隠居賢者の子育て余生

具体的な幽霊 

文字の大きさ
1 / 29

第一話 隠居賢者の穏やかな日常

しおりを挟む
  かつて、賢者と呼ばれた者がいた。
   
   ある時は、幾多の戦争を勝利へと導いた軍師として、ある時は、画期的な研究を成功させた魔導師として、またある時は、優良な政策をいくつも作った宰相として、目覚ましい活躍したためである。
   だが、そんな彼も老いた。
   数年前、彼は短い余生を静かに過ごしたいと言って、このザインナイツ王国から離れてどこかへ行ってしまった。

   「王。何を呆けているのですか」

   いつの間にか部屋に入ってきた大臣が、困ったような顔をしてこちらを見ている。
   彼が無作法に入ってくるわけがないため、どうやら私はノックの音が聞こえなかったらしい。

   「はっはっは。いやなに、少しレキムの事を思い出してな」

   「あの方と違って、貴方は引退出来ませんからね」
   
   長い付き合いの大臣に、呆れたように言われてしまった。
   全く、少しぐらい仕事を忘れて思い出に浸っても良いではないか。 

   才能に溺れることなく研鑽を積み、その力を我が国の為に遺憾なく発揮した彼は今、一体何をしているのだろう。


   ---------------
  

   静謐な家の中、紅茶の香りが心地よく鼻孔をくすぐる。

   「どうぞ」

   木で出来た椅子に腰かける私の横にある切り株ようなテーブルに、白いティーカップを置く彼女の姿は見えない。
   
   「ありがとう」

   亡霊である彼女に、いつものように礼を言う。
   人里から離れた森の中に佇む家で、窓から入る心地よい木漏れ日を光源として読書を嗜んでいる私には、時間の流れがゆっくりと感じられる。過去に経験したことばかりを繰り返して生きていると時間を早く感じると言うが、その点本に書かれている物語は体験したことのないことばかりで退屈せず、残り少ない余生の過ごし方としては申し分ない。
   
   「何を読んでいるんですか」

   白い服を纏った足の無い彼女が姿を現し、柔らかな声音で聞いてくる。
   私は本にしおりを挟み、閉じて表紙を見せてながら言う。

   「嘆きの子供達という、親のせいで奴隷になった子供達がその人生に嘆きながらも生きていく、という内容の小説だよ」

   彼女は黒く長い髪をなびかせて首を傾げ、また質問をしてくる。

   「それって面白いんですか?」

   彼女は亡霊のくせに、この手のシリアスな展開の小説を好まない。「楽しむために読んでいるのに、どうして悲しい思いにならなくてはいけないんですか?」というのが、彼女の見解らしい。

   「面白いね。まだ途中までしか読んでいないが、奴隷達の悲痛な心情がよく描写されている」

   「それは、面白いって言わないと思います」

   彼女はシャープな顔を膨れさせて言う。
   
   「面白いのは、これを書いているのが奴隷を酷使している貴族だという事だよ。著者は奴隷達の悲痛な嘆きを知っているにも関わらず、重労働を強いているのだから」

   彼女は呆れたように溜息をつきながら、黒く美しい双眸をこちらに向け、皺の無い口を微笑みの形にしながら言葉を成す。

   「小説の楽しみ方として、そういう事を考えるのはナンセンスだと思いますよ」

   確かに、作品を著者というフィルターを通して読むのは望ましくないだろう。幻想は幻想だからこそ美しく、そこに現実という雑味を混ぜるのは好ましくはあるまい。
   
   「そうかもしれんな」

   一つ学習した私は、テーブルに本を置き、代わりに彼女が持ってきてくれたティーカップを口に運ぶ。
   紅茶は相変わらず良い味で、思わず溜息が出る。
   私が本を読むのを止めたのを知ってか、どこからともなく黒い猫が膝に乗ってきた。滑らかに着地し、丸くなって欠伸をしたと思うと、すぐに首をだらけさせて目を閉じてしまう。私の膝はベット代わりに丁度良いらしく、こうなってしまうと私が背を撫でても無反応だ。
   私はテーブルにティーカップを置き、代わりに本を手に取って読書を再開する。
   それを見た彼女も、本棚から本を取りだして、私の隣で浮遊しながら読み始めた。
   
   ―――そんな平穏な日常は、激しいノックの音に破られた。


   
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

☆ほしい
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

処理中です...