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第二話 非日常はノックと共に
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激しくドアを叩く音が、静謐な家に響き渡る。
「はて、この家の場所を誰かに伝えた覚えは無いのだがね」
そもそも、このような粗野なノックをし続けるような知り合いはいないはずだ。動物がぶつかっただけかとも考えたが、それにしては音が連続しすぎている。
「私が見てきましょうか?」
彼女は透明になりながら聞いてくる。確かに、その方が安全にこの無作法なノックの主を確かめることが出来るだろう。
「いや、いい。私が行こう」
私は本を閉じ、膝の上で寝ている猫と共にテーブルに置いた後、腰掛けていた椅子から立ち上がり、玄関へと向かう。
「せっかくの非日常だ。本はいつでも読めるが、このような受動的なものは今でなければ味わえない」
私の歳不相応な好奇心のためか、彼女がくつくつと声を出しながら笑う。
「それは面白そうですね」
彼女は姿を消したまま、私の後に付いてくる。もう何十年の付き合いだ。姿が見えなくとも、どこにいるかは大体把握出来てしまう。
私が玄関まで歩いていく間にも音は止まず、不規則な拍子を刻んでいる。それなのに、叩かれているドアの磨り硝子から人影は見受けられなかった。
予想を立てようとも思ったが、ドアを開ければ理由が分かるのだから止め、私は鍵を回してドアを開く。
そこにいたのは、ボロボロの服を着た二人の子供だった。
足は素足で髪はボサボサの男の子と女の子。首には首輪が付いており、手には手枷が付いている。つまりは奴隷だ。おそらくは、近くの林道を通っている奴隷商人の所有物が逃げてきたのだろう。
「お願いします!助けてください!」
男の子が地面に頭を擦りつけながら、すがるように言ってくる。
「助けてください!」
隣の女の子もそれに倣って土下座をする。
二人とも見たところ十歳にも満たないような体躯で、目立った外傷は無いが、腕や足の細さから食事は満足に与えられていないようだ。少なくとも、人間としては扱われておるまい。奴隷は家畜以上人間以下の労働力でしかないのだから。
「どうします?」
見えない彼女が私の耳元で囁く。
「そうだな……」
ふと、今読んでいた小説<嘆きの子供達>を思い出した。おそらくは、目の前にいる奴隷の子供達が小説の登場人物と重なったからだろう。まだ途中までしか読んでいないが、あの本はどのような結末を迎えるのだろう。奴隷達の嘆きは意味も無く虚空に響くだけなのか、それとも、彼らの必死の叫びが意味を成し、人生の全てを嘆かずに済むような結末を迎えるのか。
私個人の感情に、この子らに対する憐れみや同情はあまりない。奴隷は社会に必要であるからだ。だから、宰相として王の側につかえていた時も、奴隷制度を撤廃しようとは思わなかった。
だが、物語には起承転結があるものだ。
この子らの人生という物語で、今はまさに転機だろう。人生の結末で走馬灯を見た時に、その全てを嘆かずに済むかどうかの。
「君達は、何のために助かりたいんだ」
この子らを助ける事は出来る。助ける事だけなら私でなくても出来る。
だからこそ、私は聞いてみたかった。
「何のために、助かりたいか……」
顔を上げた男の子の方が、私の質問を繰り返す。年端もいかぬ子供に、このような質問をすること自体が間違っていたかとも思ったが、彼はしっかりと回答を持ち合わせていた。
「俺は……俺はこの子が殴られるのをこれ以上見るのが嫌だったんだ」
女の子の方を見ながら、彼は静かだがはっきりと言葉を紡ぐ。
「だから、せめてこの子だけでも助けてください」
彼は、私を見上げて言葉を続ける。その大きな黒い双眸に嘘偽りの光は宿っておらず、真っ直ぐに懇願の目線を送ってくる。
自分よりも大切な何かをもう見つけたのか、と、私は感心してしまう。
「いや」
そんな中、女の子が彼の言葉を否定した。
「私だけ助かるなんていや。そんなの、耐えられない」
目線は落としたままだが、女の子は真剣な声音で言葉を発する。
友情か、恋心かは知らないが、目の前の少年少女は純粋で美しい心を持っているようだ。若かりし頃の私には無かった、純真無垢な心を。
「そうか。君達の気持ちは良く分かった」
私は決断する。
「君達を助けてあげよう」
二人が目を見開き、喜びと驚きと不信感をごちゃまぜにしたような顔でこちらを見つめてくる。
「無論、無償でという訳ではない」
二人の顔が引き締まる。当然の反応ではあるが、年齢を考慮すれば素晴らしいことだ。私の言葉をよく聞き、考えようとしている。
「君達には、将来、多くの人々を助けられるような人材になってほしい。私がこれから与える恩情よりも多くのものを、君達が大人になった時、他の誰かに返してあげるんだ」
私の隣で、見えない彼女が少し噴き出す声が聞こえる。どうやら、面白かったらしい。
しかし、私は至って真剣だ。過去に育てた何人かの弟子にも、同じようなことを言っている。
――恩情を他人に与えられるような人間に、恩を返す必要はない。助けるべき人間が世の中にはいくらでもいるのだから――私の父からの言葉だ。
「どうだ。悪い提案では無いと思うのだが」
私は提案する。あくまでも、決定権はこの子らにある。人生は選択の連続であり、その全てを自分自身で選ぶことは出来ない。子供が親を選べないように。
だから、私は提案以上の事はしない。出来るだけ多くの事を自分自身で選択し、喜びも後悔も全部、自分の選択が原因だと思ってほしいから。
男の子は女の子を見て、女の子はその視線に頷きで答えた。どうやら、結論は出たらしい。
「よろしくお願いします」
男の子の言葉と共に、二人は膝をついたまま丁寧に頭を下げる。
「こちらこそよろしく頼むよ。取り敢えず、家の中に入りたまえ」
老い先短い我が人生が充実したものであることを予感しながらも、私はなるべく優しい声で言う。
―――さて、久々に慌ただしくなりそうだ。
「はて、この家の場所を誰かに伝えた覚えは無いのだがね」
そもそも、このような粗野なノックをし続けるような知り合いはいないはずだ。動物がぶつかっただけかとも考えたが、それにしては音が連続しすぎている。
「私が見てきましょうか?」
彼女は透明になりながら聞いてくる。確かに、その方が安全にこの無作法なノックの主を確かめることが出来るだろう。
「いや、いい。私が行こう」
私は本を閉じ、膝の上で寝ている猫と共にテーブルに置いた後、腰掛けていた椅子から立ち上がり、玄関へと向かう。
「せっかくの非日常だ。本はいつでも読めるが、このような受動的なものは今でなければ味わえない」
私の歳不相応な好奇心のためか、彼女がくつくつと声を出しながら笑う。
「それは面白そうですね」
彼女は姿を消したまま、私の後に付いてくる。もう何十年の付き合いだ。姿が見えなくとも、どこにいるかは大体把握出来てしまう。
私が玄関まで歩いていく間にも音は止まず、不規則な拍子を刻んでいる。それなのに、叩かれているドアの磨り硝子から人影は見受けられなかった。
予想を立てようとも思ったが、ドアを開ければ理由が分かるのだから止め、私は鍵を回してドアを開く。
そこにいたのは、ボロボロの服を着た二人の子供だった。
足は素足で髪はボサボサの男の子と女の子。首には首輪が付いており、手には手枷が付いている。つまりは奴隷だ。おそらくは、近くの林道を通っている奴隷商人の所有物が逃げてきたのだろう。
「お願いします!助けてください!」
男の子が地面に頭を擦りつけながら、すがるように言ってくる。
「助けてください!」
隣の女の子もそれに倣って土下座をする。
二人とも見たところ十歳にも満たないような体躯で、目立った外傷は無いが、腕や足の細さから食事は満足に与えられていないようだ。少なくとも、人間としては扱われておるまい。奴隷は家畜以上人間以下の労働力でしかないのだから。
「どうします?」
見えない彼女が私の耳元で囁く。
「そうだな……」
ふと、今読んでいた小説<嘆きの子供達>を思い出した。おそらくは、目の前にいる奴隷の子供達が小説の登場人物と重なったからだろう。まだ途中までしか読んでいないが、あの本はどのような結末を迎えるのだろう。奴隷達の嘆きは意味も無く虚空に響くだけなのか、それとも、彼らの必死の叫びが意味を成し、人生の全てを嘆かずに済むような結末を迎えるのか。
私個人の感情に、この子らに対する憐れみや同情はあまりない。奴隷は社会に必要であるからだ。だから、宰相として王の側につかえていた時も、奴隷制度を撤廃しようとは思わなかった。
だが、物語には起承転結があるものだ。
この子らの人生という物語で、今はまさに転機だろう。人生の結末で走馬灯を見た時に、その全てを嘆かずに済むかどうかの。
「君達は、何のために助かりたいんだ」
この子らを助ける事は出来る。助ける事だけなら私でなくても出来る。
だからこそ、私は聞いてみたかった。
「何のために、助かりたいか……」
顔を上げた男の子の方が、私の質問を繰り返す。年端もいかぬ子供に、このような質問をすること自体が間違っていたかとも思ったが、彼はしっかりと回答を持ち合わせていた。
「俺は……俺はこの子が殴られるのをこれ以上見るのが嫌だったんだ」
女の子の方を見ながら、彼は静かだがはっきりと言葉を紡ぐ。
「だから、せめてこの子だけでも助けてください」
彼は、私を見上げて言葉を続ける。その大きな黒い双眸に嘘偽りの光は宿っておらず、真っ直ぐに懇願の目線を送ってくる。
自分よりも大切な何かをもう見つけたのか、と、私は感心してしまう。
「いや」
そんな中、女の子が彼の言葉を否定した。
「私だけ助かるなんていや。そんなの、耐えられない」
目線は落としたままだが、女の子は真剣な声音で言葉を発する。
友情か、恋心かは知らないが、目の前の少年少女は純粋で美しい心を持っているようだ。若かりし頃の私には無かった、純真無垢な心を。
「そうか。君達の気持ちは良く分かった」
私は決断する。
「君達を助けてあげよう」
二人が目を見開き、喜びと驚きと不信感をごちゃまぜにしたような顔でこちらを見つめてくる。
「無論、無償でという訳ではない」
二人の顔が引き締まる。当然の反応ではあるが、年齢を考慮すれば素晴らしいことだ。私の言葉をよく聞き、考えようとしている。
「君達には、将来、多くの人々を助けられるような人材になってほしい。私がこれから与える恩情よりも多くのものを、君達が大人になった時、他の誰かに返してあげるんだ」
私の隣で、見えない彼女が少し噴き出す声が聞こえる。どうやら、面白かったらしい。
しかし、私は至って真剣だ。過去に育てた何人かの弟子にも、同じようなことを言っている。
――恩情を他人に与えられるような人間に、恩を返す必要はない。助けるべき人間が世の中にはいくらでもいるのだから――私の父からの言葉だ。
「どうだ。悪い提案では無いと思うのだが」
私は提案する。あくまでも、決定権はこの子らにある。人生は選択の連続であり、その全てを自分自身で選ぶことは出来ない。子供が親を選べないように。
だから、私は提案以上の事はしない。出来るだけ多くの事を自分自身で選択し、喜びも後悔も全部、自分の選択が原因だと思ってほしいから。
男の子は女の子を見て、女の子はその視線に頷きで答えた。どうやら、結論は出たらしい。
「よろしくお願いします」
男の子の言葉と共に、二人は膝をついたまま丁寧に頭を下げる。
「こちらこそよろしく頼むよ。取り敢えず、家の中に入りたまえ」
老い先短い我が人生が充実したものであることを予感しながらも、私はなるべく優しい声で言う。
―――さて、久々に慌ただしくなりそうだ。
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