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第一話 隠居賢者の穏やかな日常
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かつて、賢者と呼ばれた者がいた。
ある時は、幾多の戦争を勝利へと導いた軍師として、ある時は、画期的な研究を成功させた魔導師として、またある時は、優良な政策をいくつも作った宰相として、目覚ましい活躍したためである。
だが、そんな彼も老いた。
数年前、彼は短い余生を静かに過ごしたいと言って、このザインナイツ王国から離れてどこかへ行ってしまった。
「王。何を呆けているのですか」
いつの間にか部屋に入ってきた大臣が、困ったような顔をしてこちらを見ている。
彼が無作法に入ってくるわけがないため、どうやら私はノックの音が聞こえなかったらしい。
「はっはっは。いやなに、少しレキムの事を思い出してな」
「あの方と違って、貴方は引退出来ませんからね」
長い付き合いの大臣に、呆れたように言われてしまった。
全く、少しぐらい仕事を忘れて思い出に浸っても良いではないか。
才能に溺れることなく研鑽を積み、その力を我が国の為に遺憾なく発揮した彼は今、一体何をしているのだろう。
---------------
静謐な家の中、紅茶の香りが心地よく鼻孔をくすぐる。
「どうぞ」
木で出来た椅子に腰かける私の横にある切り株ようなテーブルに、白いティーカップを置く彼女の姿は見えない。
「ありがとう」
亡霊である彼女に、いつものように礼を言う。
人里から離れた森の中に佇む家で、窓から入る心地よい木漏れ日を光源として読書を嗜んでいる私には、時間の流れがゆっくりと感じられる。過去に経験したことばかりを繰り返して生きていると時間を早く感じると言うが、その点本に書かれている物語は体験したことのないことばかりで退屈せず、残り少ない余生の過ごし方としては申し分ない。
「何を読んでいるんですか」
白い服を纏った足の無い彼女が姿を現し、柔らかな声音で聞いてくる。
私は本に栞を挟み、閉じて表紙を見せてながら言う。
「嘆きの子供達という、親のせいで奴隷になった子供達がその人生に嘆きながらも生きていく、という内容の小説だよ」
彼女は黒く長い髪をなびかせて首を傾げ、また質問をしてくる。
「それって面白いんですか?」
彼女は亡霊のくせに、この手のシリアスな展開の小説を好まない。「楽しむために読んでいるのに、どうして悲しい思いにならなくてはいけないんですか?」というのが、彼女の見解らしい。
「面白いね。まだ途中までしか読んでいないが、奴隷達の悲痛な心情がよく描写されている」
「それは、面白いって言わないと思います」
彼女はシャープな顔を膨れさせて言う。
「面白いのは、これを書いているのが奴隷を酷使している貴族だという事だよ。著者は奴隷達の悲痛な嘆きを知っているにも関わらず、重労働を強いているのだから」
彼女は呆れたように溜息をつきながら、黒く美しい双眸をこちらに向け、皺の無い口を微笑みの形にしながら言葉を成す。
「小説の楽しみ方として、そういう事を考えるのはナンセンスだと思いますよ」
確かに、作品を著者というフィルターを通して読むのは望ましくないだろう。幻想は幻想だからこそ美しく、そこに現実という雑味を混ぜるのは好ましくはあるまい。
「そうかもしれんな」
一つ学習した私は、テーブルに本を置き、代わりに彼女が持ってきてくれたティーカップを口に運ぶ。
紅茶は相変わらず良い味で、思わず溜息が出る。
私が本を読むのを止めたのを知ってか、どこからともなく黒い猫が膝に乗ってきた。滑らかに着地し、丸くなって欠伸をしたと思うと、すぐに首をだらけさせて目を閉じてしまう。私の膝はベット代わりに丁度良いらしく、こうなってしまうと私が背を撫でても無反応だ。
私はテーブルにティーカップを置き、代わりに本を手に取って読書を再開する。
それを見た彼女も、本棚から本を取りだして、私の隣で浮遊しながら読み始めた。
―――そんな平穏な日常は、激しいノックの音に破られた。
ある時は、幾多の戦争を勝利へと導いた軍師として、ある時は、画期的な研究を成功させた魔導師として、またある時は、優良な政策をいくつも作った宰相として、目覚ましい活躍したためである。
だが、そんな彼も老いた。
数年前、彼は短い余生を静かに過ごしたいと言って、このザインナイツ王国から離れてどこかへ行ってしまった。
「王。何を呆けているのですか」
いつの間にか部屋に入ってきた大臣が、困ったような顔をしてこちらを見ている。
彼が無作法に入ってくるわけがないため、どうやら私はノックの音が聞こえなかったらしい。
「はっはっは。いやなに、少しレキムの事を思い出してな」
「あの方と違って、貴方は引退出来ませんからね」
長い付き合いの大臣に、呆れたように言われてしまった。
全く、少しぐらい仕事を忘れて思い出に浸っても良いではないか。
才能に溺れることなく研鑽を積み、その力を我が国の為に遺憾なく発揮した彼は今、一体何をしているのだろう。
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静謐な家の中、紅茶の香りが心地よく鼻孔をくすぐる。
「どうぞ」
木で出来た椅子に腰かける私の横にある切り株ようなテーブルに、白いティーカップを置く彼女の姿は見えない。
「ありがとう」
亡霊である彼女に、いつものように礼を言う。
人里から離れた森の中に佇む家で、窓から入る心地よい木漏れ日を光源として読書を嗜んでいる私には、時間の流れがゆっくりと感じられる。過去に経験したことばかりを繰り返して生きていると時間を早く感じると言うが、その点本に書かれている物語は体験したことのないことばかりで退屈せず、残り少ない余生の過ごし方としては申し分ない。
「何を読んでいるんですか」
白い服を纏った足の無い彼女が姿を現し、柔らかな声音で聞いてくる。
私は本に栞を挟み、閉じて表紙を見せてながら言う。
「嘆きの子供達という、親のせいで奴隷になった子供達がその人生に嘆きながらも生きていく、という内容の小説だよ」
彼女は黒く長い髪をなびかせて首を傾げ、また質問をしてくる。
「それって面白いんですか?」
彼女は亡霊のくせに、この手のシリアスな展開の小説を好まない。「楽しむために読んでいるのに、どうして悲しい思いにならなくてはいけないんですか?」というのが、彼女の見解らしい。
「面白いね。まだ途中までしか読んでいないが、奴隷達の悲痛な心情がよく描写されている」
「それは、面白いって言わないと思います」
彼女はシャープな顔を膨れさせて言う。
「面白いのは、これを書いているのが奴隷を酷使している貴族だという事だよ。著者は奴隷達の悲痛な嘆きを知っているにも関わらず、重労働を強いているのだから」
彼女は呆れたように溜息をつきながら、黒く美しい双眸をこちらに向け、皺の無い口を微笑みの形にしながら言葉を成す。
「小説の楽しみ方として、そういう事を考えるのはナンセンスだと思いますよ」
確かに、作品を著者というフィルターを通して読むのは望ましくないだろう。幻想は幻想だからこそ美しく、そこに現実という雑味を混ぜるのは好ましくはあるまい。
「そうかもしれんな」
一つ学習した私は、テーブルに本を置き、代わりに彼女が持ってきてくれたティーカップを口に運ぶ。
紅茶は相変わらず良い味で、思わず溜息が出る。
私が本を読むのを止めたのを知ってか、どこからともなく黒い猫が膝に乗ってきた。滑らかに着地し、丸くなって欠伸をしたと思うと、すぐに首をだらけさせて目を閉じてしまう。私の膝はベット代わりに丁度良いらしく、こうなってしまうと私が背を撫でても無反応だ。
私はテーブルにティーカップを置き、代わりに本を手に取って読書を再開する。
それを見た彼女も、本棚から本を取りだして、私の隣で浮遊しながら読み始めた。
―――そんな平穏な日常は、激しいノックの音に破られた。
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