船のまん丸とした瞳孔は揺れ、明らかに動揺している。
「えっと?」
「……」
無言の三船。動揺を抑えるように握っていた手を更に力強く握り直し、男の方に振り返った。
「なっなんだよ。なんか言えよ」
無言のまま男に確実に一歩近づく三船に、男は青ざめた顔で後ろに下がる。
三船が怖い。吐きたいくらいの緊張感、最悪の結末になるかもしない。
「三船っ」
この二人が距離を詰めるのは良くないと、俺は必死に三船の腕を掴み取る。そちらに行かせないように腕を引っ張ると三船の体は傾く。
静かに怒りをみせる三船、俺の手も振り落とされると覚悟したが、意外にも掴んだことが功を奏したか、冷静さを取り戻し俺を無垢に見つめ返してきた。
「頭打ったりとしてないかって血!大丈夫かっ!」
「大丈夫です。中を少しだけ切っただけです」
良いタイミングで教師が駆け寄り、コートに流れる異様な空気が緩和した。
三船は教師が来た事で落ち着き取り戻し、男とその取り巻き達は牙を抜かれたように大人しく隅に寄る。何かを起こす気はもう無さそうだ。
一件落着かなと安心した俺は体操着で血を拭き取る。
そして試合は中止となり、俺は大事をとって保健室に行く事になった。
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